表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/41

4

◇◇◇


「ロジリアっ!」


 セツナは、すぐさまロジリアに駆け寄り、体を起こした。


「……姉……さん」


 目が見えないまでも、何が起こっているのか、ミッシェルは察知しているようだ。

 泣きながら、何度もロジリアの名を呼んだ。

 カナンがすぐさま待機していた医者を連れて室内に入り、呆然と立ち尽くすエレカを、ヨハンが連行した。

 早急に、城詰めの医者と市井の医者を招集して、ロジリアの治療を始めた。


 ――けれど、夜になっても、ロジリアの目蓋は固く閉ざされたままだった。


 地下の書庫で喀血した時は、意識だけはすぐに戻ったはずだったのに……。


(あと一回……。こんなに早く、その発作が来てしまったのか……?)


 セツナの動揺を裏付けるように、ロジリアをずっと診察していた医者が何度も首を横に振った。


「脈が……小さく、ゆっくりとなっています。今夜が峠でしょう。このまま……身送ってさしあげるのが宜しいかっ」

「そん……な……」


 愕然とするだけのセツナを無視して、ミッシェルがロジリアの手を握り、うわ言のように、謝り続けていた。


「……姉さん……。ごめんね。ずっと、苦しい思いをさせてしまって、ごめんね」


 そんな今生の別れのような言葉。……聞きたくなどなかった。

 でも、ミッシェルはこの日が来ることを想定していたかのように、すらすらとロジリアに向けて、別れの言葉を繰り出してきた。


「ようやく、楽に眠れるかな。僕のわがままで、引き留めてしまったけれど、本当はずっと苦しかったんだよね。姉さん、強がりだから、絶対に泣き言、言わなかったけどさ」


 ――泣き言だと……?


(私には言っていたぞ。しかも、つい先日の話だ。こんな自分が情けないって、泣きながら、話していたじゃないか?)


 確かに、ロジリアは苦しそうだった。

 魔物=ヨハンの力で延命していたとはいえ、元々の病は辛くなる一方だった。

 全身の痛みから眠ることもできず、起きていることも億劫そうで、いつも、ままならない体調と戦っているようだった。

 一昨日だって、セツナは同情していた。

 早く、痛みがなくなれば良いと思ってもいた。


 ――でも、死んで良いなんて、絶対に思わなかった。


 最低だと認識しながらも、痛くても、辛くても、苦しくても……セツナは、彼女ロジリアに、生きていて欲しかったのだ。


(死んだら、二度と会えなくなってしまうだろう?)


 愚痴だって、泣き言だって、痛いと一晩中喚かれたって、セツナは平気だけど、彼女がもういないのは、嫌だ。


 ――それだけは、嫌なのだ。


「…………殿下」


 ミッシェルが泣いて、くしゃくしゃになっている顔を、セツナに向けた。


「きっと、姉さんも感謝していると思います。殿下は変だけど、姉さん……面食いだしね。素直じゃないから、分かりづらかったかもしれないけど、殿下と一緒にいる時間……姉さん、とても嬉しかったんだと思います。最期に良い思い出をありがとうございました」

「やめ……ろ。ロジリアは……まだ、生きているじゃないか?」

「……でも、姉さんは……もう」

「しっ、しかし、まだ温かいぞ。ミッシェル」


 セツナは、ミッシェルを強引に押しのけて、眠っているロジリアの手を強く握った。


 ――温かい……。


 彼女は、まだ息をしている。

 少し癖のある赤髪も、白い肌も、壊れ物のような細い手足も……。

 一昨日、触れた箇所のすべての感覚が、色濃くセツナには残っている。


(勝手に殺してくれるな……。私は絶対に認めないからな)


 だが、押しのけられたミッシェルは涙を落としながらも、首を横に振り続けていた。


「殿下……。姉さんが安らかに天国に逝けるように、一緒に祈ってもらっても……」

「ふざけるなっ!」


 セツナは、未だかつてないほど狼狽して、ミッシェルを怒鳴りつけた。

 そして、最初に彼らと言葉を交わした時のことを、セツナは思い出していた。


 ロジリアは棺に入っていたセツナに向けて、間違った聖句を唱えたのだ。

 

 間違いを正したくて、セツナは出るつもりもなかったのに、棺から顔を出してしまった。


 …………ロジリアが、セツナを外の世界に出したのではないか?


 それなのに、こんなにあっけなく消えてしまうのか?


 セツナが動くことこそ、魔物ヨハンの望むところだと、分かっていた。


 寿命は、自然に任せるべきだと、暗にカナンも口にしていた。


 絶対に、やってやるものかと、意地になっていたところもあったはずだ。


 けれど、そんなくだらない気持ちと、ロジリアの命、どちらが大切なのか?


(………………一人で、逝かせてたまるか)


 胸を刺す痛みの意味を自覚したら……その時、セツナは覚悟を決めようと誓っていたはずだ。

 目を覚ました彼女に、文句を言わなければ、セツナの気が収まらない。

 そのために、何かを犠牲にすることがあったしても、構わない。


 この先の人生を決定づけることになったとしても、後悔なんてしてやるものか。


 そんな気持ちを自分が抱くなんて、思いもしなかったけれど……。


「ヨハンを呼べ!」


 セツナは、毅然と声を張り上げた。

 速やかに呼び出されたヨハンは、部屋に入った時点で察しがついたのだろう。

 呆れ顔で、顎を擦っていた。


「あー…………殿下も意外に、惚れっぽいんですね」


 俗っぽいことを、あっさり言う。

 そう仕向けたのは、ヨハンの方ではないか?


「そんなことは、どうだって良い」

「先々、彼女に恨まれるかもしれませんよ」

「構わない」

「もう、戻れませんよ」

「仕方ないだろう! 不本意ながら、こんなことになってしまったんだから!!」


 怒鳴りつけると、ヨハンは肩を竦めた。

 しかし、この期に及んで、セツナの本気を試すのは、時間の無駄ではないか?


「…………ロジリアを生かしたい。対価は……分かっているな? ヨハン」


 ヨハンはにやりと笑うと、瞳を金色に輝かせた。

 そうして、元侍従長らしく、黙ってセツナの前で深々と頭を下げたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ