衝撃の事実
「あいてて……まったくなんだよ」
悪態を吐きながら頭を振ると痛みは引いていった。だが、クレメンスは見慣れているけれども知らない天井に驚くことになる。
「なんなんだよ、これ」
クレメンスは周囲に目をやるがそこには記憶通りに自分の装備品が飾ってある。そして、その装備品を丁寧にハタキで埃を払っている彼女の姿に瞬きして目を擦る。
クレメンティーネ【職業:秘書】【ランク:没落貴族】
冒険レベル10、交易レベル45、海事レベル2
「旦那様、今日はお早いお帰りですね。まだ食事の支度をしておりませんからお部屋でお待ちになっていてくださいね」
NPCの彼女がそう言うとポカーンとしているクレメンスに一礼してからその場を離れる。
「……えっ? えっ?」
クレメンスは何が起きているのか、本当にわからなくなっていた。
――ここってAOEの世界なのか? だとしたらエラいことになってるんじゃ……。いや、まさかね。夢だよな?
クレメンスはAge of Exploration Onlineの日本人航海者であり、比較的古参の航海者でもある。商会にこそ入っていないが冒険者としても商人としても軍人としてもそれなりのレベルにある。
つい今し方まで、PC上で自分のゲーム上のアパルトメントで出来る在庫管理などをしていたところで記憶が飛んでしまったのだ。
それが気付いたらそのゲーム上のアパルトメントに居て、しかもNPCの執事や秘書が仕事をしているのだから驚かない方がどうかしている。
――夢にしてはリアル過ぎやしないか? というか、クレメンティーネってびっくりするほどの美人さんなんだけれど……マジなのか?
NPCキャラは元々かなり高精度なCG表示であったけれども表情の豊かさはそれほど多くはなかったはずである。イベント絵などは一枚絵で表示されることが多かったくらいだ。であるのにも関わらず、クレメンティーネのそれは見惚れしまうほどの微笑みだった。
元々執事(秘書)雇用はクエストのクリア報酬であり、クレメンティーネは割と高難度クエストであった。というのも、彼女からの依頼を受けるとかぐや姫の話の様にあれやこれやと難題をふっかけられるのだ。それらをクリアしていった後に報酬を受け取る段階で航海者は「してやられた」と思わされる。
最初の依頼が陶磁器の買い付けで、その陶磁器を注文したクレメンティーネが受け取るのではなく買い付けてきた航海者のアパルトメントに飾ることを要求されるのだ。
次の依頼は高級家具を買い付けてくるように言われ、北欧まで出掛けて同じように受け取り拒否されて同じように航海者のアパルトメントに据え付けるように要求された。
その後、同じようにイタリアに出向き絹生地を買い付けさせられ、それはクレメンティーネが受け取った。そしてその次はアイテムのシルバーリングを手配させられたのだが、クレメンティーネが受け取るのではなく、航海者に暫く持っていて欲しいと要求するのだ。
そして、すべての依頼を完遂した後、ギルドへ報告するが報酬はないと言われ、航海者はアパルトメントへ戻ることを促される。するとそこにクレメンティーネが待っているというものだ。
「やっと戻ってきましたのね? 待ちくたびれましたわ。さぁ、報酬を受け取ってくださいね」
そう言って、クレメンティーネは執事(秘書)として航海者に雇用されるというオチなのだ。無論、手配してきた陶磁器や高級家具はそのまま報酬として渡される。絹生地とシルバーリングはどうなるかと言えば……。
「貴方から受け取った絹生地は純白のウェディングドレスに仕立てたわ。あとは貴方からのプロポーズを待つだけよ」
この台詞を聞いた航海者は皆揃って「なんつーサイコ女だ」「やべぇメンヘラだ」と噂し合っていた。そんないきさつを思い出すと妙なものでクレメンスは笑みを浮かべざるを得ない。
――実際、彼女のスキルはとても有益であるし、皆が言うほど酷いもんじゃないけれどな。まぁ、クエ自体は酷いと思うが。……って、さっきクレメンティーネのステータス出てなかったか?
クレメンスはこのときようやく大事なヒントに気付いたのである。クレメンティーネのステータス表示があったことだ。他の使用人たちを見るとステータス表示が見えなかった。
それから暫く試行錯誤を重ねると対象人物に意識を集中するとある程度の情報を読み取ることが出来ることに気付くことが出来た。例えば、レベルや職業、ランクなどは読み取ることが出来て把握可能だった。だが、NPCの個人スキルであったり所有金額など個人の秘密に近いものは把握出来なかった。
――どうやらNPCの能力についてはマスクデータ化されてしまったっぽいな。
自室に引き上げてから執務机の引き出しを漁って見つけた紙に今わかっていることを書き付ける。それほど多くのことはわかっているわけではないから、その殆どは雇用しているNPCたちのレベル情報などだ。今後指示を出すにしても彼らのレベル情報がわからないと困ることは間違いなかったからだ。クレメンスが雇っているのはクレメンティーネの他に4人居る。
クレメンティーネ【職業:秘書】【ランク:没落貴族】【女】
冒険レベル10、交易レベル45、海事レベル5
ユルゲン【職業:執事】【ランク:平民】【男】
冒険レベル35、交易レベル55、海事レベル20
オスヴァルト【職業:会計】【ランク:平民】【男】
冒険レベル15、交易レベル65、海事レベル10
ランドルフ【職業:船長】【ランク:航海者】【男】
冒険レベル35、交易レベル45、海事レベル20
【船:輸送用大型ガレオン】
ヴァルター【職業:船長】【ランク:航海者】【男】
冒険レベル20、交易レベル45、海事レベル20
【船:輸送用大型ガレオン】
二人の船長はいずれも輸送用大型ガレオンを指揮している。ゲーム時代にヴァルターがやっと基準をクリアしたことでクレメンスの船団は船種の統一が出来たのである。船種がバラバラであるのと統一されているのでは航海速度や航海距離が変わってくるため、出来る限り揃えておくのはAOEの常識であった。
特に輸送用大型ガレオンは武装を取り払った輸送に最適化したガレオン船であり、ガレオン船の中では最大の輸送能力を誇っているだけに運搬する交易品によっては桁が違うときすらあるのだ。それ故に必要レベルを満たしたことでより大きな交易が出来ると楽しみにしていたクレメンスにとっては実は未だ輸送用大型ガレオンに統一した船団で航海に出たことはないのだ。
――ゲーム時代は出航所でクリックするだけで食料や水が積まれたけれど、そういうわけにはいかないからな……ちゃんと準備しないといけない。そうでなければ冗談抜きで死ぬかも知れない。
そう思いつつクレメンスは海図を用意しようとしたがどこを探しても見つからない。引き出しの中に紙とペンとインクがあったのは偶然であったようだ。
対象人物に意識を集中するとある程度の情報を読み取ることが出来た時と同様に、今度は意識を集中してコマンドやステータスを確認出来ないかと試してみると思いのほか簡単に自分の所有物やステータスを確認出来たのだ。
クレメンス【職業:交易商人】【ランク:航海者】【男】
冒険レベル45、交易レベル85、海事レベル35
【船:輸送用大型ガレオン】
【所持金:500万ドゥカート】
【銀行預金:2500万ドゥカート】
「なんだって……」
クレメンスは思わず叫んでしまう。自分の所持金が10分の1にされているのだ。特に銀行預金は1億ドゥカートはあったはずなのに4分の1の2500万ドゥカートになっている。手形の類いに至ってはゼロである。その上、所持品の海図は近海の分を除いてすべてなくなっていた。
余りの出来事に絶句せずには居られなかった。