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◇◇◇
「ロジリアっ!」
セツナは、すぐさまロジリアに駆け寄り、体を起こした。
「……姉……さん」
目が見えないまでも、何が起こっているのか、ミッシェルは察知しているようだ。
泣きながら、何度もロジリアの名を呼んだ。
カナンがすぐさま待機していた医者を連れて室内に入り、呆然と立ち尽くすエレカを、ヨハンが連行した。
早急に、城詰めの医者と市井の医者を招集して、ロジリアの治療を始めた。
――けれど、夜になっても、ロジリアの目蓋は固く閉ざされたままだった。
地下の書庫で喀血した時は、意識だけはすぐに戻ったはずだったのに……。
(あと一回……。こんなに早く、その発作が来てしまったのか……?)
セツナの動揺を裏付けるように、ロジリアをずっと診察していた医者が何度も首を横に振った。
「脈が……小さく、ゆっくりとなっています。今夜が峠でしょう。このまま……身送ってさしあげるのが宜しいかっ」
「そん……な……」
愕然とするだけのセツナを無視して、ミッシェルがロジリアの手を握り、うわ言のように、謝り続けていた。
「……姉さん……。ごめんね。ずっと、苦しい思いをさせてしまって、ごめんね」
そんな今生の別れのような言葉。……聞きたくなどなかった。
でも、ミッシェルはこの日が来ることを想定していたかのように、すらすらとロジリアに向けて、別れの言葉を繰り出してきた。
「ようやく、楽に眠れるかな。僕のわがままで、引き留めてしまったけれど、本当はずっと苦しかったんだよね。姉さん、強がりだから、絶対に泣き言、言わなかったけどさ」
――泣き言だと……?
(私には言っていたぞ。しかも、つい先日の話だ。こんな自分が情けないって、泣きながら、話していたじゃないか?)
確かに、ロジリアは苦しそうだった。
魔物=ヨハンの力で延命していたとはいえ、元々の病は辛くなる一方だった。
全身の痛みから眠ることもできず、起きていることも億劫そうで、いつも、ままならない体調と戦っているようだった。
一昨日だって、セツナは同情していた。
早く、痛みがなくなれば良いと思ってもいた。
――でも、死んで良いなんて、絶対に思わなかった。
最低だと認識しながらも、痛くても、辛くても、苦しくても……セツナは、彼女に、生きていて欲しかったのだ。
(死んだら、二度と会えなくなってしまうだろう?)
愚痴だって、泣き言だって、痛いと一晩中喚かれたって、セツナは平気だけど、彼女がもういないのは、嫌だ。
――それだけは、嫌なのだ。
「…………殿下」
ミッシェルが泣いて、くしゃくしゃになっている顔を、セツナに向けた。
「きっと、姉さんも感謝していると思います。殿下は変だけど、姉さん……面食いだしね。素直じゃないから、分かりづらかったかもしれないけど、殿下と一緒にいる時間……姉さん、とても嬉しかったんだと思います。最期に良い思い出をありがとうございました」
「やめ……ろ。ロジリアは……まだ、生きているじゃないか?」
「……でも、姉さんは……もう」
「しっ、しかし、まだ温かいぞ。ミッシェル」
セツナは、ミッシェルを強引に押しのけて、眠っているロジリアの手を強く握った。
――温かい……。
彼女は、まだ息をしている。
少し癖のある赤髪も、白い肌も、壊れ物のような細い手足も……。
一昨日、触れた箇所のすべての感覚が、色濃くセツナには残っている。
(勝手に殺してくれるな……。私は絶対に認めないからな)
だが、押しのけられたミッシェルは涙を落としながらも、首を横に振り続けていた。
「殿下……。姉さんが安らかに天国に逝けるように、一緒に祈ってもらっても……」
「ふざけるなっ!」
セツナは、未だかつてないほど狼狽して、ミッシェルを怒鳴りつけた。
そして、最初に彼らと言葉を交わした時のことを、セツナは思い出していた。
ロジリアは棺に入っていたセツナに向けて、間違った聖句を唱えたのだ。
間違いを正したくて、セツナは出るつもりもなかったのに、棺から顔を出してしまった。
…………ロジリアが、セツナを外の世界に出したのではないか?
それなのに、こんなにあっけなく消えてしまうのか?
セツナが動くことこそ、魔物の望むところだと、分かっていた。
寿命は、自然に任せるべきだと、暗にカナンも口にしていた。
絶対に、やってやるものかと、意地になっていたところもあったはずだ。
けれど、そんなくだらない気持ちと、ロジリアの命、どちらが大切なのか?
(………………一人で、逝かせてたまるか)
胸を刺す痛みの意味を自覚したら……その時、セツナは覚悟を決めようと誓っていたはずだ。
目を覚ました彼女に、文句を言わなければ、セツナの気が収まらない。
そのために、何かを犠牲にすることがあったしても、構わない。
この先の人生を決定づけることになったとしても、後悔なんてしてやるものか。
そんな気持ちを自分が抱くなんて、思いもしなかったけれど……。
「ヨハンを呼べ!」
セツナは、毅然と声を張り上げた。
速やかに呼び出されたヨハンは、部屋に入った時点で察しがついたのだろう。
呆れ顔で、顎を擦っていた。
「あー…………殿下も意外に、惚れっぽいんですね」
俗っぽいことを、あっさり言う。
そう仕向けたのは、ヨハンの方ではないか?
「そんなことは、どうだって良い」
「先々、彼女に恨まれるかもしれませんよ」
「構わない」
「もう、戻れませんよ」
「仕方ないだろう! 不本意ながら、こんなことになってしまったんだから!!」
怒鳴りつけると、ヨハンは肩を竦めた。
しかし、この期に及んで、セツナの本気を試すのは、時間の無駄ではないか?
「…………ロジリアを生かしたい。対価は……分かっているな? ヨハン」
ヨハンはにやりと笑うと、瞳を金色に輝かせた。
そうして、元侍従長らしく、黙ってセツナの前で深々と頭を下げたのだった。