裁定の主
コンテナの外に出たメリッサは、日差しの眩しさに目を細めた。
「ん……ここは」
まだ日光に慣れない目にも、前方の壮大な景色が飛び込んできて、息を呑んだ。
アスタロトの運ぶコンテナに揺られて辿り着いた先は、彼女のアジトとは別の、石造りの遺跡だった。
そこは王都にある城と変わらない程の大きさで、石の色そのままの灰色で地味な見た目だが、左右対称の荘厳な構えの造りをしていた。
歴史を感じさせる褪せた色の持つ重厚感、迫ってきそうなほどの石1つ1つのスケールの大きさなど、その遺跡の持つ存在感に
メリッサは圧倒された。
ただ、最も目を引いたのは、遺跡の左右対称を唯一違える右側の建造物――大きな塔だった。
赤黒い石で組まれたその塔は、やや傾いて建っており、その巨大さもあって、それだけが遺跡とは異なる存在感を放っていた。
「行くぞ、ついて来い」
ジャファドが1人、遺跡の入口に向かって歩き出した為、メリッサたちもそれに従った。
遺跡の通路を歩く中、メリッサはロゼッタに話し掛けた。
「ロゼッタを転移させた人物がここにいるのか? ジャファドがいう“裁定”とやらを下した人物みたいだが、何者なんだ?」
「ふふ、会ってのお楽しみです。びっくりしますよ」
ロゼッタが、悪戯をする子供の様に楽しげに小さく笑う。
いったい何者が待っているのだろうか、などと考えているうちに数十段ある石階段を上りきると、遺跡の入口付近で待っていた人物が目に入った。
向こうは、メリッサ達の姿を見つけると、声を掛けてきた。
「うむ、来たか」
「アブドルさん!?」
「ああ、いかにもアブドルだ」
驚きの声を上げるメリッサに、豊かな白髭を撫でるアブドルから、のんびりとした答えが返って来た。
「こいつはたまげたな……」
「ねぇねぇ、アル、このおじいさん知ってるの?」
アルレッキーノの服を、ヴァルが引っ張った。
「ああ、ギアラーンって街で、ロゼッタを治してくれた職人の爺さんだ」
「へぇ、そんな人がどうしているんだろ?」
「そうなんだよ。あの爺さんが“裁定”ってのを下して、俺たちを呼んだってことなのか……ん?」
小首を傾げて考えている2人に、離れた所から声が聞こえた。声はどんどん近寄ってきている。走っているようだ。
その声と足音に気付いて、その出所――アブドルの背後にある遺跡の奥に視線を向けたところで、猛スピードで迫って来た声の主が、ヴァルに飛びついた。
「うわっぷ!」
「お姉様! お姉様! お姉様あぁ!」
「れ、れっちゃん!? うぐ、く、苦しい」
なかば飛び掛かる様に抱きついたレラジェが、その胸にヴァルの顔を埋めるほど強く抱きしめた。
抱きしめられた方のヴァルは、彼女の胸の中では、視界を奪われるわ、息苦しいわで、ジタバタともがく。
「いいなぁ」
その情熱的な抱擁を心底羨ましそうに、アルレッキーノがじっと見ていた。
ただ、彼はこの時気付いていなかった。
彼にも熱い抱擁をしてくれる存在がいることを。
そして、その存在がすぐ背後にいることを。
「彼女たちも、アブドルさんが?」
レラジェたちを見ながら、メリッサが質問した。
「そうだ。これからやってもらうことには、彼らの力も必要だからの。わしが依頼した」
「……あなたはいったい何者なんですか?」
「それについても話そう。だが、ここではなんだ、まずは移動しよう」
そう言って、アブドルは入口を潜り、遺跡内部へと歩き始めたので、メリッサたちも、その老人に続いて歩き始めた。
アスモデウスの熱い抱擁の餌食になっている、アルレッキーノの悲鳴を背後に残して。
♦ ♦ ♦
「さて、王女様をはじめ、皆、良く分からない人間に集められて、良く分からないことだらけのまま、国を救えなどと整理がつくまい。作戦会議と行く前に、質問に答えよう」
机に着いた全員を見回して、アブドルが言った。
遺跡内部の広い部屋へと連れて行かれたメリッサたちは、その広い空間の真ん中に一つだけ置いてある木製の大きな机に並んで座っていた。
アブドル曰く、普段ならこの大きな遺跡にはたくさん人間が控えているらしいが、今は彼しかいないらしい。だから、急拵えで用意した会議場所は、広い部屋に対してなんとも質素でちぐはぐだった。
「さて、まずわしが何者かだったな。今は引退して、ゴーレムの修理工をしておるが、ゴートの“元”副頭領だ」
メリッサたちから、えっという驚きの声が上がった。ロゼッタだけは、その反応が少し前の自分とまったく同じなのがおかしくて、1人くすくすと笑っている。
その後、ジャファドから聞いた内容だったが、アブドルの口から簡単に、山羊の民の使命や、一族が分裂状態にあることなどが聞かされた。
「隠居していたあなたは中立の立場だったようですが、どうして中立であることを止め、ダガフを停止させる方についたのですか?」
メリッサが質問した。
「中立などといいものではない。お前たちには悪いが、わしはどちらに転んでも都合がいいと考えていただけだ。ダガフが復活しようが、復活が阻止されようがな」
「それはどういうことです!? 叔父上!」
「まあ、そう怒るなジャファド。わしはな、この一族が陰の存在でいることは、もう終わりでいいと思っておる。しかし、ダガフという存在がある限り、一族はそれを守る使命に縛られ、ずっと陰のままだ。ゆえに、ダガフを完全に破壊することが出来ればいいと思ってな。
ただ、あれは封印状態にある。破壊する為には、あれを一度、起動させる必要があった。だから、ダガフが起動すればそれを機に破壊するもよし、逆に、使命通りジャファドが起動を阻止できるもよし、という具合に考えておったのだ」
「ふん、このじじい、とんだ食わせ物だ」
「ははは、すまんの。じじいは図太いもんだ」
クロードが厳しい視線を向け、毒づいた。
周りからも冷たい視線が向けられたが、アブドルは動じることなく、自分の白髭を撫でて、からからと笑った。
今度はアルレッキーノが口を開いた。
「じゃあ、ジャファドが言っていた“裁定”ってのは、一族の重鎮であるアブドルの爺さんが、ダガフを破壊するって決めたってことか?」
「そうなるな。まぁ結局、ダガフが復活したら最後はジャファドの味方になるんだ、“裁定”もくそもないがな、かかか」
そう言われたジャファドは、ばつが悪そうに顔をしかめた。
「でも、そう決めたからって、俺たちを助け出すとか、どうやってタイミングが分かったんだ。絶妙過ぎんだろ……」
言いながら考えたアルレッキーノが、閃いて声を上げた。
「あ、ロゼッタに!」
「そうだ。ロゼッタには、修理した際に情報を送る仕掛けをさせてもらった。ついでに転移装置もな」
「勝手に妹に変な仕掛けすんなよ! つうか、転移装置ってなんだよ! そんなもん出来んのかよ」
「ああ、あれか。今は、わしぐらいしか作れんが、一族の秘伝の魔法アイテムでな。ただ、転移といっても、前もって設定しておいた場所にしか飛べんのだがな」
「いきなりこの遺跡に飛ばされた時は、訳わからなくて泣きそうだったよ」
「すまないことをしたの、ロゼッタ」
アブドルが目を細め、優しく微笑んだ。が、すぐに真剣な表情になって言った。
「ダガフを使って王都を支配下に置いて自らが王になった上で、アフマディー王を殺すのが、アクバルの計画の第一段階だった。王の殺害は失敗に終わったが、それも時間の問題だ。そして、第二段階では、難民であるアルム人たちをマインドコントロールするつもりだ」
「アルム人を?」
メリッサが聞き返した。サーディール国が難民を受け入れたことについては、この国についての下調べの段階で、メリッサたちも知っていた。
「ああ、アクバルは偏った選民思想の持主だ。ゆえに同民族であっても、劣ると考える彼らを消し去ろうと考えておる。だが表立って皆殺しにすれば、非道な行いだと世界各国から非難を受ける。そこで、彼らを操ってテロリストに仕立て上げ、それを軍で一掃するつもりなのだ。治安維持の名目でな」
「それでは、ダガフの第2射が放たれるまでに破壊しなければ!」
「そういうことだ。幸いダガフは次を放つまでに魔力の充電、圧縮時間がかかる。その間に破壊するんだ。ダガフは、天秤山の真ん中の頂上にある」
「天秤山?」
聞きなれない単語に、メリッサたちの顔に疑問符が浮かぶ。その様子が微笑ましいのか、アブドルの真剣な表情が少し口元が、ふっと小さく笑った。
「ああ、エリギエ山の通称だ。天秤みたいに、大きな山の左右に、同じ高さの2つの山があるからこう呼んどる。
その真ん中の山に魔法の発射装置、地脈からマナを吸い上げ、魔力に変換する装置が、左右の山にある。狙うのは、この左右の山だ。山の中腹にある洞窟の奥にある」
「つまり、左右の山にそれぞれ、王女とシアが向かい、歌で完全に機能を停止するというわけでうすね。我々は、装置に至るまでの護衛」
「そうだ。天秤山には、サイードの一派に加えて、大臣派の兵士ががっちり守っているだろう」
「よし! やってやろうじゃない!」
シアが拳を握って見せて、力強く声を上げた。
「あ、でも私、ダガフを壊す歌って知らないや。ナフィーサ知ってる?」
「……え、いえ」
「それなら、“砂漠に吹く風”だ。調は同じで、歌詞は地脈装置を止める時と同じだ」
アブドルが言った。
「砂漠に吹く風? あ、それなら私も知ってる。孤児院でも良く歌った童謡だ」
その場でシアが、砂漠に吹く風を地脈装置停止の歌詞を当てはめて、小声で歌ってみた。
「あ、確かに、地脈装置の歌の歌詞を、砂漠に吹く風に当てはめても、尺がぴったりだ。すごい!」
シアが感心したように、一段高い声を上げた。
「では、作戦の方に入るかの。時間が経てば、ダガフによって操られた兵力も天秤山に到着して、より困難になる。あるなら今しかない」
「ちょっと待ってください!」
アブドルが作戦の説明に入ろうとしたところで、今まで黙っていたナフィーサが、突然、大きな声を上げた。
「私はこの戦いに反対です!」
視線が彼女に集まる。
「突然、こんなところに連れてこられて、よく分からない人たちが言うことを鵜呑みにして、ダガフを止めるために戦うなんて」
厳しい表情と口調で、ナフィーサは淡々と話してゆく。
「私たちは、サイードに騙されて、ダガフを復活させてしまったんですよ? 彼も、国を守ることが出来ると言ってました。
そこのアブドルさんたちも、今、同じこと言っています。
しかし、彼らもサイードと同じ、山羊の民です。何かの目的の為に、また私たちを騙していないと言い切れますか? 私は信じられません」
ナフィーサは、すくっと立ち上がり、私は作戦に参加する気はありません、と言って部屋を出て行ってしまった。
誰も彼女を引き留めることが出来なかった。
「なんか、ナフィーサ、苦しそうだった……」
彼女の姿が見えなくなってから、ロゼッタがこぼした。彼女には、ナフィーサの厳しい表情に、何か悲痛な感情が見えたのだった。
ここまで色々あって、彼女は傷ついている。そう思って、ロゼッタがナフィーサの後を追おうと思ったところで、シアが立ち上がった。
「私、ちょっと行ってくる」
「あ、シアさん……」
「多分、今は私しか、あの子の気持ち分からないと思うから」
シアは、微笑んでそう言うと、1人で部屋を出た。
ナフィーサを探して、部屋に来た道を戻ってみると、彼女の姿はすぐに見つかった。
遺跡の中央を突き抜けている階段の途中で、膝を抱えていた。
「ねえ、ナフィーサ、ちょっと話そ?」
シアは、ナフィーサに近づくと、彼女に呼びかけた。あえて、王女様ではなく、名前を呼んだ。
名前を呼ばれたためか、ナフィーサは反応して、俯いた顔を上げて、前に立つシアに視線を向けた。
「この上って屋上みたいになってるんだって、そこでね?」
ナフィーサの返事を聞く前に、シアは彼女の手を掴んで、階段の上へと引っ張って行った。




