9.ノエル、夫の職場にお邪魔する
「きゃー! 可愛い! ほっぺフニフニしてるー!」
「ほら、おじさんが抱っこしてやるぞ」
「飴ちゃん、いります?」
「やめろ、頬をツンツンするな」
「どこの変態だ」
「いらない。飴なら間に合っている」
(なんなの、この可愛がられっぷりは……)
ノエルはいま、夫の職場であり、かつては自分も頻繁に出入りしていた魔術師塔の開発部研究室に足を踏み入れていた。
二人で居室に入って挨拶した途端――
夫が、職員たちに構われ倒した。
あれ、怖がられていたんじゃなかったっけ?と、
心の中ではてなマークが浮かぶほど、弄られまくっている。
特に女子職員たちにもみくちゃにされ、彼の頭はいまや鳥の巣状態である。
「おまえら、元の姿に戻ったら覚えておけよ……!」
サフィールは、もう何度目になるかわからない捨て台詞を吐き、
元凶となった『肌を若返らせる薬』の担当部門である第一研究グループの課長とともに、会議室へ入っていった。
その間、ノエルは仕事の邪魔にならない程度に、
かつて仲良くさせてもらっていた職員たちのもとへ、順番に挨拶回りをしに行く。
「ご無沙汰しております。お元気ですか?」
ノエルはまず、室長である夫の直属グループの人たちに声をかけた。
三人の職員で構成されているこのグループは、主に他グループの勤怠管理や事務作業を担っている。
「ノエルちゃん、お久しぶりー!
元気だよー!
むしろノエルちゃんも元気そうでよかったよ!」
「ほんとほんと。室長と結婚って聞いたときは、いつの間に!?って思ったけど、
今日こうして二人で来たってことは、そんなに拗れてなかったんだね」
「ええっと? 拗れてるっていうのは……」
やや心配混じりの若手の男性職員の言葉に、ノエルはキョトンとし様子で問いかける。
(むしろ、拗れるまでの関係に至ってなかったんだけど……)
ノエルが気を悪くしたと思ったのだろう、別の職員が小突きながら、彼をたしなめた。
「おい! 言い方に気をつけろ!」
「いや、だってさぁ。
結婚式もまだだっていうし、結婚してから室長ってばほとんど仮眠室に泊まり込みだし。
大丈夫なのかなぁって心配してたんだよ。
ノエルちゃんが愛想尽かしてなくてよかった」
はは、と笑う彼に、ノエルもやや引きつった笑みでフフッと返す。
(お察しのとおり、愛想は尽かしていませんが、諦めかけてはいました……)
そんなこと言えるはずもなく、「では、後ほど」とだけ言って、次のグループのもとへ移動する。
次に挨拶に向かったのは、夫を子供の姿にしてしまった薬を開発した、第一研究グループである。
ノエルが近づくやいなや、開発グループの内の四人が、一斉に頭を下げてきた。
責任者である課長は、サフィールと会議室で打ち合わせ中なのでこの中にはいない。
「「「「旦那様をあのような姿にしてしまい、誠に申し訳ございませんでした!」」」」
息ぴったりに謝罪され、ノエルは反射的に「うぇ」っと一歩後ずさった。
声のボリュームも中々のもので、
他の職員たちの注目を自然と浴びてしまっている。
「い、いえいえ……命に別状はなかったので……」
そう言って手を振りながら、そこまで深く頭を下げなくても大丈夫だと伝えた。
不注意の事故だったとはいえ、姿が変わった夫はめちゃくちゃ可愛いし、今回のことがきっかけで、彼の中身も知ることができたのだ。今のところ、当時者ではない自分が、彼らを責めることなどできなかった。
「あの、キングリー室長……お家で、私たちのことをめちゃくちゃに怒ってたりしませんでしたか……?」
「え、いいえ? 特に何も言っていませんでしたが……」
ノエルの言葉を聞いて、四人全員の身体からふっと力が抜けたのが見てとれた。
「よ、良かった~……」
「ほんとだよ! 実は、あのとき室長、怒鳴ったり責めたりせず、静かに『一週間以内になんとかしろ』って凄んできまして……」
「そうそう、子供の姿なのに、俺、身体の震えが一時間は止まらなかったね!」
「私は二時間以上だわ」
「そ、そんなにですか……」
キングリー室長は怖い。
みんな口を揃えて言っていた言葉である。
(でも、あの人が怖いところなんて、私は見たことがないんだけどな……)
これまで夫とそこまで深く関わってこなかった、というのもあるだろう。
けれど、常日頃、不機嫌そうな顔や仏頂面はしていても、言動に恐怖を感じたことは一度もなかった。
――仕事とプライベートは、きっちり分けている人なのかもしれない。
周囲からの話を聞くうちに、徐々に職場での夫の姿が立体的になっていく気がした。
彼のことは、まだまだ知らないことのほうが多い。
それでも、この数日で、サフィールという人となりが少しずつ見えてきた。
……そのことに、自分は確かな喜びを感じていた。
(職場訪問も、悪くないわね)
そしてふと、今日の目的を思い出した。
「あの、つかぬことをお伺いするんですが、解毒薬はどうなっていますか?」
ノエルの突然の質問に、職員たちは全員が目を見開き、ドキリとした様子を見せた。
「え!? は、はい、鋭意作成中です!」
「そりゃ気になりますよね。順調ですよ!」
「だ、大丈夫です! ちゃんと元の室長に戻してみせますから!」
しかし、彼らは動揺する様子とは裏腹に、口にする言葉は前向きなものばかりだった。
ノエルはそれを聞き、「お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。
彼らもノエルに対し、「こちらこそご迷惑をおかけします」と深く頭を下げた。
互いの礼が終わったあと、職員の一人が小さく呟く。
「でも、あの姿は反則だよな……」
「あー、ねえ。仏頂面ですら可愛いんだもん。あんな子供、欲しいわ」
「ノエルさんも、旦那さんが可愛いと思いましたよね?」
「それはもちろんです」
ノエルは間髪入れずに返した。
(外見だけでなく、中身も可愛いんだから……)
けれども、中身まで可愛いと思っているのは、おそらく自分だけだろう。
ここは大人しく、胸の内に留めておくことにした。
その後も、ノエルは関わったことのある人物たちに次々と声をかけて回る。
言われることは決まって、「愛想を尽かしていなくて良かった」と「室長可愛い」の二つだった。
そうこうしているうちに、会議室の扉が開いた。
「ノエル!」
このとき、ノエルは女性職員とともに歓談スペースで休憩を取っていた。
少し離れた位置から、子供特有の高い声で呼ばれ、咄嗟に顔を向ける。
(いま、名前……)
「すまない、待たせたな」
「あ、いえ……みなさんとお喋りさせて頂いていたので……」
たたっと駆け寄ってきたサフィールが待たせたことを謝るも、
ノエルは“初めて名前を呼ばれた”ことに、頭がいっぱいになっていた。
言葉が、ふいに途切れる。
ノエルが戸惑いで口をまごつかせていると、女性職員たちがずいずいっとサフィールの前に身を乗りだしてきた。
「室長、もうノエルさん連れて帰っちゃうんですか?」
「私たち、もうちょっとノエルさんとお喋りしたかったんですけど~」
「……悪いが、私は休暇中だ。妻もここに長居させる気はない」
「おお! 独占欲!?」
「その可愛い見た目に反して、一丁前なこと言っちゃって」
「おい、おまえら、私をイジるな。
――元に戻ったら覚えておけよ」
サフィールは眉間に皺を寄せ、職員たちにお決まりのセリフを吐いたあと、
ノエルの隣に駆け寄り、彼女の手をきゅっと握った。
その小ささと温かさに、ノエルは思わず彼の手を見つめて静止する。
サフィールがあまりに自然に手を取るものだから、驚きの声も上げることができなかった。
「それでは失礼する。お疲れ様」
「はーい、お疲れ様でーす」
「ノエルさん、また遊びに来て下さいね!」
「は、はい。お世話になりました。また……」
ノエルは、彼の小さな手に引かれるようにして、休憩スペースを後にした。
「すまないが、帰る前に室長室に寄って欲しい。荷物を纏めたいんだ」
「はい、かまいません。って、え、荷物ですか?」
「ああ……」
室長室は個室で、硝子張りのため外からは中の様子が見える作りになっている。
その代わり、防音になっているようで、中に入って扉を閉めると、外の声は急に聞こえなくなった。
「……解毒薬の進捗があまりよくない。家に持ち帰って、私も別ルートから上手くいかない原因を探ることにした」
「え……でも、第一グループのみなさんは順調って……」
「形はできている。ただ、完全な解毒には至っていない状態だ」
「そんな……」
珍しく焦った様子のサフィールに、さっきまで高鳴っていた胸のざわつきが混じり始める。
「まあ、心配しなくても大丈夫だ。私もずっとこの姿でいる気はない。
本気を出せば、すぐに原因は解明できるはずだ。
――本音を言うと、家に仕事は持ち込みたくなかったのだけどな」
(あ……)
ノエルは、ようやく気が付いた。
サフィールが職場に泊まり込んでまで仕事をしていた理由――
彼は、家と仕事を完全に分けたい人だったのだ。
仕事は好きな仕事人間だが、その趣味を家庭には持ち込みたくないらしい。
――そういうところも……うん。
確かに、一か月のうちほぼ職場で過ごすのは少し極端だが、
ある意味では家庭を大事にしたいという気持ちも含まれているのだろう。
……かなり湾曲した解釈かもしれないが、きっとそういうことなのだ。
サフィールは機材や材料らしき瓶を、手早く大きめの箱へぽいぽいと放り込んでいく。
そして本棚の前で、ぴたりと手を止めた。
少し気まずそうにノエルへ振り向き、小さく告げる。
「……申し訳ないが、一番上の棚にある緑色の本と、それから二番目の棚、右から二番目の本を取ってくれないか?」
どうやら本を取ろうとして、背丈が足りないことに気づいたようだ。
ノエルは思わず口元が緩みそうになるが、彼の自尊心を気遣って、
「いいですよ」
と、こともなげに取ってやった。
「他には大丈夫ですか?」
「うーん……ではついでに『薬草百科』も頼む。上から三段目だ」
「了解です」
彼が指定した上から三段目の百科事典は、おそらく背伸びをすれば届きそうな位置にあった。
ただ、一生懸命手を伸ばして必死に取る羽目になるのが目に見えていたため、サフィールも迷った末に頼むことにしたのだろう。
ノエルから本を受け取ったサフィールは、眉根を寄せてぼそりと呟く。
「……本当に、忌々しい」
「あら、私はこうして旦那様のお手伝いができて嬉しいですよ?」
「ソレハトテモアリガタイナ」
あからさまに心にもない返事をされ、ノエルは思わずぷはっと笑いを漏らした。
「おい、笑うな」
「ふふ……すみません。でも、本心ですよ。私は薬の開発なんていうお仕事のお手伝いはできませんが、こうして物を取ったりすることならできます。
たとえ元の姿に戻っても、いくらでも頼ってください」
口元に手をやって笑いを噛み殺すノエルに対し、サフィールは苦虫を噛み潰したような顔をする。
それから、先ほどよりもさらに小さな声で呟いた。
「……ありがとう」
サフィールは箱に目を移し、適当に放り込んでいた中身を、無言で整えていった。
(ほんと、素直なんだかそうじゃないんだか……)
苦笑を漏らしながら、サフィールを手伝うため、傍へ近づいて腰を下ろす。
――ガラス張りの居室は、外から丸見えである。
ノエルとサフィールのやりとりがなんとも微笑ましいものとして他の職員に終始見られていたことに、
二人は作業が終わるその瞬間まで、気づくことはなかった。
続きは夜9時頃更新




