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◆◆◆
――と、それが三月前の出来事だった。
(……何が……速やかに……ね?)
遠回りも、良いところだった。
ミガリヤとサフォリアの国境に築かれたシーカの城塞。
その内部に招き入れてもらったのは幸運だったが、とっくに太陽は高くなっている。
一体、いつまで城主は、ロジリアを待たせるつもりなのか?
ここに至るまでに色々あった。
早くサフォリアに入りたいからこそ、派手に正面突破を決めたのだ。
……なのに、ここの城主はロジリアに面会すると言ったきり、ずっと足止めをしている。
「――何で?」
別に移民しようとか、不法滞在しようとかそのような気持ちがあるわけではないのだ。
とっとと、用件を済ましたら、どこにでも去るつもりだった。
――少なくとも、ロジリアは……。
(あーっ! 苛々する)
もしも、力づくで、排除されそうになったら、すぐさま反撃に転じて、勢いのまま、サフォリアに入国してしまえば良い。
むしろ、そうしてくれた方が有難いのに、それなりに接待されてしまっているから、ロジリアは困惑しているのだった。
「やっぱり、もっと違う方法があったんじゃないかな……」
自分の隣の席で、文句を並べる赤毛の少年を、ロジリアはおもいっきり睨みつけた。
繋いだ手をきつく握り返すと、それだけで、少年はびくりと肩を震えて目を伏せる。
相変わらず、気弱だ。
ロジリアが、よほど怖いらしい。
「うるさいわね。そんなんで、私がいなくなっても、やっていけるの?」
「……また姉さんは、そんなことばかり」
「まあ、目は見えるようになるだろうから、生活面の心配はなさそうだけど、性格がいけないわ。もっと、積極的にならなきゃ」
「酷いな。姉さんは、すぐそうやって、僕を脅すんだから……」
膨れ面をしているが、女の子のように、愛らしい顔立ちをしている。
華奢で護ってあげたくなるような、愛くるしい少年は、弟のミッシェルだ。
ロジリアより三歳年下で、十三歳になったばかりのミッシェルは、とびぬけての美形ではないが、人懐っこい雰囲気で、人を惹きつける魅力があった。
――しかし、彼は……目が見えない。
光を失ってしまった目は、常に閉じられていた。
ミッシェルは失明する前は、絵を描くことを得意としていた。
彼の描く繊細で優しい筆致の絵を、もう一度見たい。
その為もあって、ロジリアは身体に鞭を打って、動いているのだ。
(これで、目が見えたのなら、才能と容姿で、女の子にモテモテよ。すぐにお婿に行ってしまうわ)
本気で、ロジリアは、世界一ミッシェルが可愛いと思っている。
だからこそ、あえて厳しい態度を取ってしまうのだ。
「大体ねえ、他の方法でサフォリアに行こうとしたら、遠回りじゃないの。こっちは急いでいるんだから。いざとなったら、強行突破あるのみってことでしょ」
「でもね、姉さん。ここの城主はサフォリアの王子だ。やる気がないみたいだけど、警護の兵士の数は、凄まじいんだ。それこそ、兵士対姉さんの構図になって……姉さん、当分再起不能になるよ。だから、戦わない方法を探した方が良いんじゃないの?」
「そんなに、守りが固いの?」
「ここ……城塞都市だよ。何度も話したよね。ここを通るのは危険だって。それなのに、姉さん……どんどん進んで行っちゃって。僕の話、聞いてなかったんでしょ?」
――聞いてなかった。……というより、何も考えていなかった。
回りくどいのは苦手だ。
姑息な方法を使うより、正面突破した方が早いというのが、いつものロジリアのやり方だった。
「聞いてなかったわけじゃないけど、行ってみなきゃ分からないと思っただけよ。そうね、確かに……。来てみて分かったわ。強行突破が難しいのなら、とりあえず、ここから抜け出して、他の道を考えてみましょう?」
「…………かえって、遠回りになったね?」
「うるさいわね! ミッシェルがもっと積極的に私を止めていれば良かったんじゃない?」
「勢いづいた姉さんを、僕は止めることなんてできないよ。それこそ、僕が殺される」
ミッシェルが残念そうに、こめかみを押さえている。
そんなことはないと、反論しようとしたところで、しかし、ロジリアは目を丸くした。
いつの間にか、ミッシェルのすぐ後ろに、若い男が空気のように直立していた。
「ご歓談中、失礼いたします」
「……わっ!?」
思わず、椅子ごと後ろにひっくり返りそうになったところを、男に支えられて、ロジリアは複雑な気持ちになった。
「一体、貴方はいつから、ここに……?」
「今ですよ。殿下から、お言葉を賜りましたので、伝えに参りました」
灰色の髪の青年だった。
そんなにロジリアと年齢的には変わらないだろう青年は、優雅な所作で、ロジリアとミッシェルが腰掛けている椅子の丁度真ん中にやって来た。
人形のような男だった。
表情の一切が凍結していて、機械的である。
体格に合ったフロックコートの下には、純白のクラヴァット。
見た目は、取り立てて特徴のない優男なのに、謎の貫録があるので、ロジリアは本能的な脅威を抱いてしまうのだ。
「……それで、殿下は何と?」
内心の動揺を悟られまいと、淑女らしい上品な笑みを湛えてみせるものの、しかし、青年の反応は、冷淡だった。
「殿下でございますが、今日は疲れたので、就寝するとのことでした。また後日、改めて話をされたいと仰っております」
「えっ? 後日……ですか。具体的な日時は、仰ってないんですよね?」
「少なくとも、明日以降ということになりますかね」
「そんな……。就寝って、まだ昼ですよ」
「殿下が陽のある時間に覚醒していたことが、奇跡的です」
「…………どういう意味でしょう。殿下は夜に目覚める方なのですか?」
サフォリアの王子は、夜型なのだろうか……?
唖然としているロジリアを尻目に、青年は急に砕けた口調で告げた。
「……ああ……そんなことより、お嬢さん。いや、自称聖女さまでしたか?」
しかも、この男『自称』の部分をわざと誇張している。
ロジリアは口元をひきつかせながら、何とか微笑を保った。
「何でしょうか?」
「貴方がもし、本当に奇跡の力を持っている聖女さまでいらっしゃるのなら、聖句くらい、唱えられますよね。我が国もまたレムリヤ教を崇拝しております。聖女さまの唱える聖句であれば、効果もてきめんでしょう」
「はっ?」
面長の顔に仮面のように張り付けられた笑顔は、最高に胡散臭いものだった。
「失礼しました。私はカナン。殿下の侍従長を務めております」
「侍従…………長?」
今更、自己紹介をされたあげく、侍従長とは……。
(何なのよ……。こいつ)
若いのに、大層な身分のようだが、礼儀がなっていない。
しかし、こちらの意思を汲むつもりもないのだろう。カナンはロジリアの答えを待たずに、おもいっきりドレスの袖を引いた。
「行きましょう」
―――どこに?
淡々としている割に、行動力は抜群だ。ついでに力も強い。
カナンはロジリアを引っ張りつつ、接待していた一間から、足早に回廊に出た。
大勢の兵士が青年とロジリアの一挙一投足を見守っているのに、気にならないようだった。
「……姉さん?」
ミッシェルがロジリアの手を強く握り返してきた。
ロジリアの発熱に、気づいているのだろう。
この場では穏便にしていろ……と言いたいようだ。
(まあ、でも、この状況じゃ……どうにもならないけど)
ロジリアは抵抗する術もなく、カナンに引きずられるようにして、螺旋階段を上り続けた。
しかも、城の最上階まで、ずっと早足で……。
(……ある意味、私を殺す気なんじゃ……)
少しも息を切らしていない、カナンに殺意を抱きそうだった。
(可哀想に……。ミッシェルまで、息切れしているじゃないの)
額から滴り落ちる汗を片手で拭うと、そこでようやくカナンの手を振り払う。
カナンも、やっとロジリアを振り返った。
……そして。
「……聖女さま。貴方は、人ではないモノを見たことはありますか?」
「……………………はっ?」
(……何?)
今、彼は真顔で、とんでもないことを言わなかったか?
「どういう意味……ですか?」
「我が主、セツナ王子は…………変なのです」
カナンはそう言い捨てると、突き当りの部屋の分厚い扉を、ノックもなしに開け放った。
何の迷いなく室内に足を踏み入れた彼の後ろに、ロジリアはミッシェルを連れて、おずおずと続いた。
「ここは……?」
広い室内は白一色で、飾り気がなく、華美な調度品も大きな家具も、一切なかったのだが……。
一つだけ。
部屋の真ん中に、大きな白い木製の箱があった。
見事な彫刻が施され、中心に大きな十字の飾りのついた細長の箱の正体は、ロジリアにもすぐに分かった。
「これ……って?」
レムリヤ教の教区にいて、この箱を知らない者などいないだろう。
それほど、当たり前に、時折、定期的に目にしていたモノだ。
(何で、こんな所に……?)
――それは『棺桶』というものに、違いなかった。