5.ユウガオⅠ
「ここがアカリの部屋で、その右隣があたしの部屋よ。」
ユキは私を伴って第一会議室をでると、無言で廊下のど真ん中をずんずんと進んで、とある部屋の前で立ち止まり、それが私の部屋だと教えてくれた。先ほどの会議室は2階の階段近くにあったが、宿泊部屋は3階の少し奥まったところにあるようだ。
しかし、隣の部屋はユキなのか……これは迂闊に騒いだりできないな……。
「まあ、中に入ってお茶でも飲みましょう?」
そう言ってユキは我が物顔で私の部屋に入っていった。え、二人でお茶するの……?
ユキは部屋の真ん中にあったローテーブルに私を誘導すると、どこからともなく小花柄の可愛いティーセットを取り出し、二人分の紅茶を淹れ、手慣れた様子で両方のカップにポンポン、と砂糖を入れて掻き混ぜた。ストロベリーティー、かな?苺のいい香りがする。
ローテーブルを挟んで正面に体育座りをしているユキは、ティーカップにふー、ふーと息を吹きかけて冷ますと、くっと紅茶を一口飲んでこちらをじっと見た。飲め、という事だろうか。遠慮する理由も無いので私も有り難く口をつける。
うっっっっ……!
これは……
「……とても、とても甘くて、その、美味しいです……。」
「そう?よかったわ。」
私はほとんど減っていないカップをテーブルに置いた。あの一瞬の隙に一体何個砂糖を入れたんだ……!偏食で味覚がぶっ壊れているのか?くぅぅ、少しずつ、少しずつ飲めば平気なはず……。ああ、今どうしようもなくしょっぱいものが食べたい!お煎餅とか……。
そう思って虚空に手を伸ばすと、当たり前のように籠に入ったお煎餅が出迎えてくれた。なるほど、便利な世界だ。
「ちょっと、何食べてるの?」
「お煎餅です。美味しいお紅茶にぴったりだと思って。」
「……。」
不満げな顔でこちらを見てくる。しょうがないじゃないか。口の中が世紀の大災害に見舞われているんだもの。誰のせいだと思っているんだ。
暫し見つめ合った後に、ユキはふぅ、と溜息を吐いてテーブルに手を伸ばした。
「こういう時には普通ケーキでしょうに。アカリって色気がないわね。」
ユキの手元にはホイップクリームたっぷりの苺のショートケーキ。
うわぁ……。私はもう何も言えないよ……。
というか、ここでユキと何を話したらいいの?二人きりだと一瞬の沈黙さえ気まずさが半端じゃない。ユキはコミュニケーションが上手くないって言われてたけど、私のコミュニケーション能力の低さだって相当なものだよ?うぅ……何か話題を提供すべきなのか……?
「あんたの死因って自殺なんだってね。」
ユキはなんて事もないような平坦な声で、結構重たい話題を提供してきた。マイペースだなぁ……。
「私はそういう、誰かが悲しむってわかっている事を我が身可愛さにやるような、意志の弱い身勝手な人間が気に食わないの。あんたにだって、家族とか友達とか……死なれたら悲しむような人が全く居なかったわけでもないでしょうに。」
「それは……どうでしょうか……。」
友達……。友達かぁ……。
そりゃあ人生を通して全くいない訳ではなかったけれど。小中学生の頃の数少ない友達とは、大体学校が離れちゃってから疎遠になった。小学生の時少し仲良くしていて高校まで同じだった男子とは、中学校辺りからほとんど喋らなくなって高校も3年間一言もしゃべらなかったから、もう私の事なんて忘れているだろうなあ……。まあ、思春期の男女なんてそんなもん、だよね?
高校に入ってからは人見知りが悪化して友達作れなかったし。すごく気さくで誰にでも優しい女の子が私と話してくれることはあったけど、あの子はみんなの人気者だったしなぁ……。私は勝手にその子を信仰して親しみを感じていたけれど、あの子にとっては何十人、何百人といる「お知り合い」の一人だったのかも。
そう考えると私の死を本気で悲しんでくれる友達なんて、一人も居なかったのかもしれないなあ……。
なんだか悲しくなってきたじゃないか。どうしてくれるんだ。二人でお茶するってなって最初に選ぶ話題が説教ってなんなのさ。
「ま、まあ? あたしもこんな若さで親を残して死んでる訳だし、他人のこと言えないんだけどね。」
表情が少し暗くなった私に気付いてか、ユキが自虐を交えて話を逸らした。くっ、気遣われた……。キマズイッ……!
「アカリを狭間に連れてきたのはレイジなのよ。」
「え……?」
突然なに?連れてきた?どういうこと……?
「狭間には異世界転生の見込みがあるもが連れてこられるんだけど、それって結構適当なのよ。原世界が判断するんだけどね、兎に角適当なの。そのせいで昔はどう考えたって審査に受かりようもない人たちがわんさか狭間に連れてこられて、案の定審査に受からずごった返していたらしいわ。そんなの非効率じゃない。だからここ数年は私たちが長年のデータに基づいて、より審査に受かりそうな人を厳選して、そうじゃない人を連れてこない様に制限しているの。」
なるほど。確かさっきレイジも「最近は10年以上審査に受からない人は多くない」って言っていたね。つまりはそういう事なんだろう。
「私たちは原世界に選ばれた人の基本情報だけじゃなくて、その人が死ぬ前の3日間を観察することで連れてくるべきかを判断するの。で、アカリの3日間を観察してここに連れてくるって決めたのがレイジってわけ。」
なるほど……。私の死ぬ前の3日間をレイジが観察していたのか……。そんな死神みたいなことされていたなんて気づかなかったよ。
「……自死者ってね、元々審査に受かる確率がとっても低いの。だから自死者ってだけでもう、基本的にはここに連れてこないはずなのよ。なのに、レイジはアカリをここに連れてくるべきだって聞かなくて。」
なんと!死因だけで門前払いされるかもしれなかったなんて……。自ら転生を試みるのは早計だったか……!それなら、このチャンスをもらえたのはレイジのおかげってことなのかな……。
「で、結局審査に落ちたでしょう?そしたら今度は第三部隊に連れてくるべきだ~って言いだして……。あいつはいっつもヘラヘラしてるけど、こんなに無責任な我儘を押し通すようなことはこれまでなかったから、タケダさまも不思議がっているのよ。理由を問いただしてもはっきり言わないし。」
そうなのか……。確かにさっき他の部隊の事を探ろうとしたときに、優しい笑みの中に確固たる意志を見たような気がしていたけれど、気のせいではなかったのかもしれない。レイジの中では、私はここに来るべき存在だったという事?だとしたらレイジは私の何を見て、そう思ったのだろうか……。
いいや、考えすぎか。
「あたしは、レイジがアカリに惚れてるんじゃないかって疑ってるの。」
え……。
突然爆弾を投下したユキは、「もしそうだったら公私混同甚だしいわよねぇ。」と、心の底から他人を馬鹿にしたような表情で笑った。
そそそそんなはずは……。大体レイジは私が死ぬ前の3日間しか見て居ない訳でしょう?死ぬ前の3日間にそんな私を好きになるような要素あったかな?
――朝ギリギリに起きて、学校に行って、近くの席の人に「おはよう!」って声を掛けようとして失敗して、机とにらめっこしたまま1日を終えて、帰るときに同級生の女の子から「星野さん、また明日。」って声を掛けられてドキっとしてあまりの動揺にあ、とかうん、とか何か呻いて逃げるように帰宅、そして就寝。
だめだ。ダサすぎる。こんなの好きになるはずがない……。レイジがここに連れてきてくれたのは他に考えがあったからだろう。ほら私、異世界転生したくて死んだわけだし、私の意図を汲んでくれたんだ、きっと。
「まあ、アンタが死ぬ前の3日間何をしていて、それのどこがレイジの琴線に触れたのか……なんてのは気にならなくもないけど、今は触れないでおいてあげるわ。タケダさまにもそう言われているし。」
またも気遣われた。この人空気読めない割に気遣い屋さん?別に死ぬ前なんて特に大したことしてたわけでもないし、話すのも苦ではないんだけどな……。
「でもね、いつかはそういうのに向き合わないとならない時が来るの。それからずっと逃げ続けて居たら、
……あたしみたいになるわ。」
そう言ったユキの瞳は、悲しい色をしていた。
大したことのない理由で死んでごめんなさい。本当。反省。
「ねぇ!そんなことより、アカリ。あんたタケダさまのことどう思う?」
空気を一変するように、ユキは努めて大きな声で新しい話題を提供してきた。いや、そんなつもりで言ったんじゃないのかも。なんか近いし。すごい剣幕だし。本当に気になってるだけなのかも。
「どう、と言われましても……。頼りになりそうだな、としか……。」
「そう。あんた、年上の男性は好き?何歳差までいける?」
えぇっ……急に恋バナ???無理無理無理!私恋愛なんかしたことないので!
「そうですね……。年上の男性は好きと言えば好きですが、あまり年齢が離れていると話も合わなそうだしちょっと……。犯罪ですし……。」
と当たり障りのないことを言うと、ユキは安心したように「そう……。」と呟いた。
ははーん。これはもしや……!
「ユキさんは年上の男性がお好きなのですね?それもかなり年上の。」
「っな……!」
少しからかってみると、ユキは一気に真っ赤になった。ふーん。良いと思いますよ?私たち死んでますし。法の下に居ないので。自由に恋愛すると良いと思います。ええ。
気を抜くとニヤニヤしてしまいそうなので、頬を噛みながら真顔を維持するように苦闘していると、顔の火照りが落ち着いたユキがこちらをキッっと見つめてきた。
「……あんたって口数少ないし、おどおどしてるし、声も小さいし、さっきまではすごく内気で弱弱しいひとだと思ってたけど全然違うのね。結構図太いし、内心で人の事馬鹿にしてるでしょう?顔で笑って心で毒吐くタイプ。」
げ……。私が心の中でユキを馬鹿にしてたことバレてる……?いやそんなはずは……。幼女だからと言って侮れないな……。ユキには読心術の心得があるらしい。
ユキは二の句も継げないでいる私を嘲笑うようにふ、と息を吐いて目を細めた。そしてゆっくり立ち上がって私に近づ居てくる。ナニヲスルキダ……!
目の前で止まったユキは、そのまま私の両肩に手を置き、私の耳元にそっと囁いた。
「気に入ったわ。あたしたち、仲良くなれそうね?」
ひぃぃぃぃぃ!!
それから暫く、ユキから『大切なお話』をされた後、戻る時間になったというのでユキを部屋の外まで見送った。なんと明日ユキはいくつかの異世界を訪問する予定らしい。いいな~~、異世界、この目で見てみたいな。
「いい?明日の朝8時に時計台の鐘が鳴るから、それで起きて、9時にさっきの会議室に来ること。わかった?」
「はい。分かりました。」
時計台の鐘かぁ……そんなので起きれるかなあ。自慢じゃないけど私は一度眠ったらちょっとやそっとじゃ起きないタイプだ。
「きちんと寝なさいよ?初日は色々と考え込んで眠れなかったりするかもしれないけど、足りない頭でいくら考えたって何にもならないんだから。」
「はい。分かりました。」
心配してくれてるんだろうけど、余計な言葉が非情に多いなあ……。それに私は自慢じゃないけどベッドに入ったら1分もしないうちに眠れるタイプだから心配無用だ。
「もし、眠れなかったらその時は私の部屋にでも来なさい。ちょっとなら付き合ってあげるわ。」
「え……。はい!ありがとうございます。」
なんだ、ユキにもちゃんと優しいところがあるのね……!見直したわ!
「その時はとびきり美味しい紅茶をごちそうしてあげるわ!」
「……はい。分かりました。」
前言撤回。私にとってのユキは天敵だ。不俱戴天の仇だ。生かしてはおけぬ。