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◆◆◆
――セツナの大好きな……大好物の棺桶があっけなく壊れてしまった。
「あー……その……」
ロジリアのせいなのか……。
(私、そんなに体重、重かったけ?)
むしろ、着々と軽くなっているような気がするのだが……。
壊れた原因は、先ほど、乱暴に扱ったセツナにあるのだろうが、直接的な要因はロジリアにあるので、ここはひとまず謝るしかない。
「ご、ごめんなさい」
深々と、頭を下げてみる。
セツナのことだ。
きっと、また謎の叫び声を上げて、怒られるだろうと、ロジリアは覚悟をしていた。
……が。
「まあ、仕方ない。形あるものは壊れるものだからな」
セツナは意外なくらい、あっけらかんとしていた。
「殿下……?」
「……一応……あれは、養母の形見だったのだが……」
……今、とてつもなく恐ろしいことを口走らなかったか?
「ま、待ってください! それって、ものすごく重要なものじゃないですか?」
そもそも、母の形見が棺桶ということ自体、相当おかしな気もするが……。
それにしたって、普段どうでもよいことで、勝手に怒り出しているくせに、この落ち着きようは何なのだろう?
(殿下が言ってることって、本当なの? サフォリアって、母親が息子に棺桶でも贈る習慣があるわけ?)
混乱する一方だったが、セツナを疑うのは気が引けた。
「それこそ、申し訳ありません! 私は一体どうしたら!?」
「どうしようもないだろう。壊れてしまったのだから……。棺桶とは、子供時代からの長い付き合いではあったが。……そうか……。お前が壊したのか」
「いや……まあ、壊した…のかな? ああ、でも、はい。私のせいです」
壊したという言葉が、心が痛い。
セツナはロジリアを責めている訳ではないようだが……。
「……さてと」
「えっ? 一体、どうするんですか?」
ロジリアの動揺を華麗に無視して、セツナは、大股で歩き出した。
……そして。
何を血迷ったのか、あれほど執着していた白い棺を足で踏みつけ、豪快に破壊し始めたのだった。
「なっ……!? 何してるんですか!?」
とうとう、本格的に頭の螺子がはずれてしまったのだろうか……。
セツナは敵と言わんばかりに、額に汗しながら、徹底的に棺桶を叩き壊していく。
「そこまで、壊さなくても……」
「形見を……取っているのだ」
「……はっ?」
そう答えるや否や、セツナは棺の蓋に取り付けてあった大きな十字の飾りを引き抜き、それを小脇に抱えた。
澄ました顔で、ロジリアの前に戻って来る。
(もしかして、あれが形見?)
確かに、今までも、精緻な彫刻でよくできた棺桶の装飾だと思っていたが……。
「さっ、用は済んだ。行こうか?」
「ちょっと、待って下さい! その十字が形見なんですか?」
「ああ、そうだが? 棺桶自体はまあ、あくまで私の隠れ家で、お守りみたいなものか」
「それを、仰ってくださいよ」
焦った。
いくらなんでも、棺桶を形見にする親もいないだろうと、思っていた。
「目が回って来た」
「それは大変だな。早くどこかで休まないと……」
「そういう意味じゃなく……」
「ほら」
当然のように、セツナは手を差し出してくる。拒否する理由が見当たらないのが困りものだった。
「ひとまず、エレカのところに行きましょうか?」
恐縮しながらも、ロジリアは渋々セツナの手を取った。
(ああ、本当に調子が狂う。嫌になる……)
むず痒さを覚えながら、特に誰かに見つかることもなく、先程の大通りに出ると、なるべく早足で、エレカが馬車を預けているはずの大通り沿いの食堂へと向かった。
店自体は小さいが、隣の開いた空間は広く、既に馬車が数台停まっていた。
しかし、セツナが城から使用していた大きな馬車は、そこになかった。
「確か……ここだったはずですけどね。エレカから聞いた店の名前ですし」
「食堂……のようだな?」
店先の看板に、ナイフとホークの愛らしい彫刻が立てかけてあった。
「入ってみよう……」
セツナを先頭に恐る恐る足を踏み入れてみれば、店内は昼間からおおいに賑わっていた。
四人がけの席が十席程度しかない店内は、客であふれかえっている。
もしかして、エレカがこの中にいるのではないかと、目を凝らしてみたが、店内のどこを見回しても、彼女らしい姿は何処にもなかった。
痺れを切らして、人の好さそうな店主にエレカのことを問うと、彼は首を傾げながら、答えた。
「あれー? その嬢ちゃんなら、ずいぶん前に馬車を引き取って、ここを出て行ったよ」
「………………はっ?」
ロジリアは目を丸くしながら、店主のつぶらな瞳を凝視した。
「それは、本当なんですか?」
「ああ、急いでるって言ってたな。余分に金まで、貰っちまったよ」
「やだ。行かなくちゃ……」
入れ違いになってしまったのではないかと、慌てて来た道を戻ろうとするロジリアの袖を、セツナはがっしりと引き留めていた。
「待て。入れ違いなら、ここに戻って来るはずだろ。うかつに動くな。体力を消耗するぞ」
「でも」
「お前みたいな人間が勝手に迷子になって、周囲の手を煩わすんだ」
「………うっ」
ぐうの音も出やしない。
ロジリアは押し黙るしかなかった。
この王子様は時々、至極もっともなことを口にするので、困るのだ。
「奥の席が空いている。行こう」
そして、一人で率先して、壁際奥の四人掛け席の真ん中に堂々座ってしまうと、ふんぞり返って、ロジリアを手前の席に手招きした。
「早く来い。私は今日数年振りの運動をして、疲れ果てたのだ」
「…………はあ」
言葉の割に、足取りが軽めなのは癇に障るが、ロジリアは、とりあえず店主に水を頼んだ。
てっきり一般教養が欠落しているのだと決めつけていたセツナだったが、しかし、こういう食堂には来たことがあるようで、チップと称して店主に相応の金を渡していた。
しかも、金を渡す際に、店主に何やら耳打ちしている。
何だろうと、ロジリアは耳を澄ませてみたが、セツナの声は小さく、ぼそぼそしていて、一言も聞き取れなかった。
「殿下……? 一体、何を頼んだんです?」
「ああ、色々とな」
どうせ、説明するのが面倒なのだ。
セツナは頬杖をついて、茶を啜っている。
金髪碧眼の超絶美形。
純白の詰め入りの正装と、外套は人目につくはずなのだが……。
(こんなに目立っているのに、誰も来ないわね)
適度に店内は混んでいるにも関わらず、先程のように、民衆の皆さまから、円陣で取り囲まれるような事態にはならなかった。
(棺桶がないせい? でも、私だって同じ格好なのに……)
「聖女様」と誰一人、店内の者は声を掛けて来なかった。
大体、先ほどの乱闘騒ぎだって、裏通りとはいえ、あれだけ大立ち回りしたにも関わらず、誰も人が駆けつけてこないのは、おかしなことだった。
最初から、あの場に、誰も来ないように手配した人物がいたはずだ。
「殿下……。先ほど、ご自分を狙った犯人の目星がついているという話でしたが、それは、やはり……内部犯だったのですか?」
「ああ……そのことか」
セツナは、自分の白服の汚れを気にしながら、投げやり口調で答えた。
「犯人の目星はついている。目的もな……。どうせ、ミガリヤ絡みだ。あの太刀筋は、ミガリヤの一流派の独特のものだからな」
「太刀筋で、人種まで分かるのですか?」
「ヨハンが各国の剣術や体術に精通している」
セツナは何てこともないように、しれっと答えた。
――一体、ヨハンとは、何者なのだろう?
いや、それよりも、ロジリアにはセツナに言っておきたいことがあった。
「殿下……ミガリヤ国王は、この国にある聖杯を狙っています。もしかしたら、それが目的で、何か仕掛けてきているのかもしれません」
「……だろうと思っていた」
「…………はっ?」
一言もセツナに、ミガリヤ王の要求のことは話したことがなかったのに、彼はとっくに知っていたらしい。
「私、お話していませんよね?」
「最初に聖杯について、怪しげに尋ねてきたのは、お前だろう? 誰だって、お前の目的は聖杯だと気づくはずだ」
そう、早口で告げると、セツナは軽く息を吐いてから、にやりと口角を上げたのだった。