33. 最終回:矢崎詩音は泣くのを止めた
匠海さんと私、矢崎詩音が両思いになって一年が経った。
一年が経っただけで、付き合い始めたわけでも、キスしてもらえたわけでもない。
私の勉強が忙しくて会えないことが多かったけど、その分、会えた時にはたっぷり甘やかしてもらえたから、それで我慢してた。
今日は私の中学校の卒業式。
ほとんどの同級生はそのまま付属の高校に上がるから、そんなに盛り上がったりはしないけど、それでもなんとなく感傷的な気分にはなった。
「詩音ちゃん」
「パパさん、ママさん! 来てくれてありがとうございます」
川瀬家のパパさんとママさん、そして匠海さんが保護者として卒業式に来てくれた。
遠いのに申し訳ないけど、でもすごく嬉しい。
「美海たちの卒業式は来週なんですよね」
「そうなの。詩音ちゃんもそれまでに帰ってらっしゃいね」
「はい!」
パパさんが車を出してくれたから、駐車場に向かう。
……その途中で声をかけられた。
「詩音」
「……お父様、お兄様」
私を呼んだのは父で、兄も一緒にいた。
来るなんて聞いてなかったのに。
「娘がお世話になっております」
何を言えばいいのか、どんな顔をすればいいのか分からなくておろおろしているうちに、父は川瀬さんご夫婦に頭を下げた。そのまま大人たちが話し始めて、兄が無表情で私を見下ろした。
兄はすぐに、私の横へと視線を移した。
「川瀬匠海さんでしょうか」
「はい。詩音さんのお兄さん、ですね?」
「はじめまして、矢崎一也と申します。妹がお世話になっております」
兄が匠海さんに軽く頭を下げた。
私は、兄に関わりたくないし、匠海さんにも関わらせたくなかった。
兄と匠海さんの間に割って入る。
「兄さん、なぜいらしたんですか」
「妹の卒業式に兄が来てもおかしくないだろう。申し訳ありません、川瀬さん。妹は礼儀知らずで」
「いえ、詩音さんとは親しくさせていただいております」
匠海さんが穏やかに答えた。
大きな手が私の肩に乗って、少し安心できた。
「……川瀬さんは、なぜ詩音が実家で疎まれていたかご存じでいらっしゃいますか?」
「兄さん、なにを」
「なんだ、言っていないのか。相変わらず、嫌なことからは逃げてばかりなんだな」
「なっ」
言い返す前に、肩に乗っていた手が私を後ろに引いた。
見上げると匠海さんが穏やかに笑って私を見ている。
「矢崎さん。僕は詩音さんが言いたくないことなら、無理に聞こうとは思いません。それは逃げではない」
兄が、目をきゅっと細くした。
匠海さんは気にもしていないように、柔らかく微笑んでいる。
「それに今日は詩音さんのハレの日です。まずは卒業を祝うべきでしょう」
「……詩音、卒業おめ」
「祝わなくていいです。思ってもないこと言わなくていいから、もう私の前に現れないで」
「詩音ちゃん」
「ごめんなさい、匠海さん。せっかく、かばってくれたのに」
私は、匠海さんの手に自分の手を重ねた。
匠海さんが不安そうな顔をしたから、私は笑ってみせた。
「ありがとう、匠海さん。……兄さん、私が母様に嫌われている理由なんて、今ここで言う必要はないでしょう?」
「一緒にいたいと思うのなら、きちんと説明すべきだろう」
「そうかもしれませんけど、それは私が、私のタイミングで話すことです。初対面の人が偉そうにバラすなんて、趣味悪いよ」
「兄になんて口の利き方をするんだ」
兄に、思いっきり睨まれた。その顔は母にそっくりだったけど、なぜだか私はもう怖くなかった。
「図星を突かれて逆ギレするの、お母様にそっくりですね。帰ってください。ここで騒いで恥を掻くのはお父様です」
できるだけ落ち着いて話したつもりだけど、兄は顔を赤くして黙り込んでしまった。
それに気づいたのか、川瀬さんたちと話していた父がやって来た。
「一也、どうしたんだ?」
「詩音が俺に逆らうんだ」
「……お前は、まだそんなことを言っているのか。詩音、わたしたちは先に失礼する。許せとは言わないが、一也はお前の母親にスポイルされていてな」
「知っています。でももう私と引き合わせないでください。私、その人嫌いです」
「そうか」
怒られるかと思ったら、父はなぜか面白そうに笑った。
「わかった。今後はそうしよう。……お騒がせしてしまい、申し訳ございませんでした。失礼いたします」
父は川瀬さんたちと匠海さんに軽く頭を下げると、兄を連れて帰っていった。
何だったんだろう。
匠海さんが頭を撫でてくれたから、まあ、いいか。
その後、パパさんが車を出してくれたから、そのまま四人で予約していたレストランへ向かった。
前に匠海さんと行った、いいホテルのいいレストランだ。
「おいしい……!」
「本当にねえ。匠海もこういうの作るの?」
ママさんが目を輝かせて匠海さんを見た。
「そういう実習はあったけど、こういう道に進もうとは思ってないかな。それだと地元に戻れないし」
「別に戻ってこなくてもいいだろ」
「えー、戻らせてくれよ。俺は地に足が着いた生活がしたいんだ」
苦笑する匠海さんに、パパさんも同じような顔をした。
「せっかくすごいことができるのになあ。美海も小崎町に残りたいって言うし」
「夜は?」
「夜くんも隣町のプラネタリウムで働きたいんだってさ。中学の卒業式が終わったらバイトの申し込みに行くって張り切っていたよ」
「ふうん。あいつこそ頭いいんだし、天文系なら研究機関でもなんでもあるだろうに」
「もったいないよなあ。夜くんが地元に残るならって、美海も地元でできる仕事を考えてるみたいだし。詩音ちゃんは? せっかくだし、匠海を連れ出してやってほしいけど」
「私も、小崎町での就職を考えてました。公務員なら働き口があるかなって」
「うう、もったいない……」
ママさんが渋い顔になってしまった。
川瀬さん夫婦はそろって大企業に務めている。
パパさんはこのままいけば重役で、ママさんもそこそこの地位にいるのだと匠海さんと美海からは聞いていた。
そんな二人からすれば、子供たちが田舎でのんびり暮らしたいっていうのは、もったいなく見えるのかも。
ちなみに、そういう社会的地位が川瀬さんたちにあるから、父は川瀬さんたちを信用して私を任せた……という経緯もあった。
まあ、「矢崎重工の社長夫婦は娘を放置するネグレクト夫妻」なんて、取引先の部長夫婦から言われたくなかったからなんだけどね。
そういう打算しかなかったとしても、川瀬さんのおうちに置いてもらえたのは、私としてはありがたかった。
ごはんの後、川瀬さんたちは車で帰って行った。
私と匠海さんは、今日は匠海さんの部屋に泊まる。
私は明日以降、寮の部屋の移動があるのだ。
中等部と高等部は並んで建っているけど、寮は中等部と高等部で別れているから、移動しなくてはいけない。
移動した先でも寧々子と同室だから、本当に部屋を移るだけなんだけどね。
「ふわー、疲れたー」
「お疲れさま、詩音ちゃん」
匠海さんの部屋に帰ってきたとたん、気が抜けちゃって、私は座り込んでしまった。
「ほら、そこで座ったらマジで立てなくなるから。シャワーだけ浴びちゃいな」
「ねえ匠海さん。私、中学卒業したよ」
上着を脱いでハンガーに掛ける匠海さんの背中に、声をかけた。
「うん?」
「だからチュウしてよ」
「しない」
「一緒にお風呂は?」
「もっとしない。どっちも、高校出てからな」
「ぶー」
立ち上がって、私もコートを脱ぐ。制服のジャケットも脱いで両手を広げたけど、匠海さんは、ぎゅっとしてくれなかった。
「だーめ。今詩音ちゃんを抱きしめたら、俺動けなくなっちゃうから。風呂から出たら、いくらでも抱きしめるよ」
「ぶー」
諦めて、今度こそシャワーを浴びに行く。
パジャマを着たら、匠海さんと交代して、私はベッドに横になった。
匠海さんが出てきたら、もう一度腕を広げた。
「匠海さん、抱っこ」
「はいはい、お待たせしました、お姫様」
「うふふ」
匠海さんがベッドに上がって、私の上に覆いかぶさった。
やっぱりキスはしてもらえなかったけど、いつもどおり痛いくらいに抱きしめられて、やっと帰ってこれた気がした。
「匠海さん、匠海さん」
「んー?」
「呼んだだけ」
「なに、疲れてる?」
「うん、くたくた。もっとぎゅってして」
「してるって。これ以上したら痛いだろ」
「痛くてもいいから。疲れたから、もっと」
ぎゅうぎゅうに抱きしめられて、安心したはずなのに、幸せなはずなのになぜか涙が出てきた。
「……詩音ちゃん」
「うん」
「お兄さんが言ってたことだけど、言いたくなければ言わなくていいし、言いたければ言えばいいよ」
優しい声が耳に落ちて、涙が止まらなかった。
何にも言えなくて、匠海さんの胸に顔を埋めた。
「卒業おめでとう、詩音ちゃん」
「……ありがと」
「寮の部屋の移動が終わったら、実家に行こうか。美海と夜の卒業も祝ってやらねえと」
「うん!」
ゆっくりと息を吸って吐いた。
少し体が離れて、匠海さんが優しい顔で私を見ていた。
キスしてくれるかと思ったけど、目尻の涙を舐められただけで、でもそれだけで私の涙は簡単に止まった。
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