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「ちょっと、一体……何をなさっているんですか?」
「いや、お前の手は温かいだろ。生きてるんだなって……」
まさかの生存確認だったらしい。
(……謎すぎるわ)
散々、咳をして喀血したところまで見たからなのか、彼には一切の遠慮がなかった。
「そりゃあ、生きていますよ。死んでたら、血は吐きませんからね」
しかも、この王子、強引に振り解くことが出来ないほどの馬鹿力だった。
「そうだよな。お前の手は細くて、柔らかい。力を少し込めたら、折れてしまいそうな弱々しさだ」
「細いからって、折らないで下さいね。これ以上、痛むと、私の死期が早まるので」
「しかし、こんなに軟弱で、お前はその魔物とやらに、勝てるのか?」
「や……やるしかありませんから」
「でも、その魔物、相当手強いのでは?」
「だから、いい加減、離して下さい」
強い口調で訴えて、ようやく、セツナは手を離してくれた。
そして、隣の棺の上に、こてんと座ってしまった。
棺桶は、さながら彼にとっての万能機具のようだ。
「それにしてもな、お前はどうして、サフォリア国内に、魔物がいると思うのだ。この国とて、広いのだぞ。そう簡単に、分かるものなのか?」
「それは……魔物がミッシェルに」
「それもまた……魔物か」
「いいえ。それだけじゃありません。私にはこの国に、魔物がいることは、分かっているんです。こう……感覚で……」
「つまり、お前は、その瞳、身体を通して、魔物と繋がっているんだな」
「…………はい」
「まったく、便利に細工されたものだ」
実際、何処にいるのかまでは掴めないが、魔物は確実にサフォリアにいるのだ。
セツナは、うんともすんとも言わずに、小難しい表情で、考え込んでいるようだったが……やがて。
「疲れたな」
おかしい。
疲れているのは、絶対にロジリアの方だ。
(はいはい)
まあ……分かる。
確かに、そろそろ言い出しそうな気配はあった。
ロジリアは、先日の二の舞にならないよう、寝台の上に棒立ちになって、セツナの白い外套の端を掴んだ。
「ええ、ですから。殿下。お疲れの貴方さまをこれ以上、煩わせません。暗殺騒動もあってお忙しいようですし、入国の許可さえ出して下されば、私一人でケリをつけます」
「それで、お前の弟は、どうするんだ?」
「置いて行きます」
きっぱりと言い放つと、セツナの眉間の皺が濃くなった。
「…………ここに……か?」
「殿下がサフォリア国内に入れて下さったら、何処かであの子を置いていこうと思います。でも、ご心配なさらないでください。ここで定住なんてしませんから。あの子も大人です。一人でミガリヤに帰れますよ」
「それで、弟はともかく、お前はどうなるんだ?」
「魔物の力で延命しているだけの私は、魔物を仕留めれば、きっと死ぬでしょう。あの子は優しい子だから、私が魔物と戦うことを、本当は望んでいない。私が戦って死ぬところを見せるのは酷だと思ったのです」
セツナは、納得していないようだった。
しきりに首を傾げている。
「……で? たった一人でお前が行って、魔物とやらを、仕留める前に野垂れ死んでしまったら、どうするのだ?」
「……大丈夫ですって。私はそれまで、絶対に死ぬつもりはないのです」
正直、死にそうなほど怠いのだが、でも、まだ喋ることはできるし、経験上、力を使って倒れても、少し休めば動くことかできるのだ。
魔物の力が微妙な形で働いていて、ロジリアの生命活動を維持しているようだった。
ならば、魔物の方だって、早々にロジリアが死んでしまったら、つまらないのではないか?
どうせなら、綺麗さっぱり、病の諸症状も除去してくれたら良かったが、きっと、それも含めて、魔物のお遊びなのだ。
「だから、殿下……。お願いします。私をサフォリア国内に……」
ロジリアは必死になってセツナに迫ったものの、しかし、彼は眠たそうな顔をしながらも、本当はロジリアの真意に気づいているのかもしれない。
どうしようもなく、揺らいでいるのはロジリアの方なのだ。
「へえ……。本当に、それだけなのか?」
「えっ?」
「お前の本心は、どこにある?」
セツナは、ロジリアの胸元の十字架の首飾りを指差した。
「医者がお前の体を検めた時に気づいたのだ。悲しいな。金色の瞳の力は、お前にとって、負担が大きすぎる。だから、短剣なんてものを持ち歩いているんだ」
はっとしたロジリアは、胸元の十字架の首飾りを隠すように握りしめた。
この首飾りは裏の突起を押すと先端から刃が出る仕組みとなっている。
暗器だった。
ミガリヤ国王にせっついて、作ってもらったのだが、今まで一度も他人に対して、使用したことはなかった。
「知っていて、殿下は、なぜ回収しないんですか?」
「そのような短剣では、相当至近距離からでなければ、人を殺すことは出来ないだろう。取り上げるまでもない。正真正銘の護身用だ。魔物の力がお前の力なら、魔物相手に力は使えない。だからこその攻撃手段というところなのだろうが……。逆にそれで、本当に魔物とやらに敵うとお前が思ってるのなら、驚くところだ」
「……それは、やってみなきゃ分からないと申しますか」
「だから、お前の言葉は絶対の本心ではないのだ」
セツナは唇をとがらせて、ロジリアを凝視していた。
澄み切った瞳は、むしろ物事の本質を見抜く力があるらしい。
彼はとてつもない変人だが、同時に常人が見逃してしまいそうな小さな表情も、しっかり確認しているようだった。
「……………殿下」
「何だ?」
不機嫌な表情をしているくせして、セツナはロジリアの呼びかけには、応えてくれるらしい。
「………………殿下は、私が……嫌じゃないんですか?」
「嫌? お前をか?」
訝しげに、腕組みをしている。
ロジリアの質問の趣旨を理解してない証拠だった。
それでも、彼にじっと見つめられていると、今の言葉は忘れてください……と、撤回することができなかった。
「……ほら、私のこと、気持ち悪いとか、 伝染しそうとか……思いませんか?」
「どうして?」
「どうしてって……。私、病気持ちですし、変な力もあるし……そういうのって、嫌われるものじゃないですか?」
「私だって病気を患ってるぞ。医者からは、治る見込みがないと言われている。まあ、どこが病んでいるのかは、未だに教えてもらえないのだが……。それに、変な力とやらも、私にはあるようだから……お前と私は同じだ。どうして、お前を嫌う必要があるんだ?」
めちゃくちゃな理屈を、平然と語ってくる。
でも、彼はロジリアの病を知っても避けない。
どちらかというと、理解をしようと努めている感じもするのだ。
「……やっぱり、まだ、怠そうだな」
セツナはそう呟きつつ、懐から小さく折り畳んである薬紙を、ロジリアに突きつけた。
「何です?」
丁重に薬紙を開いてみると、そこには白い粉末があった。
「毒?」
「今にも死にそうな女に、そんな手の込んだことをするか。良い薬があると聞いたので、取り寄せてみたのだ。飲んでみろ。よく眠れるはずだ」
「ありがとう……ございます。殿下」
病気のことを知られてしまった時、ロジリアと積極的に関わろうとしてくれたのは、唯一ミッシェルくらいのものだった。
(この人は、私のことを知っていて、どうして変わらないのだろう?)
セツナにとっては、憐れな病人に対する施しのつもりでも、勝手な誤解をしてしまいそうで……怖かった。
「でも、殿下。私は……早く魔物に……」
療養している場合ではないのだ。
早く遠くに行きたい。
それは、ミッシェルの目を治してあげたいという気持ちもあったが、もっと独りよがりで切実な……。
(きっと本心はね、私のわがままなのよ。殿下)
ロジリアは意地で武装して、毅然と背筋を伸ばしてみせたが……。
「その身体でか?」
セツナは容赦なかった。
「やめておけ。今は入国云々に関わらず、体力をつける時だ。喋らず、じっとして、眠っていろ」
「ですが……」
「じれったいな」
眠るどころか、目を大きく見開き、セツナの反応を待っているロジリアに痺れを切らしたのか、セツナは棺桶の中に引っ込もうとしていた。
「ま、待ってください」
「私は眠いのだ。おやすみ」
セツナが面倒くさそうに、手を振っている。
――いいから、ロジリアも寝てろという意味らしい。
やはり、無理だったか……と、がくりと肩を落としていると……。
「あのな……ドジリア」
棺の中から、くぐもった声がした。
「だから、私は、ドジリアじゃないと……」
反射的に言い返したロジリアの怒りを鎮めるように、セツナは間髪入れずに言い放った。
「監視付きで良ければ、お前を国内に入れてやってもいい」
「へっ?」
「でも、監視が駄目なら、入れてやらない」
「それは、つまり……」
そこに至って、ロジリアはようやく彼の言葉の内容を咀嚼した。
「…………本気ですか?」
「ああ、私はいつも本気だ。ただ少し忘れっぽくて、疲れやすいだけなのだ」
――それが一番の問題なのではないか?
そうして、一方的にそう宣言したセツナは、いそいそと棺の蓋を閉めると、あっという間に眠りについてしまったのだった。
(やっぱり、分からないわ。この人)
まさか、ロジリアのすぐ隣に棺桶を置いて、勝手に寝てしまうとは、思ってもみなかったし、あっさり、サフォリアの入国を許可する方向に動くとも考えていなかった。
――生まれてこの方、ここまで分からない人に、ロジリアは会ったことがなかった。