23. シェアする:矢先詩音の世界一好きな顔
「お前は、どうしてそう、他人の迷惑になることしかできないんだ!」
そう、私、矢崎詩音に怒鳴ったのは、小崎町に住む母方の祖母だった。
隣にいる匠海さんになんてかまいもせずに、おばあちゃんはよたよたと私に歩み寄ってきた。
「なんだい、わたしに迷惑をかけるだけに飽き足らず、川瀬の小僧にまで色目を使って! これだからあの男に似た小娘なんて嫌いなんだよ!」
唾を飛ばして怒鳴るおばあちゃんに、私は何も言えなかった。
匠海さんのこと、そんなふうに言わないで。
私を助けてくれた大事な人に、そんなひどいことを言わないで。
心臓がドキドキして、喉が詰まって、言葉が出ない。
「やだ、やめて、おばあちゃん……」
「あんたみたいな穀潰しが、わたしをおばあちゃんなんて呼ぶな! あの男と同じ顔で、わたしの前に現れ――」
おばあちゃんの声が、突然遠くなった。
代わりに耳が温かくなって、驚いて顔を上げたら、匠海さんが私の耳を塞いでいた。
「た、匠海さん……?」
匠海さんは穏やかな笑顔で私を覗き込んだ。
「詩音ちゃん、ベイクドモチョモチョ食べようか」
「えっ、え……なんて……?」
何を言われたか、全然わからなかった。
おばあちゃんは一瞬ぽかんとしてから、匠海さんを睨んだ。
「お前が余計なことをしたから! その小娘が調子に乗るんじゃないか!」
「詩音さんのことは、きちんと親御さんから預かっていますので」
私の耳を塞いだまま、匠海さんは言った。
「これ以上、我が家に関わられるようであれば、今までのこともすべて、詩音さんの親御さんと町内会に報告します」
「お、脅す気かい!? 老い先短い老いぼれをいじめて楽しいか!」
「なんとでもどうぞ。詩音ちゃん、こっち」
匠海さんは私の手を取って歩き出した。
振り返ると、おばあちゃんが鬼の形相で睨んでいて、私が父に似ているせいだと分かっていても、やっぱり悲しかった。
「はい、どうぞ」
少し歩いた先で、匠海さんは今川焼きを買った。
それを二つに割って、大きい方を私に差し出した。
「……ありがとう」
「あんこでよかった? カスタードとチョコレートも売ってたよ」
「あんこでいいよ。カスタードとチョコは買って帰って、家で一緒に食べたいな。ねえ、さっきのベイクドなんとかって、何?」
「ベイクドモチョモチョ? ネットミームだね。そう言ったら、詩音ちゃんの気が逸れるかと思って」
匠海さんは手にしていた今川焼きを一口で食べた。
私は昨日から、ずっと匠海さんに助けられている。
……本当は、もっと前からだけど。
私も食べ終えて、今度は一緒に今川焼きを買った。
紙袋に入れてもらって、大事に抱える。
「じゃあ、帰ろうか。お参りはしたし、おみくじも引いたし」
「そうだね。あ、さっそく匠海さんに救われちゃった」
「だろ? そのために隣にいたからさ」
匠海さんは屈託なく笑って、私の手を取った。
離れたくなくて、つい指を絡める。
すぐに同じように握り返された。見上げたら匠海さんも私を見ていて、さっきまでの悲しい気持ちが和らいだ。
参道を歩き、鳥居を抜けて家に向かう。
お節とお雑煮がいつまで続くかなんて話をしていたら、匠海さんが立ち止まった。
「あ、たっくん。久しぶり」
「あー、うん。久しぶり……」
匠海さんを呼び止めたのは、きれいなお姉さんだった。
たぶん匠海さんと同じくらいの年齢で、笑顔で手を振っていた。
「たっくん、その子今カノ?」
「や、彼女とかじゃねえけど」
「ふうん。すごくきれいな子と手をつないでるからびっくりしちゃった。たっくん、今大学生だよね? どこ大?」
そのお姉さんは私を一瞥すると、匠海さんに近寄った。
なんか、嫌だなあ。胸の奥がモヤモヤする。さっき助けてもらって安心した気持ちが、またどこかに行っちゃった。
でも匠海さんは私の手を強く握っていた。
見上げると、少し困ったような顔で話している。
私はつないだ手を、ぎゅっと引っ張った。
「匠海さん、私は先に帰ってようか?」
「ごめん、待たせちゃって」
匠海さんは絡んでいた指をほどいた。
「えっ」と思う間もなく、肩を抱き寄せられる。
「悪いけど、帰るところなんだ。じゃあね」
さらっと挨拶して、匠海さんは歩き出した。
少し歩いたところで立ち止まって、私の肩から手が離れた。
かわりに、匠海さんは両手で私の頬を包んだ。
「詩音ちゃん、帰ったらコーヒー淹れてよ。昨日買ってきたタンブラーにさ」
「うん」
「一緒に食べるおやつを買って帰ろう」
「わかった」
「お節がなくなったら、何食いたい?」
「えっとね、お蕎麦。年越し蕎麦、食べてないから」
「わかった。俺が用意していい?」
「うん。でも一緒に用意するよ。詩音、匠海さんが料理してるところ見るのが好きだから」
そう言うと、匠海さんはなぜかちょっと泣きそうになった。
「……そっか。ごめん。帰ろうか」
手が離れた。力なく下ろされてしまったから、私はその手を取る。
匠海さんの手は、大きくて、固くて節くれ立っていて、あっちこっちに火傷や切り傷があった。
私の細くてやせっぽちの指を絡めて、強く握った。
「帰ろう。匠海さん」
「……うん」
歩き出そうとしたら、ふと視線を感じた。
振り返ったらさっきの女の人が、同じ場所で立ち尽くして匠海さんを見ていた。
またモヤモヤが胸に広がったから、匠海さんの手を引いて、屈んでもらう。
背伸びをして、耳元に口を寄せた。
「あのね、チョコ食べたい」
「コンビニ寄って行こうか」
「うん」
今度は振り返らないで歩き出した。
川瀬さんのお家に帰って、二人分のコーヒーを淹れて、買ってきたチョコやクッキーと一緒にリビングに持って行ったら、匠海さんがソファに寝転がっていた。
「匠海さん、だいじょぶ?」
「ダメ」
コーヒーを、ソファ前のテーブルに置いた。頭の横に腰を下ろしたら、匠海さんの腕が伸びてきて、捕まった。
「膝枕、してもらっていい?」
「いいよ」
匠海さんはのそのそと私の脚に頭を乗せた。
顔を私のお腹にくっつけているから、どんな表情かはわからない。
「どうしたの? さっきの女の人に、何か嫌なことを言われた?」
「そういうんじゃないんだけどさ。あー、さっきの人ね、元カノなんだ」
頭を殴られたような気がした。
いや、私は知っていた。匠海さんに彼女がいたってこと。
高校に入ってすぐ付き合って、一学期が終わる前にフラれたということも。
「……そうなの。あの人が」
きれいなお姉さんだった。
匠海さんとお似合いだと思う。
でも、それを私は素直に喜べなかった。
「えっと、フラれたんだけど」
「う、うん」
なんだろう。聞きたいような、聞きたくないような。
私は匠海さんの硬い髪を、手のひらで撫でながら続きを待った。
「フラれた理由が、俺が料理が得意だからで」
「うん?」
「なのにさっき、『調理系の大学なんてすごいね』とか『将来コックさんになるの?』なんて、笑顔で聞かれて、気分悪くなっちまって」
「……うん」
「だから、詩音ちゃんに『俺が料理するの、おかしくないよね』って聞きたかった」
ああ、だからさっき、私に食べたいものを聞いたんだ。
なんか、おかしかった。
いつもはかっこいい匠海さんがかわいくて、胸がキュンとした。
「詩音ね、匠海さんが料理してるところ、好きだよ。匠海さんはいつもかっこいいけど、料理してるときが一番かっこいい」
「……そうかな」
「そうだよ。えっとね、前にスーツ着てたときもかっこよかったし、真剣な顔で勉強してるときもかっこいい。あとね、昨日迎えに来てくれたときと、さっき助けてくれたときもかっこよかった」
「ごめん、言わせて」
そう言いながらも、匠海さんは私のお腹に顔をくっつけたままだった。
「いくらでも言うよ。詩音、匠海さんのこと大好きだもん」
「……ありがと。俺も詩音ちゃん大好き」
「んふふ、嬉しい」
たぶん、匠海さんが思っている嬉しいの、十倍は嬉しい。
「昔、美海と遊んでたら、パフェ作ってくれたでしょ? おいしかった。あとはね、パエリヤと、焼きそばと、パンケーキと……」
匠海さんに作ってもらったことのある料理を思い出す。
全部美味しかった。
匠海さんが作ると、それこそおにぎりすらも美味しくて、私には魔法みたいに見えた。
「あら、匠海はどうしたの?」
匠海さんの頭を撫でていたら、ママさんがリビングに顔を出した。
今日はパパさんと一緒に、夜の家に遊びに行っていたけど、昼だから帰ってきたみたい。
「元カノに会って凹んでるの」
「それで詩音ちゃんに甘えてるの? やあねえ。重かったら下に落としてね」
「しないよ、そんなこと。いつもは詩音が甘えてばかりだから、たまに匠海さんが甘えてるとかわいいでしょ」
「かわいいじゃなくて、かっこいいって言われてえよ」
「かっこいい男のする体勢じゃないわよ」
ママさんは呆れたように笑って、机に並べてあったお菓子をつまんだ。
私にも差し出してくれたから、ありがたく受け取る。
「そろそろお昼にしましょうか。美海と夜くんは?」
「学校の友達と合流して、どっか行っちゃった。お昼に戻るか、聞いてみるね」
「お願いね、詩音ちゃん。二人はお雑煮のお餅はいくつにする?」
「俺は二個」
「私は一個でお願いします」
美海にメッセージを送っていたら、やっと匠海さんが起き上がった。
ちょっとムスッとしていて、やっぱりかわいい。
「俺も手伝う」
「凹んでていいのよ」
「いや、もういい。慰めてもらったから」
「そう? じゃあ、母さんはお餅一個ね。お父さんは二個」
「あいよ」
「匠海さんが用意するなら、詩音も手伝う……あ」
台所に向かった匠海さんを追いかけようとして、私は崩れ落ちた。
「詩音ちゃん!?」
匠海さんが焦ったような顔で走ってくる。
「あのね、足痺れた」
「……ごめん。俺が用意するから、座ってて」
「はあい」
「いいのよ、匠海に任せておけば」
「任せてくれよ。うまいもん出すからさ」
「お雑煮もお節も、用意したのは母さんですよ?」
「そうでした」
ママさんと匠海さんは笑って台所へと戻って行った。
手の中のスマホが震えて、美海から『すぐに帰る』と返事が来た。
それを伝えようとソファから振り返ったら、匠海さんが真剣な顔でお餅を焼いていて、私はその顔が世界で一番好きだと思った。
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