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6

◇◇◇


 ――まったく、どうして……。


 セツナは密閉された空間で、長いことずっと考えていた。


(こんなことになってしまったんだろうな……。私は)


 物置部屋はそれなりに広いので、特に不満はない。

 酸素も、朝まで普通に持つだろう。

 子供の頃、ヨハンの教育の一環で、市井に下りて、おかしな修行をさせられたこともあるので、こういう宿も慣れている。


 ――だが、さすがに今回は、心安く眠れるはずがなかった。


アレがないせいか?)


 常に共にあった、セツナの逃げ場が、完全に消失してしまったせいだろうか……。

 いや、それだけではない。

 薄い壁一枚隔てて、ロジリアがいるせいだ。

 城の客間とは、違う。

 あそこには、常に誰かの目があったので、二人きりという実感はなかった。

 セツナは、いつも寝たふりをしていたが、彼女に対して、おかしな感情を抱いたことはなかったはずだ。


 ――しかし、この部屋は駄目だ。


 人の目が届くことなく、限りなく二人だけの空間と化している。

 大丈夫だと思っていたはずなのに、情けない。


(私は、何をやっているのか……)


 益々、分からなくなってしまった。

 ロジリアの体調は、日が暮れていくに連れて、悪くなっているような気がした。

 最初は、策のことなど、すべて忘れたふりをして、本気でシーカから逃げてしまおうとも考えていたが、そうしなかったのは、正解だったかもしれない。

 彼女の身体の状態を考えれば、きっと城に戻った方が良かったのだろう。


 ここで、セツナが向かいの宿で待機している従者たちを呼べば、たちどころに、その準備は整うはずだ。

 カナンは毒舌だが、優秀な侍従だ。きっちり仕事をしてくれているだろう。

 今頃、城に行けば、調査結果も出揃っているに違いない。

 ……分かっている。


(帰るべきだ)


 だけど、どうしてか、セツナは戻りたくなかった。

 ヨハンのことだけではない。


(もう少し、ロジリアと一緒にいたいなんて……)


 調子の悪い者を、本人の意志があったとはいえ、振り回してしまった。

 今回の外出が刺客を捕えるための目的だったと知った時の……ロジリアの氷のような表情を見ただけで、胸が痛んだのに……。

 

(私は彼女に話していないことが、まだ山ほどあるのだ)


 それを知ってしまったら、ロジリアはセツナのことをどう思うだろう。

 幻滅するだろうか?


(あまり、嫌われたくはない……な)

 

 こんな感情をよもや自分が抱くなるようになるなんて、セツナは想像すらしていなかった。


(男も女も、色んな人間を見てきたはずだ……)


 王侯貴族の人間模様。権謀術数……政略の為に、繰り返される、あくどい駆け引きの数々。

 人とは、醜いものだということを、物心つく前から知っていた。

 その醜さこそが、美しいのだと酩酊している養父ヨハンの戯言など、受け入れたくなかった。


 ――世界は、セツナの見たくないもので、満ちている。


 何も知りたくもないし、聞きたくもないし、穏やかに生きていきたい。

 だから、養母が自らの死に際して、特注した『棺桶』だけが、セツナの居場所となっていた。


 ――貴方っていう人は、母親の胎内にでも、いるつもりですか?


 そんなふうに、たとえ、カナンにひやかされても、セツナは生温かい世界で、静かに揺蕩たゆたっているだけで良かった。


(それで、私は満足だったのに……) 


 ――あの朝……。

 すべてをぶち壊す大音声で、ロジリアは嵐のように、セツナの前に現れた。

 彼女は、セツナが見てきたどんな人間とも違っていた。

 真っ直ぐで、ひたむきで、馬鹿がつくほど強情で、そのくせお人好しで、鮮烈な印象だけを残して、走り抜けていってしまいそうな不安定感があった。


 たまに見せる一瞬……。

 きっと本人も無意識だろう。

 透明な表情を浮かべていることがある。

 間近で起こっている出来事を、まるで生きる世界が違うように、遠巻きに俯瞰しているような……。


 自分の終わりが近いと、悟っているせいだろうか……。

 その上で、弟のために生きようとしている。

 それが出来るのか、出来ないのか……そういう問題ではなくて、常に走り続けることが、彼女の生き方なのだ。


(一念だけが、ロジリアを生かしている)


 しかし、だからだろう。

 彼女は重要なことを見逃していた。


 そもそも、金色の瞳を持つ存在を、かたきの『魔物』と決めつけるのは、早計だ。

 彼女は、魔物がミガリヤにいた目的も知らなければ、サフォリアにいる理由も分かろうとしていない。


 今回のことは、国家間の問題が大いに絡んでいる。

 対ミガリヤで捉えたとき……。

 確かに、ロジリアの言うとおり『聖杯』という神話の世界の道具なんかを本気で、ミガリヤ国王が求めているとは考え難い。


 ……けれど、絶対にそのことで、サフォリアに向けたミガリヤ国王の『伝言』があるはずなのだ。

 そして、そのことに、少なからず、あの人も関係しているのだろう。


(まったく、面倒ごとばかりだ)


 サフォリアが平和国家を維持してきたのは、並々ならぬ努力のためだ。

 国を上手くまとめているように見えるのは、表沙汰になる前に、憂いの種を摘み取っているから。

 セツナも、そのやり方に関しては学んでいた。  ………頭の使い方も。


 …………でも、どんなに頭を働かせたところで、人の寿命をセツナが操ることだけはできない。


 それだけは、管轄外だった。


 そのことを、養父はセツナに教えようとしているのか?

 ……だとしたら、悪趣味も良いところだ。


(人は、必ず死ぬ……か)


 ぞわりと、寒気がした。

 見たくなかったものが、すぐ目の前に来ているようで、セツナは猛烈に怖くなった。


(本当に、あの娘は死ぬのか?)


 強く拳を握りしめたセツナは、気持ちをやり過ごせすことが出来ずに、そっと、物置小屋の戸を開けた。


(…………良かった。生きてる)


 それでも、呼吸は荒かった。

 ロジリアは、寝台で仰向けに横たわっていた。

 真紅のドレスと、生白い肌がランプの灯に艶めかしく照らしだされている。

 薄い唇が苦しい息の下で、赤く濡れていた。


「……っ」 


 セツナは、思わず赤面した。

 後ろにたじろいで、ごくりと息を呑む。


(私は、存外、下心のある男らしい……)


 苦しんでいる彼女に向かって、不埒ふらちな考えを抱くなんて、どうかしている。

 一応、眠ってはいるようだから、セツナが押入れから覗いていることは悟られていないようだが、生まれて初めての感情とセツナは戦っていた。


(あんなに薄着では、体に悪いのではないか?)


 しかも、熱があるのに、彼女は頭を冷やす処置すらしていないのだ。


(私が看病をしてやれば良かったのか……)


 時間をかけたら、また逃げ出すと思って、すぐに寝たふりをしてしまったのがいけなかったのか……。

 ロジリアは、重病なのだ。

 他に空室があるにも関わらず、わざわざ満室だと嘘を吐いて、ロジリアと同室になったのも、それが一番の要因だった。


(何かあったら、すぐに駆けつけられる距離でいた方が良いだろう……と)


 本当のことを話したら、別に部屋を取るように怒るだろうと、計算した上でのことだったが、その判断は間違ってなかったらしい。

 そろそろと押入れから出て行ったセツナは、彼女が下敷きにしている毛布を体にかけてやった。

 それだけでも足りないと、持ち歩いていた自分の白い外套を上に乗せた。

 毛布の隙間から、ロジリアの白い肩がはみ出ている。

 露出の高いドレスは目に悪いし、健康にも悪い。

 今更ながら、あの店主を殴ってやりたい衝動にかられた。

 ちゃんと服装を指定すれば良かったのだ。


(それにしても、苦しそうだな……)


 寒さは肺に悪いのだと、医者から聞いていた。


「どうしたものか……」


 この先の対応を、決めかねていると、ロジリアが身じろぎした。

 慌てたセツナは、再び物置小屋に引っ込み、座り込むが、欲に逆らえずに、再び扉を開けた。

 これは、日頃、寝過ぎていたツケなのだろうか。


 ――今夜は、とても眠れそうもない。


 自業自得とはいえ、セツナも考えなしだった。

 

 彼女と共にいることが、こんなに緊張するものだとは、思ってもいなかったのだ。

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