19.ノエル、夫とデートする
「坊っちゃんが薬草学を学ばれたのは、魔法薬に興味を持たれた後だと記憶しております」
お茶会の後、早速アレックスに当時の夫の学習状況について確認するも、彼の口から語られたのはこちらの予想と違っていた。
「つまり、それってどういうこと?」
「五歳の頃、学問の類の勉強といえば、リテラシーと算術のみでした。それも範囲はごく僅かで、主にマナーや一般的な社会知識を身に着けることを優先されていました。
なので、当時の坊っちゃんに、薬草学の知識があったとは到底思えません。
それに、あの頃は字が読めるといっても、専門書には難しい単語が多いので、たとえ本を読んでいたとしても、その内容まで理解できてはいなかったと思います」
「そう、なの」
(すべてが退行してしまったと思っていたけど、知識だけは影響を受けなかったのかしら?)
考えても仕方がない。
今の夫にとって、以前の知識が残っているのはラッキーなことだ。その分、他の興味に時間を使えるのだから。
彼は将来どんな人間になるのだろう。
前と同じく魔法薬研究の道を進むのか、それとも魔術の道に行ったり?
はたまた芸術家や騎士になってしまうかもしれない。
五歳――もうすぐ六歳を迎える彼の可能性は無限大だ。
未来の夫の将来を思い、自然と胸が躍った。
◇
寒い季節が過ぎ、春の陽気が近づいてきた頃。
もうすぐ夫の誕生日ということで、一緒にプレゼントの下見に街へ出かけていた。
「ノエル、ぼくの手、はなしちゃダメだよ? わかった?」
「はい、ちゃんとわかっていますよ」
もうすぐ六歳になる夫は、しっかりエスコートすると張り切っていて、頼もしいと同時に、とても可愛らしい。
けれど最近は、「可愛い」と言うと怒ったり拗ねたりしてしまうので、面と向かって口に出すのはやめていた。
(もうすぐ六歳か……)
早いもので、今の夫になってから、一年が経とうとしていた。
魔術師塔以外の友人や知り合いは、夫の現状を知らない者がほとんどなので、彼の姿を見ると、たいていこんな反応が返ってきた。
「え! もうこんな大きな子供が生まれたの!?」
計算がまったく合わないことに驚く顔を見て、夫は「こどもじゃなくて、おっとだよ!」と顔をプンプンさせながら抗議する。
その可愛さに、周りはもう何も言えなくなった。
夫は私の手を引きながら、街中を興味津々に見渡している。
休日とあって人も多く、手を繋いでいないとすぐに迷子になってしまいそうだった。
歩いている途中、ふとディスプレイの窓ガラスに反射して映った二人の姿を見て、夫が口を開いた。
「……六さいになったら、もっと背がのびるかな?」
「そうですね。でも、そのためには、よく寝て、よく食べて、よく運動しなきゃですね?」
「がんばるよ。それで、ノエルより大きくなるんだ」
六歳で私の背丈を抜くなんてことになったら、さすがに世界記録ものだろう。
ここは夫の心意気だけ、そっと買っておくことにした。
ディスプレイに映る夫は、私の腰ほどの大きさしかない。
それでも、彼の身長は爪が伸びたあの日から、少しずつ大きくなっていた。屋敷には十歳くらいまでの夫の成長記録が柱に刻まれている。
アレックスがそのことを教えてくれて、あの日早速、サフィール様の身長記録をつけた。当時の五歳のときより少し低く、本人は不満げだった。
けれども、最近また測ってみたら、以前測った位置をとっくに追い越してることがわかった。
(子供の成長は早いっていうし、あっという間に、大きくなるんだろうな)
「……はやく、大人になりたい」
夫がディスプレイから視線を逸らし、小さな声で呟く。
「急いで大人になっても、つまらないだけですよ?
子供だからこそ、いろいろな経験ができるときもあるんです」
「たとえば?」
具体例を聞かれ、私はうっと言葉に詰まる。
咄嗟に何かないかと周りを見渡し、視線の先にあるものを捉えて、そこを指さして言った。
「あそこにいる道化師は、みんなに風船を配っているでしょう?
あれを堂々と貰えるのは、子供のうちだけです」
「それは……たしかに」
私の言葉に納得した夫は、たたっと道化師の方向へ駆けて行き、ちゃっかり風船を二つ貰って戻ってきた。
紐を持ってふよふよと風船を浮かせる夫の顔は、なんともご機嫌である。
「良かったですね」
「はい」
「え?」
彼は腕を伸ばし、二つあるうちのピンク色の風船を、私の前に差し出した。
「あげる」
「あら、せっかく二つもらってきたのに、いいのですか?」
てっきり夫の可愛さに、道化師がオマケをしてくれたのかと思っていた。
それで、そのことを喜んでるのだと思っていたのだが……。
彼は顔を横に背け、少し恥ずかしそうにして呟いた。
「――妻にプレゼントをするのは、夫だけの特権だ」
(あ、また……)
時折、夫は前の夫を彷彿とさせるような発言をするようになった。
頻度は決して多くはないし、どういったタイミングで言うのかもよくわからない。
けれども、舌足らずさが抜けたはっきりとした口調は、やはり"旦那様"を思い出さずにはいられなかった。
「ありがとうございます。妻の特権で、有り難く頂戴致します」
うやうやしく受け取る私に、夫は頬を赤くしつつ、満足そうな笑みを浮かべた。
今日はあくまで、夫のプレゼントの下見だ。
気になるものや欲しいものがあれば、遠慮なく言ってくれと、事前に本人には伝えていた。
雑貨屋に入ったり、本屋を覗いてみたり――
調合機材の売っている店や、魔法薬の材料のお店は通り過ぎるだけで、彼は何の興味も示さなかった。
(元の姿のときと違って、まだ五歳だものね)
代わりに、魔法薬のお店に入って「大きくなれるくすり、ありますか?」と、夫は店員に直接聞き、店員を困らせていた。
しばらくして、夫の歩くスピードが目に見えて落ちてきたことに気が付いた。
「少し、休憩しましょうか」
私がそう提案すると、やはりすぐに「うん」と返事が返ってきた。
◇
夫のリクエストで、お店には入らず、何か買ってきて外のベンチで二人並んで軽食を食べることにする。
夫は元々侯爵家の身分でありながら、こうしたことに抵抗はないようだった。
「ずうっとまえに、アレックスといっしょにこうやって外でおひるを食べたんだ。お外、きもちいいよね」
夫が言う"ずっと前"というのは、おそらく彼が本当に五歳だった頃のことを指しているのだろう。
外は気持ちいいが――少し懸念していることもあった。
今日、街を散策していて気付いたのだ。
彼はチラチラと周りから見られ、「めちゃくちゃ可愛い」と何度も言われていた。
夫が可愛いことには激しく同意するが、同時に少し不安が募った。
彼は幼少期に何度か誘拐されたことがある。聞いた話では、いずれもどこか街に出掛けた際、起きたことだといっていた。当時と場所も治安の状況も違うだろうが、どうにも警戒せずにはいられなかった。
(今はしっかり隣にいるし、絶対に傍を離れないで、目を離さないようにしよう)
紙袋の焼き菓子を一つ手に取り、夫へ手渡す。
「いい天気だから、本当に気持ちいいですね」
「うん。それに、ぼく、ノエルとはじめて二人でおでかけできて、とってもうれしいんだ。
これって、デートっていうんだよ」
焼き菓子を受け取りながら少し頬を赤らめ、喜びをストレートにぶつけてくる夫に、私の顔は自然と綻んだ。同時に、少しばかり驚きも覚える。
「そうですね、これはデート、ですね」
夫と結婚して早一年。
何度か、サフィール様とは服を仕立てに街へ来たことがあったけれど、そのときは常に誰かが同伴していた。
けれど、今回は完全に二人きり。
今日が、自分たち夫婦にとって、初めてのデートだった。
ベンチで二人並んで、焼き菓子を摘む。
こんなオヤツのような甘いものを、食事代わりにするなんて、マーサが見たらきっと叱られてしまうだろう。
でも、今はここに二人しかいない。だから敢えて、背徳感のあるものをご飯にしてみたのだ。
「あまくておいしい」
サフィール様が一口頬張りながら弾けるような笑顔で感想を言う。
私も同じものを紙袋から取り出し、パクリと齧る。
「ほんと、美味しいですね。見た目よりしっとりしていて、いくらでも食べられそうです」
他愛ないやり取りに、自然と笑みがこぼれる。
夫と結婚した当初は、こんなに穏やかに過ごす日が来るとは思っていなかった。
サフィール様が落とした欠片を、飛んできた鳥がつついてきれいにしていく。
彼はそれを面白そうに眺め、自ら欠片をポイッと投げて、鳥に餌をあげていた。
「サフィール様、ここは餌付け禁止ですよ。糞で広場が汚れてしまいますから」
「え、そうなの!? そっかぁ……」
色々あったけれど、なんだかんだで、私は今が一番幸せなのかもしれない。




