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異界小話

赤毛のジニー

作者: 野良ゆき

以前別名で投稿したもののリメイクです。

同シリーズ内の『遺命』を先にお読みいただくことをお勧めします。

 ごめんねぇ、待たせちまって。


 隣、いいだろ? …よいしょっと。

 で? アタシに何の用だい? 見たところアンタ、この辺の人間じゃあ、なさそうだけど…。

 …言っとくけどサ、日雇いのうっすい財布で買えるほど、アタシは安い女じゃないからね。そういう用件なら、他の店を当たって…。


 …違う? なんだ、そうなの? …アンタ、よく見たらちょっといい男だし、交渉次第で…って気分だったんだけど…。ははは、冗談よ、冗談!

 ちょっとね、最近、失礼な客が多くてサ。参ってンのよね。「赤毛のジニー」ってったら、このツヴァイクの港じゃあちょっとした看板だからねぇ。別に自慢してるわけじゃないけどサ。

 で、身の程を知らないケチな野郎どもがサ、噂を聞いて、ちっぽけな皮袋になけなしのゼニ入れてね、やってくるって寸法なワケ。そんなフツーの「相場」でアタシを買えるなんて思ってる奴らにゃ、いつもキツーいお灸を据えてやってるんだ。アタシの「トモダチ」たちがサ。


 …そおだ、いけない、忘れてた!


 ちょっとぉ、みんな! この人、「客」じゃあないんだってサ! だからほら、物騒なモンは仕舞いな! …よぉし、みんないい子ねぇ。


 ははは、ごめんごめん。ひとこと言っとかないとサ、アンタだって「大事な用件」とやらの途中で、後ろからド頭カチ割られたくないでしょ? あはははは。

 …さてさて、それで?

 アタシを買いに来たんでもなけりゃ、どっかの馬鹿が寄越した殺し屋でもなさそうだし…。…もしかして…引き抜き? …でもないよねぇ。アンタ、こんなトコとはまるっきり無縁の人間みたいだし。

 

 …ん?

 どうしてそんなこと分かるんだ、って?

 ふふ。この「赤毛のジニー」さんを舐めるんじゃあないよ。どんなにごまかしてみてもね、その人間のホントのトコってのは隠せないものなのサ。だからね、そんなボロっちいカッコして、精いっぱい着崩して、こういうトコ通いなれてます、って顔つくってみてもね、ダメなんだよ。


 …だいたいね、匂いからしてアンタ、この街の人間とは全然違うから。潮の香りと、汗と安酒、飲み過ぎでゲーゲーやった匂い、それに夕べ買った安い女の白粉の香り…。そんなんがごっちゃになった匂いをしてるんだよ、この街の野郎どもはサ。


 …ああ、ごめんね。アンタの用件とやらを聞かないとね。

 で、なんだって?


 …はあ?

 …アタシの話を聞きたい?

 ただ、それだけのために、この街までやってきたってことかい?


 …物語作家ぁ? アンタがぁ?

 

 …ふぅん、ヒトは見かけによらないもんだねぇ。どっちかってぇと、アンタ、アタマ使う商売より…。あっはっは、ゴメンよ。クチと手癖はサ、全然良くならないんだよ、昔っから。


 …それで? どんなハナシ書いてんの?


 …ふんふん。


 …へぇー。


 ……。


 …「若い船乗りの男が、航海の途中たまたま立ち寄った港町で、娼婦の女に恋をする話」ねぇ…。


 …。


 あのサ。アタシ、文字は読むのがやっとって有様なのね。だから、物語なんて読んだこともなければ、興味もない。そんなんが口を出すのもナンだとは思うけどサ…。

 …なんだか、ありきたりな話じゃないかい、それって。


 で、港町の夜の女が、どんな生活してんのか、わざわざ自分で見にきたってワケだ。…まったくご苦労さんなこって。

 だいたい、アンタどっから来たんだい? なんだか、あんまり聞かない訛りだけど。クロイツ? それともベネデあたり?


 …へぇえ? アルゴル? …って、ヴァンダルの都じゃなかったっけ? 大陸の端っこもいいトコじゃないか!


 …はぁ、呆れてモノも言えないね。相当な田舎モンじゃないかとは思ってたけどサ、まさか、世界地図の端っこからわざわざお見えとは、ね。

 確か、あの辺りは、でっかい戦が終わったあとで、色々大変だって聞くけど…よくもまあ、そんなトコから…。アタシにとっちゃ、そっちのがよっぽど物語じみてるというか、バカバカしいというか…。


 …ふふふ。ゴメンよ、笑っちまって。

 よぉし! アンタのそのバカさ加減が気に入った! 久しぶりに、つまらない昔話をツマミにゆっくり一杯、ってのも面白そうだね。

 …ちょっと待ってて。


 ちょっと、ネビル!

 上の部屋、空いてるでしょ? 使ってもいい?

 …バカ、そっちの部屋じゃなくて「一等客席」のほうよ。この人「客」じゃあないんだからサ。

 …はいはい、じゃ、使わせてもらうからね。


 …ってことで、ハナシはついたから、もうちょっと静かなトコに行こっか? こんな騒がしいカウンターじゃ、落ち着いて話なんかできないからサ。


 さ、こっちだよ。ついてきて。


 …階段、急だから気をつけな。…おい、ちょっと、こんなトコで寝てんじゃないよ! ほら、どきな!


 ……どお?

 ちっちゃい部屋だけど、ちょっと凝った内装だと思わない? 一等客船の船室を真似てるってハナシでね。んで、よっ…っと…。ほらほら、窓から港が見渡せるんだよ、なかなかの風情でしょ?

 いつもはエライさんたちが話し合いするのに使う部屋でサ。

 …まあ、エライさんって言っても、密貿易の元締めとか、そういうロクでもないのばかりなんだけど。


 さぁて、じゃ、なんか適当に飲めるもん持ってくるから、ちょっと待ってて。


 いいっていいって、そんな気ぃ遣わなくても。今日はアタシのオゴリでいいからさ。


 …いいかい? この店はね、アタシのお城なんだよ。んでもって、アタシはお姫さま。

 お城のお姫さまが、旅の貧乏作家どのにディナーをおごらせたなんつったら、体裁がわるいじゃないのサ。

 わかったら、そのラグレー銀貨は帰りの船賃にするか、ペンと紙とインクを買うためにとっておくんだよ。


 …よし、聞き分けのいい子は好きだよ。じゃあ、ちょっと待っててね。


 ……


 ちょっとバーテン! 棚のヤツ、何本かもらっていくから!

 …何よ、ネビル。カタいことは言いっこナシよ。アタシたちの稼ぎでこの店は回ってるんだから、当然の報酬じゃないのサ。

 …。

 ……もう、わかったわよ。今度ね。こ・ん・ど。

 そのかわり「アルゴー」の十五年物、持ってくから。

 つべこべ言わないの! そんな安酒数本じゃ、フツウは買えない女だって知ってるでしょ? 大安売りよ。

 あっはっは! そんじゃね。


 ……


 おまたせー。

 ちょっとサ、悪いんだけど、ボトル何本か受け取って、テーブルの上に置いてくれないかな? さすがに六本は持ってき過ぎだったかねぇ?


 よい、しょっと。ああ、うん、そこでいいよ、ありがとね。

 果実酒だけど、イケる?


 …そ、よかった。


 じゃあ、始めますか。ほら、アンタも座った座った。


 …ん? グラス?

 あはは、港の女はね、そんなヤワな飲み方はしないの。ボトルごとよ、ボトルごと。さあ、あんたもひと瓶持って。


 よぉし、じゃ「赤毛のジニー姫」と、愛すべき「旅の三流作家どの」の出会いに! かんぱーい!


 ……っはぁ! …なんだ、いい飲みっぷりじゃないか。結構イケるクチみたいだね、アンタも。

 …ん? どしたの? 何だかシケたツラしちゃって。


 …ああ、下でのやり取りか。聞こえてたんだね?


 …まあ、ね。アンタみたいなマトモな人間にとっちゃ、自分の体で酒代払って、人におごってやるって奴ぁ、珍しいんだろうけどね。…そんな目で見たくなるのも、分かるよ。


 いや、いやいや、違う違う。別に責めてるんじゃないんだよ。ホントのことだし。

 アタシはね、自分の商売を恥ずかしいなんて思ったことは、一度もないよ。食べるために、女が身体を売り、男が女房や娘を売っぱらい、浮浪児が人殺しをする…。そんなことが当たり前の街だからねぇ。そこまでしたって、結局食っていけなくなるヤツだって、たくさんいるんだ。

 それにひきかえ、アタシはカネも食べ物も、この「アルゴー」の十五年物だって、自分の体ひとつで手に入れることができる…。これってサ、幸せな生き方だと思わない?


 …わかんないかなぁ? うーん、わかんないだろうねぇ、やっぱ。


 ふふ。まあいいってことよ。そんなに落ち込んでくれなくてもサ。

 さあさあ、ぐっとやりなよ。

 …聞きたいんだろ、ハナシ?

 アタシの…武勇伝をサ。



 …さて。

 ……。

 …はは。いざ話すとなると、ねえ…。何から話せばいいのやら…。

 ……アタシが、この街に来たのは十三のときでね。

 売っぱらわれたんだよ、実の父親にサ。

 …あいつは、酒代のツケと引き換えに、アタシを娼館に売ったんだ。

 で、まあ…その後の詳しいハナシは、アンタにゃ刺激が強すぎるだろうからサ、ははは、ちょいと省かせてもらうけど…。売られて二、三日で、カタギの世界とはサヨナラさ。シケた場末の娼館で、いろいろと仕込まれて、ね。

 で、その娼館の主人がひでえ男でサ。アタシたちがいくら稼いでも、九割がたは持って行っちまう。病気なんかで働けなくなった女は、容赦なく追い出されるしサ。女たちへの暴力も、日常茶飯事だった。

 …幸い、っていうかなんて言うか、アタシはすぐにその店の看板になったからね。そこまでヒドイ目には遭わなかったんだけど。…アタシと同じように、親に売られたり捨てられたりした女たちが、虫けらみたいに扱われるのが我慢できなくてね…。

 で、その辺の土地を仕切ってた親分さんを色仕掛けで落としてサ。親分さんが経営してる店に引き抜かれてやるかわりに、他の女たちに娼館以外の職を与えてやってほしいって、頼んだワケ。

 …そしたらねぇ、数日後、その娼館のオヤジ、裏通りの用水路に、冷たくなってぷかぷか浮かんでたよ…。


 …ちょっとちょっと! やだよ、またそんな目ぇして!

 別にアタシは「殺してくれ」なんて頼んだワケじゃないんだよ。親分さんたちが勝手にやったことなんだから。

 …ざまあみろ、って思ったよ、正直。でもサ、イヤっていうほど思い知りもしたね。ああ、アタシが生きてる世界って、こういうトコなんだな、って。もう、カタギの世界には戻れないんだな、って。

 この街に売られてきて、そん頃にはもう何年か経ってたんだけどね…。それまでにアタシが知ってたよりも、ずっとずっと暗い、この街のホントの顔がサ、チラッと見えたような、そんな感じだった。


 …ふふふ。


 …ああ、いや、ごめんよ。

 ……照れくさいもんだな、って。自分の昔話するってのは…。シラフじゃとてもやってらんないね。


 …うん? 今まで取った客の数? ははは、バカだねぇ、そんなもんイチイチ覚えてるわけないじゃないか。

 …でも、まあ、多分アンタが思っているほど多くはないんじゃないかな? どうにも気分が乗らない相手は、振っちまうことのが多いんだし。


 …あ、信じてないね、その顔は。


 いーや、娼婦なんて結局、金次第でどうにでもなる、なんて思ってる顔だよ、アンタのその顔は。

 アタシほどの女になるとね、そういう気まぐれだって許されるモンなのサ。「買われるんじゃなくて、売る」がアタシの商売方針でね。だから、相手がいくら買いたいって思ってても、こっちがその気にならないなら、売ってやる義理なんてないのサ。

 …ま、あんまり好き勝手やりすぎて、親分さんに怒られたこともあるんだけど。でも、その辺はサ、譲れないわけよアタシとしても。結局、親分さんのほうがサジ投げてね、「稼ぎさえ上げてくれりゃ、細かいことは言わねぇよ」だって。


 …あ、そうそう、気乗りしない相手と言えば…。

 何年か前に、アタシの噂を聞いて、ベネデのなんとかって貴族が、わざわざこの街まで来たことがあってね。店に使いを寄越してサ、「どこそこの宿に逗留しているから、来るように」なんて言いやがるの。

 その使いの態度もね、「たかが商売女風情が」ってカンジでサ。もう、気分悪いったらなかったね、あん時は。

 ぜっったい行くもんか! って、思ってたんだけどね。でもほら、さっきカウンターにいたでしょ、店主のネビル。アイツ、カネに汚いからサ、「こんな上客中の上客、めったに捕まんねぇんだから」って、なだめたりすかしたりされて。

 で、結局、渋々ながらも訪ねて行ったワケよ。

 まあ、それでもね、せめて相手がいい男なら、我慢もできたんだろうけどサ…。

 その貴族サマってのが……「バーバ鳥の丸焼き」って、ヴァンダルにもある?


 …そうそう、それそれ。炙りながら蜜油を何層もたっぷり塗り重ねていくアレよ。…ちょうどあんなカンジで、でっぷり肥えているうえに、脂ぎってて、てらてらしてんの!

 んで、そいつ、アタシのこと、頭のてっぺんからつま先まで、舐めまわすようなやーらしい目で見てサ。ニヤニヤ笑いながら、隣の召使が持ってた銀盆から、腸詰みたいな指で、まっかっかでスケスケでお下品な感じのドレスを摘まみ上げてね。「着てみろ」って、アタシの足元に放りやがったの!

 もう、それで完全にアタマに来ちゃってサ。「てめえで着やがれ!」って、ダボ腹に一発、蹴り入れて帰ってきちゃった。

 なんだかその後、わざわざこの店まで来てぎゃーぎゃー文句言ってたみたいだけど、ウチの若い衆いスゴまれて、次の日、大人しく国に帰っちゃったんだって。

 そのときだよ、親分さんに「あんまり好き勝手にすんじゃねぇ」って怒られたのは。…ネビルの野郎が告げ口したに決まってるよ。

 …まあ、その丸焼き野郎ほどではないにしろ、結構多いんだよ、「たかが商売女」って言って、ハナからこっちをナメてるヤツがサ。まあ、そういう手合いにゃあ、手も握ってやらずにハイさよなら、モレなく振って差し上げることに決めてるんだけどね。あはははは。


 そういう無礼なヤツ以外にもサ、なんだかおかしなヤツとか、こっちがゾッとしちゃうようなこわーいカンジのヤツとか…妙なのは色々いたよ。

 …騎士さまに求婚されたこともあったっけ。


 …って! 何、噴き出してんのよ、きったないねぇ!

 …まあ、不釣り合いなのは分かるけどサ。アタシと騎士さまじゃ、ね…。


 …なーんて、ははは、冗談よ。騎士は騎士でも、そいつ「ニセ騎士」だったんだから。

 …二年くらい前だったかねぇ? そいつ、まだ坊ちゃん臭さが抜けてないヤツでさ。旅の途中でこの街に寄ったかなんかで、何度かこの店に飲みに来てたんだけど、ある時、アタシの手を、こう両手でグッとつかんでサ、「僕と結婚してくれないか?」だって。

 「アタシは高いよ」って答えたら、「君の永遠を購うのだから、望む額を言ってくれ」なんて、気取った物言いしちゃって。

 ちょっとからかってやろうと思ってね、言ったのよ。「そうね…騎士さまのその両足のブーツいっぱいに金貨を入れて持ってきてくれたら、考えてあげようかしら?」って。

 そしたらそいつ、一瞬、顔が真っ青になったと思ったら、見る見るうちに赤くなってきてサ、あははは。

 「領地まで取りに行ってくるから、待っていてくれ!」って、顔中汗まみれにしながら言うのよ。で、店出ていくときにこっち振り返って、「待っていてくれ! き、騎士はウソはつかない!」だって!

 扉が閉まると同時に、もう、店ん中、大爆笑よ。


 他には、ねえ…。

 …酔っぱらった船乗りにさらわれそうになったこととか…?

 仲間の船員たちの前で、アタシがちょっとつれなくしたのを根に持ってサ。野郎、アタシを船にさらって、誰にも邪魔されない海の上で仕返ししてやろうってハラだったらしくて。

 …危なかったよ、あん時は。もう少しでフカの餌になるところだった。


 …あとは、そうだねぇ…。

 …覆面の男、とか?


 いやいや、本当なんだって。こーんな、でっかくて真っ黒な覆面つけててサ。

 最初は店の連中も警戒してたんだけどね、そいつがやけに金払いのいい男でサ。散々おごってもらっちゃったもんだから、あっという間にみんな意気投合しちゃって。

 …単純で調子のいい奴らなんだよ、港の男どもってのはサ。

 で、アタシもベロンベロンに酔っぱらってね。いい気分でいたところに耳元でささやくんだよ、その黒服面が。

 「もし、もしもだよ。さる国のお妃様にしてやるって言われたら、君はどうする?」って。

 …何の冗談だ、って、笑いながらそいつの顔見たらサ、覆面の向こうの目がね、ぜんぜん笑ってないんだよ。…いやぁ、怖かったね、あれは。

 でも、それに気づかいないふりして「いいねぇ、お妃さま! でも、アタシにゃ今の生き方が一番のお似合いだよ!」って言ったら、そいつ「また明日も来るよ」って、アタシの手にたっぷりと銀貨を握らせて帰ってった。


 …ん? その後?

 …結局、翌日も、その後も、そいつは店に来なかったよ。

 まあ、来たくても行けなくなった、ってのが正確なところかね?


 …その覆面野郎、店に来た翌日の早朝、兵隊にとっ捕まって、その日の夕方には街の広場で処刑されて、首と胴が離れ離れサ。


 …なんでも、お家騒動がらみだったらしいけどね。色仕掛けで王さまの寵愛を今のお妃から奪い取ろうって…まあ、三流作家さまでもそうそうネタにしないような、ありがちな筋書きだったとか。


 …そうなんだよ。その、色仕掛けで王さまを落とす役どころして、あの覆面、アタシに目ぇつけてたのかもしれないんだよ。…まあ、結局どんだけ調べても陰謀を裏付ける証拠のひとつも見つからなかったらしいし、覆面のほうもどんなに痛めつけられても、ひたすらだんまりだったそうだから、今となっちゃ、ホントのところは闇の中なんだけどサ。

 でもねえ…もし、あん時、アタシがアイツの話に乗って、すぐさま「お妃になりたい」って食いついてたら…。どうなってたんだろう、って考えることがあるよ、今でも。



 …さて、どうだい?

 三流物語の参考にはなりそうかい?


 …あっはっは、ゴメンよ、さっきから「三流」「三流」ってバカにしちゃって。なんせアタシは昔っから―


 そうそう「クチと手癖は良くならない」んだよ。あはは、先に言われちゃったねぇ。


 ん? まだ、何か聞きたいことがあるのかい?


 …客の、名前?


 …覚えてないねぇ、誰一人。残念ながら。

 どんな客が、どんなことをしたのかってのは、結構覚えてるんだけどサ。

 …まあ、だいたい、アタシら商売女にとっちゃあね、客がどこの何某だろうがどうでもいいことだし、知らないほうがいいってもんなのサ。

 どんなに大金を積まれようが、宝石や服を贈られようが、優しくされようが、結局、野郎どもの目的はひとつなんだからサ…。その目的を叶えてやるかわりに、アタシたちは相応のモノを頂く。それだけで、いいんだよ。余計なことは知らなくてもね。相手がどこの誰か、なんて、そんなのは邪魔くさいだけだよ。アタシたちにとっても、客の男どもにとっても、ね。だから、こちらから客の名前なんて尋ねることはないし、向こうから名乗ってきても、すぐに忘れるようにしてんのサ…。



 おや? もうお帰りかい?

 

 …そっか、帰りの船の時間じゃしょうがないね。

 ……じゃあ、サ。最後に、今度はこっちからひとつ、聞いてもいいかい?


 アンタ…何者だい?


 モノ書きなんてのはウソっぱち、ホントは、兵隊さんかなんかじゃないのかい?


 ははは、図星だね。いや、ごまかさなくていいんだよ。


 …モノ書きに化けるならね、まずそのゴツゴツした手をどうにかしなきゃ。手のひら中にそんなタコ作ってたら、普段握ってんのはペンよりもずっと太いもんだって、すぐわかっちまうだろ? でも、鍬や鎌って筋肉の付き方じゃない。頭の横や後ろの毛だけが縮れてるのは、普段から頭を覆う硬いものを被ってるからだろうし、それに、手持ち無沙汰なときに左手で腰のベルト辺りを掴む癖もやめたほうがいいよ。左腰に物騒なモンをぶら下げてる人間がよくやる格好だ。それに…


 …もう充分? あ、そう。

 …で? 兵隊さんが、身分を偽ってまで、こんな商売女に何の用だったんだい?


 ……そっか、話したくないんだね。じゃ、まあ、いいよ、それで。


 アンタがどこの誰であっても、そんなのどうでもいいことサ。

 アンタはアタシの話が聞けたんだし、アタシは久しぶりにたっぷりと昔話をして楽しかった。お互いに満足できたんだから、それでいいだろ。


 …気を悪くした?


 ……そっか、よかった。

 まあ、気をつけて帰りなよ。


 …ははは。いいよ、礼なんて。アタシは十分楽しかったから。



 ……。

 …ちょっと、待ちな。


 …いや、ね。

 大したことじゃあ、ないんだ。…ははは、ちょっと酔い過ぎたかね。

 …昔話のついでに、サ、もうひとつだけ聞いておくれよ。


 ……ひとりだけ、たったひとりだけ、いるんだ。…名前を覚えてる客がサ。


 ほら、例の…「ニセ騎士」だよ。


 …まあ、それだけだよ、言いたかったのは。

 …さっき「誰一人覚えてない」なんて、言っちゃったから。…キライなんだよ、ウソつくの。


 え?


 ……大した理由じゃないよ。てんでつまらない話サ。


 …初めてだったんだよ、考えてみれば。

 アタシを、自分と対等の人間として…欲求のはけ口とか、仲間に見栄を張るためとか、役立つ道具とか、そういうんじゃなくて、ひとりの…女として扱ってくれたのは。…アイツが初めてだったんだよ。

 あれから、店の扉が開くたびに、もしかしたらアイツが帰ってきたんじゃないか、って、カウンターの奥から背伸びしたりして…。ホント、バカだよなぁ、アタシ。

 親に捨てられて、売られた先で無理やり「女」にされて…。もう絶対に男になんてだまされないって、思ってたのにサ…。あんなホラ話にときめいちまうなんて…。情けなくて、腹が立ってくるよ。

 …でも、ね。

 「絶対に迎えに来る」って、顔真っ赤にして出ていくアイツのこと、他の客と一緒にゲラゲラ笑いながらもサ……嬉しかったんだよ、本当に…。



 …ははは、らしくないや。どうも、飲み過ぎると涙もろくなっていけないね、最近は。

 …さ、これで話は今度こそオシマイ。悪かったね、引き留めちゃって。


 …名前? そいつの?

 ……ロンドル、だよ。

 ガキ臭さの抜けない顔に、そばかすが山盛りで…きれいなブロンドの巻き毛をしてたっけ…。仲間内じゃ「そばかすのロン」なんて呼ばれてるって、言ってたねぇ。


 …え?

 これを、アタシに…?


 …。

 ……!

 これ…金貨じゃないか! それもこんなに!


 ……ロンが、騎士団?

 …アタシが、アイツのことまだ覚えてたら、これを渡すように頼まれてたって…?


 …そう…騎士団の給金を貯めて……。


 …。


 …なんだよ、やっぱりアイツ、ホラ吹き野郎じゃないか…。

 何が「領地まで取りに行ってくる」だよ。…これだけ貯めるのに、二年も…二年もかけやがって…。


 …やっぱり飲み過ぎだ、どうもいけないねぇ…。

 「赤毛のジニー」がベソかいてるなんて知れたら、港中の男が腰ぬかしちまうよ、へへへ…。


 ねえ、アンタ。

 アイツの…ロンの知り合いなんだろう? だったら教えておくれよ。


 …ロンは…「騎士さま」は、いつお姫さまのもとに帰ってきてくれるんだい?





おしまい

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