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31. 重ねる:矢崎詩音は大好きな人の腕の中から出たくなかった

 私、矢崎詩音は大好きな人の腕の中にいた。


「匠海さん、キスは?」

「ん?」

「キス、していい?」


 甘えた顔で匠海さんを見上げたら、顔を赤くして眉を下げた。


「……だめ」

「なんで?」

「詩音ちゃんが、中学生だから」

「ぶー」


 匠海さんの腕の中で、私は首を伸ばした。

 喉に唇をつけたら、匠海さんは私の両頬をそっと手で挟んで離した。


「だめ。……俺が我慢できなくなるから」

「しなくていいけど」

「する。詩音ちゃんが大事だから、高校出るまで手え出さない」


 真剣な顔で言われたら、これ以上駄々をこねられない。

 でも不満は不満だから、そういう顔だけしておいた。


「ぶー」

「はいはい、片付けよう。皿に米がこびりついちまう」

「はあい」


 匠海さんから離れてお皿を持ち上げた。

 一緒に片付けをして、交代でお風呂に入った。

 お風呂のときも「一緒に入っていい?」と聞いて却下された。


 お風呂の後、ベッドで待っていたら匠海さんも出てきた。腕を伸ばすと、「はいはい」と笑って私に覆いかぶさってきた。

 匠海さんの太い首に手をかけて引き寄せたけど、彼は笑って私の横に転がった。


「だーめ」

「ちえ。匠海さんとチューしたいなー」

「そんなかわいいこと言ってもだめ」


 匠海さんに抱き寄せられて、顔が見えなくなった。

 胸元に顔を寄せて目を閉じる。

 この一年、ずっと匠海さんに抱きしめられて寝ていたから、こうして腕の中にいるだけで、すぐ眠くなってしまう。


「匠海さん」

「んー?」

「抱っこ」

「してるよ」


 匠海さんの声は、前からずっと優しかったけど、今はもっと柔らかくて、甘くなった気がする。


「もっと。ずっとしてて」

「してる。ずっと、詩音ちゃんのこと抱きしめてるよ」

「嬉しいなあ。匠海さん、大好き」

「俺も詩音ちゃんのこと好きだよ」

「キスは?」

「しない」


 匠海さんは笑って、ますます強く私を抱きしめた。

 早く大人になりたかった。



 春休み中、私と匠海さんはそんな感じでじゃれて過ごしていた。

 元から休みの日は一緒にいたし、手を繋ぐのも、抱きしめてもらって寝るのも変わらない。

 でも好きな人にそうしてもらうのは、やっぱり特別だ。


 ある日の午前中。

 朝ごはんの後に、台所を掃除していた匠海さんにしがみついていた。


「詩音ちゃん、そろそろ買い物行こうぜ」

「んー……」

「どした?」

「匠海さんにくっついていたいから、出かけたくないな」

「詩音ちゃん、すっかり甘えたになったな」


 匠海さんは手を洗った。

 ゆっくり振り返って私を抱きしめた。


「うん。匠海さんのこと好きだなーって思ったら離れたくなくなっちゃって」

「……忍耐力が試されてるなあ」


 こういうイチャイチャを、延々と繰り返していた。

 付き合ってないんだけどね。

 これで本当に付き合い始めたらどうなっちゃうんだろうなあ。


「ほら、買い物行くから」

「はあい。晩ごはんはスパゲッティがいいな。こないだの菜の花とたけのこの美味しかった」

「おう。たけのこはまだあるから、菜の花とシラスも買おう」


 手をつないで部屋を出た。



 それと、進路の話もした。

 匠海さんは、できれば地元の小崎町か、その近くで就職したいと言う。

 私は私の地元から離れたいから、ちょうどいい。


「俺は地元の学校の栄養士かな」

「私は小崎町の公務員かなー。小崎町じゃなくても、近隣の市でもいいかも」

「小崎町は狭き門だからなあ」

「そうなんだよね。そもそも採用ないし」


 まだ先のことなんか分からなくて、夢物語かもしれない。

 それでも匠海さんと将来の話をするのは楽しかった。

 匠海さんが、私とずっと一緒にいてくれるのを当たり前みたいに言ってくれるのが嬉しかった。




 だから逆に春休みの終わりが近づくのは寂しかった。


「さーびーしーいー」


 春休みが終わる数日前、私は匠海さんにしがみついて駄々をこねていた。

 匠海さんは「はいはい」と聞き流しながら、布団を干していた。

 ベランダは狭いけど暖かい春の風が吹いている。

 私は匠海さんの背中に顔をくっつけて、あくびをした。


「匠海さーん」

「んー?」

「さびしー」

「俺も寂しいよ。二週間、詩音ちゃんがずっといてくれたのに、俺一人でこの部屋に残されるの、めちゃくちゃ寂しい……」

「ごめん」


 私は、私のことしか考えていなかった。

 寂しいのは私だけなんて思い込んでいた。


「ごめんね、匠海さん」

「……ううん、意地悪言った。またゴールデンウィークにおいで。つーか、土日に来るんだろ?」

「来る!」

「帰る前に足にマニキュア塗り直していい?」

「お願いします!」


 布団を干すのを手伝ってから、窓の前に向かい合って座った。

 匠海さんが私の足の爪先に色を乗せていく。ホワイトデーから一か月弱、匠海さんに塗ってもらうのは三回目で、最初よりずっと上手になっていた。

 親指から小指まで丁寧に塗って、最後に仕上げのスプレーをかけた。


「っし、こんなもんかな」


 匠海さんは満足そうに私の足を見た。そのまま手を離すと思ったのに、匠海さんは私の足をつかんだまま、顔を寄せた。

 足の甲に「ちゅっ」と音を立てて唇が離れる。


「えっ、匠海さん!?」


 匠海さんは顔を上げずに、今度は私の膝に唇をつけた。

 すぐに離して、そのままシャツをまくっておへその辺りに口付けられる。


「ちょ、匠海さん! ま、待って待って!」


 最後に喉を「ちゅっ」と吸われて、匠海さんはやっと起き上がった。


「な、なに……?」

「意地悪」

「意地悪!?」


 私を見る匠海さんは、たしかに意地悪な顔で笑っていた。

 ……こんな顔もするんだ。心臓がうるさくて、言葉が出ない。


「俺も、寂しいんだよ。詩音ちゃんが帰っちゃうの。詩音ちゃんはまだ中学生だし、すごくきれいな女の子だから、俺のことなんかすぐ忘れちまう」

「……匠海さんも、そんなこと思うんだねえ」


 私の気持ちを疑うの?って、怒った方がいいんだろうけど、珍しくて、つい変な感想をもらしてしまった。

 ていうか、それ、私のセリフだし。


「思うよ。詩音ちゃんが寮に帰る度に、もう来ないんじゃないか、これっきりなんじゃないかって、俺は不安でしょうがなかったんだ」

「そうだったんだ。でもねえ、それ、詩音も一緒だよ? 寮に戻る度に、次も行っていいのか不安になったもの。いつ『彼女できたから』とか『俺も忙しいし』って言われるか、詩音はずっと不安だった」

「そんなこと、俺は絶対に言わない」


 泣きそうになってしまった匠海さんに、手を伸ばした。

 体を起こして、匠海さんを抱き寄せる。


「詩音だって、いきなり匠海さんの前からいなくなったりしない。好きだよ、匠海さん。私はあなたと一緒にいたい」

「……うん。ごめん、かっこ悪かった」

「全然大丈夫。私こそ、一人で寂しがってごめん。あのさ、次に会う予定を決めておこうよ。明後日寮に戻って、んー、次の土日は難しいかもだけど、その次の土日はたぶん来られるよ」

「俺も予定確認する」


 たまらなくキスしたかったけど、我慢して体を離した。

 並んで座って、次に会う日を決めた。


「ゴールデンウィークがなあ……」

「匠海さん、忙しい?」

「うん、結構バイトになると思う」

「私もゴールデンウィークは宿題が多いんだよね。たぶん四月に学力テストがあって、それ次第なんだけど」


 なにしろ三年生だから、受験はしなくても宿題は増えるって、先輩たちから聞いていた。

 去年だって、寧々子や友達と丸二日以上かけて、やっと終わるくらいの大量の宿題だったのに、今年はそれ以上らしい。

 でも、それはそれ。

 匠海さんには会いたい。


「この部屋で留守番してていい?」

「……平気? 寂しくない?」

「寂しいけど、会えない方が嫌だ。あと、寂しく思う暇もないくらい宿題出ると思う」

「わかった。じゃあ、四月の……」


 予定をスマホのカレンダーに登録した。

 寂しさがなくなったわけじゃないけど、少し安心できた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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