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◆◆◆


「殿下、お帰りなさいませ」

「ああ……」


 カナンの挨拶を無視したセツナは、養母の形見の大きな十字の飾りをカナンに預けると、ロジリアを横抱きにしながら、城の中を闊歩かっぽした。

 その颯爽とした姿にカナンは珍しく目を丸くしていた。


「……殿下。腕は、大丈夫なんですか?」

「何が?」


 本当に分からないといった面持ちで訊き返して来たセツナの姿に、カナンはごくりと息を飲み込んだ。

 その二人のやりとりを見届けていた使用人たちの驚きも、また凄まじいものがあった。


「……あ、あれは、本当に殿下か?」

「ないぞ……いつもの、あれが」


 セツナの変人ぶりを日々、目撃している城内の使用人たちは、彼の姿がにわかには信じられなかったのだろう。


「もう……世界が終わるんじゃないか……」


 そんな囁き声すら、聞こえてきた。

 …………分からなくもない。

 あのひきこもり王子、セツナが棺を持たずに、少女なんてものを抱きかかえているのだ。

 この世でもっとも、有り得ない光景だ。

 ロジリアもまた普段であれば『恥ずかしいから降ろせ』と、大暴れしていただろうが、今はそんなことを気にかけている余裕がなかった。


(…………殿下は、魔物を知っているの?)


 気になって、従者が用意した馬車の中で、何度も尋ねたが、セツナは説明するのを拒んだ。

 代わりに、ロジリアに滋養強壮に効果のある果物などを勧めてきて、強気に出られないロジリアは、困惑するしかなかったのだ。


「……殿下、ミッシェルはどこに?」

「お前は、寝ていろ」

「寝てなんていられませんよ。ミッシェルだけじゃありません。エレカだって……。魔物が迫っているんですよ。ここは危険です。早く、城内にいる人たちを、避難させた方が良いと思います」

「……大丈夫だ。それなら」

「えっ……」


 相変わらず、自信たっぷりのセツナに、ロジリアは面食らってしまう。


「どうして……殿下に、それが分かるんです?」


 しつこいと思いながらも、問わずにはいられない。

 黙っているセツナに更に食い下がろうとしたら、背後から聞き慣れた低い声が届いた。


「ミッシェル君なら、私が足止めしまくって、部屋にいますよ」

「エレカは?」

「彼女は先日、城に戻ってきて、私が足止めしていますが?」


 カナンが抑揚をつけながら答えた。

 足止め程度で済んでいるのか謎だが、今詰問している場合ではない。


「では、ここにいる皆さんひっくるめて、避難させてください。……あとは、私が……」

「だから、お前は大バカなのだ。お前の言う通りにして、仮に弟の目が治ったとしても、その時、延長していたお前の寿命も尽きてしまうかもしれないんだよな?」


 セツナは、ロジリアを抱えている手に力を込めた。

 彼はロジリアの体調に関してだけ、やけにムキになる。

 ――これは。


(心配……してくれているのかしら?)


 そんなふうに、自分のことのように、辛そうな顔をされると、ロジリアもどうして良いか分からなくなってしまう。


「でも……殿下。どちらにしても、私の命はないに等しいのですから。だったら、あの子の目を治す方を優先して……」

「先に、私が魔物アイツと対峙しよう。だから、お前は……」

「アイツ?」

「アイツ……は、アイツだ」


 ばつが悪そうにそっぽを向く。セツナの横顔を、ロジリアは追いかけた。


「殿下……。いい加減、教えてください。貴方は一体どこまでを、ご存知なのです?」


 セツナは、ごくりと息を呑んで、立ち止まった。

 黙り込んでいるセツナの背後で、一定の距離を保って控えたカナンが、静かに答えた。


「殿下がお答えにくいのでしたら、私が話しましょうか?」

「……カナンさん?」

「やめろ、カナン」


 セツナが感情そのものに、カナンを振り返ると、ロジリアにも分かった。

 カナンの顔に浮かぶ、嗜虐的な微笑。

 ある意味、魔物のようだ。

 

「どちらにしても、彼女は真相に辿りついてしまうでしょう。先延ばしにしたくて、逃げても無駄です。結局、体調が悪くて帰って来てしまうんですから」

「…………カナン!」

「ロジリアさん。いいですか? 貴方の国が我が国に探りを入れているように、我が国も、貴方の国に探りを入れているのです」

「はっ?」

「間諜ですよ」


 間髪入れずに、カナンは言い放った。


「それは……つまり」


 言葉の意味を理解するのに少しだけ間があったものの、ロジリアにも分からないことではなかった。


「つまり……魔物の正体は?」

「ええ。別に誰が頼んだわけでもないのに、勝手に間諜の真似事をしている者がおります。貴方の金色ロードアイ。我が国にもその瞳を持つ者がおりまして、最初に、貴方の目を見た時点で、殿下はその者の関与を察知していたのです」

「……金色の瞳」


 サフォリアにおいて「魔物の瞳」と言われている、その瞳を持つ者は限られているはずだ。

 ロジリアは、顔色を変えた。

 何となく……分かってしまったような気がしたのだ。

 カナンの言葉を受けて、渋々セツナが口を開いた。


「その者は数年前まで、私の養父として、この城塞の侍従長の地位に就いていたが、隠居してからは、悠々自適に旅をしている。それこそ、あらゆる国を股にかけていてな」

「………………もしかして…… ヨハンって?」


 セツナは、ロジリアからそっと顔を逸らした。


 ――目の前が、真っ暗になった。


 今までずっと、身体を奮い立たせていたものが崩れ去って行く音を聞いているような気分だ。


「最初、私はお前が純粋に金色の瞳の所有者なのかと疑っていたが、お前から『かたき』の話を聞いているうちに、お前はヨハンによって、『金色の瞳』を与えられたのだと確信した」

「……どうして、話して下さらなかったのですか?」

「話したら、ヨハンの居場所を無理やり聞きだして、突進するだろうが! そんな危険な真似をさせられるか」

「私は……!」


 そんなことはしないと叫びかけて、ロジリアは息を整えた。

 セツナは、正しい。


(そうよね……)


 絶対に、ロジリアは突っ走るはずだ。

 セツナは、それを恐れただけだ。


(………………なんだ。そういうことだったの)


 肩の力がふっと抜けた。


「バカみたい……」


 ここで待っていれば、必ず魔物ヨハンと出会うことはできたのだ。


 不審者にも関わらず、城に留め置かれたのも、上等な客室を宛がわれたのも、王子が直々、ロジリアに接触を持ってきたのも……――すべて。


「殿下がヨハンから逃げると言って城から出たのは、私をその方から、少しでも遠ざけようとした目的もあったのですか?」

「それは……だな」


 セツナが、唇をかみしめた。

 城に戻ろうと促しながらも、ロジリアの我儘わがままを優先させたのは、そういうことだったのだ。


(何だ。同情にも及ばなかったのか……)


 彼は、ただロジリアの暴走を止めたかっただけだ。

 行動原理は、ミッシェルと同じはずなのに……。

 …………どうしてだろう。

 心が急激に冷えていくことを、ロジリア自身止めることができなかった。


「改めて、そのことについては、ちゃんと話をしよう。まず、お前は城の寝台で横になって……」

「殿下。だったら、話が早い。そのヨハンという魔物に会わせて下さい」

「……ロジリア」

「…………今すぐ」


 決然と言い放ったロジリアに対して、セツナは再び無言になった。

 使用人たちは、人払いされたせいか、すでに姿を消している。

 しんと、静まり返った冷たい廊下で、ロジリアが、まるで、威嚇し合うように、セツナと視線をぶつけていると…………。


「――へえ? 私に、会いたいって?」


 …………どくんと、胸に刃が刺さったように、ロジリアの心臓が跳ねた。

 こつこつと、革靴の音が石床にとどろく。


「ははっ。嬉しいね。若い御嬢さんの熱烈な想いを受け止めることが出来るなんて」


 何処からともなく現れたそいつは、ロジリアとセツナの真正面に立っていた。


「……お前は!?」


 ――あの時の『魔物』。

 半年前に出会ったアイツだ。

 おぼろげだったロジリアの記憶が鮮明になった。

 けれど、記憶に残っている印象とその男はぴったり重ならなかった。

 第一、この『魔物』は、あの時のような、くたびれたコートのぼさぼさ頭ではない。

 品の良い、フロックコートにクラヴァット。

 それと、綺麗に整髪料で整えただろう、艶々の短髪。

 まるで、カナンの分身のように、姿勢が良く、貴族然していた。

 もし、身体の奥で、心音がぴたりと重なっていなければ、この男とロジリアが会った魔物が、同一人物だとは思わなかっただろう。 

 男は深々と身を屈めて、セツナの前で礼をした。


「……ヨハン」


 セツナが苦々しくその名前を呼んだ。


(ああ……。やっぱり、殿下の養父なんだ)


 セツナの養父という割には、あまりに若すぎる容姿をしている。

 どう見たところで、三十代後半くらいにしか見えない。


 ――どうして?


 悪い夢を、見ているようだった。


 この魔物が……。

 セツナの養父が……。

 ロジリアたち姉弟を半年もの間、翻弄ほんろうしていたのだ。


「お帰りなさいませ……殿下。それと、あの時のお嬢様」


 ヨハンは、優雅に顔を上げた。

 黒髪の一房だけがふわりと前に落ちる。

 決定的な一言を浴びせかけられながらも、ロジリアは身動き一つ取れなかった。

 万が一、対峙する機会があったのなら、出会い頭に短剣で刺すしかないと、そんなことばかり考えていたくせに……。

 ヨハンは、明らかに愉しんでいる。

 怖いから逃げたいと、セツナが宣言していただけのことはあった。

 隙だらけのくせに、威圧感が半端なかった。


 …………そして。

 歪な笑みを浮かべている彼の足元には、縄でぐるぐる巻きにされたエレカが転がされていた。


「エ、エレカっ!?」


 しかし、猿轡さるぐつわをされている彼女は、喋ることもできないらしい。

 セツナの胸の中で暴れ出したロジリアを押さえつけて、セツナは、どんよりとした溜息と共に、ヨハンに億劫そうに言葉を投げかけた。


「ヨハン、余計な挨拶はいらない。それと、お前の足元は心の底から悪趣味だ。その女中を速やかに解放しろ。話はそれからだ」

「解放して宜しいのですか? この者は、とても怪しい匂いがしていますけどね?」


 エレカの恐怖に慄く双眸が、助けを求めてさまよっている。

 エレカを離せ……と、ロジリアが怒鳴りつける前に、セツナが先手を打った。


「ここは、私の城だ。こういうことに関しては、お前は私に従わなければならない。そういう契約だろう?」

「見違えるようですよ、殿下。しばらく会わない間に、少し逞しくなられたようで」

御託ごたくは良い」

「分かりました。一度、解放いたしまょう」

 

 ヨハンは、カナンに目配せをした。

 あらかじめ台本が決まっていたかのように、カナンは静かに応対する。


「……でしたら、早速お部屋にご案内します。殿下もお疲れでしょうから」


 淡々としたやりとりに、ロジリアは違和感を覚えていた。

 …………こんなはずでは、なかったのだ。


「ま、待って! お前がミッシェルから光を奪ったんでしょう。あの子を、元に戻して!」


 及ばないまでも、胸元の首飾りを握りしめて、ヨハンを威嚇する。

 しかし、啖呵たんかを切ったことで、かえってヨハンを喜ばせてしまったらしい。

 彼は、嬉しそうに拍手で応えてきた。


「素晴らしい。この期に及んで、たくましいお嬢さんですね。もはや、貴方に、そんな体力は残ってもいないでしょうに。それでも、弟さんのために、私を殺すのですか?」

「あの子の視力が戻る。……可能性が一つでもあるのなら?」

たのしめそうだ」


 彼の黒々としている瞳が、にわかに金色に変わろうとした時……


「姉さんっ!!」


 螺旋階段を、ミッシェルが手摺に寄りかかりながら、降りてきた。


「やめて! 僕が悪いんだ。僕が全部話すから!!」

「…………ミッシェル?」


 今まで見たこともない蒼白な顔で、ミッシェルは叫んだ。


「姉さん、魔物が強制的にやったことじゃないんだ!」

「……はっ?」

「僕が……ヨハンさんに、頼んだんだよ。全部!!」

「なに……を」

「ごめんなさい! でも、本当のことなんだ!!」


 今度こそ、ロジリアの頭の中が真っ白になった。

 ごほっと、咳を一つ零したら、口内で血の味がした。

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