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紅蓮のロジリア 〜喀血聖女と棺桶王子〜  作者: 森戸玲有
エピローグ
39/41

1

◆◆◆


 結局、あんな得体の知れない代物を兵士の前で創りだしてしまった挙句、あまつさえ『聖杯』はセツナだったという、とんでもない答えを突き付けられてしまったミガリヤ王は、気力を失い、セツナが今回のことは、問題にしないと確約した途端、すんなりと解放した。

 エレカとマークの姉弟、その家族もあっさり回収して移住の手伝いをすることになったセツナは、しかし、安堵するどころか、馬車の中で不機嫌そのものと化していた。


「……疲れた」

「…………申し訳ありません」


 ロジリアは、セツナに膝枕の刑を受けながらも、素直に詫びるしかなかった。

 セツナに策の一環として、嬉し涙を流すよう仕向けられたことは、ロジリアとて、いまだに不本意だったが、結果的に彼の機転がなければ、生き残ることもできなかったのだ。


(仕方ないじゃない)


 とりあえず、何を言われても笑顔で対応するしかない。

 傍らで、ミッシェルが手本のように、恭しく頭を下げている。

 三人だけの馬車は、ヒースロッド家の反省会から、セツナに詫びる会の様相を呈していた。


「腕が……折れた」

「重い剣を持ったからですね。分かります」

「女中やその家族の面倒まで、私が見ることになってしまったではないか……」

「大変、感謝しております」

「これから、叔父上との関係も、面倒になるぞ」

「円満解決を、願っております」

「あーミガリヤにも、ある意味、喧嘩を売ってきてしまったし……」

「あの国は他国と戦争できるほど、財力ありませんって」

「お前、適当に言ってないか?」

「殿下は私にくどくどと文句を言うために、生かしたということなので……」

「……姉さん。誠意と辛抱」


 ミッシェルが、ロジリアのドレスの裾を引っ張った。

 いけない。

 つい、喧嘩腰になってしまう。


(殿下は命の恩人なのよ)


 ロジリアのせいで寿命も縮んでしまっているのだ。

 出来る限りのことはしたいと誓ったはずだ。

 たとえ同じやりとりをもう何百回も繰り返したような気がしていたとしても……。

 それなのに、元気になった途端、元の性格の悪い面が出てしまうのが、我ながら痛ましかった。

 自分の固い膝に頭を乗せて目を瞑っているセツナは、やはり眉目秀麗で完璧な芸術品のようだ。

 どうして、ロジリアは近づくのも憚られるような高貴な彼に、いつも悪態をつきたくなってしまうのだろう……。


「ああ、もう、私は車酔いで吐きそうだ」

「御者さん、止まって下さい」


 すぐさま、ミッシェルが馬車の中にぶら下がっているベルを鳴らした。


「ああっ、残り少ない寿命で……まさか、こんな激しい運動をすることになるとは……」

「……ええ。はい、そうですね。全部、私のせいということです」


 一体、このやりとりをどこまで続けるのか?


(殿下は私に精神攻撃をして、早めに生涯を閉じさせようとしているんじゃ?)


 そんなことを、ロジリアが本気で考えていると、ミッシェルの求めに応じた形で、馬車が急停止した。


「いたたたっ」


 身体を起こそうとしたセツナが座席の背凭れに、頭をぶつけた。

 馬車の扉が開く。


「もうサフォリアに着きますよ。いい加減、私も仲間に入れてくれませんかね。殿下?」


 黒髪長髪の妙齢の女性が、にこやかに話しかけてきた。


「だれ?」


 ロジリアとミッシェルは、互いに抱き着かんばかりに、驚愕した。

 黒い花柄のバックスタイルのドレスを、綺麗に着こなしている。

 一目で、身分の高い女性だと分かる典雅な立居振舞いをしていた。


「ああ、先程、ようやく、こちら側の御者と入れ替わったんですよ。お二人共、私とお会いするのは、初めてかしら? ふふふっ、驚きますよね」

「…………誰なんです?」


 ロジリアが目を眇めていると……


「聖女だ」


 セツナが嫌悪感を露わに言い捨てた。


「…………はっ?」


 さっぱり、意味が分からない。


「ミガリヤの王城に潜入するのに『金色の瞳』の聖女そのものを用意した方が入りやすいと思ってな。一芝居打たせることにした。私もこの姿で、こいつと会うのは、実に十二年ぶりのことだ。何せ、こいつは私が八歳の時に死んだことになったのだからな」

「…………だから、一体、誰なんです?」


 セツナの説明には、主語がない。

 必死に目をそむけるセツナに対して、ロジリアが更に詰問しようとしたところで、シーカの城門から、側近を振り払って、カナンがすっ飛んできた。


「何しているんですか。義父上」

「ちち……うえ?」


 小声であったが、確かに聞こえた。

 ちちうえ……?

 

「それって、まさか……?」


 女性に向き直ると、茶目っ気たっぷりに、片目を眇められた。


 …………ちょっと、待って。


 眼球が飛びでそうな衝撃というのは、このことだろうか……。

 ロジリアとミッシェルは、二人で顔を見合わせて、小さく頷き合った。


「もしかして、ヨハン……さま?」


 ロジリアの震え声に、長い髪を艶やかに掻き分けながら、首肯したのだから、ヨハン本人なのだろう。

 女性らしい丸みを帯びた体格に、お色気たっぷりだ。

 正真正銘、女性にしか見えない。


「姉さん、僕……世の中の何もかもが、信じられないよ」

「それ、私もだから……」

「相変わらず、愉快な姉弟ですね。二人共、お久しぶりです。一応、私もミガリヤの王城にいたんですけど、全然、会いませんでしたね。若者の毒抜きばかりやらされてたせいもあると思いますけど」

「エレカさんのお兄さんの毒抜きは、成功したんですか?」


 心配そうに、ミッシェルが尋ねるとヨハンは尊大に豊満な胸を反らした。


「まあ……まだ、一回ですしね。私の力があれば、このくらい余裕ですよ。代償はきちんと頂きますが」

「……また一体何を?」


 寒気を感じて問いかけたが、ヨハンは意味深な流し目をセツナに向けるばかりだった。


「気にするな。慣れてる」


 セツナは大欠伸をするだけで、動じない。 

 本当に大丈夫なのだろうか?

 こちらの心配をよそに、ヨハンは完全に面白がっていた。


「君。ミッシェル君って、私が見込んだとおり、なかなか、やりますね」

「やる?」


 ヨハンの無駄な色気に、ミッシェルが青くなったり、赤くなったりしている。

 ヨハンは、わざとミッシェルに身を寄せた。


「いやあ、あの女中……しつこいくらい、貴方がたに礼を言っていました。あなたたち、姉弟揃って、人をたらしこむのが上手いようで、私もあの時、面白がって貴方たちを助けて良かったと、感動しているのです」

「お前は、本当に口だけはよく回るな。ヨハン」


 仕方ないとばかりに、セツナが起き上がって、ロジリアとミッシェル側に座り直してくれたおかげで、二人してヨハンと距離を取ることができた。


「最初から、お前が出張っていれば、私がミガリヤなんぞに、出向く必要もなかったのだ。まったく、肝心な時に使えない魔物だ……」

「やっぱり……」


 ロジリアは、再燃した怒りに、こめかみを押さえた。


「貴方ねえ! わざと城の警備を手薄にして、エヴァン殿下にミッシェルやエレカたちを攫わせたんでしょう!?」

「姉さん、抑えて……」


 今にも殴りかからんとしているロジリアを、ミッシェルが羽交い締めにする。

 例によって、魔物は暢気なものだった。


「聖女さまは、今更気づいたんですか? だって、こっちの方が断然面白いですし、なにより、ミガリヤとは一度堂々と交渉した方が良いと思っていたのでね。丁度、良かったのです」

「回りくどいわっ!」

「仕方ないでしょう。私は魔物ですから。殿下の母君との契約で表舞台には出ることが出来ないのです」

「契約って?」

「契約は契約ですよ」


 言いながら、ヨハンが口に手を当て色気たっぷりに微笑む。

 この女性の原型が、きっかり真ん中で、髪の分け目を作っている、神経質そうで、無駄に紳士的なヨハン……? 


 ロジリアは、この世の見てはいけないものを見ているような気分に陥った。


 それは、セツナも同様だったらしい。


「おい、いい加減、気持ち悪いぞ。さっさと男ヨハンに戻れ。毎晩、夢でうなされそうだ」

「ひどいですね……。私のこの姿で八歳までちゃんと、殿下を養育してたのに……」

「可愛い声を出すな。本気で吐く」


 セツナが異物を排除するように、両手で目を覆った。

 視界に、ヨハンを片時も入れたくないのだろう。

 開け放たれたままの扉の外で、カナンが声を潜めて淡々と語った。


「ああ、相変わらず、殿下の心の傷になっているようですね。殿下の八歳の誕生日の夜に、義父上は育て親から、急に父親に変わってしまったらしいのです。私は当時の状況は知りませんが、殿下の混乱は相当なものだったと……」

「……じゃあ、養母って?」


 聖剣は、養母の形見なのだとセツナは話していた。

 ロジリアは、馬車の中に無造作に転がされた、今は変哲もない古ぼけた十字架を見遣った。


「分かっただろ? 形見とは、この魔物が置いていった聖剣だ」


 セツナは、頭を抱えてうなだれた。


「あー……。忘れたくても忘れられない。八歳の誕生日の夜に、養母コイツは、あの棺桶の中で自分は死ぬのだと言った。……しかし、棺の蓋を開けてみたら、中身は空っぽだった。それで、なぜか養母は、その日からヨハンという養父になっていたのだ。子供の頃の私は信じられずに、棺桶の中に、母親を捜したものだ。辛い子供時代だった」

「あの頃、貴方様は私にべったりで、この国の王位を継ぐには、もっと狡猾で強く、賢くならなければならないと、私は苦肉の策で、養父として生きることにしたのです」

「お察しします。殿下」


 ミッシェルがセツナに寄り添い、同情的に瞳を潤ませていた。

 ロジリアも、今までの苛々を吹っ飛ばして、セツナの手をがっしりと取った。


「殿下、申し訳ありません! そんなお辛い過去があって、ひきこもりになっていたのに、また私なんかのために寿命まで使わせてしまって。どうお詫びすれば良いのか分からないけど、本当に本当に」


 …………が、しかし。


「良かったじゃないですか、殿下。これで、ようやく釣り合うようになったじゃないですから」

「はっ?」


 妖艶なヨハンは、くすくすと口元に手を当てながら笑った。


「殿下は普通じゃありませんからね。何せ、なかなか王家に生まれることのない『聖杯』ですから。それで、私が間違って契約してしまったものだから……。ご存知でしょうけど、寿命も長いですよ。少なくとも二百年は、生きられるでしょうねえ……」

「…………二百年?」

「余計なことを言うな」


 セツナが激しく舌打ちをした。


「まったく……。せっかく、良い気持ちだったのに……」

「何です。殿下? どういう意味なのか、きちんと教えてください」

「これもまた話せば長くなるんだが……」

「もう十分、前置き長いでから!」


 必死にしがみつき、自分を揺さぶるロジリアに根負けしたのか、セツナは、いつもの聞き取りづらい声で、ぼそぼそと話し出した。


「実は……。このうっかり魔物はな、当時、一人で子供を育てていた私の実母の命と引き替えに、私の健やかな成長を頼まれて、引き受けたそうだ。しかし、私の父親は、この国の王だった……ということだ。なんでも、私の母は身分が低く、父上には許嫁がいて添い遂げられずに、母は一人で私を生み、市井で二人暮らしをしていたそうだ」

「それとこれと、どう繋がりが?」


 ミッシェルが問いかけると、セツナは本格的に嫌そうに下を向いた。


「王家の直系で『聖杯』である私は、元々寿命が長いのだ。それに輪をかけて術をかけたことで、とんでもないことになってしまった……ということだ。……まあ、化け物みたいなものだな。こんな化け物が人並みに、国王なんかできるはずがないだろう」

「ああ、なるほど。……そういう……ことだったんですか。それなら、そうと、もっと早く話して下されば……」

「これを私が真顔で話したところで、お前は信じるのか? ロジリア」


 何とも言えない空気が漂った。

 それを打ち消すように、ヨハンの陽気な女性声が響き渡る。


「良かったですねえ。お嬢さんに寿命を分配したことで、殿下も少し気が楽になったでしょう。貴方も生きながらえて、素晴らしいって、あれ?」


 その場の全員に睨まれたヨハンは、可愛らしく首を竦めた。

 それがまたゾッとするのだ。

 カナンがわざとらしく咳払いをした。


「義父上……。今回のことで、国王陛下御自らが、こちらにわざわざいらっしゃるとのことです。至急お出迎えの準備をしなければなりません。せめて、先に戻って、着替えた方が宜しいのでは?」

「私の女性姿は、国王陛下も気に入っているみたいですが?」

「私が許さないぞ。ヨハン」


 セツナの殺気だった一言に、さすがのヨハンも面倒になったのか、あっさりうなずいた。


「承知しました。まあ、ドレスは重いですし、男姿の方が私も楽なんで、着替えてきますよ」


 いつもの浮き足立った様子で、ヨハンが一人城に入っていく。


「さて……」


 それを、じっと見送っていたカナンが、ヨハンの姿が見えなくなるのを待って、いつものきびきびした動きで、御者台に座った。


「ミッシェル君、扉を閉めなさい」

「えっ?」

「早く! カナンの言った通りに」


 カナンとセツナ、二人の有無をも言わさない勢いに、ミッシェルが慌てて扉を閉めた。

 ……そして。

 まるで、待ちわびたかのように、馬車が動き出し、その場からぐんぐんと離れて行く。

 先達て訪れたシーカの城下町を、あの時とは比べものにならない速さで、疾駆していた。


「どうして?」


 ロジリアは窓に張り付くようにして、背後に目を凝らした。

 圧迫感を抱かせるほど、頑強な石造りの城砦があっという間に、小さくなっていた。


「殿下、一体どこに行こうというのです!?」


 答えは、一言。簡潔だった。


「…………王都だ」


 一体、何しに?

 いつもながら、肝心なことをちゃんと話さないのは、気遣いと言うより、セツナの性格のようだった。

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