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29. 残り香:矢崎詩音は彼との未来を考えた

 日曜日の午後。私、矢崎詩音は匠海さんに送ってもらって、寮まで戻ってきた。


「ただいまー」

「おかえり、詩音」


 寧々子はベッドで雑誌を読んでいた。


「聞いて聞いて、ホワイトデーのお返しもらった」

「よかったじゃん。何もらったの?」

「あのねえ、マニキュアとリップグロスと腕時計とお揃いのストラップ」

「……多いね?」


 苦笑する寧々子にリムーバーを借りて、私はマニキュアを落とした。

 床に座って足の爪に塗り直しながら、土日の話をした。


「これがお揃いのストラップ。うふふ、嬉しいなあ」

「それ、匠海さんの方には「S」と「K」が着いてるんだよね」

「うん」

「プロポーズじゃん」

「えっ、そ、そうかな……?」


 それは私も、ちょっと思った。

 今の名字が嫌なら、俺の名字をあげるって、そういうことかなって思った。

 匠海さんはそれを言ったときに照れてたし、「何でもねえ」って、なかったことにしようとした。


「……もしかして、匠海さんは私のこと好きなのかな?」

「それ、今気づいたの!?」


 寧々子が飛び起きた。

 ベッドから降りて、私と一緒に床に座った。


「や、そもそも考えないようにしてたんだよね。なんかドツボにはまりそうで」

「あのね、匠海さんが可哀想だと思うよ。私は一度しかお会いしてないけど、っていうか文化祭の時にちらっと見かけただけだけど、ちゃんとしてそうだったじゃん。ちょっと筋肉過ぎて私の好みじゃないけど、いい人そうだったじゃん!」

「え、うん? いい人だよ」


 ちょっと寧々子が何を言いたいのかわからなくて、私は曖昧に頷いた。

 いい人なのは間違いないと思う。

 私は匠海さんのガッチリしたところも、すごく好きだけどね。

 でも寧々子は、「そうじゃない!」と言った。


「いい人かもだけどさ? 誰にでも『いい人』じゃなさそうじゃない? あと、ちゃんとしてそう」

「誰にでも……? んー、私以外といるところをあまり見ないからなー。ちゃんと……?」


 「ちゃんと」って、どういうこと?

 学校やバイトにサボらず通ってるとか?

 自炊してるとか?


「詩音に対してちゃんとしてるってこと! 冬休み、わざわざ詩音パパを説得して連れ出してくれたんでしょ?」

「うん。出て行くって言ったのは私だけど、長期休みのときに川瀬さんの家に行くっていうのは言ってくれたみたい」


 あのとき匠海さんが父と何を話したのか、私はよく知らない。

 聞いたけど、「秘密」と言って教えてくれなかった。


「よっぽど大事じゃないと、相手の親と話さないと思うけど」

「父がたまたま出てきただけだからなあ」

「そうかもだけどさ。でも、そもそも実家まで詩音に会いにきてくれたんでしょ?」

「うん……」

「それで、苗字くれたんでしょ?」

「べ、別にもらったわけじゃ……!」

「もらったようなもんだと思うけどお」


 寧々子はニヤッと笑って、手元の雑誌をめくった。


「あ、これこれ。口紅を贈るのって「あなたにキスしたい」って意味だってさ」

「えっ」

「あとねえ、ブレスレットは「束縛したい」、腕時計は「同じ時をずっと過ごしたい」、ピンキーリングは「あなたをずっと思ってる」だってさ。重……っ」

「ピンキーリング?」


 なにそれ。

 首を傾げたら、寧々子は転がっていた私のスマホを拾った。


「このストラップに付いてる小さい指輪。小指用の指輪をピンキーリングって言うんだよ」

「なるほど……えっ、私も匠海さんに上げちゃったよ」

「そういうことじゃない?」

「そういうこと!?」


 私が、匠海さんに「あなたをずっと思ってる」って……?

 いや、好きだけど、そういうんじゃ……?


「よくわかんないな……」

「あらら、まだおこちゃまの詩音には難しかった?」

「そうかも」


 好きな人とかいたことないし、考えたこともない。

 ああ、でも、匠海さんは「我慢してる」って言ってた。

 そういうことを「したいけど、しない」って。

 や、やっぱり好きなのかな、私のこと……。


「あれこれごちゃごちゃ言っちゃったけど、詩音は匠海さんに好きって言われたらどうするの?」

「どうしよう……?」


 考えたこと、なかった。

 私は、考えたこともないことだらけだ。

 とにかく実家から離れることだけを考えてきたから、他の誰かのことなんて、全然考えてこなかった。


「嫌じゃないと思う」

「うん」

「私も匠海さんのことは好きだけど、彼氏とかの好きかはわかんないな」

「キスできる?」

「えっ、キス!?」


 できるかな……?

 そもそも普段からくっついて寝てるから、その延長でキスされても、私は反応できないと思う。

 そしてそれは、私はたぶん嫌じゃない。


「わかんないな……」

「じゃあ、匠海さんが他の女にキスしてたら?」

「泣く」

「そういうことでしょ」

「そういうこと、なのか……」


 想像したくもないな、匠海さんが他の誰かとキスしてるだなんて。

 手を繋いで歩くのも、一緒に寝るのも、全部私としてほしい。

 ……子どもっぽい独占欲だと思ってたけど、それだけじゃないのかも。


「まあ、その感じならそんなに急がなくていいと思うけど」

「……うん」

「でも、どっちにしろ考えないといけないと思うよ」

「何を?」

「試験の返却の後に進路調査票配るってさ」

「あー、そっか。そうだよねえ」


 春休みが終わったら三年生だ。

 だいたいは内部進学だけど、外部の高校に行く子もいるし、内部進学でも特進コースを狙う子もいる。

 私は内部進学だからあまり気にしてなかったけど、その後の大学の話や、進路によっては資格取得のための選択科目も考えないといけないんだ。


「うう、考えたくない……」

「それこそ、匠海さんに相談すれば? 大学生なんだし」

「そうする……」


 私は、寧々子にリムーバーを返した。

 グロスを落として、寧々子と食堂に晩ごはんを食べに行く。


「そういえば、珠紀はバレンタインどうだったの?」


 ふと思い出して聞いたら、寧々子は苦笑した。


「んー、なんか『二番目なら』みたいなことを言われたらしくて」

「うっわ、ない……」

「ね。珠紀も目が覚めたってさ」


 食堂で晩ごはんを選びながら、私は匠海さんのことを考えた。

 私は、匠海さんとどうなりたいだろう。

 匠海さんは、私とどうなりたいと思ってくれているだろうか。


 トレーを持った手首をちらっと見たら、匠海さんがくれた腕時計が、時間を刻んでいた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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