兄弟
ジャファドのまぶたの裏に、在りし日の記憶が蘇った――
山羊の民として生まれ、物心ついた時から国を裏から支える影となるべく、兄と2人、厳しい修行に明け暮れていた。
その生活に何も疑いも持たなかった。
山羊の民の中でも、国の諜報や公安を担う組織であるゴートは、精鋭集団であり、その構成員になれることは一族の者として誉れだった。
そして何より、2人には目標があった。あんな風になりたい、そう憧れる英雄がいたのだ。
英雄の名前は、マムール。2人の父親だった。
武術、魔術を極め、学問にも精通し、どんなに厳しい任務でも完璧にこなす、ゴートの幹部の一人。一族の皆にとっても憧れの戦士だった。
そんな父親の様になりたいと、兄弟は修行に励んだ。
しかし、ある時、そのマムールが任務を失敗させた。しかも、他国の諜報員と戦闘になり、攻撃を受け重傷を負ってしまったのである。
それから父は、2度と歩くことは出来なくなってしまった。
ベットに横渡った父は、とても老けて見えた。
最強の英雄も、気付けば50に届こうかという年齢だ。皺は増え、白髪もちらほら見える。
父は歳を取ったのだ。そして、歩くことが出来なくなった父は、いっそう老け込んでいった。
自分も兄もショックを受けた。が、今思えば、兄のショックは自分よりも相当に大きかったのだろう。いや、捉え方が違ったのかもしれない。
ある時、兄が言った。
「力って何だろうな……どんなに力があっても、俺たちは影だ。影は影のまま、終わる。最強だった父さんも、今はただの老いた男だ。影には何も残らない……」
“影は影のまま終わる” 自分の思考は、それに対しても疑問を持たないようになっていた。国の為、力を尽くし、死んでゆく――それがいけないのか。この時、兄の言ったことは、理解できなかった。
その後、兄は変わった。
この頃には、2人ともゴートの構成員になっていた。だが、兄は今まで以上に厳しい修行を行い、難易度の高い任務に積極的に身を投じた。
また、この頃から、兄は1人でブツブツと喋ることが多くなった。誰かと話している様に喋るのである。
ただ、温厚で人望の厚いその人柄は変わらず、自分にとっては、切磋琢磨するライバルであり、尊敬できる兄であることは変わらなかった。
5年がたった頃、自分はゴートの中でも将来を有望される地位を得ていた。幹部を除けば、ナンバー2。そしてナンバー1は、兄だった。
兄は、精鋭を誇るゴートの中でも、1人ずば抜けた実力者になっていたのである。父マムールをも凌ぐ最高の戦士、次期ゴート頭領だと言われるほどに。
そんな折、王に双子の女児が生まれた。
ダガフを復活しうる力を持った双子は、その片方を殺す。一族の使命にして、この国の影の掟。
王女の殺害任務に名乗りを上げたのは、兄だった。
赤子1人を殺す容易な任務だが、一族にとっての重大な任務である。その担い手に、兄がなることについて異議を唱える者はいなかった。
これが事件の始まりだったとは、この時は誰も露とも思わなかったのだが。
任務は、何の問題もなく達成されたと信じていたからだ。任務が終わった翌日の新聞は、王に娘が“1人”生まれたことを祝福する記事が、賑わっていた。
更に5年がたった。
一族の使命たる最大の任務をこなし、名実ともに最高の戦士となった兄だったが、突然、一族の掟を破った。
影の存在である山羊の民が表舞台に立つわけにはいかない。しかし、兄はそれを破ったのだ。
王都で開かれた武術大会に出場し、優勝したのである。しかも、優勝者には、王女の親衛隊への入隊が認められ、兄はそれを受けると言ったのである。
一族には前代未聞の出来事だった。
なぜそんなことをしたのか、兄に問いただすと、彼は言った。
「俺はもっと高みに上る。そして、そこでしか手に入らない力を手に入れる。影のままでは届かない力、不変の力をな」
それほどまでに、力が欲しかったのか。
影であることを辞めて、手に入れたい力とは一体何なんだ。
兄が何を考えているのか、自分には分からなかった。
当然、ゴートの幹部たちは、兄の行動を許さず糾弾した。ただ、その時、父のマムールと副頭領だった叔父のアブドルは、兄を庇ったという。
ダガフを復活させうる力を持った双子の片方、つまり、王女ナフィーサに対しても、その行動を監視してゆく必要はあった。しかし、これは暗殺の時と違い、長年かかる上に、ただの監視である。下級の構成員が行うような任務だった。
父と叔父は、兄をナフィーサの親衛隊にして、監視の任務に就かせてやって欲しいと幹部たちを説得した。自分達の幹部としての席を辞してまでだ。
結果、兄は里を出て行き、親衛隊に入った。一族のことは一切口外しないこと、ナフィーサを監視する任務に就くことを条件に。
その後すぐに、父は病で死んだ。
兄は父の葬儀にも帰ってくることはなかった。
しかし、兄はただ里を離れただけではなかった。数年かけて、親衛隊長に上り詰め、いつの間にか、一族の中で同じ様に表舞台に立てないことに不満を持つ者たちと通じ合い、山羊の民を二分するほどの派閥を作り上げてしまった。
そして、今、長年かけて描いた野望を成就させようとしている。
あれほど、兄を想い、一族を、国を大切にしていた父の気持ちは、通じることはなかったのだ。こんな結果を、父は想像もしなかっただろう。
(兄さん、いや、サイードよ……お前の欲しかった力とは、こんな結果の先にしかなかったのか……)
壁に掛けられた無線機から、アスタロトの声が響いた。
『もうすぐ、天秤山の上空だ』
彼女の声の後に、もう一つのコンテナの方からアルレッキーノが応答してきた。
『お嬢、そいじゃ健闘を祈ってます』
「そちらも、頼んだぞ」
アルレッキーノの返事と同時に、「はーい」というヴァルの、元気の良い軽い調子の返事が帰って来きた。メリッサは一瞬口元を綻ばせたが、無線を切ると、また顔を引き締めた。
無線が終わると同時に、並んで飛んでいた2機のドラグーンメイルは、左右に散開し、それぞれの目標である山の方に飛翔した。
そして、別れてから数分で、それぞれ左右の山の前に到着した。
まだ距離のあるところで空中に制止し、山の様子を伺う。
「あらぁ……すっごい数ね」
アスモデウスは、彼の乗るドラグーンメイルのモニターに映る山の景色を見て、思わず言葉を漏らした。
山と言っても、約500メートルの小山であるが、その山にぐるりととぐろを巻く様に作られた山道には、びっしりとゴーレムと武装した兵士たちが並んでいた。
『あっすー、止まってるけど、なんかあった?』
「ええ、山の至る所にゴーレムと兵士がたくさんいてね」
無線からのヴァル声に対して、外の状況を説明する。
『え? じゃあ、突入難しい?』
「何言ってんのぉ、あの数を殺さない様にするのが難しいのよ。殺していいなら、3分でお掃除完了なんだけど」
『やっちゃダメだよ』
「分かってるわよ。でも、その分、すっごく揺れるからしっかり捉まっててちょうだいね」
無線の会話が終わると、銀色のドラグーンメイルは発進した。そして加速の後、音速に迫る勢いに達した。
一方、射程圏内に迫った機影に、山に配置された兵力から砲弾や魔法が、雨あられと放たれた。
アスモデウスはコンテナを庇うために、上下左右に機体を動かし、弾幕を掻い潜って前進しする。
洞窟の入口まで、50メートルを切った。
『5秒後、作戦通りいくから、衝撃そなえて!』
コンテナの中に、アスモデウスの叫び声が響いた。
5、4、3……
地面の迫る低空でドラグーンメイルが、掴んでいたコンテナを放した。前進のエネルギーが残るコンテナは、入り口まえの隊列を飛び越えながら、空中を真っ直ぐに滑空し、1秒後に鼓膜を引き裂く様なけたたましい音を立てて洞窟の中に滑り込んで止まった。
少し間があって、コンテナの扉が勢いよく開き、ヴァル達が駆け出した。
「全員、無事に……うぷっ、突入できた」
胃の中ものが出そうになるのを堪えながら、アルレッキーノが無線でアスモデウスに報告を入れる。
そのすぐ背後では、入口前に降り立ったドラグーンメイルが、ゴーレムの隊列をかたっぱしから投げ飛ばしている。そして、あっという間に、入り口前を制圧してしまった。
ドラグーンメイルには入って行くことの出来ない大きさの入口を、その機体で塞ぐように立塞がった。突入班の追撃をさせないよう、一人で守り切る作戦だ。
『了解よぉ、じゃあこっちはやっとくから、そっちも頑張ってね。上手くいったら、思いっきりチュ~をし――』
アルレッキーノは無線を途中で切ると、洞窟の隅で、何とかせき止めていたものを口から吐き出した。
アルレッキーノほどではないが、顔色の悪いシアが彼の背中を撫でながら、声を掛けた。
「だ、大丈夫? アル君」
「……大丈夫、シアちゃん……さあ、進もう」
アルレッキーノは口元を手で拭うと、歩き出した。全員でシアを守る様に囲みながら、ヴァル達と共に洞窟の奥へと駆け足を始めた。
洞窟は、壁に点々と松明が焚かれてはいても、ほの暗く、奥は全く見えない。加えて、吹き抜ける風がくぐもった重い音を鳴らした。シアは、まるで大きな生物の口の中に入ってしまった様だと感じながら、真っ直ぐなその道を駆けた。
アルレッキーノのHPも胃の中身もほぼ空っぽになりました(-_-;)




