第4話 お父様へのお願い
「……おまたせしました。……その、お父様」
俺はさっき会ったばかりの男の前で、フリフリのドレスを身にまとい、若干声が裏返ったまま挨拶した。
……うん、きつい。とてもきつい。
いや、でもアリシェさんがものすごく気合を入れて着付けてくれていたし、実際鏡を見た感じすごく似合っていた。二十年眠っていたことを考えると、いつ仕立てたのかと思ったけど、怖くて聞けなかった。鏡の中の美少女が、俺の思った通りの動きをしなければ、微笑ましく見れるのだろうが……自分のこととなると不気味で仕方がない。
頭を抱えそうになりながらも、極力笑顔で俺は『お父様』に相対していた。
着替えながらアリシェさんに教えてもらったが、俺のここでの『お父様』は、この学術都市と呼ばれるクレイフ市の領主で学術伯の爵位を持つル=リヴレ家の家長をしているらしい。学術伯ってなんだと聞いたところ、都市を領土とする城伯という爵位の領土と規模は同じだが、魔術学院や大学を所有する関係上、税収や序列は並みの伯爵より上らしい。なお城伯という爵位も今は有名無実で諸侯に準じるものとなっているらしい。生前……まだ俺が裕だったころにも、あの手の封建領主は公侯伯子男みたいな序列と対応付けられないと聞いたことがあったので、相当ややこしいのだろう。アリシェさんも、ゆっくり憶えてくださいと言っていたし、今のところは気にしないでおこう。
その『お父様』は、名をアイリ・ティトマール・ル=リヴレと言うらしい。史上最高の魔術師と評判で、俺の身体となっているエリシェンお嬢様が亡くなるまでは魔術学院長を務めていたとのことだ。
あの軽薄そうな神様も言っていたけど、本当に魔法あるんだこの世界。
なるほど、二年かけて防腐処理とか蘇生とかとんでもない言葉が出てきていたけど、そういう人だったんだ、『お父様』は。エリシェンお嬢様が亡くなってから、領主以外のすべての職を辞して研究に没頭していたらしい。アリシェさんの言葉から、相当危ない橋を渡っていたのが感じ取れた。俺の元の世界で言うところの、マッドサイエンティスト、その魔術師版といった感じだろうか。
「う……う……リ……リー……」
そのマッドでマジシャンな『お父様』は、現在俺の前で顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。
「リーシャ!!! そうだよ! パパだよ!!」
突き飛ばされるような衝撃を受けたが、それもすぐに後ろから回された手に受け止められる。つまりこれは抱きしめられているということなのでは。胸に押し付けられているのか視界は真っ暗で息苦しい。
俺は両手をバタバタさせると、締め付けは緩くなる。大きく息を吸い込んだ俺は、お父様苦しいと言いながら『お父様』を見上げた。
『お父様』は一瞬で飛びのいて、両手を前にわなわなとさせながら、俺の顔を見つめていた。せっかくのイケメン? イケオジが台無しである。
「旦那様」
アリシェさんの声に、『お父様』はハッとしたように居住まいを正した。そして落ち着き払ったように椅子に座ると、俺を隣の椅子に案内する。『お父様』は椅子に横向きに座りなおすと、俺と目線が揃うように屈んで、その手で頭を撫でてくる。
「リーシャ、痛いところはないかい? 困ったことでも何でも言って?」
「どこもいたくありません、お父様」
「……パパって」
「お父様」
「パパ」
「お・と・う・さ・ま」
ちなみに、アリシェさんに生前のエリシェンお嬢様が『お父様』と呼んでいたことは聞いていた。俺としてもこの姿でパパ呼びは背筋がぞわぞわするので、『お父様』と呼べるのは好都合だった。
というかこのおっさん、どさくさに紛れてパパ呼びにさせようと画策してるんじゃないだろうか。
がっくりと項垂れるロマンスグレー――ただし今の魅力は八割減だ――を見下ろしながら、俺は溜息をついた。
「お父様、おねがいがあります」
「何だい、リーシャ!? いいよなんでも言って!」
「ひっ」
項垂れた状態からバネのように顔を上げるもんだから、さすがにビビった。『お父様』、目が輝いてる。
気を取り直して俺は、事前にアリシェさんと打ち合わせた通り、『お父様』にお願いする。
「アリシェさ――アリシェに聞きました。わたしが眠ってからものすごく時間が経ってるって。だから、今がどうなってるのか知りたいんです」
ボロを出さないうちにこの世界のことを大っぴらに勉強できる環境を作る。それがドレスを着付けているときに最後に確認したことだった。俺がこの世界のことを何も知らなくても、今勉強中で仕方ないということにして、『お父様』が俺の中身に疑念を持たないようにする。ある程度この世界のことを勉強するまでは、『お父様』と長時間の接触を避けるために勉強と称して引きこもる。『お父様』は領主なので直接教えることは――多分ない、とのことだった。アリシェさん曰く、俺に何もやることがないならずっと膝の上においておくんだと駄々をこねかねないらしいので、何が何でも『お父様』がいたら俺の邪魔になるという状況を作りたい、と。
……駄々をこねるイケオジ。シュールすぎないか?
「勉強したいってことなんだね? でも起きたばかりなんだからもう少し休んでも……なんだったらパパとずっと一緒にいてもいいのに」
案の定である。
俺はひとまず、アリシェさんと練習をした方法で乗り切ろうとする。
「もう、じゅうぶんねたのでだいじょーぶです、お父様。なんにもしないのはたいくつです!」
「……っ」
あ、悔しそうな顔をしてる。アリシェさんの読みは当たったようだ。
「よし、わかった。最高の人材を用意しよう! 魔術学院と大学から一番優秀な教え子を誘か――拉――招聘して、リーシャの家庭教師につけよう!」
ちょ、大事になってきた。さすがに事情を知らない人をつけるのはもうちょっと先にしてほしい。というか、今誘拐とか拉致とか言わなかったかこのおっさん。
「……旦那様、それはもう少し先でよろしいかと。しばらくはわたくしがお教えいたします」
「え? あ、ああ、そうだね。何事も順番があるね。アリシェ、頼んだよ」
「はっ」
……ふう。
何とかアリシェさんの手助けで、俺の当面のやることは決まったようだった。
◇ ◇ ◇
「ちょっと、アリシェさん、やめてくださいっ……!」
「ダメですお嬢様、力を抜いてください。……そうです、いいですよ」
「ひゃっ……そこ触らないで……」
俺はあえなく、アリシェさんに後ろから抱えられて浴槽に身体を沈められていた。お風呂くらいひとりでいいと言ったのに。
――これまで動かしてなかった身体ですから、事故があってはいけません。それに、お嬢様のお世話をするのがわたくしの仕事でございます。
……とかなんとか。
「ふぅ……」
「お湯加減はいかがですか、お嬢様」
「ちょうどいいです」
この身体、本当に動かしてなかったんだというくらい、ちょっと動かすだけで関節がボキボキ鳴るので最初は怖くて仕方なかった。こうしてお湯に浸かると、疲れなのか何なのかが抜けていくようで気持ちがいい。
「ふぁぁ……」
意識してないのに、いや、意識していないからか、気の抜けた声が浴室にこだまする。
「…………」
ようやく落ち着いたところで、片目を開けて下を見る。うん、わかってはいた。感覚なかったし。
「髪をお流ししますので、もう少しもたれ掛かってください」
「あ、はい、アリシェさん」
二十年来の友との別れを惜しんでいるところで声をかけられ、なすが儘にされる。髪をほどいてお湯ですすがれている間、アリシェさんは少し困ったような顔でいる。
「お嬢様、わたくしのことはアリシェと呼び捨てになさってください」
「えー、それは『お父様』の前だけじゃ……」
「とっさのときにボロが出ますので。それに先ほども、旦那様の前で少しさん付けしていましたよね?」
「え、そ、そうだったっけ……?」
「言葉遣いもでございます。まだご自身のことを『俺』と呼んでおいでです」
「……はい」
「それと――」
……結局、心休まる時間は五、六分程度しかなく、髪を洗ってもらっている間、身体を拭いてもらっている間もお小言は続いていくのだった。しかもまだテリー織りが開発されていないらしく、身体を拭くものが綿のタオル生地ではなく平織りの亜麻布しかなく、肌ざわりがごわごわするなど、今後この世界でやっていけるかどうかがより心配になってしまった。
しばらくして、『お嬢様を立派なお嬢様に仕立てよう計画』というそのまんまなタイトルで講習が始まり、アリシェさんも残念枠だったかと考えを新たにすることになるが、それは後日の話である。