男たちの戦い
レストランを1人抜けたヘルマンは、2等客室の並ぶ通路を歩いていた。1等客室のあるフロアと違い、通路が狭いここは人も多く、右に左にと人の間を縫うように進む必要があった。
ただ、いかに左右に蛇行しようとも、歴戦の兵士の眼は鋭く通路のずっと先を歩く男を捉えていた。
尾行対象の男は、先ほどシアたちに料理を運んできて、皿をひっくり返されたウェイターだった。彼は通路を抜け、突き当りのところにある鉄の扉の前で止まった。そして、辺りを見回すと、扉を開けて中に入っていった。
「どうやら当たりだな……」
その光景を遠くから見ていたヘルマンも通路を抜け、ウェイターの入っていった扉の前まで来た。重厚な扉には『第2機関室』とプレートが貼ってある。
「ちっ、またマリアの奴にどやされちまうな……」
“機関室”の文字から、借りもののスーツを汚して怒られることが容易に想像できてしまい、軽い溜息とともに頭を掻く。
しかし、行かないわけにはいかない。スラックスの裾を上げて、足首に巻かれたホルスターからナイフを抜くと、重い扉をゆっくりと押し開けた。
ギイイっと鉄の扉独特の軋む様な重い音を響かせ、ヘルマンは機関室へと入っていった。
扉の向こう側は、先ほどまでいたところとは別世界だった。所狭しと大きな機械が並び、天井には配管が張り巡らされ、部屋全体がゴウンゴウンと体に響くほどの大きな音を立てている。
辺りを見回すが人影はない。船員に見つかって、ここから追い出されることはなさそうだ。といっても、もし見つかってもその船員には悪いが眠ってもらおうなどと考えながら、慎重に機関室の奥へと進んでいく。
さっきのウェイターとはさして距離がなかったはずだが、入り組んだ機関室ではその影を見失ってしまっていた。
迷路の様に枝分かれした通路が続く。
ヘルマンは特に当てもなく、己の勘が働く方へと道を選んだ。
いくつか分かれ道を進んだところで、人の気配がした。その気配の方を物陰から覗くと、しゃがみこんで機械をいじる整備士の姿があった。
ヘルマンが気配を消しているのもあるが、整備士は集中して作業しているためか、背後から近づくヘルマンに気付いていない。
「おい、あんた」
「あん?」
ヘルマンの呼びかけに、整備士はしゃがんだまま振り返った。
「うわ、な、何だあんた!?」
振り返った先には、ナイフを突きつけるスーツの男が立っていて、整備士は驚き、うわずった声を上げた。
「騒ぐな。両手を挙げて、ゆっくり立て」
低音の威圧的な声が命令する。
これじゃあこっちが悪者だ、と思いつつへルマンは整備士を眺めた。
訳も分からず、ビクビクしながら立ち上がる整備士は、さっきのウェイターとは別の男だった。
「あんた、ここに入ってきたウェイターを見なかったか?」
「い、いや、見ていない」
「そうか、驚かせて悪かったな」
怯える様子の整備士に、にやりと軽く笑って見せる。しかし、ナイフは降ろさず話を続けた。
「ところであんた、右手にだけ随分たこがあるな。それに右腕の方が長い。整備士ってのは、随分と片方の手だけを酷使するんだな……」
整備士の瞳が僅かに揺れた。
「整備士のってより、まるで、刃物を良く使うやつの特徴だな」
「っ!」
整備士の顔色が変わった。
ヘルマンがそれを目で捉えた瞬間だった。突然、空を切る音と伴に闇の中から刃物が飛んで来た。
ヘルマンがさっと後ろに飛び退くと、その刃物が壁に突き刺さった。
ちらりと刺さった場所見ると、投げナイフとは違う変わった形状をした武器だった。細長く真っ直ぐな棒だ。壁にめり込んでる先端は恐らく尖っているのだろう。
ヘルマンは、それは切ることよりも刺すことを目的とした投擲用の武器、手裏剣であると認識した。
「ちっ、ネズミが2匹になりやがった……」
機械の影から先ほど見失ったウェイターが姿を見せ、整備士の方も隠していた武器を取り出し構えた。
敵は2人、形勢が逆転してしまった。
「しっ」
大型のナイフを振りかざし、整備士が襲い掛かってきた。鋭いナイフ捌きで、ヘルマンの首や胸など急所を狙ってくる。
ヘルマンがそれを紙一重で捌いていると、ウェイターから手裏剣が飛んできた。
ガン ガン
前転して機械の陰に隠れると、手裏剣が金属でできた機械に突き刺さった。恐ろしく威力がある投擲だ。
しかし、その威力に感心してる暇もなく、整備士の方が機械を飛び越えたと思ったら、天井を蹴って真上から飛び掛かってきた。
「くっ!」
ヘルマンはナイフで、整備士の一撃を受けるが、その威力の重さにうめき声が漏れる。内心、この整備士の身体能力に舌を巻いた。
一撃を受けつつ、ヘルマンはそのまま左手で着地する前の整備士を殴り飛ばす。
ボールの様に飛ばされる整備士。
1人を退けても、すぐさまウェイターから手裏剣が飛んでくる。今度は飛ぶこともせず、ヘルマンは急所を防御しながら、ウェイターに突進した。
ヘルマンが攻勢に出た。
1本2二本とヘルマンの肩や腕に手裏剣が刺さる。しかし、ヘルマンは止まらず、一気に距離を詰め、ナイフを振り抜いた。ウェイターは身を捩ってこれを躱すが、鋭い一撃に体勢が崩れ、そこにヘルマンの蹴りが入る。
「おらっ!」
「ごふっ」
ぼごっと肉を打ち付ける音が響く。ウェイターは蹴り飛ばされ、機械に体を強く打ち付けた。そこに間髪入れず追撃を掛ける。
ぶつかった衝撃で跳ね返って来たウェイターに向かってナイフを薙ごうとしたその時、ヘルマンのナイフを持つ右手がピタリと止まった。
まるで金縛りにでもあったように、彼の意思に反して動かない。しかし、予想外のことはそれだけではなかった。止まった右腕は、今度はヘルマンの首目掛けてナイフを刺そうとしてきたのだ。
「ぐっ!」
咄嗟に、左手で言うことを聞かない右手を抑える。
迫る右手を見ると、そこには、いつの間にか呪印が施されていた。
先程殴り飛ばされた整備士が、拳を受ける前の一瞬で施したものだった。その呪印によって、今まさにヘルマンの後方では整備士が彼の右手を操っているのである。
少しずつ首に迫って来るナイフ。
追い詰めたウェイターも、ヘルマンが攻撃できないと分かり、再び距離をとった。確実に手裏剣で止めを指すつもりだ。
「ぐあっ、くそが!」
ヘルマンが怒りと焦りで声を上げた。それとほぼ同時に、後方でも声が上がった。
「ぐあ!」
途端にヘルマンの右手は、彼の言うことを聞くようになった。呪印が消え、いつも通りの右手に戻ったのだ。
(今だ!)
ウェイターから飛んでくる手裏剣を掻い潜り、今度こそ一撃を食らわす。急に動き出したヘルマンに、ウェイターは反応が遅れ、身を捩りながらも肩に傷を負い、血が流れ出た。
ウェイターは小さい呻きとともに、肩を抑えた。
どういう訳か、体勢を建て直すことができた。
ヘルマンはその理由を知ろうと、ちらりと整備士の方を見ると、自分と整備士の間にもう1人、男が立っていた。整備士と相対しているその男の背中は、見慣れた執事服のそれだった。
「ちっ、てめぇか、クロード」
「ふん、助けられたら礼をまず言うものでは?」
「別に助けられるほど、困ってねえ」
ニヒルな笑みを浮かべながら、2人は軽口をたたき合った。だが、それでいてジリジリとそれぞれが向かい合う敵を追い詰めていく。
クロードと向かい合う整備士は、右腕が切り裂かれ、だらりと垂らしている。クロードによって、ヘルマンを操っていた術ごと右腕を潰されたのだった。
形勢は一気にヘルマンたちに傾いた。
敵の2人もそれは分かっているようで、一瞬、整備士がウェイターに何やら目配せをした。その直後、2人が同時に地面何かを投げる。次の瞬間、眩い閃光と騒音が辺りを包んだ。
「くそ!」
「ちっ!」
視界が奪われながらも、ヘルマンとクロードは咄嗟にお互いの背中をくっつけ、背後を守った。
視界が霞む。
チカチカした中に、ぼんやりと物のシルエットが分かる位だ。聴覚もキーンという耳なりに邪魔をされ使い物にならない。
2人は、2つの感覚が麻痺した状態で敵の追撃を警戒したが、それがくることはなかった。
少しして目が慣れてくると暗殺者2人の姿は消えていた。
その後、ヘルマンとクロードは特に言葉を交わさないまま、機関室を後にした。といっても、もともと口数の少ない2人が、聴覚がおかしくなっている状態では会話などあるはずもないのだが。
後で分かったことだが、機関室で、整備士に変装した暗殺者が夢中になっていたのは、爆弾の設置だった。
この爆弾は、さほど威力がないものだったが、船の動力と連結させることで威力を増加させるように仕掛けられていた。しかも船の構造も計算に入れ、爆風でシアの部屋がある区画が大きく破壊され、そこから沈没してゆくように考えられていた。
調査に当たったアルレッキーノは、暗殺者の破壊技術の高さに肝を冷やしたのだった。
♦ ♦ ♦
ヘルマンたちが機関室から出る少し前に、船から何かが2つ海へと落ちるという、ちょっとした出来事があった。
ドボン、ドボンという水の跳ねる2つの音に気が付いた船員が、人が落ちたのかと海面を覗いたが一向に浮かんでこないので、荷物が落ちたのだろうと片付けられた些細な出来事である。
「あいつらだな」
「間違いなかろう」
船内のバーにて、バーテンダーからその話を聞いたヘルマンとクロードは、そう呟いた。
2人でカウンターに肩を並べ、酒をあおる。
グラスが空になった。
「今度は27年ものをロックでもらおうか」
クロードが、バーテンダーに告げる。
「ちっ、人の奢りだと思って……俺は、今のと同じものを」
ヘルマンが空いたグラスを差して言った。
「お待たせしました」
少しして、注文したものが出てきた。
無口な男たちの口からは何も語られない。2人は、相手を見ることなく無言で、互いのグラスを軽くぶつけた。
♦ ♦ ♦
深夜の海に浮かぶ一隻の漁船、その船室では2人の男が跪いている。水浴びでもしたのか、両名とも髪がびっしょりと濡れていた。
2人は跪いたまま、船の無線機に向かって話掛ける。
「お頭、申し訳ありません。標的は、かなり腕の立つボディーガードを雇ったようで……」
男のうち1人が、口惜しそうに報告する。
『そうか、本国に着く前に終わらせたかったが……』
お頭と呼ばれる男は独り言のように呟いた。そして、言葉を続けた。
『もはや猶予はない。全戦力を以て使命の全うに掛かる。貴様らもそう心得よ』
「はっ」
2人の暗殺者を乗せた漁船もシアたちの乗る大型船も等しく朝を迎えようとしていた。両船とも、サーディール国へと到着する数時間前のことであった。