5話
我がノグダリア王国に1000もの神が集う理由。
それは神話の時代まで遡ります。我が国の聖書には、こう書かれています。
『かつて地上の覇権を争い、神々と人間達の間で戦争が起きた。そして神々に味方した人間も少なからずいた』
……と。
神々と人間の戦争は、もちろん神々の圧倒的勝利に終わりました。そして神々に味方した人間が住む土地には、大いなる加護が与えられることになったのです。
それがノグダリア。神々に味方した人間が祖となり、この国は生まれたのです。
それ以来、神の加護が存在するノグダリアは、この大陸で一番の強国となりました。
『神の加護に守られたノグダリア』
と
『神の加護がないその他の国』
の二つに分けられるといっても過言ではありません。
ですからノグダリアでは、「加護のない国」を蔑視する傾向が非常に強いのです。
何かあったら再び神が助けてくれる。
歴史的にもそんな思いが背景にあったのでしょう。
国王陛下の野望は、止まるところを知りませんでした。
次々に各国に兵を送り、その領土を手中に収めんと画策されます。
ですが神々の威光で戦に勝てたのは、あくまで神話の時代の話。
現在は稀に加護持ちが生まれる程度の恩恵しかない国が、複数の国に無策同然に戦を仕掛けて勝てる道理はありません。
やがて子供が欲しいと、私の住む屋敷前に並んでいた人々も、忽然と姿を消しました。
やっと念願の子供を妊娠したのに、これからこの国はどうなるの……と未来を憂う声が、巷のあちらこちらで聞かれるようになりました。
勇気を出して、戦争をやめるべきだと国王陛下に諫言したある重臣は、一家全員処刑されてしまいました。
こうして人心は疲弊し、緩やかに王家から離れていきます。
ですがそのことを、渦中にある国王陛下だけが知らずにいるのです。
そんな中、約半年の遠征を終えて、アルディス様が王都に戻って参られました。
――ああ、神よ、
この方を無事に帰してくださったことに、深く感謝いたします。
そう胸を熱くするものの、五体無事に帰ってきたことが決して素晴らしいわけではないと、すぐに気づかされました。
半年ぶりにお会いしたアルディス様の面影は、初めてお会いした時とは真逆の、とても暗く淀んだ印象を私に与えました。アルディス様に似つかわしくない無精ひげも生え、少し痩せてしまったような気がします。
それでも以前と変わらないのは、私を見つめる温かな眼差しでした。
「エリス殿、ただ今戻りました。長らく王都を留守にし、あなたを不安にさせてしまい申し訳ありません」
「いいえ、アルディス様がご無事に戻られたことが全てです。長のお勤め、大変ご苦労様でございました」
私はアルディス様がいつ帰られてもいいように、毎日サンドウィッチを用意して待っていました。それを温かな紅茶と共にお出しし、アルディス様の労をねぎらいます。
「ありがとう。戦場でもあなたのサンドウィッチを頬張る夢を見ました。今回の遠征は色々ひどくてね。臭い干し肉くらいしか支給されない日もあり……」
私のサンドウィッチを一口食べたところで、不意にアルディス様が声を詰まらせました。
「………っ、………!」
「どうなさいました? 私、何か粗相でも?」
急に口元を押さえ、うずくまったアルディス様を見て私は焦りました。急いで席を立ちあがり、アルディス様のそばに近づきます。
「すまない。あなたのサンドウィッチを食べていたら、兄や弟のことが思い出されて……」
「お兄様と……弟君?」
「二人とも先日亡くなりました。私と同じく陛下に命じられソールリカ侵攻軍に従軍していたのです」
「!」
アルディス様の口から語られるのは、予想だにしない痛ましい事実でした。
いいえ、それだけではありません。
アルディス様の苦しみは、私が考える以上に深かったのです。
「兄や弟だけではありません。私の部下も、たくさん戦死しました。中にはまだ結婚したばかりの、将来を嘱望されていた部下もいました。ですが私は指揮官として、彼を生かしてこの王都に帰すことができなかった。それほど罪深い身なのに、私はガスクールの加護のおかげで戦場で取り乱すこともなく、おめおめと生き延びてしまったのです」
「それはアルディス様のせいではありません。どうかそんなに自分をお責めにならないで下さい」
嘆きの淵にいるアルディス様に対し、私はありきたりな慰めの言葉しか言えません。アルディス様はかぶりを振り、目尻に涙を滲ませます。
「いいえ、私がもっとしっかりしていたなら……。亡くなった部下達も、こんな風に妻や家族の手作り料理を食べられたかもしれない。それなのに私は部下の無残な遺体を前にしても、涙一つ零せませんでした。頭の片隅で、戦争ならば多少の犠牲は仕方ない……と、冷酷に判断している自分がいました。兄や弟についても同様です。二人の戦死の報を受け取った時も、ああ、そうか……としか思わなかったのです。あの時ほど、ガスクールの加護を呪ったことはありません。肝心な時に限って、人間らしい感情は私の中から排除されてしまう」
「アルディス様……」
それは初めて見る、アルディス様の弱々しいお姿でした。
戦場でどれほどお辛い目に遭ったのでしょう。この王都でのうのうと暮らしていた私には想像できないほどの悲劇が繰り広げられたに違いありません。
「それなのにこうしてあなたに会った途端、私の中で何かが切れてしまいました。申し訳ない。あなたにこんな情けない姿を見せることになるなんて……」
「いいえ、いいえ。情けないなんてことはありません。誰かの死を悼み、思いやれるあなたは、お優しい方です。冷酷なはずがありません」
「………そうでしょうか」
アルディス様は私を見上げ、ふっと悲しげに微笑まれました。
その笑顔を見た瞬間、私の胸に熱くこみ上げるものがありました。
ああこんな私でも、アルディス様の心を少しでも軽くして差し上げたい。
この方の心を守りたい。
その強い思いが後押しとなって、気づけば私は椅子に座るアルディス様を真上から抱きしめていました。
「エ、エリス殿!?」
「ご家族や部下の皆さんの死に涙できなかったのでしたら、今ここでどうぞ。ここには私しかおりません」
「……っ!」
逞しいアルディス様の体が、私の両腕の中で大きく震えました。
大事な人の死に涙することは、悲しみや苦しみを昇華させてくれます。節制と理性の神のせいで泣けないのだとしたなら、アルディス様の中で悲しみと言う雪はしんしんと降り積もり、やがて決して溶けない凍土になってしまうでしょう。
だからその心を癒して差し上げたかった。
アルディス様にとって束の間の陽だまりになりたかった。
けれど――
「……だめだ、だめだ、だめだ、こんなことはいけない。エリス殿、男相手にこのようなことをしてはいけませんっ」
「……え?」
――ぱしり。
アルディス様は私の手を軽く払いのけ、勢いよく椅子から立ち上がりました。
私を見つめる瞳には戸惑いの色が濃く浮かんでいます。
私はハッと我に返りました。私ごときが何て失礼なことをしてしまったのでしょう。自分の愚かさに気づいて、体が竦みました。