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30. 没入:川瀬匠海は弁えた

 中学校が春休みになって、詩音ちゃんは俺、川瀬匠海の部屋に来ていた。

 春休みは二週間くらいしかないし、俺もバイトと課題があるから帰省はしないことにした。

 三月の終わり、俺はパソコンでシラバスを見ながら二年前期の時間割を作り、詩音ちゃんは進路希望票を睨んでいた。


「ねえ、匠海さんはいつ進路決めた?」

「中学二年の終わりくらいかな」

「……今の私と同じ時期だ」

「内部進学にするんじゃねえの?」

「そうなんだけどお」


 そう言ってシャーペンを回す詩音ちゃんの指先には、さっき俺が塗ったマニキュアのラメがキラキラしている。


「詩音、何になりたいとか、どんなことをしたいとか、全然思いつかないよ」

「あー、進学して、その先ってこと?」

「うん……」

「職業っていろいろあるしなあ。あ、あとで図書館行こうか。なんだっけな、子供向けの職業図鑑とかあるんじゃねえかな」


 そう言うと、詩音ちゃんはムスッとしたまま頷いた。

 俺はパソコンを閉じて腕を広げる。

 いつもなら一も二もなく飛び込んでくる詩音ちゃんが、困った顔になった。


「どした?」

「えっと……我慢、させてない?」

「何が? あ、さてはまた、わけわかんない遠慮してんな?」

「そ、そういうわけじゃ」


 詩音ちゃんの視線が泳いだ。

 笑っちゃうくらいわかりやすい。


「詩音ちゃん、寒くない?」

「そんなに」

「俺は寒いから、温めてよ」

「……うん」


 詩音ちゃんはおずおずと俺の腕の中に収まった。

 相変わらず温かくて柔らかくて、いい匂いがする。我慢していないわけじゃないけど、そんなことは詩音ちゃんに気にさせるようなことじゃなかった。


「匠海さん、詩音のこと、好き?」

「好きだよ」

「……詩音も匠海さんのこと大好き」

「何かあった?」

「……進路に困ってる」


 絞り出すような声に、思わず笑った。

 ぎゅっと抱きしめてから、手を離す。


「図書館に行こう。んで、詩音ちゃんが興味持てることを探そう。帰りに晩飯の材料買って帰ってこよう」

「手えつないでいい?」

「もちろん」


 立ち上がって、詩音ちゃんの手を引いた。


 バスで図書館に行って、進路や就職の本を探す。

 ついでに俺も調理や栄養系の仕事を調べた。

 来年には就活だし、今年の後半からは専門の授業だって増える。

 どうすっかなあ……。


 詩音ちゃんは本を読んだり、俺の顔を見たりしながら唸っていた。

 中学生ならそんなに焦らなくてもいいと思うけど、実家から離れたい詩音ちゃんは考えるところがあるんだろう。

 でも、聞いてみたら理由はそれだけじゃなかった。


 図書館の外にあるベンチで缶ジュースを飲みながら、詩音ちゃんは難しい顔をした。


「あのねえ、うちの学校はカリキュラムをたっくさん用意してくれてるの。だから逆に、ちゃんと考えて取らないと、取りこぼしたり、重なって取れなかったりしちゃうんだよね」

「なるほど……」

「匠海さんが言うとおりの理由もあるよ。高校までは寮に住まわせてもらえるけど、大学からはどうしよう……とかね。うちの学校、家業を継ぐ以外の理由での高卒で就職は認めないだろうし」


 お嬢様学校なんだなあ。

 田舎の普通の公立高校出身の俺には全然わからん。


「大変だなあ」

「匠海さんは?」

「……な」


 思わず声が小さくなって、詩音ちゃんが吹き出した。


「匠海さんも進路悩んでるの? 大学の就活っていつから?」

「来年から。困ったよね……」

「小崎町に戻るの?」

「それも悩んでる。小さい町だから、そもそも働き口があるんだかないんだか」

「あー……」

「あるとしたら公務員だよな。俺なら学校給食や、老人ホームの栄養士とかね」


 詩音ちゃんは「なるほど」と頷いた。


「小崎町の公務員かあ」

「そう。小崎町の町役場や、隣の大崎町でもいいし、学校の先生って手もある。高校家庭科の教員資格が取れたはずだし」


 手にしていた缶ジュースを一気飲みした。


「ま、何でもいいけどさ。詩音ちゃんがやりたいことや、なりたいものがあるなら、俺は応援する。だから、俺が就活で落ち込んだり疲れてたりしたら、慰めてくれ」

「わかった」


 詩音ちゃんは俺にもたれかかった。

 進路のことでずいぶん悩んでいるみたいだ。


「匠海さん」

「ん?」

「……えっと、買い物行こうか」

「おう。何食いたい?」

「えっとねー、春っぽいもの」

「じゃあ、スーパーで食材を見てみよう」


 晩飯は菜の花のチャーハンと、わかめとたけのこのスープ。たけのこは丸ごと茹でたかったけど時間がかかるから、水煮を買った。次は丸ごと茹でて、たけのこ定食を作りたい。


「おいしい。……匠海さん、日に日に腕を上げるよね」

「そう? まー毎日やってるからね」

「……詩音、ずっとこうしてたいな」


 れんげでチャーハンを集めながら、詩音ちゃんが呟いた。


「ずっと?」

「うん。匠海さんとごはんを食べて、一緒に寝て起きて、そういうのがいいな」

「プロポーズじゃん……」


 思わず呟いたら、詩音ちゃんはまた難しい顔になった。


「ごめん、今の俺、キモかったよな」


 急いで謝ったら、詩音ちゃんはスプーンを置いた。

 黙ったまま残ったスープを飲み干して、真顔で俺を見上げた。


「あのね、匠海さんに聞きたいことがあるんだ」

「……なに?」


 詩音ちゃんは机の上にあった、俺のスマホに手を伸ばした。

 お揃いのストラップのビーズに指先で触れる。


「ホワイトデーのときに、『K』のビーズをくれたでしょ」

「……うん」

「これって、そういうことだと思っていいのかな」

「そういう……?」


 曖昧な言い方に、俺はおそるおそる聞き返した。


 もちろん、「そういう」意味だ。

 でも、それを詩音ちゃんがどう受け取ったかを聞きたかった。

 ……俺がこれ以上突っ走って、キモいことを言いたくないっていう保身もある。

 詩音ちゃんはビーズに触れたまま、俯いていた。


「プロポーズなんじゃないかって、思ったんだけど。でも、思い過ごしかなとか、図々しいかなとか、考えちゃって」

「思い過ごしでも、考え過ぎでもねえよ。……詩音ちゃんが受け取ってくれるなら、苗字も指輪もちゃんと贈りたい」


 そう言うと、詩音ちゃんは顔を上げて真顔で顎を引いた。

 頷いたのか、首をかしげたのか、微妙な仕草だった。

 やっぱり突っ走って、キモいことを言っちゃったかも。


「ほしい」


 真顔のまま、詩音ちゃんは小声で言った。


「じゃあ」

「あの、もう一個聞いていい?」

「詩音ちゃんが聞きたいことは、全部聞いてくれていい」


 俺が頷くと、詩音ちゃんはさっきまでとは違って、少し照れた顔になった。片手で唇に触れて、上目遣いで俺を見上げた。


「匠海さん、ホワイトデーにリップグロスくれたでしょ? その口紅を贈るのが『あなたにキスをしたい』って意味だって聞いて……その、詩音にしたい……?」

「したい」


 ほとんど反射で答えた。

 答えてから「がっついちまった」とか「キモいだろ」とか気付いたけど完全に手遅れだ。


「……やっぱり? あの、詩音も考えてみたんだけどさ。たぶん匠海さんにキスされたら、嫌じゃないし、匠海さんが他の人にしてたら、すごく嫌だと思う」


 それに、なんて言えばいいだろう。

 そう思ってくれることは嬉しい。

 両思いじゃん!

 ……でも、じゃあ今すぐしていいかって言ったら、ダメなんじゃねえかな。

 詩音ちゃんは中学生だし。


「でもね、詩音、そういうの考えたことなくて」

「そういうの?」

「うん」


 詩音ちゃんは首を傾げた。


「えっと、ほら。実家から離れることばっか考えてきたから、誰かと付き合うとか、彼氏とか、好きな人とか、そういうことを考えたことがないんだよね」

「あー……」

「だから、匠海さんが詩音のこと大事にしてくれてるのは分かってるし、好きでいてくれるのもすごく嬉しいけど、彼女らしいことって、たぶんできないよ」

「相変わらずバカだなあ、詩音ちゃんは」


 思わず、笑ってしまった。

 詩音ちゃんは目を丸くして、拗ねたような顔で俺を見た。


「な、なにそれ……」


 その顔がかわいくて仕方ない。

 彼女らしいこととか、そんなの気にしなくていいのに。


「そもそも俺は今すぐ付き合うとか、そういうつもりはないよ」

「えっ、そうなの……」

「付き合いたかった?」

「ちょっと」


 でっかい声で「お願いします!」と言いたいところだけど、グッと堪えた。


「好きだよ、詩音ちゃん。だから、俺は君が大人になるのを待ってる。成人して、高校を出て、それでも俺といてくれるなら、そのときにまたお願いします」

「……わかった。匠海さん、詩音のこと、待っててね」

「うん、待ってる。ずっと待ってる」


 手を伸ばして、詩音ちゃんを抱き寄せた。

 幸せすぎて、爆発しそうだった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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