第3話 偽りのお嬢様
「……ということが」
豪華な調度品に囲まれ、装飾過多なベッドに横になりながら、切れ長な目のメイドを相手に、自分の声とは思えない高く幼い声で、俺は記憶にあった直前の出来事を伝えた。伝わるのか、それとも相手にされないのか。およそ後者だとは思うが、今は誤魔化しても仕方ない。ありのままを伝えることにした。
「……つまり、エリシェンお嬢様はエリシェンお嬢様ではなく、ユウ・イイノというお方なのですね。勇者としてこの世界に生まれるはずが、なぜかお嬢様の身体になっていた、と?」
「信じてくれるんですか」
「わたくしの知るお嬢様の口調とは明らかに違います。わたくしの顔も覚えておられないようですし――いえ、もう二十二年も経っているので、これは仕方ありませんが」
二十二年だって!? 俺は思わず聞き返した。
「はい。お嬢様が亡くなられたのは二十二年前でございます。防腐魔法をかけながら旦那様が二年で蘇生を試み、息を吹き返しましたが、眠ったまま二十年経っていたのです」
この身体、まさかの俺の元の身体より年上だった。いや、でも眠ってたならもしかしたら……。
「ご安心ください。今のイイノ様のお姿は、お嬢様がお亡くなりになった日そのままでございます」
冷や汗をかいた俺にメイドさんは鏡台から手鏡を取り出してこちらへ向ける。そこに映ったのは黒髪でもブラウンがかった黒目の男性のそれではなく、女の子がいた。さすがに長期間寝ていたせいかさらさらとはしていないものの、少しくすんだ程度で陽光を浴びて鈍く光る長い金色――いや、銀色? ああ、プラチナブロンドだっけ、その色の長い髪。ぱっちりとした両目からは翡翠のような双眸が覗く。可憐な人形というオーダーをそのまま体現したような顔立ちと、成長途中の華奢な身体。それが俺の意思通りに手を口元にあて、息を飲み込むように口を開き、そして閉じられる。
「お嬢様が現在イイノ様であることは納得しましたが、先ほどの説明でわからないことがございます。イイノ様が言う神様の御言葉では、記憶をなくして勇者に転生するのでしたが、どうして記憶が残ったままなのでしょうか」
しばらく俺の様子を窺っていたメイドさんは落ち着いたのを見計らって尋ねてくる。
「俺にも、それは……」
言い淀む俺を待って、メイドさんは「わかったのであれば苦労は致しませんね」と溜息をつく。
「もう一つ。魔王についてでございます。本当に神様は魔王を倒せと仰ったのですか?」
俺が頷くと、メイドさんは首をひねる。
「それがおかしいのです。魔王はそのすでに――」
言葉を探すメイドさんに、俺は思わず唾をのむ。
「魔王は、すでに、勇者によって倒されているのですから」
――え?
今なんと?
「はい、ですから、魔王はすでに二年前に、勇者パーティによって倒されております」
◇ ◇ ◇
メイドさん――この屋敷の家政婦長アリシェというらしい――の言うことを整理すると、次のようなことらしい。
魔物と魔族の王――魔王――と人間族は神話から続く長い間、相容れないもの同士として争い続けていたらしい。しかしあるとき『破滅』を冠する魔王が現れ、人間族と魔族のパワーバランスが崩壊。いくら攻撃されても怯むこともない魔物の群れと、魔王の放つ業火により、いくつもの人間族の国が炎の中に沈んだ。
そんな人々が諦めかけていた二十年前、神託が下りた。曰く、勇者が生まれると。生まれた勇者は魔王を倒すことができるだろう、と。ここから北西にある帝国が勇者を育み、十五歳になったのちに魔王討伐の旅に出たという。各地で魔王四天王と呼ばれた強力な魔族や、魔の遺跡と呼ばれるダンジョンをいくつも踏破し、三年後――今から二年前に世界の最果てにある魔王城で魔王を討ち取ったらしい。
「……ってことは俺の役目って」
――ないじゃん!
あれだけ大仰に……いや、神様の言葉大分軽かったけど、世界救ってほしいみたいなこと言っておいて、こっちもそれなりには覚悟決めてたところ、やっぱりいいわって言われたそんな感覚。俺は起き上がっていたベッドに再び後ろからもたれ掛かった。いや、もう元の親父への加護だっけ? は貰ってたから、仕事がなくなった分いいんだけど。いいんだけど。
だからって女の子の身体にする必要ないでしょうよ。
「――差し出がましいようで恐縮ですが、イイノ様が神様に言われた目的というのは、もうないのですよね?」
「え? あ、はい、そうみたいです」
メイドのアリシェさんは俺の言葉を聞くと、一歩下がって膝を床につけ、頭を下げた。思いもよらない行動に、俺はもたれ掛かったベッドから動きにくい身体に檄を飛ばして跳ね起きる。
「大変申し訳ございませんが、目的がないのでしたら、どうか、旦那様の前だけで構いませんので、お嬢様のフリをしていただけませんでしょうか」
「えっ……」
「お嬢様のままでしたら、お屋敷の――いえ、ル=リヴレ家クレイフ学術伯の一人娘として生活できます。王族ほどではありませんが不自由することはありません」
アリシェさんは頭を下げたまま必死そうな上ずった声で続ける。
「わたくしも権限の及ぶ限りお手伝いいたしますので、どうか、お嬢様を演じてください」
「それで、俺に、その……さっきの男の方に嘘をつけと言いたいんですか?」
「……はい」
小さく震える声だったが、アリシェさんは答えた。一呼吸、噛みしめるようにしてから彼女は面を挙げる。
「旦那様に、もうあの日々に戻ってほしくはありません。奥方様に続き、お嬢様が亡くなってから、先ほどまで、旦那様は笑うこともなかったのでございます」
まっすぐアリシェさんは見つめてくる。それはとても辛そうで、彼女が見てきた雇い主の二十年がどのようなものだったのかが垣間見れた。
何、もう目的もないんだ。嘘をつくのは心苦しいけど、あの人の前だけだし……
……それに、子供を失った父親なんだ。俺は見捨てるとか、事実を突きつけて絶望させるなんてこと、できない。
「わかりました」
床に膝をついたままのアリシェさんに、俺はそう答えた。