22. ノエル、事件の顛末を知る
◇
事件のあらましは、こうだ。
夫を連れ去った犯人は、この辺りで人身売買の孫請けをしている組織の一人だった。
ベンチで昼食をとっている私たちを偶然見かけ、跡をつけてきたという。
窓から店内の様子を覗き込み、
私がその場を離れたタイミングを見計らって中へ入った。
その手口は手慣れたもので、連れと離れた瞬間を狙い、
知り合いを装って子供を連れ去るというものだった。
今回の場合、サフィール様が盛大に勘違いしたのが、不幸の始まりだった。
「坊っちゃんをお迎えに来ました」
「あれ? アレックスがよびに来たの?」
「はい、そうですよ」
「じゃあ、ノエルにつたえてくるね」
「いえいえ、アレックスは内緒であなたに来てほしいそうです」
「ないしょで? ノエルにサプライズするから、それのことかなぁ」
「間違いありません。さぁさ、早く」
「すぐにここにももどってこられる? ノエルがしんぱいしちゃう」
「それはアレックスに確認してください」
「うーん、わかった。
てんいんさん、ぼく、ちょっとお外にいってくるね。すぐもどってくるから!」
こうしてまんまと犯人に連れられ、街外れの古びた建物に入り、そこでようやく、彼はアレックスがいないことに気が付いた。
「アレックスは?」
「少し席を外しているようです」
「ここ、だれもいないし、はやくノエルのところへもどらないと」
「大丈夫ですよ、お母さまも、承知です」
「母上が? なんで?」
このとき、犯人は私のことを「お母さま」と呼んだのだが、サフィール様はそれを、キングリー侯爵家の母親のことだと勘違いしたらしい。
なぜ自分の母親が承知のうえで私の元を離れるのか、そして、なぜアレックスがいないのか。
訳がわからなくなり、混乱する中で――
ようやく目の前の人物が知らない人間だと気付いたのだという。
人当たりの良さそうな、身なりの整った紳士に見えたという犯人は、終始、口元に弧を描いていたらしい。
だがそれは笑顔ではなく、
「いい子供が一匹手に入った」
という意味の笑みだったと気付いたときには、すでに逃げる術はなかった。
そして犯人は、
そのまま地雷を踏んでしまった。
「さっき一緒にお店にいらっしゃったでしょう。
あなたのお母様――ノエル様も、あなたがこちらにいらしていることは承知ですよ」
ただ子供を黙らせるつもりで吐いた、何気ない嘘。
それが、サフィール様の神経を完全に逆なでした。
「ノエルは――
『お母様』なんかじゃないっ!!!」
犯人の証言によれば、
サフィール様がそう叫んだ瞬間、閉め切られた部屋の中に、濁流のような魔力の気配が溢れ出したという。
「お、おまえ、魔術師か!?」
想定外の事態に、犯人は慌てふためき、さらに悪手を打った。
サフィール様に、神経を麻痺させて従順にさせるという魔法薬を、咄嗟に使用したのだという。
ここからはネイサン様の話だが、サフィール様は人並外れて魔力耐性が高い。
特に、身体に異常をきたす類の魔法薬は、すべて体内の魔力が過剰に反応し、暴走する。
小さな頃はそれが原因で、屋敷の一部が吹き飛ぶ騒ぎを何度も起こしていたそうだ。
ちなみに、魔術自体は使えないらしい。
というより、そちらにはほとんど興味を示さず、魔法薬の道に進んでしまったため、
使い方も分からないまま、宝の持ち腐れ状態になっているのだとか。
――そして今回も例に漏れず。
魔法薬を浴びたことで、サフィール様の体内の魔力が大暴走を起こし、
その結果、空き家が爆発した――というわけである。
犯人は爆風に煽られて壁に叩きつけられ、
全身打撲に加え、数か所を骨折する重傷を負い、病院送りになったらしい。
現在は、犯人の容体が回復し、事情聴取が可能になり次第、
彼の所属していた組織の捜査に踏み切る予定だという。
ネイサン様曰く――
「昔のサフィールは、人身売買だの怪しい組織だの、良からぬことを考えてる小悪党ホイホイって呼ばれてたんだよ。
誘拐されても、犯人が重傷で、本人は無傷で発見される。
そこから芋づる式に組織が解体されていく。
この辺りの治安改善には、あいつは一役も二役も買ってた」
そこでネイサン様は、苦笑混じりに肩をすくめる。
「……まあ、そのせいで、いろいろ拗れた性格に育ってしまったんだがな」
◇
事件の後、サフィール様は精神的ショックが大きいだろうという理由で、詳しい事情聴取は後日に回され、その場で解放された。
警備隊の馬車に屋敷まで送り届けてもらう道中、サフィール様は終始ひと言も口をきかなかった。
よほど怖い思いをしたのだろう。
善意でついて行った相手は、実は見知らぬ男で、気がつけば、自分のせいでその男は大怪我を負っていた。
今回の出来事は、彼の心に深い傷を残してしまったのかもしれない。
隣に無言で座り、窓の外をぼんやりと眺めるサフィール様の姿が、どうにもいじらしく、
私は無意識のうちに彼の身体を抱き上げ、膝の上に乗せてしまった。
――そう、私は間違えた。
「な、なにするんだ!」
「え、なにって……お膝の上のほうが、景色も見やすいかなって……」
予想外の反応に、私は慌てて言い訳をする。
本当は慰めてあげたかっただけなのに、そう正直に言えば、きっと余計に反発されるだろうと思って咄嗟に嘘をついてしまった。
サフィール様は私の腕からするりと逃れ、元の席ではなく、
わざわざはす向かいの席へと移動してしまった。
ぷいっと顔を背けられ、再び外の景色へと視線を戻されてしまう。
(やってしまった……)
後悔しても、もう遅い。
けれど、思ったよりもしっかりと言葉を返してくれたことに少し安堵し、
謝るついでに、彼の気持ちを確かめることにした。
「サフィール様、すみません。
あなたが怖い思いをされたと思って、慰めて差し上げたかっただけなんです。
もう、気持ちは落ち着かれましたか?
……もう、怖くないですか?」
なるべく優しい声で、逆撫でしないように気をつけて問いかける。
するとサフィール様は眉間にしわを寄せ、じっとりとした目でこちらを振り向いた。
ぽつりと、言葉を溢す。
「……こわかった」
(やっぱり、そうよね……)
「……そうですよね。怖かったでしょう……
でも、サフィール様のお兄様のネイサン様が、ちゃんと悪い人を捕まえてくれたので、もう安心ですからね」
私はサフィール様の不安を拭ってあげようと声をかけたが、彼は静かに首を振った。
悲しそうな視線が、こちらを見つめる。
「私が間違ったせいで……、
また君が、母親として私に接するようになると思うと、とても怖かった」
「……え?」
その口調から、舌足らずな幼さが消えている。
彼の視線は、私を真っ直ぐに射抜いたまま、逸れない。
「私は――君の夫だ。君の、子供ではない」
そう言って、静かに目を伏せる。
けれど次の言葉は、どこか幼さを残した声音だった。
「だから、ノエル。ぼくを、ゆるして。
……こどもあつかい、……しないで」
彼の懇願するようなか細い声に、胸がぎゅっと締めつけられた。
(彼が泣いていたのは――
私がまた、“妻”の立場から離れてしまうと思ったからだったのね)
「本当にすみませんでした、サフィール様。
私、またあなたに失礼なことをしてしまいました。
でも……夫を心配するのも、もちろん妻の役目なんですよ?」
実際、私は子どもを心配する母親のような目線ではなく、対等な立場として彼の無事を案じていた。
夫を心配するのは、妻としては当たり前のことだろう。
私の言葉に、サフィール様はぱっと顔を上げた。
それから少しうかがうようにして、おずおずと尋ねる。
「……おとなり、すわってもいい?」
「どうぞ」
いそいそと元の席に移動すると、彼の小さな手が、そっと私の手を握った。
「……たくさん、しんぱいかけてごめんね」
「いいえ。こうして無事に帰ってきてくれただけで、十分です」
その後は二人で身を寄せ合いながら、
プレゼントは何にしようか――なんて他愛ない話をして、屋敷までの道をのんびりと帰っていった。




