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「お前ほど、分かりやすい者もおらぬからな。城の地下で会ったあの時にお前がした質問で『聖杯』を欲しているのは、ミガリヤ国王だと察することが出来た。……だとしたら、真相を導き出すのは容易なことだぞ」
「私には、さっぱり分からないのですが?」
ロジリアが正直に答えると、セツナは今度こそ驚愕したらしい。
「本当に?」
「ミガリヤ国王が聖杯を欲していて、そのために、殿下を殺そうとしているということですか?」
「なんだ。多少は分かっているじゃないか? ミガリヤ国王は聖杯を欲しているが、シーカの城塞にあるという噂だけで、安置場所も、どんな形態であるかも知らぬのだ。それを私に自白させるための、てっとり早い方法は、私に瀕死の重傷を負わせることだ。私は聖杯を後継者に委ねるため、安置場所を他人に教えるはずだと考えたんだろう」
「それで、刺客を……?」
ミガリヤ国王ルースは、セツナを殺してでも『聖杯』を奪おうとしている。
――だとすると、お互い様とはいえ、ロジリアは最初からミガリヤ国王に、当てになどされていなかったということだ。
「私はミガリヤ国王から、殿下を暗殺してまで聖杯を奪うようには、命令されてませんでした。頼むとは、何度か言われましたけど、そんなに執心してるとは、分かりませんでしたよ」
「言っただろう。お前ほど分かりやすい者はいないのだ。すぐ顔に出るし、やることが派手すぎるから、暗殺者には向かないんだ。きっと、ミガリヤ国王に駒扱いされてたんだろうな」
「……うっ」
指摘されるまでもない。
それは、日頃からミッシェルに言われ、ロジリア自身も感じていたことだった。
今日のセツナは、おかしなくらい饒舌に語った。
「最初から、おかしいと思っていた。刺客がお前と私が一緒にいるときに限って、狙ってくるからな。ミガリヤ国王は、私がお前が私を殺した犯人にしたいのかもしれないな」
「…………どうして、私が?」
「ミガリヤの自称聖女。お前は供も従えず、ミガリヤ国王からの親書も持っていない。お前が何をしたとしても、ミガリヤ国王が知らないと言い張れば、一個人の乱心。私の脇が甘かった……で、片がつく。父上も外交問題に発展させなくないだろうし、お前を処刑して、幕引きをはかるだろう」
「ずいぶんと、落ち着いてますね?」
「いつも寝ているから、夢か現実か、いまいち分からぬのだ」
「……それは……また、ご愁傷様です」
彼がやけによく喋る理由が分かったような気がする。
(夢ね……)
それだったら、どんなに良いか……。
倦怠感と喉の痛みが、ロジリアに現実の厳しさを、とてもよく教えてくれている。
よりにもよって、最後の最期に、こんな面倒事に巻き込まれるなんて、思ってもいなかった。
頭まで痛くなってきた。
「どうやら、私は先走ったあげくに、自分から、厄介事に首を突っ込んでしまったみたいですね」
「ロジリア?」
「……浅はかでした」
ロジリアは、どうせ、この先、二度とミガリヤに戻ることはないのだろうと、思っていた。
金色の瞳を見世物のようにして『聖女』となれば、旅が楽になるだろうと……。
たったそれだけの……浅い理由で、ロジリアは、ミガリヤ国王に近づいてしまったのだ。
「……私は、ミッシェルの言う通り、聖女なんて名乗らなきゃ良かったんです」
「いや、お前は聖女で良かったんだ」
「…………そう……でしょうか?」
「ただのミガリヤ人であったら、城塞の兵士たちは、早い段階で、お前を確実に追い払おうとしただろう。我が国は、ミガリヤとは国交を絶って久しいからな。私はお前と会うことはなかったかもしれない」
「そう……かもしれませんけど」
「そうに、違いないさ」
きっぱり言い放ったのは、セツナがロジリアを慰めようとしているからかもしれない。
(この人、何なんだろう?)
いつもの彼と違いすぎて、ロジリアも反応に困ってしまう。
だから、ついロジリアもいつになく弱気な自分を見せてしまうのだ。
(逆に、怖いわね)
眩しいくらいの端麗な面立ちに、性格の良さまで追加されてしまったら、とてもじゃないが、ロジリアはセツナを直視できない。
否が応なく、意識してしまう。
目のやり場に困って、セツナの隣の席に目を向ければ、縦長の大きな十字の飾りが存在感を発揮しながら、どんと置かれていた。
至近距離で目にすると、巨大な木剣のようだ。
こんなものが母の形見というのも、嘘っぽい話に感じた。
「ん、何だ? 私の母の形見が、そんなに気になるのか?」
セツナがロジリアの視線に気付いてしまったらしい。形見の割に彼はぞんざいに、ばしっとそれを叩いた。
「これは、養母の形見だ。実母は私が生まれてすぐに死んでしまった」
「そうなんですか……」
「そう、死んだはず……だったんだがな」
セツナの青い瞳に、翳りが見えた。
「……それは、どういう……?」
しかし、彼はそのことについては、語りたくないらしい。
思い立ったかのように、丁度運ばれてきたばかりのパンをロジリアに勧めてきた。
「なかなか美味いぞ。食べたら、どうだ?」
残念だが、お腹は減っていない。
むしろ吐き気の方が強いのだが、しかし、ここで食べておかなければ、体力がつかないことは分かっていた。
ロジリアは、そろそろと、パンに手を伸ばした。
それは、ロジリアが城の朝食で、好物にしていたクルミパンだった。
「まあ、私のことなど、くだらんことだ」
「いや、くだらないことではないでしょう」
「お前の事情の方が、今は重要だぞ」
「重要ですか?」
「ミガリヤ国内のことだ」
「それがどうしたというのです?」
「内乱が続いて厳しい状態だと聞いていたが、実際……やはり酷いのか?」
「…………ああ、まあ」
苦い気持ちで、くるみパンを頬張ったロジリアは、ぽつりと告げた。
「申し訳ありません。私は、ミガリヤの内乱については、よく分からないのです。ずっと、療養所にいましたから」
「療養所?」
セツナが興味深そうに目を丸くする。
ほとんど、棺桶から出たことのない彼が、この世の中に、そんな場所があるなんて、知るはずもないだろう。
ロジリアは自嘲気味に話した。
「病気を患った者を隔離する施設のようなものです。私の病は伝染するものではないのですが、両親にはそう思われなくて……。あそこには、重病の人ばかりいたから、毎日、あそこで、傷つくというより、死んで行く人間は多かったと思います」
「隔離施設?」
「おおやけには、療養するための施設ですけど……本当は伝染防止の隔離施設だと思っていました」
「隔離施設……療養所……重病人……。なるほど」
セツナは、生真面目に、ぶつぶつと繰り返している。
もう、そろそろ疲れて眠るとか、ぼやきそうな時間だろうに、今日の彼は神経を張り巡らせて、何か……複雑な考え事をしているようだった。
「殿下……。どうしたんです? 急に」
「はっ?」
「ずいぶん、熱心になられましたね。城にいる時は、私に何も尋ねなかったのに?」
「喜ばせたくないのだ。カナンとか、ヨハンを……」
「喜ばせておけば、良いじゃないですか?」
「あいつらが喜ぶと、ろくでもないんだぞ」
意味が分からない。
(疲れたな……)
いよいよ、セツナの相手に疲れたロジリアは、そっと目を伏せた。
下級貴族の長女として生を受けたロジリアだったが、小さい頃に伝染性の病で母を亡くし、父は後妻を迎えた。
その妻との間に出来た子供がミッシェルだった。
ロジリアが体調を崩した時、父が亡き妻と同じ病なのではないかと、勘繰ったのは、今振り返ってみれば、至極当然のように思える。
(まさか……こんなことになるなんて……ね)
思いがけず、寿命が延びて、聖女なんて自らをでっちあげた挙句、隣国までやって来て、今、その国の王子と食堂のテーブルで向かい合って座っているのだ。
もし、ロジリアが正常な状態で、セツナと一緒にいたのなら、もう少し恥じらいと、動揺と恐れ多さを抱いたかもしれない。
――数奇な人生だ。
(一体、私は、いつまでいけるんだろう……)
魔物と会ったのは、半年以上前の一度だけ。
すでに、姿も声も、おぼろげな存在だ。
口では威勢の良いことを言って、自らを鼓舞したところで、実際に再び魔物と対峙してしまったら、短剣一つで敵うはずもないのだ。
魔物に固執して、必死で探しているつもりではいるが、結局、ロジリアは永遠に達成できない目標を設定して走っているだけだ。
(そうしていないと……私は)
そっと、カップを両手で持ってみる。
水面に映る、自分のやつれた顔。それでも生きている自分に、ロジリアは微苦笑した。
「…………ロジリア」
気づくと、セツナがロジリアの手をきつく掴んでいた。
「何ですか?」
「やっぱりだ。お前、熱が出てきたな?」
「そんなことは……」
言いかけて、先程からの頭痛は、熱のせいだと思い知った。
これ以上、弱みは見せられないと、首を横に振る。
「再三言っているとおり、私は平気です。ほら、殿下こそ、棺なしじゃいられないでしょう。速やかに城に戻るべきだと思います」
「私を馬鹿にしているな……」
「どうして、そんなふうに、とらえるんです?」
「それで、お前は一人で血を吐きながら、王都に? 今、私一人で城に戻ったら、お前の弟に私は八つ裂きにされるぞ」
「ミッシェルは、そんな子じゃありませんって」
「私だって、棺依存症ではない。ちょっと、疲れた時に隠れていたいだけだぞ。お前だって、そういう時があるはずだ」
「いや、ないですけど」
この人の持論を聞いていたら、日が暮れてしまいそうだ。
「………いい加減、エレカ、遅いですね」
「お前は女中を待たずに、寝てろ」
「そんな無茶な……」
「あの女中を待っていたら、お前の身がもたないぞ」
「……でも」
「私は医者から、お前に無理をさせるなと、言い渡されている」
セツナの断固とした口調に、ロジリアはたじろいだ。なんだかすべてにおいて、負けた気分だ。
(今まで、外見は大人でも、言動は赤ん坊並みに感じてたのに……)
棺桶がないせいだろうか……。
それともロジリアの死期が近いのか……。
……と、その時だった。
「持ってきましたよ!」
「ひっ」
威勢の良い声と共に、大きな顔がぬっと出てきた。
ロジリアは、思わず椅子からひっくり返りそうになってしまった。
セツナの背後に、再び店主が姿を見せていた。
よほど、セツナはチップを弾んだようだ。
二つ紙袋を差し出して、にこにこしている。
「さっ、用意ができたぞ。ロジリア……」
「えっ、ちょっと……」
当たり前のように、手をぐっと、引っ張られてしまった。
今まで棺桶で、一日中眠っていた人とは思えないくらい、セツナの行動は早かった。