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21. 誰の?:矢崎詩音は息を吹き返した

 大晦日、私、矢崎詩音は実家で死んだ魚みたいな顔をして、頭を下げていた。


「ご無沙汰しております、叔父様。はい、今はーー女学院に在籍しています。はい、父に恥じぬよう、せいいぱい勉学に励もうと思います」


 こういう定型みたいな挨拶を、帰省してから延々と、オウムみたいに繰り返していた。

 ようやく解放されたのは夕方で、あと数時間もすれば会食があるけど、私はみすぼらしいから来なくていいと、母から言われていた。

 シンデレラの継母みたいで、私はうっかりぽかんとしてしまって、嫌みまで言われたから自分の部屋に逃げてきた。


「あー、しんどい」


 ベッドに大の字で寝転がって、ため息をついた。

 たぶん、明日……いや、明後日の朝には解放されるはず。

 そしたら美海に確認して、一度川瀬さんのおうちに避難させてもらおう。

 美海と夜の顔を見たら、たぶん嫌な気分もマシになるはず。

 匠海さんがいれば言うことないけど、学年末試験前って言ってたし、顔が見られればラッキーかなあ。


 会いたいなあ。匠海さん、今は何をしているだろう。

 枕元に放ってあったスマホを手に取った。

 なんの連絡もない。

 そりゃ、そうだ。

 年末年始は実家で親戚や、父の会社の人に挨拶って言ってあるもの。

 ふと、部屋の扉がノックされた。

 たぶん、ばあやが私の夜ごはんを持ってきてくれたんだろう。


「どうぞー」


 返事をしたら、予想通りばあやが顔を出したけど、手には何も持っていなかった。


「失礼します。詩音様のお知り合いとおっしゃる方がお見えです」

「私の……?」

「はい。川瀬様と」

「えっ」


 ばあやをほったらかして、慌てて門まで走って行ったら、匠海さんが「来ちゃった」と笑っていた。


「な、なんで……?」

「俺の顔見たいかと思って。嘘、冗談。俺が年が明ける前に詩音ちゃんに会いたくて来ちゃったけど、大丈夫だった?」

「うん……だいじょぶ……」


 わけがわからなかった。

 匠海さんの顔がぼやけて見えない。

 この人はどうして私がいてほしいときに必ずいてくれるんだろう。

 涙が止まらなくて、言葉が出なかった。


「匠海さ、詩音、匠海さんと、帰る……っ」

「家の方は大丈夫?」


 顔に何か柔らかいものが触れた。

 触ったら匠海さんの手とハンカチで、一度触れたら、もう離せなかった。


「知らない……、でも、やだ。詩音、匠海さんといたい……っ」

「その男は誰だ?」


 冷たい声がした。

 のろのろと振り向いたら、父が立っていた。

 私は、匠海さんの手を掴んだまま、一度目を閉じて、開けた。


「お父様……お祖母様の近所にお住まいの方です」


 よかった。ちゃんと言えた。


「……小崎町のか?」

「はい。お祖母様の様子を確認してくださったり、私のことも昔から気にかけてくださっていました」


 匠海さんの顔を見たら、小さく頷いてくれた。


「川瀬匠海と申します。ご挨拶が遅くなり、申し訳ありません」

「……その川瀬さんが、ここで何を?」

「近くを通りかかりましたので、詩音さんに年末のご挨拶にと思いまして」


 掴んでいた手が、そっと握り返された。

 うん、大丈夫。

 私は、立ち向かえる。


「匠海さんは、今年から私の通う女学院近くの大学に在学されているんです。それで、春休みからお世話になっています。……お母様には、そのことをお伝えしてあります」

「そうか」


 父は少し考え込んだ。

 空はすっかり夜で、大晦日の都内には冷たい風が吹いていた。


「……明日の挨拶はどうするつもりだ」

「それ、私いらないですよね。毎年何かと理由をつけて、私は欠席ではないですか」


 私が父にこんなふうに言い返すのは、たぶん初めてだ。

 父はわずかに目を細めて、私を見下した。


「なんだ、気がついていたのか」


 いや、なんで気づいていないと思ってたのさ。

 でも父はこういう人だ。

 何て言おうか考えていたら、繋いでいた手が強く握られた。


「この子を何だと思ってんだよ!」

「ちょ、匠海さん?」


 突然のことに、驚いて振り向いたら、匠海さんが目を見開いて父を睨んでいた。


「こんな子どもを一人ぼっちにして、こんなこと言わせて、親として恥ずかしくねえのか!」

「匠海さん、大丈夫、詩音は大丈夫だから!」

「大丈夫なわけねえだろ!?」


 私を見た匠海さんは、泣きそうな顔になってしまった。


「詩音ちゃん、全然大丈夫なんかじゃねえから! 俺の前でまで強がらないで、悲しくなる」


 ……大丈夫かって言われたら、もちろん、全然大丈夫なんかじゃないんだけど。

 でも今、私がやらないといけないのは、父をなだめて、さっさとこの家から出ることだった。


「匠海さん。ありがとう、怒ってくれて。詩音は匠海さんの前で強がってるんじゃないよ。父の前で泣いても無駄だから、強がってるの」

「それ、もっと最悪じゃん……」

「ほんとにね。匠海さん、泣かないでよ」


 匠海さんが手にしたままだったハンカチを受け取って、私は手を伸ばした。

 目尻に当てたら、匠海さんは手を重ねて俯いてしまった。


「お父様。これ以上ここで騒いでしまうのは、迷惑になりますから、私は失礼します。次の春休みも川瀬さんのお宅でご厄介になろうと思います」

「……わかった」

「邪魔でしたら、この家の私の部屋も片付けてくれていいです。あと五分ください。引き上げます。匠海さん、五分だけ待っててくれる?」

「……うん」


 匠海さんと父を残して部屋に急いだ。

 もともと荷物は多くない。持ってきた旅行カバンから出し入れしてたから、机の上の宿題だけ戻せば荷造りは完了。

 コートを羽織って、スマホをポケットに入れた。匠海さんがクリスマスにくれたショールを羽織ってカバンを持ったら準備はおしまいで、五分なんて全然かからなかった。

 走って門の外まで戻ったら、意外にも父はまだそこにいて、匠海さんと何かを話していた。


「お待たせしました」


 二人が私を見た。


「えっと、良いお年を。……匠海さん、行こう」


 何も言わない父に頭を下げて、匠海さんと歩き出した。

 父は最後まで黙ったままだった。




「匠海さん、ありがとう、迎えに来てくれて」


 少し歩いて、家が見えなくなったところで匠海さんの手を取った。

 街灯に照らされた匠海さんは、困ったような、恥ずかしいような顔で私を見ていた。


「いや……ごめん、怒鳴っちゃって」

「詩音は嬉しかったよ。匠海さんが怒ってくれて。でも、今からだと小崎町に着けるかなあ?」


 片手でスマホを出して時刻表を確認した。

 でも年末の臨時ダイヤだから、小崎町の辺りの路線がいつまで動いているかよくわからない。

 年明けにかけて都内は一晩中電車が動いているけど、小崎町は田舎だからなあ。


「じゃあ、飯食いながら時刻表を確認して、行けるところまで行こうか。大晦日とは言え、中学生が夜中に出歩いてたら、たぶん怒られる」

「たしかに……じゃあ、駅前に行こうか。で、怒られたら電車が動いてるか聞けばいいよ。おばあちゃんの家に行きたいけど、電車が動いてるかわかんないって言えば、嘘じゃないから」


 二人で歩いて駅に向かった。

 駅前のカフェで晩ごはんにした。カフェと言っても、夜はお酒と食事がメインになるから、匠海さんと二人でがっつり食べた。


「大晦日なのに、蕎麦じゃなくてごめんね」

「なんで匠海さんが謝るの」

「来年は一緒に実家で蕎麦食おうぜ。親父がお高い蕎麦を取り寄せたって言ってたから」

「……来年かあ」


 また一年経ったら、私はあそこに戻らなくちゃいけない。

 そう思うと、気分が落ち込む。

 でも匠海さんは、パスタを巻きながらニコッと笑った。


「さっき、詩音ちゃんの親父さんに、次の年末はうちで預かりますって言っておいたから大丈夫」

「えっ、そうなの?」

「うん。今後、長期休暇は川瀬家で預かるから、進学や就職に必要な書類のサインだけはちゃんとしてくれって約束してきた」


 匠海さん、すごいなあ。

 私は父や母と、そんなふうにちゃんと話せたことなんて、ない。


「匠海さんは大人だねえ」

「ほんとにちゃんとした大人だったら、よその親父さんにいきなり怒鳴ったりしねえよ」

「でも、匠海さんが怒ってくれて、詩音は嬉しかったよ。迎えに来てくれただけでも、すごーく嬉しかったのに」


 パスタとサラダ、オムレツや唐揚げを食べて、カフェを出た。

 駅で電車を確認すると、乗り換えの駅まで特急で行けば、ぎりぎり終電に間に合いそうだ。


「詩音ちゃん、あそこ、寄っていい?」


 匠海さんが指さしたのは、都内ならどこにでもあるカフェだった。でも小崎町にも、学校の近くにもない。


「いいよ」

「有名だけど、生活圏にないから来たことなくてさ。うわ、タンブラーおしゃれだな」

「せっかくだし、美海と夜にお土産買おうかな」

「じゃあ、俺も詩音ちゃんに買おう」

「なんで? あ、これかわいい! 色違いだ! じゃあ詩音、これがいいな。匠海さんはどっちの色がいい?」

「は?」

「色違いで同じの買おうよ」

「いいけどさあ」


 匠海さんは、よくわからない顔でタンブラーを二つ持っていった。

 私も美海と夜のお土産用に、タンブラーを持って匠海さんの後に並んだ。

 買ったタンブラーにココアとコーヒーを入れてもらって、電車に乗った。

 混んでたから、グリーン車にした。


「俺、グリーン車とか初めてだわ」

「そう? 楽だよ」

「詩音ちゃんってそういうとこお嬢様だよな……。や、貶してるわけではなく」


 匠海さんは、座席にぐにゃっともたれかかって言った。


「乗り換えまで二時間かかんないくらいだな。詩音ちゃん、宿題終わった?」

「うん、だいたい」

「俺、試験勉強してていい?」

「もちろん。静かにしてるね」


 私がスマホで小説を読み出したら、匠海さんもカバンから教科書を出してきた。

 パラパラめくりながら、私にもたれかかってくる。


「匠海さん、重いよ」

「手えつないでて」

「いいけど、教科書めくりづらくない?」

「大丈夫」


 匠海さんは私の手を握って、反対の手で教科書をめくった。

 相変わらず私にもたれかかっていて重たいけど、嫌じゃないから、私も匠海さんの方に体重をかけた。

 手を握り返したら、太い指で手のひらを押された。

 互いの手を、にぎにぎとつかみ合う。

 いつの間にか指が絡んでいて、全然小説に集中できない。


「匠海さん勉強してる?」

「してない」

「ダメじゃん」

「詩音ちゃんをうちに連れて帰れるのが嬉しいから」

「もー」


 体を起こして匠海さんを見上げた。

 甘ったるくて優しい顔で私を見ている。


「そんな顔したってダメだよ。匠海さん、休み明けには試験なんでしょ?」

「俺、どんな顔してる?」

「んー、ペロペロキャンディみたいな顔してるよ」

「なにそれ」

「秘密」


 もう一度、座席にもたれかかった。

 絡んだままの指を、そっと握り直して、匠海さんの腕にくっつく。

 小説は諦めて、スマホをポケットに戻した。

 さっき買ったココアを飲みながら、流れる景色を見る振りをして、窓に映った匠海さんを眺めていた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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