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◆◆◆
(……これって、相当まずい展開よね)
ロジリアは、後悔していた。
先日の件で刺客たちも、学習したらしく、頭から顔を覆っていた布を更に厚くして、目の下まできっちりと巻いていた。
更に、ロジリアの視線に合わせないように、こちらを向かずに、極力下を向くようにしている。
「意味の分からないことを言ってないで、そこをどいて下さいよ。殿下」
目を合わさずに、やみくもに切りかかることなどできるはずがない。
隙をつけば良いだけだと、ロジリアは己を叱咤する。
男達の足止めなんて、簡単なはずだ。
「一応、長い間、城に置いてもらった恩がありますから、やれるだけのことはしますよ」
「待て。ロジリア」
セツナの呼び声を無視して、ロジリアは男たちに向かって、歩き始めるが……。
…………おかしい。
通行人が、一人もいなかった。
疎らに展開している商店も、営業すらしていない。
もっとも、その方がロジリアも集中はしやすいから良いのだが……。
「ともかく……」
考え込んでいる暇はない。
ロジリアは目をつむり、胸元の十字架を握りしめて、精一杯の力を身体から絞り出した。
(奴らをひきつけるだけ、ひきつけて……)
そうして、深呼吸をしてから、カッと瞳を見開いた。
……しかし。
「危ないっ!!」
「ひっ!?」
何の前触れもなく、セツナがロジリアを横倒しにしてきた。
「ちょ、ちょっと……ごほっ」
驚きの余り、咳が止まらない。
それなのに、セツナはロジリアの体調などお構いなしに、捲し立てた。
「何をやっているんだ!? お前、私を庇って死ぬ気か? 本当に馬鹿なのか?」
「……いや、まさに……今死にそう……ごほっ」
咳き込むロジリアを睨みながら、セツナは主張を止めようとはしなかった。
「体力的に女中と逃げることが、無理なのは分かっていた。見栄を張って、ここに残ったことは理解できる。でも、そこで本当に立ち向かって行ってどうするのだ。こんなところで、寿命を使い切るつもりか?」
「だから、一体……何を言って……?」
ようやく、咳が止まったものの、今度は体の感覚が鮮明になった。
全身が潰されるほど重く感じるセツナがロジリアの上にのしかかっているからだ。
(これじゃあ、私が動こうにも、動けないじゃない?)
しばらくセツナの謎の行動に怯んだ刺客達も、体勢を立て直し、再度、セツナ目がけて殺到して来る。
「殿下! 貴方は私の力を期待してるから、城を出て私と一緒に来たんでしょう。だったら、私が仕留めるしかないじゃないですか。いいから、そこをどいて下さい」
何とか強気な笑みで、迫ってみるものの……。
「嫌だ」
――一蹴だった。
「お前は体が悪いんだ。だったら、迷うことないだろう。私を置いておけ。もっと上手く私を使え。一人で突っ走るな」
「殿下……。しかし……ですね」
この状況で、彼に何が出来るのか……。
セツナは優しいのかも……しれない。
でも、武芸の点ではどうだろう?
ただ棺桶の中で、日々赤ん坊のように睡眠をむさぼっているだけの彼に、刺客たちと対峙できるほどの力があるとは思えなかった。
それでも、セツナは言い切るのだ。
「私がやる」
転瞬、身体を反転させると、彼は勢いよく身を起こした。
「ま、待って下さい!」
ロジリアはそんな彼の袖の端を掴んだ。
「……いいですよ、殿下。こういう人たちの相手は、私のような棺桶に足を突っ込んでいるような人間の仕事ってことでしょ。大丈夫です。今回は死なないつもりですから。だから、殿下はミッシェルのことを」
「ああ、もう、ごちゃごちゃ、うるさい女だな! 奴らの太刀筋くらい、見極めさせろ」
「…………はっ?」
「嘘でも棺桶に足を突っ込んでいるなどと言うな。毎日どっぷり入り込んでいる私はどうすれば良いのだ」
「…………それは」
よもや、ここで、そんな返しがくるとは思っていなかった。
……そして。
ロジリアが言い淀んでいる間に、セツナは、背中の棺桶を軽々持ち上げると、棺の蓋を、彼らに向かって、おもいきり投げ飛ばしたのだった。
「………………はっ?」
三人並んでいた刺客は、突然の攻撃にとっさに飛び退いたが、真ん中の小男だけは避けられずに、腹に直撃をくらい、前のめりに倒れてしまった。
ロジリアは、閉口した。
上体を起こし、セツナを見守ることしかできなかった。
セツナは、華奢なくせして、見るからに重そうな棺桶を自在に振り回している。
「なにっ……!」
「……んな馬鹿な!」
刺客たちも、ロジリア同様、目を丸くしていた。
(本当に……棺で戦っているのね)
想定外の武器に、刺客たちも剣一本でどう戦って良いのか分からない様子だ。
仕方なく、二人で呼吸を合わせて、一気にセツナ目がけて飛びかかってきた。
だが、セツナは慌てるふうでもなく、剣を構えた刺客二人共々、棺の縁にすいこむように、なぎ倒していった。
「ああ、これは……」
(……もしかして、めちゃくちゃ力持ちで、強いわけ)
彼は、まったく呼吸を乱していない。
倒れた刺客が起き上がるのを、阻止するためか、長い足を使って、楽々と男どもを蹴り上げている。
(いきなりやって、出来ることではないわよね)
きっと、似たようなことを、彼は幾度も行ってきたのだ。
(…………ちょっと、ヨハンって、何者なのよ?)
育て親が、彼を歪な人間に養育してしまったに違いない。
「…………殿下がこんなに強いなら、一体、私は」
「あのな。最初の襲撃の時だって、私はお前に、どうにかしてくれと、頼んだ覚えはないぞ」
――確かに。
思い返してみれば、セツナに、どうにかしてくれと、泣きつかれた覚えはない。
ロジリアが痺れを切らして、手を出しただけだ。
「忘れやすい……という設定だったのでは?」
「そうだったかな……」
前回、セツナが刺客を逃したのは、単にどうでも良かったからだ。
彼らが束で襲いかかってきても、返り討ちにする自信をセツナは持っていたということなのか……。
「性格が悪いですよ。……今度こそ、この人たち捕えてあげないと。気の毒すぎます」
「はっ、なぜ、賊の方が気の毒なのだ? お前はここで私を労り、賞賛するべきだろう?」
「だって……痛い目に遭うの……二度で充分……で」
――と、そこまで言いかけて、再び咳き込んでしまったロゼリアは、胸を押さえた。
セツナと刺客の大立ち回りで、舞い上がった埃を吸ってしまったらしい。
しばらくすれば、落ち着いて来ると、待ってはいるものの、なかなか収まる気配がない。
痺れを切らしたセツナが、大股でやって来た。
「おい!? 本当に、お前……大丈夫なのか?」
「…………ちょっと、埃を吸っただけですから」
セツナは無遠慮に、ロジリアの額に手を当てた。
「熱はないようだが、顔色が悪い。やはり、城に戻って……」
「平気ですっ……て!」
それだけは、嫌だった。
ここで城に戻ったら、今度こそ、出歩けなくなってしまう。
「私はいいんです。殿下は賊の方に……」
「何度も言わせるな。賊なんかより、お前の方が危険だ」
また、こうなってしまうのか……。
ロジリアが注意を向けると、すでに倒れ込んでいた刺客たちの姿はなかった。
セツナは、彼らを再び逃してしまったのだ。
(わざとじゃないの……?)
そう感じるほどに、セツナは彼らに対して興味がないようだった。
「……なん……で?」
息も絶え絶えに問うと、セツナは何てこともないように、ふんわりと答えた。
「別にいい。犯人の狙いと、まあ、大方の目星はついた」
「だ……れ……?」
「今はそれどころじゃないだろう。ほら、まずはお前の咳を止めよう。薬持っているか? 水を飲んで……」
「はっ……」
肯定したくても、ちゃんとした言葉を作れなかった。
内ポケットの中に、突っ込んでいた薬をロジリアは口の中に押し込んだ。
「水は……」
たどたどしいロジリアの動きに、機敏に反応したセツナは、無言で、ロジリアの肩掛け鞄の中をあさった。
そして、水の入った皮革を取りだして、きつい結びを取ると、ロジリアにさっと手渡した。
「あり……がと……うござい……ます」
何とか礼を述べて、それを受け取ったロジリアだったが、しかし、咳は止まったものの、激しい運動をした後のような状況で、手が震えて正確に口元に持っていくことができなかった。
水すら上手く飲むことが出来ないなんて、屈辱だ。
口の中で広がった薬の苦味が不味くて、泣いてしまいそうだった。
「ああ、もう……貸してみろ」
すっかり弱り切っているロジリアから、セツナは強引に、皮革を掻っ攫う。
「な……に……を……?」
――と、涙目を向けたら、目の前で、ロジリアの想定外の事態が起こっていた。
セツナは何を思ったのか、自分が水を口に含むと、ロジリアを抱き寄せたのだった。
「はあっ?」
(ちょっと待って。この場で、口移し?)
すでに、セツナの手が、ロジリアの顎にかかっている。
これは、まずい。
この世間知らずの王子は、普通に本気だった。
「ま、ま、待った!」
苦しい息の下で、ロジリアは必死にセツナの胸を押し戻した。
「だ、駄……目でしょ……さすが……に、それは」
ロジリアの病は、伝染性のものではない。
それを知っているからこそ、セツナも人助けのつもりで、こんなことをするのだろうが、いや、それでも……。
(私…………したことないし)
それどころではないのは、重々承知だ。
だけど、どうしても踏ん切りがつかない。
――おい、この緊急事に、一体何を言っているんだ?
セツナの目が露骨にそう訴えていたとしても……。
回数に含めなければ良いと、割り切ろうとしても、やはり済し崩しは悲しい。
「ごほっ」
思いつめていたら、肺を圧迫するような重い咳がぶり返してきた。
(背中が痛い)
あばら骨が折れてしまうのではないかと感じるくらい、辛くなった。
「ロジリア……?」
セツナは、仕方なく水を自分で飲んだようだった。
(……これでいい)
「はあ……」
やっと、自力で激しい咳の連鎖を落ち着かせたロジリアは、すっかり力が抜けてしまって、そのまま、ぺたりとその場に座ってしまった。
(あれ?)
しかし、そこは地面ではなかった。
磨きあげられた木材の感触……
「棺……?」
セツナの棺桶の上だったらしい。
滑らかな座り心地に、ロジリアがようやく落ち着いた頃で、いまだに納得のいかないセツナが、ロジリアと目線を合わせてきた。
「お前な……。そこまで私を毛嫌いしなくても良いだろう。私は毎日、歯はちゃんと磨いているぞ?」
「殿下……そういう問題じゃなくて……ですね」
しかし、詳しく説明したところで、どうせ、セツナには伝わらないだろう。
ようやく、身体が楽になってきたロジリアは、ゆっくり深呼吸をして、セツナに微笑みを返した。
「すいません。私の方の問題ですから。殿下は気になさらないで下さい」
「こういう時だけ、お前はにっこりと笑うんだな」
物憂げな青い瞳が、ロジリアをじっと見つめている。
「……そんなに、じろじろ見ないで頂けませんか」
「ほら、動けるようになったのなら、そこをどいてくれないか?」
「…………へっ?」
こちらの葛藤をよそに、セツナはいつも通りあっさりとしていた。
軽やかに立ち上がったセツナがロジリアに、手を差し出してくる。
「お前は、私の『手』なら、嫌ではないだろう?」
「えっ、あっ、はあ……」
戸惑うロジリアだったが、セツナの目は棺桶に注がれていた。
(これって、もしかして?)
まずい。
自分以外の人間が愛しの棺桶に触ることを、毛嫌いしているとか?
ロジリアは慌てて、謝った。
「申し訳ありません。この棺桶は、殿下の大切にしているものですね。私、つい座ってしまって」
「それはいいのだ。重要なのは別で……。いや、とりあえず、そこから、どいてくれないか?」
彼にしては、珍しく歯切れが悪い。
ロジリアは、首をひねりながら、セツナの手をおそるおそる取って、立ち上がった。
――が、その途端。
がたんと音を立てて、棺桶は崩れた。
「…………はっ」
振り返ってみれば、ある意味、襲撃を受けたことより、衝撃的な光景が広がっていた。
「…………壊れたな」
セツナの呟きがやけに遠くに聞こえる。
(嘘でしょ!? 私が破壊したってことなの!?)
ロジリアは、彼の顔をまともに見ることが出来なかった。
――まさかの形で、セツナの特注棺桶は、全壊してしまったのだった。




