24. 多幸感:川瀬匠海は少女に甘えた
正月二日目。俺、川瀬匠海は詩音ちゃんと美海と並んで駅伝を見ていた。
ソファの隅に俺、その俺に埋もれるように詩音ちゃん。詩音ちゃんには美海がもたれかかっていて、わりと重い。でも妹に重いなんて言えないので、俺はおとなしく潰されていた。
「詩音、宿題終わった?」
美海があくび混じりに詩音ちゃんを見上げた。
「だいたい。あとワークが何ページか」
「偉ーい。私もやらなきゃ。あ、詩音いつまでうちにいる?」
「匠海さんは?」
俺の腕の中で、詩音ちゃんが顔を上げた。
「俺は明日か明後日には戻る。五日からバイトあんだよ」
「じゃあ一緒に帰る。詩音も学校が五日からだから、その前には寮に戻らないと」
「なら明日には戻った方がいいな」
「えー、じゃあ今日の午後に宿題教えてよ」
「そだね。詩音も今日中に終わらせないとだ」
「俺も昼食ったら試験勉強しねえと。二人は晩飯何がいい?」
お節と雑煮はもうあんまりないから、昼に食ったらなくなるだろう。
「お蕎麦」
「私も蕎麦がいいな。とり天乗せてよ」
「へいへい」
顔を上げて、ダイニングにいた親にも蕎麦でいいかを確認する。
夕方にでも買いに行こう。
そんな感じでだらだらしているうちに、駅伝は先頭集団がゴールに近づいてきた。
俺らは駅伝にさほど興味がないから、そろそろ昼飯の用意をしようか。
「二人とも起きろ。飯の用意するから」
「んー」「うーん」
「寝るな、子供か!」
くっついてだらけているうちに眠くなったらしい二人をどかして立ち上がると、詩音ちゃんが不満そうに俺を見上げた。
「行かないでよ」
「そんな顔してもダメだっての。雑煮がもうあんまりねえし、汁粉でも作るから」
「やった、詩音はお餅二個!」
「私も二個!」
「わかりましたよっと。母さーん、あんこ使っていいー?」
台所に向かうと、後ろから詩音ちゃんと美海の楽しそうな話し声が聞こえてきて、すごく平和だった。
その平和が破られたのは夕方のことだった。
晩飯の食材を買いに詩音ちゃんと美海と家を出たら、詩音ちゃんのばあさんが立っていた。
「詩音! 行くよ!」
「え、なに!? 行かないよ、詩音、匠海さんと買い物に行くの!」
「またそんな子供みたいな話し方して!」
「待ってください、何なんですか!?」
慌てて詩音ちゃんとばあさんの間に入った。
騒ぎを聞いて、親父も家から出てきた。
「またですか。詩音さんは我が家で預かると、矢崎さんからも言われてるでしょう?」
「お前! お前が娘を捨てたりしなければ!!」
ばあさんが興奮したように叫んだ。
どういうことだ?
思わず親父を見たら、呆れた顔でため息をついていた。
「三人とも、夕飯の買い物よろしく。こっちはなんとかしておくから」
「う、うん……」
詩音ちゃんと美海と一緒に、急いでその場を離れた。
二人も困惑の表情だけど、俺にも何も分からない。
買い物を終えて帰る頃には、ばあさんはいなくなっていた。
「ただいま……。なあ、さっきばあさんが言ってたのって……」
リビングで雑誌をめくっていた親父に聞くと、めっちゃ嫌そうな顔をされた。
「おかえり。あれな……遙さん、詩音ちゃんのお母さんと近い世代の男にはみんなに言ってるんだよ」
「そうなの……?」
詩音ちゃんが不安そうに聞いた。
「うん。つっても、俺と遙さんはそんなに近くないけどね。ギリ小学校が被るくらいだから。だから付き合ってたとか、まったくないよ。俺、小学生の頃から母さんにべったりだったし」
「そうそう」
母さんが台所から出てきて、俺が持っていたエコバッグを受け取った。
「お父さんは私が幼稚園の頃から私にべったりだったから、他の人が近寄る隙なんてなかったのよ」
「なのに、母さん、中学生に上がったときに『川瀬先輩に付きまとわれて彼氏できないんだけど』とか言ったんだぞ。ひどいよなあ」
「近所のお兄ちゃんとしか思ってなかったからね」
「……それでよく、結婚まで持って行ったね」
美海が苦笑した。
「うん。その時に『俺がいるだろうが!』って力説したんだ」
「中学校の廊下でね」
「そういうわけで、俺と遙さんの間には何もありません」
親父はそう言って、また雑誌をめくり始めた。
二人が幼馴染みなのは知っていたけど、馴れ初めは初めて聞いた。
「あれ、夜の母さんも幼馴染みだよな?」
「ええ。だから父さんの告白の時も隣にいたし、『付き合ってなかったの!?』って言われたわよ」
「うわあ」
「だから、匠海もね」
母さんが苦笑した。
「いつまでも『近所の親切なお兄さんポジション』に収まってると、ある日突然『彼氏紹介するね』なんて言われるのよ」
「なんの話だよ!?」
思わず突っ込んだら、親父が力なく笑った。
「そう言いかけた人の言うことは聞いとけよ」
「うっせえ……」
美海と母さんは笑いながらリビングから出ていってしまった。
詩音ちゃんはぽかんと俺を見上げている。
「……詩音ちゃん、彼氏できる予定ある?」
「ない。女子校だし」
「だよね。飯の用意するから手伝ってよ」
「うん!」
二人で晩飯の用意をして、みんなで食べた。
片付けは親に任せて、俺と詩音ちゃんはそれぞれ荷造りをした。電車の時間を確認して、「おやすみ」と言って分かれた。
翌日、朝ごはんの後に実家を出た。
「詩音ちゃん、また春休みにおいで」
「待ってるからね!」
「……うん。ありがとう!」
母さんと美海に見送られて、俺と詩音ちゃんは車に乗った。
親父に駅まで送ってもらって、電車に乗る。
ボックス席に座ると、詩音ちゃんは俺の隣に座った。
「冬休み、終わっちゃったねえ」
「あっという間だったなあ」
「匠海さん、試験っていつから?」
「来週」
「なのにバイトも入れてるんだね」
「平日の昼だけね。土日は勉強するよ」
詩音ちゃんは「ふうん」と頷いて俺にもたれかかった。
「じゃあ、しばらく匠海さんの部屋には行かないほうがいいかな。試験はいつまで?」
「四週目の金曜日の朝」
「……その日の夜に、匠海さんの部屋に行ってもいい?」
「もちろん。今日はどうする? すぐ寮に行く?」
そう聞きながら、俺は詩音ちゃんの手を握った。
ゆっくり彼女の指を解いて、俺の指を絡める。
詩音ちゃんは呆れたような顔で俺を見上げた。
「匠海さん、そんなに甘えん坊だったっけ」
「そうだよ。知らなかった?」
「ね、今日は匠海さんの部屋に泊まらせてもらっていい?」
「もちろん」
絡めた指が握り返された。
その後は何も言わず、互いにもたれかかって手をつないだまま、俺は試験勉強をして、詩音ちゃんはスマホで小説を読んでいた。
俺の部屋に着いたら、荷物を片付ける。
昼飯は途中で食べてきたから、荷ほどきが終わったら、また俺は試験勉強をする。
詩音ちゃんも宿題の見直しや、教科書をめくって内容を思い出したりして午後を過ごした。
晩飯は買いだしついでにラーメンを買ってきて一緒に作って食べた。
交代で風呂を済ませて、さっさと部屋の明かりを消した。
詩音ちゃんは俺の腕に収まると、ぎゅっとしがみついた。
「匠海さんと寝るの、久しぶりだ」
「そうだな。クリスマス以来だから、二……三週間ぶりかな」
「またしばらく来られないの寂しいな」
「来てもいいよ」
「ダメだよ。勉強の邪魔はしたくないから。その分、今夜充電させて」
細い腕が俺の背中を抱き寄せた。
詩音ちゃんの吐息が俺の喉に当たって、ソワソワした。
「詩音ちゃん」
「んー」
眠そうな声が返ってきた。
「……おやすみ」
「うん、おやすみなさい、匠海さん」
抱き寄せると、うなり声がした。
痛かったかと力を緩めたら、詩音ちゃんが強く抱きついてくる。
髪を梳いて、背中を撫でた。
それ以上触れないように、細い身体を強く抱きしめて、俺は目を閉じた。
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