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◇◇◇
――無味乾燥な毎日を、渋々生きていた。
だから、彼は今日も、いつもと変わらない一日を過ごすだろうと思っていた。
とっくに、日が高く上っていることは知っていたが、彼は暗い寝所で、いつまでも、うとうと揺蕩っていた。
それが、彼の日常だった。
それで、満足だったはずなのに……。
今日はいつもと違う騒々しさに、強制的に起こされてしまった。
不法入国者が現れたのだと、侍従長が彼に告げた。
しかも、正々堂々、門番に『ミガリヤ人』と名乗ったらしい。
隣国ミガリヤとは、ここ数十年ばかり国交がない。
それでも、不法入国者は後を絶たないわけだが、ここまで堂々とやって来た人間は例がなかった。
――愚かな奴だ。
見回りの兵士にでも変装するなどして、勝手に抜けてくれるのなら、こちらも見逃すことができるが、名乗られてしまっては違法だとつっぱねるしかない。
役人とは、そういうものなのだから……。
少し頭を働かせれば分かることなのに、その程度のことも失念していたのか……。
――もっとも。
(……私には、関係ないけれどな)
突き返すのは、青年の仕事ではない。
青年は漫然とここにいるだけで良くて、他事に気を取られるのは、本意ではないのだ。
下手に動くとろくなことがないし、第一、疲れるではないか。
けれども、理性とは裏腹に、青年の好奇心は大いに刺激された。
ここ数十年、何事にも興味を示さなかったのに、その侵入者が少女だと耳にしたとき、胸がざわついたのだ。
(どうして、女の子が……?)
少女は、武装もしていないのだという。
青年は、突き動かされるように、揺籃のような寝床から出て、最上階の小窓から、少女らしき姿を見下ろした。
小柄な体躯は報告通り、女性のものだと分かったが、その容貌は目深にかぶったローブのフードに覆われて分からなかった。
いや、それよりも、気になったのは、少女の足元だった。
――無数の矢が突き刺さっている。
丸腰の相手に武器を向けるなんて、この国らしからぬ暴挙ではないか。
青年は、密かに腹を立てた。
ただの威嚇だと、副官は口にしたが、青年は言葉通り受け取ることはできなかった。
大勢の兵士たちが彼女の動向を固唾を飲んで見守っている。
どんな屈強な男でも、こんなに大勢の兵士たちに囲まれたら、足が竦むはずなのに……。
(あの娘は、怖く……ないのか?)
少女は怯えも恐れも見せず、平然としていた。
頬に赤い一線。
出血しているのに、毅然とそのまま、しっかりした足取りで跳ね橋を渡って来る。
(橋なんて渡っていたら、逃げ場もないではないか……)
死ぬために、来るようなものだ。
矢挟間で、弓兵が再び身構えるのを目撃した。
青年は息を呑んだ。
直ちにやめさせるよう、副官には命じたが、果たして間に合うかどうか……。
――その時だった。
少女は、唐突に沈黙を破った。
「私の名前は、ロジリア=ヒースロッド。ミガリヤ王より、聖女を拝命した者です。時間がないのです。早くここを通して下さい!」
稲妻のごとき大音声だった。
――聖女?
それは、世界を救うための力を持った清らかな乙女のことだ。
神話の世界の女性のことではないか?
(絶対に、存在しないと思っていたのだが……)
強風にあおられ、彼女のかぶっていたフードがはずれた。
真夏の太陽のように燃える紅蓮の髪。
金色の瞳がちらりと青年を見たような……気がした。
―――そうだ。
青年はその瞳の色を、長い間、待っていたのだ。




