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35. 神秘:矢崎詩音は着実に前へと歩いていた

 それがいつだったかは忘れたけど、私、矢崎詩音は匠海さんに打ち明けた。


 ――私が実家から疎まれている理由。それは、父方の祖母にそっくりだからだ。

 そもそも母は、兄が進学して家にいることが少なくなり、寂しさから私を産んだ。

 産んでみたら女で、大嫌いな姑そっくりな上、「息子に似ていてかわいい!」と姑に可愛がられて、母は私のことも大嫌いになった。

 その姑――父方の祖母は、私が幼稚舎に上がる頃に亡くなって、三文安で母に嫌われた私だけが残った。

 母が私を疎めば、兄と姉も近寄らなくなった。父も母の機嫌を損ねるのを恐れて、私に構わなくなった。

 その結果、家族から放置され、長期休暇は小崎町の母方祖母に押しつけられ、中学からは全寮制の学校に逃げ出した、というわけだ。



 ……そのしょうもない話を、匠海さんは顔をしかめながら、黙ったまま最後まで聞いてくれた。話し終えた後も何も言わず、私を抱きしめていた。


「匠海さん?」

「ん」

「ごめんね、こんな話」

「詩音ちゃんが謝ることじゃねえよ」

「そうかなあ」

「そうだよ」


 そのまま匠海さんは寝てしまったけど、朝まで私を抱きしめたまま離さなかった。

 親のことはすっかり諦めていたけど、それでも匠海さんがこうして悲しんでくれるのは、嬉しかった。



 その話をした、さらにその後。たしか高校二年の夏休み前に、匠海さんから、


「詩音ちゃんが高校を卒業したら、一緒に住もうか」


 と、誘われた。


「えっ」

「それとも、大学もこのまま寮にいる?」

「それは……どうしようかなとは思ってたけど」


 大学にも寮はあるけど、内部生用の寮は高等部より規模が小さくなるし、寧々子も寮を出るって言っていたから、迷っていたところだった。

 でも、そうか。そんな選択肢もあるんだ。


「……俺は詩音ちゃんのこと好きだし、なんだかんだ半同棲みたいになってるし……。あと、今更なんだけど、何年か前の年末に詩音ちゃんのお父さんに『詩音さんが望むなら、俺は詩音さんを妻にします』って言ってあって」

「それ、先に私に言ってよ」


 つい笑うと、匠海さんは気まずそうな顔になった。


「匠海さん、よろしくお願いします」

「それって」

「匠海さんの奥さんにしてくださいってこと」

「……こちらこそ、不束者ですがよろしくお願いします」

「それ、私のセリフじゃん」


 私たちは笑って、一生一緒にいることを約束した。



 それから半年とちょっと。

 高校二年生が終わるころに、私と匠海さんは互いの将来について話し合った。

 その結果、匠海さんが仕事に慣れて落ち着くまで、そして私が進学を決めるまで、互いに会うのを自重することにした。

 落ち着いたら、それぞれが通いやすい位置に部屋を借りて同棲する約束だ。

 短くて半年、長ければ一年近く会えないけど、それでも仕方なかった。

 私たちは、自分の足で歩けるようにならないといけなかった。



 でも、それはそれとして、やっぱり寂しい。

 春休みの半ば、匠海さんの部屋で私は口をへの字にして、匠海さんを見上げていた。


「詩音ちゃん」

「うん」

「そんな顔してもダメです」

「うー」

「泣いてもダメ」

「ばか、匠海さんのばかばか!」


 匠海さんは困ったような笑顔で、私の頭を撫でてきた。

 私は春休みが終われば高校三年生になる。

 匠海さんは少し前に大学の卒業式が終わっていて、明後日から仕事が始まる。


「俺は頑張って仕事に慣れるから、詩音ちゃんも大学受験頑張って」

「頑張るけどさあ……でも、寂しいよう」

「俺も寂しいよ。詩音ちゃんの大学が決まったら、卒業後に住む部屋を決めよう? 秋には決まるんだろ?」

「……うん」


 そう、私は今在学している付属高校から、大学にエスカレーター式で進学予定だ。

 七月に模試があって、そこで一定以上の成績を取ることができれば九月半ばには進学が内定する。

 今のところの成績なら問題なく内定できると思う。

 匠海さんに勉強を教わっていたし、長期休みの度に夜とも勉強をしていたおかげだ。

 大学からは匠海さんと同棲することにした。

 親がお金は出してくれるし……実家に帰らせないためだから、遠慮なく出してもらうことにした。


「それはそれとして寂しいよう、ちゅうしてよお」

「しない」


 今ならしてくれるかと思ったけど、やっぱりダメだった。

 匠海さんは呆れたように笑って、私を抱きしめた。


「なんで」

「詩音ちゃんが高校生だから」

「……高校卒業したら、してくれる?」

「そうなったら遠慮なくするよ、俺は」

「楽しみにしてる……」

「おう、その言葉、覚えとけよ」

「匠海さん、好き。大好き。私のこと、忘れないでねえ」

「こっちのセリフだから。好きだよ。詩音ちゃんが好きだ。一生一緒にいられるように頑張ってくるから、詩音ちゃんも俺のこと忘れないでくれ……ほんと、お願いします……」

「もー、なんでそこで弱気になっちゃうのさ」

「仕方ねえだろ、詩音ちゃんかわいいんだから。きっと大学でかっこいい彼氏見つけてきちゃうんだ……」


 情けない声を出す匠海さんから体を離して、見上げた。


「怒るよ」

「ごめん」


 手を伸ばして、匠海さんのほっぺを揉む。

 しばらくやっているうちに、匠海さんが笑い出した。


「じゃあ、またね」

「うん。大学が決まったら連絡する」

「夏休み、実家に行くときにも教えてくれ」

「わかった」


 最後にもう一度、強く抱きしめ合った。

 手をつないで、匠海さんの部屋を出た。



 ……っていう、割と切ない別れ方をしたはずなのに、二か月も経っていない五月の終わりに、私は匠海さんに電話をかけていた。


『はいはい、どした?』

「それがあ……大学がほぼ決まってえ」

『えっ、早くねえ?』

「……うん。内部進学のための模試は七月なんだけど、えっと四月に学力テストがあったの。それで成績上位者に先生が進路の確認をして、私は内部進学ほぼ確定なんだってさ。えっと、内定……内々定くらい」

『あっ、そう……』

「そういうわけだからちゅうしてほしいんだけど」

『いや、それはしねえけどさ』


 匠海さんは苦笑しながら答えた。勢いでいけるかと思ったけど、ダメだった。


『つっても、俺はまだちょっとばたついててさ。夏休みにうちに来いよ。大学の場所教えてくれ。そんで住むエリア決めよう』

「わかった!」



 夏休みが始まって数日後、匠海さんの休みに合わせて待ち合わせをした。


「会いたかった……!」

「俺も」


 ぎゅっと抱き合って見つめ合うけど、キスは無し。

 唇を尖らせたら、匠海さんは苦笑した。


「ダメだって」

「もう十八歳だよ」

「でもダメ。高校卒業したらな」

「ぶー」


 指を絡めて歩き出した。

 同じ速度で歩いてくれる匠海さんが、私はやっぱり大好きだった。

 匠海さんの部屋に着いてからも、ぴったりくっついたままスマホで地図を見た。


「この辺かな」

「詩音ちゃん、学校に行きづらくない?」

「電車一本だよ」

「行き帰りがラッシュと被るだろ」

「平気だって」

「この辺りの方が良くない?」

「匠海さんが遠くなっちゃうよ」


 あれこれ言いながら、地域を絞った。でもその後で匠海さんのパソコンで物件情報を見たら、高い!

 また地域を絞り直して、結局一日中地図と物件情報を見比べていた。



 そんな感じで、夏の間は匠海さんの休みに合わせて会っていた。

 美海と夜が受験生だから、川瀬さんのお家への帰省は遠慮しておいた。

 代わりに二人に、手紙とお菓子を贈っておいた。


 夏休みが終わったら模試の結果が返ってきて、大学への進学が決まった。

 その後は私はそんなに忙しくないけど、匠海さんは忙しいから、会うのは我慢。

 でも一緒に住む部屋を探さないといけないし、まったく会わないのは寂しいから、電話やメッセージのやりとりはしょっちゅうしていた。


 冬休みに、年末とお正月だけ一緒に川瀬さんのお家にお邪魔した。

 夜は推薦で大学を決めていて、あとは美海だけだったから、夜と一緒に宿題をしつつ、美海とも勉強した。

 二人は大学も別々だけど、相変わらず仲が良くて、安心した。


「僕が大事なのは美海だけだからさ。詩音は知ってるだろ?」

「私以外も夜のことを知ってる人なら、だいたいみんな知ってると思うよ」

「……高校には知らない人の方が多いから」


 夜は顔がきれいだから、高校に入ってから、ちょいちょい告白されたりしていたらしい。

 それも「幼馴染みでプロポーズ済みの彼女がいるから」って断っても、しつこかったりして大変だったみたいだ。


「モテるって大変だねえ」

「ちっとも嬉しくないよ。男子校にしとけばよかった」

「この辺に男子校ってあんまりないもんねえ」


 美海は美海で、たまに告白されたりはあったみたいだけど、夜と撮った写真をスマホの待ち受けにしてたら、なくなったらしい。まあ、夜の顔を見たら、張り合う気はしなかっただろう。


「詩音はお兄ちゃんといい感じ?」


 お正月、美海の部屋で二人で勉強をしていたときに、ふと聞かれた。


「うん。三が日が終わったら、向こうに戻って本格的に一緒に住む部屋を探すよ」

「いいなあ」

「でもまだちゅうの一つもしてないんだ」

「お兄ちゃん真面目だから」

「夜は?」

「い、言わないよ! ……してなくも、ない」

「いいなあ……」



 そんな感じで、私の高校生活は確実に終わりへと向かっていた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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