27. 遠景:矢崎詩音は十分に甘い思いを受け取っていた
二月に入って二回目の金曜日、私、矢崎詩音は高等部の家庭科室にやってきた。
「よろしくお願いします!」
「任せてよ!」
先輩たちが笑顔で頷いた。
来週はバレンタインだから、匠海さんに何か渡したい。せっかくだし手作りしたくて、高等部の家庭科部が主催するチョコレート菓子作りのイベントにやってきた。
なぜか珠紀も一緒に来た。寧々子も誘ったけど、
「あたし、試食担当だから」
と断られた。
「珠紀は振られたんじゃないの」
「う、ごめんって。振られたけど、諦めてないの!」
珠紀がぐっと手を握って調理台に向かったから、私も付いていった。
今日作るのはクッキーと生チョコ。
「混ぜて焼くだけ、混ぜて固めるだけ! どっちかがダメでも、どっちかを渡せる! はず!」
と、先輩たちが力強く説明してくれたので、頑張りたい。
実際やってみると、どっちもそんなに難しくなくて、ちゃんとできた。
クッキーはちょっと歪んじゃったけど、焼ければそんなに形は悪くないし。
たぶん、この一年近く匠海さんと一緒に料理をしていたからだと思う。
私は手伝いくらいだったけど、食材をきちんと計量するとか、混ぜるときに手加減をするとか、そういうのが当たり前にできた。
珠紀はそうはいかなかったみたいで、
「混ざんない!」「だいたいじゃダメなの?」「ダマになった……」
と騒いで、先輩たちに手伝ってもらっていた。
「なんで詩音はそんなにすんなりできるのよ」
「珠紀がロリコンって馬鹿にした人に教わってたからだよ」
「もー、ごめんてば。いいもん、できなくたって。家事はお手伝いさんいるし」
珠紀は唇を尖らせて、ボウルにこびりついたクッキー生地をこそげ取っていた。
「いつまでも実家にいるならね。私は兄さんと姉さんがいるから、そうはいかないよ」
私も同じように、ボウルから生チョコの生地をこそげて型に流し込んだ。
「同じような家に嫁げばいいでしょ」
「やだ。私は私を大事にしてくれる人といたい」
「……それが、あの人なの?」
「さあ……」
どうなのかなあ。
そういう目で匠海さんを見たことがなかった。
ていうか、私は自分が安心して寝られる場所が欲しいだけで、彼氏とか旦那さんとか、考えたことがない。そこまで考える余裕がなかった。
考えるのを止めて、チョコを流した型を冷蔵庫に入れた。
珠紀からボウルを受け取って一緒に洗い、立てかけておいた。
「詩音、なんか慣れてるね」
「そう?」
「うん。所帯じみてる」
「珠紀はいちいち嫌み言わないと気が済まないわけ?」
「そういうつもりじゃないけどさ。なんかあたしとは違うなって思っただけ」
「同じ人なんていないよ」
うーん、我ながら言い方が夜みたいだった。
私は匠海さんは大好きだけど、それはそれとして夜と美海も好きだ。
夜の落ち着いて丁寧に話すところと、美海のしっかりしていて勢いがあるところが好きだから、つい同じようにしたくなる。
珠紀は不満そうにオーブンを覗き込んでいた。
どっちかっていうと、不安なのかもしれない。一度振られた相手に「それでもあなたが好きなんだ」と言いに行くのが不安じゃないわけがない。
だからって、私に八つ当たりされても迷惑だけど。
クッキーが焼けたら、粗熱を取ってラッピングした。袋やリボンも先輩たちが用意してくれて、至れり尽くせりだ。
固まった生チョコも、おしゃれっぽい箱に入れれば完成!
寮の部屋に戻って、味見用に分けておいたものを寧々子と食べた。
「すごいじゃん、おいしい」
「でしょでしょ。明日は朝から行ってくるね」
「うん、頑張って。珠紀は?」
「なんとかできてたよ。日曜日に渡しに行くって言ってた」
「二人とも、上手くいくといいね」
「私は受け取ってもらえればそれでいいよ。珠紀のことは知らない」
「あはは、まだ怒ってる」
「うん。私、しつこいから」
匠海さんに渡す分は、部屋の冷蔵庫に入れておいた。
明日は朝一で待ち合わせをしてるけど、喜んでくれるといいな。
「匠海さん、おはよ」
「おはよう、詩音ちゃん」
バスで駅まで行くと、匠海さんが先に待っていてくれた。
「待たせちゃった? ごめんね、寒いのに」
「全然。さっき着いたばっかだから。どっか寄ってく?」
「ううん。あのね、先に匠海さんの部屋に行きたいな」
「じゃあ、そうしよう」
匠海さんは笑って私の手を取った。
この前の事があるから迷ったけど、その手を離すことなんて私にはできなくて、握り返した。
部屋に着いて正座したら、匠海さんもなぜか私の正面に正座した。私は手にしていた紙袋を差し出した。
「あの、これ、よかったら……受け取ってください……」
「ありがと。……もしかして、バレンタイン?」
「うん。あの、昨日作ったから、食べてくれると嬉しいな。その、匠海さんみたいに上手じゃないけど、がんばったから」
匠海さんは一瞬ぽかんとしてから、袋の中身を取り出した。
「そっか、作ってくれたんだ」
「う、うん。高等部の家庭科部主催で、バレンタイン向けのイベントがあってね」
「そんなのが……。あ、一緒に食おう。コーヒー淹れるね」
「私も手伝う!」
一緒にコーヒーを淹れて、今度は並んで座った。
「上手だと思うよ」
匠海さんはクッキーと生チョコを並べて、写真に撮った。
なぜか私に紙袋を持たせて何枚か撮っている。
「いただきます。……うん、美味い」
「ほんとに? よかった」
「ヤバい、嬉しい。ちょっと泣きそう」
「なんでさ。もー、匠海さんならいくらでももらえるでしょ」
「……そうでもない」
匠海さんはクッキーをかじりながら苦笑した。
「ほら、大学だと授業で全員で作るから、特別に作ったり贈ったりしないし、俺の周りは俺に詩音ちゃんがいるって知ってるからね」
「なるほど?」
文化祭、行ったしなあ。あれ、でも匠海さんは私のことをなんて言ったんだろう?
匠海さんのお友達らしき人に挨拶はしたけど、一緒に回ってはいないから、よくわからなかった。
「匠海さん、お友達に詩音のことなんて言ったの? 美海は『妹です』って挨拶してたよね」
そう聞くと匠海さんはなぜか気まずい顔になった。
なんで……。
「一応、預かってる子とは言った」
「一応? まあ、それで合ってるとは思うけど」
「あとは、俺の……いや、なんでもない」
「なあに?」
「なんでもない。秘密」
「ふうん。秘密かあ」
まあいいけどさ。匠海さんがそんな変な言い方しないのは分かってるし。
「あ、こないだ実習で作ったチョコあるよ。カカオ砕くのすげー大変だった」
「そこから!?」
匠海さんは笑って、冷蔵庫からチョコレートを出してきた。
ぱっと見は普通の板チョコだ。
「いただきます。わ、苦い」
「ね。それはカカオ七十パーセント。こっちの五十パーセントの方が甘くて食べやすいよ」
「ほんとだ、全然違う」
「三十パーセントもあるよ」
コーヒーを飲みながらチョコレートの食べ比べをした。
カカオが多いほうが苦いけど、いい匂いがする。
「詩音ちゃん、口にチョコついてる」
匠海さんの手が伸びてきて、私の唇を拭った。その指はカサついていて、あかぎれだらけだ。
私は匠海さんの手を取って、ついたチョコを舐めた。
「匠海さん、手がカサカサだね」
「……うん、どうしてもね」
「クリスマスにあげたハンドクリームは?」
「勿体無くて、使えてない」
「使ってよ。詩音だって、匠海さんにもらったショールを毎日使ってるよ」
私はカバンから自分が使っているハンドクリームを出した。手に取って、匠海さんの指先にすり込んだ。
「匠海さん、チョコも食べてね?」
「あ、バレた? もったいなくてさ」
「もー、悪くなる前に食べてよ。欲しかったらまた作るから」
「ほんとに?」
匠海さんが私を覗きこんだ。
眉が、不安そうに下がっている。
「本当に。来年も、その次も、匠海さんが受け取ってくれるなら、詩音はずっと作るよ」
「ありがと」
顔が近づいて、触れるかと思ったけど、触れずに額が肩に乗った。
腕を伸ばして背中を抱き寄せた。
温かくて、広くて、大好きな背中だった。
お昼は二人でお好み焼きを作って食べて、午後は近くの公園を散歩した。
「あのさ、詩音ちゃん」
「なあに」
手をつないで、ぶらぶら歩いていたら、匠海さんが立ち止まった。
「……誰かに、チョコあげた? その、俺以外に」
見上げたら、匠海さんが難しい顔をしていた。
「寧々子にあげた」
「誰?」
「寮の同室の子」
前に寧々子とスマホで撮った写真を見せた。
匠海さんは、一瞬ぽかんとしてから苦笑した。
「そっか」
「ちなみに去年は寧々子と交換しただけ」
「そうなんだ?」
「うん。あと美海から、夜はどんなチョコを喜ぶかっていう相談の手紙が来た」
「あいつは美海からだったら、何でもいいだろ……」
また手を繋ぎ直して歩き出した。
ふと思いついて、私は手を引っ張った。
「あのね、男の子にあげたのは匠海さんが初めてだよ」
「マジで?」
「マジで。二月に夜に会うことってないし、女子校だし」
「……なんで、俺にくれたの?」
別に大した理由はない。
ないけど、あなたに贈りたかった。
「学校で家庭科部のバレンタインイベントのチラシを見て、匠海さんのことが思い浮かんだんだ。それで、あ、匠海さんにあげたいなって思ったの」
「そっか。ありがとう。すげー嬉しい」
「詩音も、受け取ってくれて嬉しい」
そのまま、公園を出てスーパーに向かった。
食材を買って帰って、二人で晩ごはんを作って食べた。
お風呂も済ませて、ベッドで横になった。
匠海さんの腕に収まってウトウトしていたら、ギュッと抱きしめられた。
「バレンタイン、ありがと」
「うん。残りもちゃんと食べてね」
「食べるから、来年もちょうだい」
「わかった。来年は進学があるから作れるか分かんないけど。内部進学が決まれば作れると思う」
「どっちでもいいよ、詩音ちゃんがくれるなら。あ、あとホワイトデーは何がいい?」
顔を上げたら、匠海さんが眠そうな顔で私を見ていた。
匠海さんの顎に顔を寄せた。
硬くて、ジョリジョリしてて、痛いなあって思うけど、ついいつもやっちゃうんだ。
「思いつかないな。匠海さんにしてほしいことは、もう全部してもらってるから」
「そっかあ」
低い声が耳元にかかった。
「……ねえ匠海さん。名前、呼んで」
「詩音ちゃん?」
「ふふ、嬉しい。おやすみなさい、匠海さん」
「うん、おやすみ、詩音ちゃん……」
頭の上からふわっとあくびが聞こえて、少ししたら寝息に変わった。
それを一番近くで聞かせてもらえるだけで、私には十分だった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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