直後のざまぁは神(偽)による
2022年7月18日pixivにて投稿したものを転載する。
神々の存在が下界の民の生活を左右し、その恩恵を満遍なく受けとるものたちは派閥、財閥を作り、接点を持たぬものは負け組として暮らす世の中。
上流階級という神に愛された人々が何をしようと、しもじもは粛々と従うのみ。
それが、例外のない世の中の摂理であった。
「十津川メイコ! 君との婚約は破棄する!」
その言葉に、会場はどっと爆笑に包まれる。呆然と立っているのは言い渡された当人だけで、なんなら言い渡した本人すら嗜虐の喜びに顔を歪めている。
まるで、豚の血をぶちまけられたように固まって、怯えて、立ち尽くす少女には、なんの後ろ盾もない。
だからこそ、新興財閥の一人息子、友永ユージは、巷で人気の婚約破棄を実践してみたのである。君には余人に変えがたい美しさがあるなどと、それらしいシンデレラ物語を一人で演出して。
そして、創設パーティーの出し物としてのこの仕打ち。誰一人として、少女に同情するものはなかった。神ですらーー彼女がすがれる神などいなかったのだがーー眼中になく、なんの救いもなく、一人の少女は壊れようとしていた。
だからこそ、壊れ行く彼女に、何かしら、だれかしらの魂が吸い込まれていくのが見過ごされたのであろう。
「さて、下賤なものがいつまでもここに陣取られても困る、早々に出ていってくれないか」
追い討ちをかける少年に、メイコはゆっくりと顔をあげてうなずく。皆の嘲笑を引き受けながら出口に向かい、くるりと振り返って一言。
「ーーひれ伏せ」
全身を叩きつける鈍い音があちこちから聞こえてくる。あるものは床に、またあるものはテーブルを巻き込み。天井のシャンデリアさえ揺らす地響きと共に、一人の少女に出席者が首を垂れる。
「言霊……!?」
「誰が言葉を許したか」
少女の言葉に口を縫い合わされたように、なにも言えなくなる。
これが、友永財閥の没落の始まりであったと、後世は語る。
言霊を操ることができるのは、神でしかあり得ない。その、人智を越えた存在を怒らせた時点で、命運は決まっていたのである。
少女が会場を出ていき、その言霊の効力が切れたのを確認した途端、喧騒に包まれる。少女への謝罪、可能ならこちらの勢力に引き込むこと、あちこちでショルダーフォンが鳴り出す。
「ユージさん 」
声をかけたのは少女の義理の弟で、今回の仕掛人である。友永は弁明を行おうとする悪友を容赦なく蹴り倒し、踏みつけ、何度も腹を蹴り飛ばした。
自分が継ぐはずだった帝国が瓦解することを、誰よりも知っていたからであった。
メイコはエレベーターに乗り込み、何度も一階へのボタンを押した。ガラス張りのハコの中から外を見下ろし、ぐるりと中を見回して、鏡の前で視線を止めた。前のめりになる体を支えるように腕を伸ばし、お互い額がくっつくような形ですまん、と小さく呟く。同時にエレベーターが到着を伝えてきて、彼女は足早にホテルを出た。
「どこか居場所、あったかな」
確認するように呟いて、コツコツと額を叩く。やがて行先を決めた彼女は、迷いのない足取りで電車に乗り込んだ。目を瞑り、腕を組み、どっしりと構える少女の姿に、誰もが少しだけ好奇の色を寄せたが、何となく近寄りがたいものを感じて、遠くから視線を寄越すだけにとどめる。
メイコが降りたのは、自宅の最寄り駅だった。しかし、家に帰るのではなく、バスに乗り込んで、今度は市役所の前で降りた。住民課の前にふらりと現れたメイコに、慇懃なだけの公務員が応対した。
「ご用件は何でしょうか?」
「ああ、その――」
メイコはいったん口ごもり、悩んだ末に言う。
「『巫女』になったか否か……判別してもらえるのはここだと聞いていたんだが?」
「確かにそうですが……何か、証明できるようなものは?」
胡乱な目を向けられたメイコは、ホテルの会場を再現して見せた。強かに膝を打ち付けた担当は、慌てた様子で電話を手に取った。
友永グループの大失態が外部に漏れ、同業者から嘲笑されるのと同時に、十津川家はほとんどお祭り状態だったと言える。自分の家から『神の宿る子』が誕生するということは、勝ち組になったも同然ということである。
神の宿る子らは社省に審査され、その神格が確かなものであると証明されると、神をお迎えするにあたって、と国立の専門学校に通うことになる。それ以後は引く手あまたで、どこかに就職するなり、祀り上げられるなり、はたまたどこかの社に巫女として勤めるなりと道が拓ける。
なんにせよ、この世界では神が人に宿るし、人に宿る神は、家全体の格も上げる。恩恵は本人のみならず、周囲一帯に与えられる。
それが常識であった。
「巫女の一人暮らしを要求する」
だからこそ、義理の娘の口から飛び出した言葉に、母親と、少女の弟は凍り付くこととなる。
男のような仕草で椅子にふんぞり返る、言霊を操る何者かは、役所が慌てて送りつけた使者に要望を語った。
「この娘にとって義理の母と弟は害悪でしかない。俺はその様子をこの娘を通して見守っていた。そして今、そこの愚弟が行った友永グループの悪質な『余興』によって、メイコという少女は表に出てこられなくなっている。もしも不用意な怒りを買いたくないのであれば、そこの母子と、この場にいない実の父親、そして友永グループの味方をしないことだ」
「そんな……私が何をしたって」
口ごもる義理の母の顔色は悪い。ただでさえ厚化粧なのに、今では血の気が引いて、蝋人形のようになっていた。そちらの方に視線を向けると、反射的に俯くその態度がすべてを物語っていた。
「父親と再婚してやったのはお情けだと。本来なら上流階級に属していたのに、中流どころか下流の家に入らねばならなかったと、随分熱っぽく語っていただろう。よかったじゃないか。お家再興のために厄介払いできて」
それは、と口ごもる母親と、今にもぶっ倒れそうな顔をしている弟。顔が腫れ、家に帰りつくまでに相当の『見返り』があったらしい。
「許してください!」
突如体を投げ出して、弟が額を床に擦りつける。
「友永グループ、いや、友永に、脅されていたんです! その、姉を――いやその、とにかく――使わせろ、と。財閥が相手では、とても、僕の力で反抗することなどできなくて……!」
「ふうん」
メイコに宿った男神は鼻を鳴らして子供を見下ろす。
「お前のそれは、神の慈悲を乞うという奴なのか?」
「もちろんです!」
「なら、真実を語ることもできるはずだな。『一言一句、真実だけを述べろ』」
「俺が友永に提案したんです!」
叫ぶように言った弟の額には血管が浮かび上がり、今にもはちきれそうだった。泣き顔が、すべてを通り越して笑顔にすら見えた。
「姉を使ってほしいと! 姉をどんな目に遭わせてもいいから、その分、こちらに便宜を図ってほしいと!」
弟は、止まらない自分の口を塞ごうと、拳を突っ込もうとしていた。閉じようとする歯が拳に食い込んで血が噴き出す。それを無情にももう片方の手が払いのけ、言霊の宣告通り、真実を紡ぎ続ける。
「もともと友永の、本当の婚約者が、姉のことを好かなかったらしくて……何とかして恥をかかせたいと、常々……!」
あんた、と怒鳴った母親が、役所の職員の前で弟を張り飛ばす。鋭い音に、職員が居心地悪そうに体を縮める。弟は泣き笑いのまま喚くように、
「母ちゃんだって言ってたじゃないか。姉さんのことは嫌いだと。俺だって大嫌いだった。なのに、どうして、貧乏人のくせに、神が宿ったりしたんだ」
「本心を語らせておいてなんだが、大したものだな」
メイコはグラスになみなみと麦茶を注ぎ、一気に飲み干した。
「言霊を操ることができる存在に、嘘をつこうとしたとは、大した度量だな。もっとも、そのおかげでお前たちの本心はよく理解できたが」
神は言う。
「訊いた通りだ。なんとも素敵な家庭の中で、俺は一人の少女に宿ったというわけだが、中々壮絶な人生を送る少女を救う神がいないというなら、まさしくこの世に神はいないと言えるだろうな」
実際、同じような境遇の子を救う神はいないのだろうが。
その呟きは、彼女の口の中だけで溶けて消えた。
役人が職場へ戻り、居たたまれなくなった母子が部屋へと引っ込み、リビングには少女だけが残された。彼女は拳大のキューブアイスをグラスに浮かべ、ひっきりなしに麦茶を注ぎ、飲み干した。外行きの装いと来ていた制服のタイを少し緩める。
やがて、会ってくれるまで鳴らし続けてやると言わんばかりの、連打のチャイムがリビングに鳴り響いた。嘆息した神の宿る少女は、玄関のドアを開けた。
「この度は、大変申し訳ありませんでした!」
フラッシュと共に倒れ込むように土下座する二人の男。友永財閥の社長と、少女を弄んだ息子だった。
「息子のしでかしたことは慙愧に耐えません。人間として、到底許されないことです。ですが、私もグループ百万人を抱えている身として、お慈悲を賜りたく、謝罪に参りました」
腰に手を当てた少女は、恐る恐る顔を上げる男たちに、顎で家の中に入るように示した。
テーブルを挟んで、二人と対峙する。社長の目は忙しなく動き、おぼっちゃまはうつむいたままである。少女は頬杖をついて、相手の言葉を待った。
「今回の出し物は、息子に一任しておりました。誇り高き友永財閥の記念に相応しいものとなるように口を酸っぱくして言いつけていたのですが……十津川メイコ様やあなた様にご迷惑をおかけする結果となりました」
「一任して、チェックも何もしなかった、と?」
「いえ、その、息子に、押し切られまして」
どうやら責任の所在は、すべてこのバカ息子へと向かうらしい。ちらりと視線を切ってみれば、俯いたまま屈辱に震える少年が一人。動揺しきりの初老の男からしても、庶民に対してあからさまな侮蔑があったに違いない。
「その結果、俺の娘は心に傷を負った。そもそも、慈悲を乞うような真似をするなら、人間として超えてはいけない一線くらい、認識していて当然だと思うが」
「もちろんです。ですが」
「もう済んでしまったことだから、あとはグループの問題にならないように終わらせたい、と?」
「いえ、まさか……!」
「なあ、一つ聞かせてくれ」
相手の言葉を切り捨てるようにして黙らせる。
「今回俺が、この娘の下に現れたのはほとんど偶然のように見られている。実際、役所の人間も半信半疑で――要は、庶民に神のような『高潔な』存在が宿るかどうか、前例がなかった。つまるところ、お前らからすれば何をしてもいい存在でしかなかったと思っていた。だからあんな、最低な出し物で笑っていられた。だがネズミにかまれてお前らはひどく焦っている。それだけのことを、何とか言葉を並べ立てて隠そうとしている」
うんざりだよ、と少女は立ち上がった。
「言霊によって宣告する。お前の、友永財閥は今後絶対に繁栄することはない。人の心を平気で踏み躙るような、そのくせ自分たちの心は守ってほしいと願うような企業に、明日はない。これから俺のように、庶民の間からも神は生まれてくる。お前たちは、その逆鱗に触れた最初の財閥だ。光栄に思え」
二人の顔は、既に土気色になっていた。
神々は、基本的に争うことはない。そもそも破滅の宣告を行うこと自体がないが、仮になされたとして、言霊を打ち消す言霊などないし、一つの居場所に固執するような存在ではない。どこかが滅べば、また新たな場所に向かうだけだ。
友永財閥は、もう修復不可能だと言ってよかった。
「……この愚息を捧げれば、愚息の命を捧げれば、先ほどの言霊を取り消していただけませんか!?」
「お前の息子にそれ程の価値があるのかどうか、今一度自問してみるんだな」
最後の来客が消え、彼女はため息と共にイスに深く腰を落とした。
すまねえな、というつぶやきが、誰かに聞かれることもなく壁にぶつかって吸い込まれる。
厳密には、彼は神ではない。
この世に限りなく似た世界からやってきて、たまたま少女の体に流れ着いただけの青年であった。だが、世の理は彼に言霊を与えた。だからこそ彼は、庶民の中から神が現れたかのように振る舞うことができた。
これからどうなるのか、彼は天井を睨む。少女は消えたまま、青年だけが取り残された。少女の名誉のためにしてやれることは今のところない。少女が戻ってきたときにできるだけ住みよい場所、安寧の場を与えてやることが次の目標となる。
他の神々に正体が露見したときは、どうなるのだろう。青年は目を細める。神を偽り、泰平を乱したと糾弾されるのだろうか。
神ならぬ身の青年にはわからなかった。だが少なくとも、正体がばれないうちは、その行動が許されるうちは、少女のためになんだってしようと、静かに決意するのであった。