1話
タイトル詐欺な作品で、全然エロくはないです。
そっち期待してた方はごめんなさい。
全8話。
いん-む【淫夢】(固有名詞)
①いかがわしい夢のこと。淫らな夢。
②性欲を刺激する夢のこと。
◇◆◇
我がノグダリア王国には、1000もの古の神が集うと言われています。
山の神、海の神、森の神、豊作の神……みたいなポピュラーな神もいれば、紬車の神や技芸の神、昆虫の神・なぞなぞの神、などちょっとマイナーな神、何のために存在するかわからない神様もたくさんいます。
そして稀に神様の加護を受けた人間が生まれることがあります。
例えば不屈の神の加護を受けているなら頑強な体躯を持ち、戦士として華々しく活躍できるでしょう。
慈愛の神ならば、そこに存在するだけで人々に安寧をもたらし、幸福の使者となることができるでしょう。
加護持ちは希少なため、その存在自体が特別視され、大切に扱われる傾向があります。
ただし何事にも例外はつきもの。
それが私、エリスです。苗字はありません。元々どこぞの貴族の令嬢として生まれたらしいのですが、生まれてすぐに王都から遠く離れた修道院に入れられました。
つまり実の両親に捨てられたのです。
――なぜなら、私は淫夢の神「エウローニャ」の加護を授かって生まれてきたから。
「はぁ、今日もいい天気です」
私は修道院内の畑の世話を終え、一息つくことにしました。
空にはぽかぽかのお日様。そよぐ風も気持ちいい。毎日おいしい卵を産んでくれる雌鶏達も、あちらこちらを元気に走り回っています。
今日もなんだかんだと平和です。私の周りには、誰もいませんが。
「エリス、畑仕事が終わったなら、自室でお祈りを捧げなさい。それ以外は外に出てきてはいけませんよ」
「はい、シスター・モルガン」
たまに話しかけてくれるのは、私の教育係のシスター・モルガンくらいです。それ以外のシスターは私と距離を置き、近づいても来てくれません。
でもそれも仕方ないですね。何せ私は淫夢の神の加護を持つ女。うかつに近づけば、淫らな夢を見ることになりかねません。清貧・純潔をモットーとするシスター達には、まさに天敵中の天敵と言うわけです。
元々修道院にはおしなべて「信仰の神」の加護が働くと言われています。そのおかげで、私の淫夢の神の加護の影響も最小限に済んでいると思われます。
それでも念のためと、私の教育係にはこの院で最も高齢のシスター・モルガンが宛がわれました。
つまりシスター達の恩情と慈悲で、私は17年生きてこられたというわけです。
「全能なる神よ。今日も一日静かに暮らせたことを心より感謝いたします。さらに願わくば神の光があまねく世を照らし、私達の日毎の糧をお与え下さいますよう……」
加護持ちの私のために用意されたのは、修道院の裏手にある小さな聖堂でした。
私はここで一人で暮らしています。
寂しくない……と言えば嘘になるけれど、孤独も17年続けばいい加減慣れてしまいます。
それに厳密に言えば、私は一人ではありません。私の周りにはたくさんの動物達がいるのですから。
「にゃー、にゃー」
「こけーこっこ、こけーこっこ」
「ワンワン、ワワンワンッ」
「ピ、ピピピピ」
「ふふふ、みんな今日も元気ね」
どこからか迷い込んで住み着いてしまった野良猫や野良犬・野鳥達。それと私が飼ってる雌鶏達。
いつの間にか数が増えて、ここはさながら動物園のように賑わっています。
おそらく私は、これからも動物達と共に暮らし、いつか一人で朽ちていくのでしょう。
それが『淫夢』などと言う悪しき神の加護を受けた者の宿命なのだと、幼い頃より聞かされてきました。
だけどそんなある日――
あの方が、この修道院へとやってきたのです。
私の運命を大きく変える、あの方が。
「私の名はアルディス=グリード。王命を受けて、この地を調査しにやってきました。この村の出生率が著しく高いこと。その原因を解き明かすため、是非とも修道院の皆様方にもご協力願いたい」
やってきたのは、王都から派遣された立派な騎士団でした。その隊長がアルディス様です。シスター達は軒並み金髪で美しいアルディス様に見惚れ、頬を赤く染めていました。
珍しいお客様が来たと聞いた私も好奇心が抑えられず、物陰から隠れてこうしてアルディス様の姿を盗み見ています。
ちなみに私が見たことのある男性は、時々修道院にやってくる小太りの商人くらい。
なるほど、男性にも色々種類があるのですね。
ひげが生えた丸っこい商人に比べ、アルディス様やその部下の方達は若く、凛々しく、とても頼もしい存在に思えます。本の中でしか見たことがない騎士と言う存在を目の当たりにし、私はいつになく興奮しました。
「エリス! なぜあなたがここにいるの!?」
「!」
ですがやっぱり悪いことはできません。見つからないように息を殺していたというのに、目敏いシスター・モルガンに見つかってしまいました。私は慌てて踵を返します。
「申し訳ございません。いつもの聖堂に戻ります」
「あれほどあそこから出てきてはいけないと言っていたのに! あとで懲罰を覚悟なさい!」
ややヒステリックなシスター・モルガンの声が、広いとは言えない大聖堂内に響き渡りました。
懲罰ですか……いやだなぁ。
思わず重いため息が漏れてしまいます。
私はこの時、気づいてませんでした。立ち去る私の背中を、アルディス様がじっと見つめていたことに。
「やぁ、こんにちは」
「……」
にこにこにこ。
翌日、高い塀を超えて私の畑へやってきたのは、アルディス様その人でした。
さすがの私も、突然の訪問には固まってしまいます。
だって男性に対する免疫0なんですよ、私。と言うか、男性と話すの、これが生まれて初めてかも。
「こけーっこっ! こけーこけーっ!」
「がうっ! うわわわわんっ!」
「おおっと、私は怪しい者じゃない。おまえ達のご主人様からちょっと話を聞きたいだけなんだ」
私の盾になってくれたのは、私の家族である動物達でした。アルディス様は両手を上げ、降参の意を示されます。さりげなく私とも距離を空け、ニコッと人好きするような笑みを浮かべられました。
「どうか警戒しないでほしい。君が特別な神の加護を得ているせいで、ここで育ったという話はシスター達から聞きました」
「は、い……」
私はぎこちなく言葉を返します。
すごい、私、今男の人と喋ってる!
人生で初めての経験に、さっきから胸のドキドキが止まりません。
「その神の名はエウローニャだと。なるほど、神話でも多くの男神を魅了した美しい乙女の名ですね」
「も、申し訳ございません」
「ああ、違うんです。別に責めてるわけじゃない」
アルディス様はしまったという風に頭を掻き、次に思いがけない事を仰られました。
「実は私もある神の加護を得ています。その神の名前は『ガスクール』――節制と理性の神だと言われています。故に、あなたの加護とある程度相殺するかと思います。ということで、どうかお話聞かせてもらえませんか?」
「まぁ、節制と理性の神……」
なんとアルディス様も神の加護をお持ちでした。
しかも私の神と比べて、なんて素晴らしい!
私は初めて同志を得た喜びに震え、もっとこの方とお話したいと思っている自分に気づきました。
「エリス殿、あなたは今我が国がどんな状況なのか知っていますか?」
「……? いいえ」
アルディス様は近くの切り株に腰掛けられ、なぜこの村に調査に来られたのか、その理由を聞かせてくれました。
国の中枢で最も問題になっているのが、出生率の低下だそうです。しかもその低下が始まったのがちょうど私が生まれた頃――17年ほど前からのこと。
現在の王はその当時、隣国の王女を正妃に迎えられたのですが、残念なことに今までお子を授かることはなかったそうです。
ならばと何人もの貴族の子女が後宮に集められ、側妃として召し抱えられたそうですが、なんと側妃達にも懐妊の兆しは一向に見られず。
これは国王自身の生殖能力に問題ありでは?と疑われたものの、医学的見地からその可能性は否定され。
結局なぜか後継ぎができないまま、十数年の時が流れてしまった。跡継ぎを作れない国王はその不満やストレスを、他国に戦争を仕掛けることで解消しようとしました。
そうして今も、隣国三国との戦争は延々続いているのです。
「出生率の低下は何も王家に限った話ではありません。なぜか多くの貴族や王都民の間でも子供が生まれにくくなりました。なのに王は戦争を続けるので、男達が次々と死んでいく。そのせいでさらに出生率低下に拍車がかかり、これはもはや国の存亡の危機なのです」
「まぁ」
まさか外の世界がそんなことになっているなんて。私は自分がいかに世間知らずなのかを知ることになりました。
でもそれも仕方ありません。私はこの修道院と言う箱庭の中から、一歩も外に出たことがないんですから。
「それにしてもなぜ子供が生まれにくくなってしまったのでしょう?」
「その件については、多くの医者を輩出している我がグリード伯爵家が調査することになりました。私も伯爵家の三男で、元々は医者になる予定だったのですよ」
結局加護持ちと言うことで、無理やり騎士団に所属させられる羽目になってしまいましたがね……とアルディス様は苦笑なさいました。
「王都で長年の調査を行った結果、出生率の低下の原因は……主に性欲の減退だということがわかりました。率直に言えば、シたいという欲が薄れてしまった」
「シたい? 何をですか?」
「え、それは……。む、ゴホン、女性相手にあまり生々しい話はしたくないのですが、これはあくまで医学的見地からの意見だということでご納得ください」
何かいけないことを聞いてしまったのか、アルディス様はほんの少し頬を赤く染められました。医者の免許もお持ちだというアルディス様は、こんな下賤な身分の私にも丁寧に接してくださいます。
「有体に言えば、みな子作りをしたい、と思わなくなってしまったのです」
「子作り……」
「生物が繁殖するためには、性欲が必要不可欠です。男が女に惹かれ、女が男に惹かれ、身も心も結ばれる。その果てに子供を授かることができるのです」
「聖書でも読みました。命が生まれるということは、男女が愛し合う果てに実る至上の奇跡なのだと」
私は瞳を輝かせながら、聖書の一節を反復しました。
正直、アルディス様が仰る具体的な子作りのやり方はよくわかりません。それらの知識を、私は与えられずに育ったから。
だけどアルディス様がここまで真剣に語ることですもの。きっと子作りとは、とても大事な儀式であり、行為なんでしょうね。
「ですがそもそも性欲が生まれなければ、行為自体をしたいと思わない。行為をしなければ子供は生まれない。当然と言えば当然の帰結でしょう」
「まぁ……」
「そうして謎の出生率低下現象は、徐々に国中に広がっていきました。しかも人間だけにとどまらず、とうとう家畜にまで影響が出始めたのです。家畜の出生率が下がったため食用の肉の値段が高騰し、王都民は滅多に肉を口に入れることができなくなりました。今のところ野菜などの植物にまで影響が出てないのはありがたいですが……」
それまで穏やかだったアルディス様の表情が、急に曇りました。それだけ事態は深刻なのでしょう。
まさか世の中がそんなことになっているとは露知らずにいた私は、なんとお答えしたらいいのかわかりません。
ですが次の瞬間、私とアルディス様の視線が、かちり、と一つに重なりました。
「そんな時でした。この村の噂を耳にしたのは」
「え?」
「謎の出生率低下現象が各地に広がっていく中、この村の出生率は常に右肩上がりだと。一筋の光明を得た気がしました」
「そう……なのですか?」
私は首を傾げ、普段の日常の風景を思い浮かべてみます。
確かに修道院の外からは、いつも元気な子供達の笑い声が響いていました。直接会うことはないけれど、子供達の陽気な声は私にほんの少しの華やぎと、それとは相反する孤独感を与えてくれたものです。
「昨日この村について軽い聞き取り調査を行いましたが、噂に聞いたとおり子だくさんの夫婦が多いですね。平均して子供の数は約4人、中には10人以上頑張った夫婦もいました」
「まぁ、10人。あと少しでクリケットのチームが作れそうです」
私は手を叩いて驚きました。
するとアルディス様は双眸を眇め、なぜか私を眩しそうに見つめてくるのです。
「なぜこの村だけで子供がたくさん生まれるのか、私は推論しました。それがエリス嬢、あなたの存在です」
「……私?」
「そうです、淫夢の神・エウローニャの加護を持って生まれたあなたの影響で、この村の住民達は健やかな性欲を保てているのではないかという仮説です」
「――え」
アルディス様の言葉は、まるで四方八方から放たれた弓の矢のように、私の脳内をビュンビュンと行き交いました。
私の神の加護の影響?
でもそれこそ忌み嫌われて、封印しなければならないものでは?
訳が分からすポカンとしていると、アルディス様はまた優し気な微笑を浮かべ、とんでもないことを言い出したのです。
「エリス殿、あなたはもしかしたら淫夢の神の加護を使い、この国の救世主となれるやもしれません」