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28. ふわふわ:川瀬匠海は浮かれきっていた

 三月後半、俺、川瀬匠海はバスに乗って詩音ちゃんを迎えに行った。

 昼前に寮の近くのバス停で降りると、向かい側で詩音ちゃんが笑顔で手を振っていた。


「お待たせ」

「ううん、詩音も今来たところ」


 詩音ちゃんのところまで行くと、嬉しそうに抱きついてきた。

 彼女の顔にかかった髪を払ったら、目の下にクマができていた。


「期末試験、どうだった?」

「たぶん大丈夫。平均点は超えたと思う。たぶん」

「おつかれさま」


 ぎゅっと抱き返して、バスが来るのを待つ。



 途中で昼飯を食べてから俺の部屋に向かった。

 詩音ちゃんは部屋に入るなり、


「疲れたよー、匠海さん充電させて……」


 と、また飛びついてきた。

 そうしたいのは山々だけど、今日は先にしたいことがあった。


「ちょっと待って。これ、どうぞ」


 机に置いてあった紙袋を詩音ちゃんに渡す。


「なあに?」

「ホワイトデー。何がいいか全然わかんねえから、ちゃんと好みに合ってるといいんだけど」

「詩音は匠海さんが一緒にいてくれれば、それでいいもん。開けていい?」

「どうぞ」


 詩音ちゃんは笑顔で紙袋を開けた。

 中身は中学生に流行っているらしい、リップグロスとマニキュア。

 詩音ちゃんは目を丸くして取り出した。


「わ、かわいい……! これ、寧々子が持ってた!」

「今つけていい?」


 そう聞くと、詩音ちゃんが首を傾げた。


「どういうこと? 匠海さんがつけるの?」

「違え。俺が詩音ちゃんにつけたいなってこと」

「えっと、お願いします」


 少し照れたように笑いながら、詩音ちゃんは頷いた。

 詩音ちゃんを脚の間に座らせ、指先にマニキュアを塗っていく。

 はみ出さないようにするのが難しい。

 手だと日曜日の夜には落とさないといけないから、足の爪先にも塗った。


「キラキラ~かわいい~」


 そう言ってはしゃぐ姿がかわいいと思う。


「これも塗っていい?」


 リップグロスを見せると、詩音ちゃんは顔を上げた。


「いいよー」

「失礼します」


 小さな唇に、とろりと色を乗せていく。

 喉が鳴りそうになるのを必死に堪えた。


「似合う?」

「うん、かわいい」

「嬉しいなあ。ありがとう」


 詩音ちゃんは嬉しそうに、小瓶を手のひらに乗せて眺めた。


 ……リップグロスにしたのは一応理由がある。

 そうやってきれいにしていたら、取れないように、キスしない理由にできるんじゃないかと思ったんだ。ちなみに口紅を贈るのは「あなたとキスがしたい」という意味があるらしい。

 だから、「キスがしたい。でもしたら取れちゃうから、しない」そういうつもりで贈ったけど、気持ち悪いから気づかないでもらっていい。

 我ながら重いしキモいし、どうかしてる。


「匠海さん、充電させて」

「はいはい」


 腕を広げると、詩音ちゃんは小瓶を机に並べて、抱きついてきた。

 彼女は膝を立てて、俺の頭を抱えている。

 詩音ちゃんがあんまりもちもちしてなくて、本当に良かった。

 こう言っちゃあなんだけど、詩音ちゃんはすらっとして、薄い体型をしているから、胸を顔に押しつけられても、俺の理性はぎりぎりで保っていられた。

 もちもちだったら、たぶんいろいろと決壊していたと思う。


「詩音ちゃん、行きたいところとかある? 試験終わったし、ホワイトデーだし」

「じゃあ、ゴールデンウィークに行った大きい公園に行きたいな。散歩するだけだけど」

「いいよ。充電が終わったら昼飯食って行こう」


 薄い背中を抱き寄せた。

 一年近く伸ばした髪は肩の下くらいまであって、ホワイトデーは髪飾りでもよかったかもしれない。

 しばらく身を寄せ合いながら、ぼそぼそと近況報告をした。

 話すことがなくなったら、詩音ちゃんが俺の髪に顔を埋めている。……髪にグロスがついているのでは?


「詩音ちゃん?」

「んー」


 やたらと眠そうな声が返ってきた。


「俺の髪にグロスついてない?」

「……あ、ごめん」


 詩音ちゃんが腕を解いて、机の上のティッシュを取った。

 髪がちょっと引っ張られる。


「取れた……と思う」

「塗り直すよ」


 並べてあったグロスを取って蓋を開ける。

 詩音ちゃんの頬に手を添えて、半開きの唇に塗り直した。


「できた。……そろそろ昼にしようか」


 吸い寄せられそうになるのを堪えて手を離した。



 あるもので昼を済ませて、部屋を出た。

 詩音ちゃんは、クリスマスに俺があげたストールをぐるぐると巻いていた。

 上から見ると唇がツヤツヤで、やっぱりキスしたくて仕方なかった。


「匠海さん?」

「ん?」

「見過ぎ」

「かわいかったから」

「もー」

「本当にそう思ってるからな?」

「わ、わかってるよ」


 詩音ちゃんは恥ずかしそうな顔で、俺の腕にもたれかかった。



 公園に着くと、フリーマーケットをやっていた。

 詩音ちゃんがアクセサリーの店の前で立ち止まった。


「何かほしいのある? ホワイトデーだし、贈るよ」

「え、でも」

「元からアクセサリーも考えてたし。俺が贈ったらキモいかと思って、やめたけど」

「キモくないよ!」


 詩音ちゃんが目を丸くした。


「じゃあ、何かお願いしよっかな。……でも、アクセサリーは学校につけていけないしなあ」

「よろしければ腕時計や、ストラップもございますのでご覧ください」


 売り子さんが言って、詩音ちゃんが目を輝かせた。


「へー、おしゃれだなあ」

「どれが詩音に似合うと思う?」

「どれもいいと思うけど……」


 華奢なブレスレットみたいな腕時計を、詩音ちゃんの細い手首に当てた。


「これかな」

「じゃあこれがいい」

「俺が選んだやつでいいの?」

「匠海さんが選んでくれたのがいいの。ねえ、ストラップも見ていい?」

「もちろん」


 詩音ちゃんが手にしたのは革のストラップだった。

 思ったよりも渋いデザインだ。


「それがほしいの?」

「あのねえ、匠海さんとお揃いがほしいの」

「こちらのお品は革のベルトにリングを通せますし、アルファベットの刻印されたビーズを通してオリジナルのストラップにすることもできます」


 見せてくれたリングはいろいろあって、そのままつけられそうな指輪もたくさんあった。


「匠海さん、詩音のストラップ作って」

「じゃあ、詩音ちゃんが俺に作ってくれ」

「うん!」


 詩音ちゃんはすぐにリングとビーズを選んだ。早いな……。

 俺は全然選べない。

 そりゃ、俺のイニシャルとか選びたいけど、さすがにキモくないか……彼氏でもないのに。


「詩音ちゃんは何にしたの?」

「あのねえ、紫の石がついたリングと、「S」のビーズにした」

「……そっかあ」


 それ、俺にくれるんだ。

 じゃあ俺も好きにしちゃおうかな。

 リングは海っぽい濃い青でビーズは……。

 そこでふと、ビーズは二つで百円と書いてあるのに気がついた。

 じゃあ「T」と「K」かな。


「詩音ちゃん、ビーズは二つで百円だってさ」

「へー……もう一個どうしよう」


 詩音ちゃんはなぜか悩み始めた。

 てっきり、すぐに「Y」を選ぶかと思ったけど……ああ、あまり矢崎を名乗りたくないのか。


「詩音ちゃん、『Y』を使いたくないなら、『K』でも……ごめん、何でもねえ」


 死ぬほどキモいことを言ってしまった。

 何だよそれ……プロポーズじゃん。

 詩音ちゃんは引いてないだろうか。


「いいの?」

「えっ……う、うん。詩音ちゃんが嫌じゃなければ……」

「やった、じゃあそうする」


 俺が手に取りかけた「K」のビーズを、詩音ちゃんはあっさり手にしてストラップに通した。


「これでお願いします」

「あ、これも」

「かしこまりました」


 腕時計とストラップ二つの会計を済ませた。

 詩音ちゃんの腕に時計をつけると、嬉しそうにそれを撫でていた。


「ありがとう、匠海さん」

「いいよ……これも」


 ストラップを渡した。灰色の革のベルトに「T」と「K」のビーズと、濃い青の石のついた指輪が通してある。

 俺の手元のストラップには「S」と「K」のビーズと、淡い紫の石のついた指輪が通されている。

 ヤバい。ニヤけそう。

 口元を押さえたら、詩音ちゃんはゆるみきった顔でストラップと腕時計を見ていた。


「えへ……嬉しいな……」

「俺も嬉しい。ホワイトデーなのにもらっちゃった」

「スマホにつけておくね」

「俺も」


 それしか言えないくらい嬉しかった。

 やってることは、本当にキモくて、独占欲にすぎないんだけど、それを詩音ちゃんが受け入れてくれたのが嬉しかった。


 まあ、気づいてないんだと思うけど。

 スマホにストラップをつけてから、また手をつないで歩き出した。

 ぶら下がっている指輪を、いつか詩音ちゃんの指に通したい。

 いつか、詩音ちゃんが高校を卒業して、それでも俺の隣にいてくれるなら。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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