4話
私は知りませんでした。
でも知ってしまいました。
アルディス様に向かう気持ちが「恋」というものだと。
ですが自分の気持ちを自覚してから、私はアルディス様の前で平静を保つことができなくなりました。
「エリス殿?」
「っ!」
あれからアルディス様は続々と、不妊のご夫婦を屋敷に連れていらっしゃるようになりました。ですが私はまっすぐアルディス様の目を見ることができません。
お優しいアルディス様を見てしまえば、もっとその声を聞きたい、もっとここにいてほしいと、身の程知らずな願いばかりが膨らんでしまうからです。
だから私はとても不自然な態度でアルディス様に接するようになりました。
具体的に言えば話しかけられてもうまく答えらず、どもる。
目が合えば、すぐに視線を逸らす。
不用意にアルディス様のそばに近寄らない……などです。
そんな失礼な態度は、すぐにアルディス様に気づかれてしまいました。アルディス様は悲しげに微笑みながら、私に問います。
「もしかしたら私は何か、あなたに失礼をしてしまいましたか?」
――と。
いいえ、違います。失礼なのは私のほう。
勝手にあなたに好意を抱き、でもその気持ちを持て余してどうしたらいいかわからず、こんな態度しか取れない私をどうか許してください。
私は心の中で、必死にアルディス様に謝罪しました。
ですが実際に言葉に出さなければ、思いは伝わらない。
結局アルディス様は私の許を訪ねても、用件だけを済ますとすぐに帰られるようになってしまいました。
以前のように一緒にお茶をしたり、楽しく語らいあうこともない。
なんて愚かなのでしょう。私は自分からアルディス様との唯一の接点を断ち切ってしまったのです。
もちろんアルディス様は私をお責めにならず、常に紳士的に接して下さいます。
ですが一度開いた二人の距離は、容易に戻ることはありませんでした。
そんな中、時は容赦なく過ぎていきます。
アルディス様との仲が気まずいまま、あっという間に一つの季節を越えました。
そしてその頃になると、王都でも私の存在が大きな声で噂されるようになったのです。
――どうやら不妊を治してくれる聖女がいるらしい。
――その聖女の祝福を受ければ、どんな身分の者でもたくさんの子を持てるらしい。
いつの間にか評判は評判を呼び、私が住む屋敷の前には、子を望むたくさんの夫婦が長蛇の列を作るようになりました。
この頃から、アルヴィス様も私の周りの警護を増やし、どうしたら私が心穏やかに過ごせるだろうかと、苦心なさっていたようです。
それにしても私が聖女と噂されるなんて、皮肉もいいところです。
私はそんな大それた存在ではありません。
ですがエウローニャの加護は、とうとうノグダリア王家にまで及びました。
――なんと後宮で何人もの側妃が、王の子を同時に身籠ったのです。
この吉報に国中が湧き、多くの貴族が国王陛下に祝辞を送りました。
アルディス様も、これでようやく国王陛下も落ち着いてくれると安堵したようです。
ただし複数の妃が同時に妊娠したため、王子や姫が生まれた後は、後継者争いという別の問題も勃発することでしょう。
ですがそれはまだまだ10年以上先の話です。
今はただ、長らく後継ぎが誕生しなかった王家にようやく春が来た。そのことを素直に喜ぶべきなのです。
ですが――
側妃達の懐妊は、予想外の展開を生みました。
国中が喜びに沸く中、ある日、アルディス様が重苦しい表情で私の屋敷を訪ねていらっしゃいました。アルディス様を玄関で迎えた私は、その異様な出で立ちに言葉を失います。
「アルディス様、そのお姿は……?」
「……」
アルディス様は普段、身軽に動ける軍服を身につけていらっしゃいます。ですが今日は重厚な甲冑に身を包み、さながら戦士のような出で立ちです。
私は何か、嫌な予感を覚えました。
アルディス様の身に、何か不吉なことが起こったのではないか……と言う予感。
「……エリス殿」
私の嫌な予感は、皮肉にも的中してしまいます。
アルディス様は今まで見たことのないような泣き笑いの顔になって、私にこう告げられました。
「国王陛下直々に、ソルーリカ侵攻軍3番隊隊長の役目を仰せつかりました。これより私は国境を超え、東の隣国ソルーリカ公国へと進軍します」
「――」
なぜ。
どうして。
アルディス様の言葉に、私は立ち尽くしました。
なぜ。
どうして。
跡継ぎが生まれない不安や不満があったからこそ、国王陛下は他国を侵略することにご執心だったのではないの?
なのになぜ。
ようやく御子に恵まれた今、なぜ。
どうして再び戦争を始めようとするのか。
私にはわかりませんでした。
わかるはずもありませんでした。
ノグダリアという国を救うために、私はこの王都にやってきたというのに。
「……エリス殿、申し訳ない。全ては私の計算違いでした」
アルディス様は沈痛な面持ちで、私に頭を下げられます。
私は必死にかぶりを振り、そんなことをなさらないで下さいと訴えました。
アルディス様が戦場へ……。
これから死と隣り合わせの地獄へと向かってしまわれる。
そう考えるだけで私の脚は震え、全身から力が抜けていくようです。
恐怖と言う恐怖が心の底からこみ上げ、知らず知らず私の視界を涙で曇らせました。
「私は跡継ぎの御子さえできれば、国王陛下の狂気は止まると思っていました。ですがその考え自体が……甘かった」
アルディス様もまた、必死に歯を食いしばり悔しさと悲しみに耐えているようでした。
国王陛下はアルディス様にこう言ったそうです。
これから跡継ぎが生まれてくるからこそ、もっとこの国を大きくして、いずれ自分の跡を継がせたい……と。
むしろ複数の子供が生まれてくるからこそ、平等に領地を分け与えるために、隣国を侵略せねばならないのだ……と。
王は戦争をやめる気など、さらさらなかったのです。
むしろ念願の跡継ぎを得ることが確定したために、元々抱いていた野望がさらに燃え広がってしまったというのです。
「そんな……そんなことって……」
国王陛下のお言葉は、私を絶望させるのに充分でした。
それはこの国の安寧を願っていたアルディス様も同じ。
いいえ、これから戦地に向かわねばならないアルディス様の苦しみは、私とは比べ物にならないほど深いでしょう。
なのにアルディス様はこんな時も、私のことを慮ってくださいます。
「エリス殿、私はこれから戦地へと旅立ちますが、この屋敷の警備は父のグリード伯爵にお願いしてあります。最悪の場合は、あなたの保護も。ですから不安はあるでしょうが、どうかこれからも心安らかにお過ごしください……」
「私のことなどどうかご心配なさらないでください。それよりもアルディス様のほうが、よっぽど……!」
これまでの気まずさなど全て忘れて、私はアルディス様との距離を一気に詰め、すぐ目の前に立ちました。
苦しい。
苦しい。
苦しい。
この優しくて真面目な方が、戦地に向かわなければならないことが悲しくて、やりきれなくて仕方ない。
それなのに何の力も持たない私は、アルディス様を引き留めることもできない。
結局私は、何の役にも立たない女だったのです。
エウローニャの加護なんて、大きな運命の前ではあまりに無力で、無意味。
「どうか泣かないで、エリス殿」
「………あ」
刹那、アルディス様の指が私の頬に触れ、冷たい涙をぬぐっていきました。
こんな時だというのに、アルディス様と視線が合っただけで、私の胸はときめきます。
そしてより一層自覚するのです。
ああ、やっぱり私はこの方を、心よりお慕いしているのだ……と。
「帰ってくる……と約束はできません。ですが最大限の努力は致します。あなたにそんな悲しい顔をさせたままではいたくないから」
「……」
「帰ってきたら、またあなたの手作りのサンドウィッチが食べたいな。その願いが叶うといいのだけれど」
「……お待ちしています。約束などいりません。そんなものがなくても、私はアルディス様のお帰りを、ずっとここでお待ちしています」
泣かないでと言われてもなお、涙を止められない私を、アルディス様は優しく受け止めてくださいました。
ああ、どうか神よ。
私を加護する、淫夢の神・エウローニャよ。
この加護を捨てる代わりにアルディス様を守ってくれるというのなら、私は喜んであなたの加護の下から抜け出しましょう。
その見返りに私の命が必要だというなら、喜んでこの身を差し出しましょう。
ですからどうか、アルディス様に、大いなる祝福を。
このまぶしい笑顔を、私から奪わないでください。