放り込まれた先……
どこまでも続く水平線……群青色に染まった空が少しずつ明るくなりつつある。夜明けは近い。空には一片の雲もなくこれから船出するには幸先良い。
昇っていく太陽に照らされる甲板には所々に雑然と積み上げられた樽がいくつか見える。その樽に残る夜露が太陽の光を浴びて光っている。
船首楼に立ち尽くす男女の群れが呆然とした表情を浮かべていなければ洋々たる航海が約束されたかのような様相である。
「一体ここはどこなんだ!」
「さっきまで自動航海だったのに……どういうことだ?」
「夢でも見ているのか?」
事態を把握した彼らの狼狽は端から見ている限りでは滑稽を通り越して道化師が戯けているのを見ているようなそれである。
誰一人として事態を把握出来ず、呆然とする者、怒りにまかせ怒鳴り散らす者ばかりであった。
彼ら自身に何の責はもないことは明らかだが、彼らは自身の才覚で運命を切り開かざるを得なくなったのだ。だが、それを彼らが認識し、自覚するまでの余裕は与えられなかったのだ。
先程までは周囲に存在しなかった船が急速接近してくることに彼らが気付いたのは接舷される10分前のことであったのだ。
「うわははは!」
「カモだ! 野郎ども、連中のアホ面を見ろ!」
「久々に豪勢なメシにありつけるぜ!」
「お頭、女もいますぜ!」
下卑た野太い笑い声が響き渡る。これで彼ら航海者は自分たちが海賊に襲われたことに気付いたのであるが、時既に遅し。
反射的に手近な武器になりそうなものを手に取って迎撃しようとした男が数人居たが、所詮は武器になりそうなものでしかない。モップやバケツ……運が良い者は斧やハンマー……といった装備では相手になろうはずがない。数分後には海賊たちによって制圧されたのは言うまでもないことであった。
「男は殺してしまえ。女は捕まえて船室に閉じ込めておけ。高値で売れそうな奴は丁重にな?」
「売れそうにない奴はどうしましょう?」
「嬉しそうに売れないとか言うな! まぁ、だが、売れそうにない奴は……おまえたちの好きにしていいぞ」
頭目の言葉を聞いた子分たちは歓喜の声を上げるが、彼ら航海者にしてみればこの世の地獄がやってきたようなものだ。特に女性たちの怯えようは言葉にしがたいものがあった。
「よーし、一番抵抗したおまえは最初に血祭りに上げてやる。覚悟しな?」
カトラスを振り上げた頭目はにやけた表情でそう言うと勢いよく振り下ろした。だが、その瞬間……あり得ないことが海賊たちの目の前で起きたのだ。
確かに頭目が振り下ろしたカトラスは航海者の首を落としたはずだった。いや、実際に彼の首は切り落とされて転がったのだ。
だが……。
「一体どういうことでぇい! 奴はどこに行った!」
首を切り落とされてすぐに航海者は姿形を消し去ってしまったのだ。
「貴様ら何をした!」
「隠し立てすると楽に殺しゃしねぇぞ!」
海賊たちの慌て様は酷く滑稽であったが、航海者たちもまたポカーンとしている。斬首という残虐な処刑を目の当たりにして目を逸らした者も居たが、目を逸らすことをしなかった者も何が起きたのか理解出来ていなかった。
「いいだろう、今度は貴様だ!」
頭目と目が合ってしまった不幸な航海者は引きずり出されて舷側へ連れて行かれる。
「首を海に突き出せ、そうだ、おとなしくしていれば苦しまずに死ねるぜ」
今度もまたカトラスで首を落とす。確かに彼の首は海に落ちていったはずだった。だが…再び彼の体は消失してしまった。流石の海賊たちも不気味に思えてきた様だ。
「一体どういうことだ!」
「構わん、全員殺せ!」
「女はどうしますか」
「こんな不気味な奴らを連れて行くわけないだろう。今すぐ殺せ!」
狼狽した海賊たちは手当たり次第に航海者たちを皆殺しにしてしまったが、彼らは一人残らず死体を残さず消えてしまっていた。戦利品だけ積み込んだ海賊たちは我先にと自船に逃げ込み、航海者たちの船を置き去りにしてこの海域を離脱するのであった。
後日、各地の港や酒場で海賊たちから広まった幽霊船の噂で持ちきりだったのは言うまでもないことだろう。
それから数時間後、無人になった船に次々と航海者たちが復活していた。
「いてて……酷い目に遭ったぜ」
「俺、死んでない……だと?」
「あれはなんだったんだ……」
彼らの体に傷跡は残っていなかった。服などにも痕跡は残っていない。
ただ、死んだという記憶があるだけだ。いや、少しだけ痛みに似た疼きが斬られた場所などに感じられる。
「俺たちは一度死んだ……だが、こうしてまたこの船で復活している……」
「一種のセーブポイントや復活システム的なものがあるみたいだ」
「そんな馬鹿なことあるわけないじゃない!」
「だったらどう理解すればいい? 説明してみろよ」
状況判断で割り切って適応しようとする者と理解が追いつかず現実逃避する者と静観する者と彼らは別れている。
だが、考えれば考えるほど現実世界と同じ様である。時間が経つと排泄を催すこともあれば腹が減ることもあることがわかった。当然、睡眠も必要であると彼らが悟るまで時間はそう掛からなかった。
「とりあえず、俺たちは死んでも復活するらしい。だが、現実と同じで三大欲求を体が求めることも確かな様だ」
「というわけで、オレっちは船内に食い物がないか探してくるぜ」
「そうでござるな……腹が減っては戦は出来ぬでござるよ」
なんだかんだで割とすぐに適応したのは男たちであった。彼らはゲームの続きとばかりに割り切ってしまうことにしたらしい。いや、実際に腹が減ってしまって考えるのをやめたと言うべきだろうか。
彼らが船倉をうろついて見つけてきたのは塩蔵肉と塩蔵魚が1樽ずつだった。あとはワインが2樽。暫くの間の食料としては十分だろう。
「生ハムの塊ゲットだぜー」
「魚は煮て食べるしかないか」
最早、サバイバルキャンプのノリであるだけに男たちはなんだかんだで盛り上がってしまっていた。そんな男たちを冷めた視線で見ているのは女性たちである。
「あんたたち、こんな時になんでそんなに暢気にはしゃげるの?」
「信じられない」
「ホント、サイテー」
口々に非難の言葉が出てくるが、彼らには馬の耳に念仏というべきだろうか一向に効果はない。
「おまえらも食うだろ?」
「要らんなら我が輩が頂こう」
「オレも!」
彼らが生ハムやワインを口に入れる。塩加減が少しきつめではあるが生ハムはワインとよく合い彼らをさらに饒舌にさせる。
「この世界、やっぱりゲームの世界なんだろうか?」
「そうでござるな。積み荷は覚えがあるものがいくつかあったでござるし……」
「この船の名前が書いてあるプレートがあったぞ。エスメラルダって買いてあったが、俺たちの造った船と同じ名前なんだよなぁ」
「いや、それ以前に自分の装備品で気付くだろ」
彼らはただ暢気にはしゃいで船内探検をしていたわけではなかったのだ。くまなく船内を調べて回り、手がかりを探しているのであった。彼らは確かにヒントとなるものをいくつか見つけていたのである。
彼らは「Age of Exploration Online」というMMORPGと酷似した世界であると言う可能性を示したものを船内でいくつか発見していた。例えば、2枚見つかった海図には自分たちが所属していた商会の名が記されていたこと、オポルトを出港してセウタを目指していたことが引き受けた仕事伝票から判明したのだ。