16.ノエル、夫に三度目のプロポーズを受ける
「え? また熱を出したの?」
「はい……お昼過ぎから坊っちゃんの様子が元気なく……熱を測ってみたところ、高熱を出されていました。今はベッドでお休みになっています」
「そう……」
夫は、度々熱を出す。
以前、本人からも聞いたことだが、アレックス曰く、彼が幼い頃はよく熱を出していたらしい。
なんでも、夫は人よりも魔力が多い体質で、小さな頃はその循環がうまくいかず、発熱という形で表れていたという。
とはいえ、ただの発熱なので、毎回解熱剤を飲み、水分をとってゆっくり休めば、翌日には元気を取り戻すことが多かった。
(様子、見に行かないと……)
自分は、この“彼の様子を見に行く”時間がどうしても嫌だった。
――だって、あのときのプロポーズを思い出すから。
どうして、あのときすぐに返事をしなかったのだろう。
後悔の念ばかりが、胸に押し寄せる。
あの幸せな瞬間の思い出は、今や自分の中で、辛い記憶になりつつあった。
コンコン
「ノエルです、失礼します」
ノックをして、寝室へと入る。
――今の夫は、自分の私室で寝ることを拒んだ。風邪をひいた日も、ノエルがいないお昼寝のときも、毎日、ノエルと一緒に寝るベッドでないと眠れないというのだ。
だから私は今、彼の私室ではなく、夫婦の寝室へ足を運んでいた。
「サフィール様、大丈夫ですか?」
「ノエル……おかえりなさい」
部屋は真っ暗なので、明るくなりすぎないように小さな灯りを灯す。
夫の声のするベッドへ近づくと、顔を赤くして呼吸が辛そうにしている彼の姿があった。
小さな額に、そっと手を置く。
見た目通り熱く、まだ熱は引いていないようだ。
「熱いですね……しんどいですか?」
「うん……」
「お薬は飲まれましたか?」
「……」
「また、飲まれていないんですね」
私が呆れるように言うと、夫はバツが悪そうに顔を向こうに向けて呟く。
「……あのおくすり、おいしくないんだ」
「そうでしたね……甘すぎるんでしたっけ」
今の夫も、前と変わらず白いシロップの解熱剤が苦手だ。こういうところは、前の夫を彷彿とさせる。
彼が熱を出すたび、薬を飲ませるのはいつも私の役目だった。
「はい、つらいと思いますけど、少しだけ起き上がりましょうねー」
夫の身体の後ろに手を差し込むと、驚くほど彼の身体は熱かった。⋯⋯これはしんどいはずだ。
目も虚ろに潤んでいる。
「あたま……いたい」
「お薬飲んだら、治りますから。はい、ちびちび飲まずに、一気にゴックンしてください」
「うん……」
彼は渋々薬の入ったコップを受け取り、
目を瞑って一気に飲み干した。
それから、私を振り向き、水差しを指して水を要求する。
「はいはい」
水をコップに入れてやると、先ほどの薬以上のスピードで一気に飲み干した。
「……まだおくちがきもちわるい」
「すぐに味も消えちゃいますよ。はい、もう一度横になりましょうか」
ゆっくりと彼の身体を枕に横たえ、隣に転がっていた猫のぬいぐるみも横に添えてあげる。
彼はそっとぬいぐるみを抱き締め、小さく呟いた。
「ぼく……おおきくなったら、ぜったいにおいしいおくすりをつくる」
「あら……」
眉間に皺をよせ呟く姿に、思わず小さな笑みが溢れる。
(まるで、旦那様みたい)
この小さな身体の中にも、確かにあの人の未来が息づいているのだと思うと、
胸の奥が、少しだけきゅっと締めつけられた。
「シイルせんせいがいってた。ぼくね、おくすりをつくるさいのうがあるかもーって」
「まあ、シイルさんが?」
魔術師塔の研究室第一グループ課長であり、
夫の姿を変えた薬を作った部門の責任者だった彼は、
あの後、懲戒処分を受けた。
解雇は免れたものの、そのまま魔術師塔を辞めてしまった。
そして――
今は、私が働いている街の薬屋で調剤師として働いている。
今回の件で研究の道を諦め、注文通りの薬を作ることに方針転換したらしい。
そして、その傍ら、夫の様子を見に度々屋敷を訪れていた。
最初は、どの面を下げて屋敷に来るつもりなのだと、内心では憤ってもいた。
けれど、よく考えてみれば――
夫は、シイルやその部下である第一グループの者たちを、 一度も責めたことがなかった。
自分の身体の不便さに悪態をつくことはあっても、 誰かの名を挙げて責めることは、ただの一度もなかったのだ。
だからというわけでもないけれど。
私もまた、誰かを責めることを、やめることにした。
シイルは、屋敷を訪れるたびに、 夫に勉強や薬の作り方を根気強く教えてくれている。
――私よりも、よほど彼は、夫に向き合っていた。
「そしたら、ノエルもうれしい?」
「ふふ、そうですね。私は薬は苦手ではありませんが、サフィール様の作るお薬がみんなの役に立つと思うと、とても嬉しいですよ」
「そっか……」
夫は目を閉じて眠ろうとするが、なかなか寝付けない様子だった。
「何か絵本でも読みましょうか?」
「ん……だいじょうぶ。でも、ここにいて」
「もちろんですよ」
寝付くまで時間がかかりそうだと判断し、簡易椅子をベッドの近くに持ってきて腰かける。
少し冷えた手で彼の頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。
「ねえ……」
「はい、どうしました?」
彼が目を開ける。
「ノエル、ぼくのこと、すき?」
「え……」
突然の問いに、答えが一瞬遅れた。
ほんのわずかな沈黙。
けれど夫は、その答えを待たずに、先に自分の想いを口にする。
「ぼくはね、ノエルがだいすき」
「あら……」
なんて可愛らしいことを言ってくるのだろう。
そう微笑みかけようとした――その瞬間。
「でも、ノエルのいちばんは、ぼくじゃないんだ」
「!」
続けて出た言葉に、身体がギクリと強張った。
けれど今度は、声だけはすぐに反応できて、慌てて言い返す。
「いきなり何を言ってるんですか! 私だって、もちろん大好きですよ!」
(本当に何を言い出すの……熱のせいで不安になっているの?)
もう一度、熱を確かめようと額に手を伸ばす。
けれど、その手が彼に触れることはなかった。
「サフィール様、またお熱が上がってきたのでは――」
「ぼく、しってるよ。
ノエルのいちばんは、“だんなさま”なんだ」
「……!」
夫の目と、私の目が交差する。
熱でつらいはずなのに――真っ直ぐにこちらを見つめるその瞳には、はっきりとした意思が宿っていた。
伸ばした手は引っ込めることもできず、宙を掻いたままだ。
「ぼく、おおきくなったら、"だんなさま"より、かっこよくなるんだ。
だから、ノエルは、ぼくのおよめさんなんだ」
夫は、なぜかそれを確定事項のように言ってから、ふわりと微笑んだ。
(お嫁さんって……)
「私を、あなたのお嫁さんにしてくれるんですか?」
「うん。そしたらね、ノエルがおそくまで、しごとをしなくても、だいじょうぶ。
ぼくが、いっぱい、はたらくんだ。
たくさん、くすりをつくって、みんなが、うれしくなって……」
舌っ足らずで、まだうまく考えを言葉にできない彼。
それでも、一生懸命に気持ちを伝えようとするその姿に、胸がじわりと疼く。
「それでね、ノエルはね、やさしいから、きっと、いいおかあさんになるんだ」
「……」
(どうして、元の夫と同じことを言うの……)
「だからね」
「……はい」
「ぼく、たくさんおおきくなるから。ノエルは、ぼくのおよめさんだよ」
「……」
彼の言葉に、咄嗟に返事ができなかった。
目の奥がじんと痛くなり、目の前の景色が滲む。
鼻の奥がつんとして、思わずすすってしまった。
――なんて、嬉しくて……それでいて、残酷な言葉なのだろう。
夫は、私の様子になんて気付くこともなく、言葉を続ける。
「これね、“プロポーズ”っていうんだ。
アレックスがおしえてくれたんだ」
「プロポーズ……ですか」
「うん。それでね、プロポーズには、プレゼントもいるって。
ぼく、プレゼントがあるんだ」
トロンとした目つきのまま顔を動かし、サイドテーブルの方を指さす。
「あのおはな、ノエル、すきでしょう?
あげる」
「お花……? ……あ」
薄暗くて、まったく気づかなかった。
いつも花を飾っている花瓶に、小さなピンク色の花弁を持つ花が、数本挿してある。
(――ジル草……)
きっと、アレックスの入れ知恵だろう。
けれども、それだけで、私の心を揺さぶるには充分だった。
とうとう、頬に、温かいものが伝った。
部屋が暗くてよかった。
彼はほとんど目を閉じているし、たぶん、私の涙なんて見えない。
ぽろり、ぽろりと、雫が下へ落ちていく。
喉もつんとしてきて、声を出したら泣いていることがばれてしまいそうだった。
代わりに、目を閉じさせるようにして、彼の頭から目元までを撫でる。
ふっくらとした頬は、熱で真っ赤だ。
触れる部分が、ひどく熱い。
でも、きっと、私の顔も、いまは彼に負けないくらい熱を持っている。
「……ありがとうございます」
絞り出すように言ったあと、言葉は続かなかった。
けれど、そんなことにも彼は気づかない。
伝えたいことを全部話して満足したのだろう。
閉じた目は、もう開かなかった。
彼の頭から手を離し、シーツに顔を埋めて、思いきり泣いた。




