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36.言葉、本:川瀬匠海は死ぬまでその笑顔を守りたかった

 今日は詩音ちゃんの高校の卒業式。

 俺、川瀬匠海は両親と一緒に、保護者席でその様子を見守っていた。


「匠海さーん、川瀬さーん!」


 式の後、詩音ちゃんが大きく手を振りながら走ってきた。


「来てくれてありがとうございます」

「卒業おめでとう、詩音ちゃん」


 詩音ちゃんが頭を下げると、母親が涙ぐんだ。親父も目に涙を浮かべていて、俺までつられて泣きそうになった。


「美海と夜も来たがってたよ」

「ふふ、私も二人の卒業式行きたかったけどね」

「詩音ちゃん、寮を出るのは明日だっけ?」

「はい。明日の午後に引っ越し予定です」

「匠海が先に午前中に引っ越すのよね」


 笑顔で頷く詩音ちゃんに、母さんがしみじみと微笑んだ。


「ついに詩音ちゃんが本当の娘になるのねえ」

「一緒に住むだけだから。籍はまだ入れねえから!」

「プロポーズもされてないもんね」

「お前、甲斐性がないぞ」

「う、うるせえな……」


 今日はこの後、四人で飯に行く予定だ。

 四人で歩き出そうとしたら、見覚えのある顔が俺らを呼び止めた。


「ご無沙汰しております、川瀬さん。詩音も」

「……お父様、お母様」


 詩音ちゃんのご両親だった。

 何度か会ったことのある父親は淡々と会釈をし、初めて会う母親はムスッとしたまま立っていた。


「詩音、卒業おめでとう。川瀬さん、何かとお手数をおかけしており、申し訳ありません」


 うちの両親と詩音ちゃんの父親が話し始めた。詩音ちゃんが顔をしかめていたので手をつないだ。


「……詩音は、あの何もない町に戻るのね」


 詩音ちゃんの母親が、低い声で言った。


「何もなくないよ」

「そ、」

「詩音は遥にそっくりだよ。親の言うことなど聞かずに、自分のしたいようにするところが」


 母親が何かを言う前に、父親が微笑んで止めた。

 詩音ちゃんと母親が目を丸くして父親を見た。

 その顔は、確かに母子でそっくりだった。


「では、わたしたちはこれで。川瀬匠海くん、娘をよろしく頼んだよ」

「は、はい! ……幸せにします」

「……そうか。安心したよ」


 矢崎さん夫婦は、また軽く会釈をして去って行った。

 俺らは顔を見合わせてから、並んで歩き出した。




 うちの親と詩音ちゃんと俺の四人で飯を食って、親たちは小崎町に帰っていった。俺と詩音ちゃんは手を繋いで、少しだけ歩いた。

 寮に向かう途中の信号待ちで、ふと詩音ちゃんを見た。


「卒業おめでとう、詩音ちゃん」

「ありがとう、匠海さん。……私、高校卒業したよ」


 詩音ちゃんが恥ずかしそうな、でも真面目な顔で俺を見上げた。

 ……言いたいことは、わかっているつもりだ。


「明日じゃダメ?」

「私、四年待ったんだけど」

「それは俺もそうだよ」


 信号が青になった。

 周りには誰もいなくて、俺らは歩き出せずに立ったままだった。

 繋いでいた手を離した。

 詩音ちゃんの肩に手を置いて屈む。

 一瞬だけ顔を寄せて、すぐに離した。

 手を華奢な肩から離して、また繋ぎ直す。

 今度は指を絡めた。

 信号は点滅して赤に変わった。


「続きはまた明日」

「……うん」


 黙ったまま指を強く握り合って、信号が変わるのを待つ。

 そのまま寮まで詩音ちゃんを送り届けた。

 俺はダンボール箱だらけの部屋に戻って、一人で寝た。



 次の日は朝から引っ越し。

 昼前には運び終えたから、適当に飯を済ませた。

 昼過ぎに買い替えた家具を運んでもらって、夕方前に詩音ちゃんの荷物が届いた。

 元が寮だし、使わないものは俺の部屋にあったから、詩音ちゃんの引っ越しはあっという間に終わった。

 とはいえ、二人分の荷物を運ぶと、部屋の中はダンボール箱だらけだ。

 詩音ちゃんと並んで、顔を見合わせた。


「うーん、どこから手をつけようか」

「とりあえず風呂と服かな。詩音ちゃん、風呂任せていい? 俺は玄関の箱を開けていくから、終わったら寝室の服を一緒に片付けて、晩飯にしよう」

「はーい。……晩ごはんは買ってくる?」

「外で食ってきてもいいよ」

「そっかあ。匠海さんの手作りが食べたかったから……ごめんなさい、わがまま言った」


 嬉しかったから、詩音ちゃんを抱き寄せて、彼女の額に唇を寄せた。


「今日は台所が片付かないし、食材もねえから明日からな」

「う、うん」


 照れた顔の詩音ちゃんにもう一度顔を寄せて、ダンボール箱の片付けに向かった。




 二時間くらいかけて、洗面所と玄関、寝室のダンボール箱を開けていった。

 詩音ちゃんと晩飯を買って済ませた。


「ねえねえ匠海さん」

「ん?」


 食べたあとの片付けをしていたら、詩音ちゃんがまた照れた顔で俺の服を引っ張った。


「お風呂、一緒に入ろうよ」

「は!? は、入りません!」

「なんで!?」

「こっちのセリフだけど!? いろいろすっ飛ばし過ぎだろ……」

「ぶー」

「あの、明日も片付けあるし」


 詩音ちゃんがジトッと俺を睨んでいて、かわいい。

 かわいいけど、ちょっと待って……。


「えっと、風呂入ったら、したくなっちゃうし」

「したく……? えっちなことを?」

「言い方!! いや、そうなんだけどさあ」

「してもいいんじゃないの?」

「そうなんだけどさあ……。あの、するなら、避妊をですね」


 詩音ちゃんは「ふうん?」と、分かったような分からないような顔をした。

 もちろんゴムは買ってある。

 使い方も大丈夫。……たぶん。


「え、えっと……心の準備をさせてください」

「どのくらい?」


 なんでこの子はこんなに畳み掛けてくるんだ……。


「……あのですね、俺も四年我慢してるんだよ。だから、たぶん落ち着いて取り組まないと、めちゃくちゃしちゃうと思うんだ」


 詩音ちゃんは唇を突き出した。

 かわいいけど、何をそんなに焦っているのやら。


「詩音ちゃん。好きだよ」

「私も匠海さんのこと好き。だから、ずっと寂しかったから……」


 詩音ちゃんの目が泳いだ。

 たぶん、俺が思うよりずっと、この子は我慢していたんだろう。

 どうにも、必要なのは優しくすることじゃなかったみたいだ。


「わかった」


 わざと明るく笑って、詩音ちゃんの耳元に顔を寄せた。


「覚悟、しといてくれよ」

「……とっくにしてるよ、そんなの」


 顔を真っ赤にした詩音ちゃんを、先に風呂に向かわせた。




 翌朝、詩音ちゃんはベッドの中でもだえていた。


「匠海さんのえっち、ばか、すけべ……!」

「だから言ったじゃん。『めちゃくちゃしちゃう』って」

「そうだけどさあ……ほんとにあんなに、めちゃくちゃすると思わないじゃん……」


 予防接種の後の猫みたいな顔をした詩音ちゃんにキスをして、俺は起き上がった。

 朝というより、そろそろ昼になりそうだから、さっさと起きて荷ほどきをしないといけない。


「詩音ちゃん、起き上がれる?」

「無理」

「じゃあ、朝飯用意すっから待っててね」

「ん」


 詩音ちゃんがやっと笑顔になってくれたから、もう一度触れるだけのキスをしてベッドから出た。

 朝飯は昨日買ってきたパンで済ませて、荷ほどきを再開する。

 俺は台所、詩音ちゃんはリビングの荷物を開けていく。

 台所は俺のものしかないし、リビングも俺が持ってきたテレビくらいしかないから、あっという間に終わった。


「匠海さん、晩ごはん作って」

「はいよ。じゃあ、買い出しがてら、この辺を散歩しようか」


 二人で手をつないで部屋を出た。

 遊歩道では桜のつぼみが膨らんでいて、穏やかな春の風が吹き抜けている。

 春休みらしい子供たちが公園で、はしゃぐ声が聞こえた。


「いいところだねえ」

「うん、ここにしてよかった」

「匠海さんは子どもほしい?」

「まだわかんねえなあ。しばらくは詩音ちゃんと二人でゆっくりしたい」

「……私も。まずは大学行かないとだしね」

「そりゃそうだ」


 詩音ちゃんの春休みは一週間半くらい。俺は明日まで。

 だから明日は役所に行かないといけないし、免許証の住所変更もある。職場にだって届け出ないといけない。詩音ちゃんも大学に住所変更の申請が必要なはずだ。

 二人の生活は始まったばかりで、これからやることも、決めることもたくさんあった。

 だけど、だからこそ、俺らはたくさん話さなくちゃいけない。


「詩音ちゃん、これからもよろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします。匠海さん」


 俺を見上げたその笑顔を、一生かけて守ろうと思った。

詩音の話、これにて完結です。

お付き合いいただきありがとうございました!

いつか美海の話も書けたらいいなと思っていますので、そのときもよろしくお願いします。

***

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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