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忍び寄る凶手

 煌びやかなシャンデリアに照らされ、テーブルの上の料理や食器が美しい輝きを放ち、ピアノの調べが空間全体を優雅に演出している。

 1等客専用の船内レストランで、メリッサたちは、シアの警護をしつつディナーを取っていた。1等客しか入れないだけあって、運ばれてくるコース料理のどれも贅を凝らしていて、美味しいものばかりだ。


「おいしぃ! ほっぺが落ちるぅ!」


 料理を口に入れたヴァルが、頬を手で押さえて歓喜の声を上げた。


「あはは、美味しいね。でも、本当にロゼッタとアル君を部屋に置いてきてよかったの?」


 シアがそう言って、カットした野菜を口に入れた。


「ああ、お気になさらず。ロゼッタはあの体ですから、食事は要りませんし、こういった場所には入れないんですよ。

 彼女も慣れてますし、アルもこういった時間で妹を整備するのはいつものことです」


 シアの向かいに座るメリッサが答える。


「ふぅん……アル君はロゼッタの整備があるからって言ってたけど、いいお兄ちゃんだよね。あれってロゼッタが寂しくないように、付き添っててあげてるんでしょ?」

「ふふ、アルは相当な妹想いですからね」

「いいなぁ……わたし、家族いないからうらやましいな」


 皿の上の料理を見つめるシアの目が、ほんの一瞬、寂しさを帯びた。


「別にシアも部屋に残っても良かったんですよ? むしろ、安全の為には部屋に籠ってほしいんですけどね」


 リーサがじとっとした目で、わざとらしく隣のシアに嫌味を言う。


「えぇ、やだよぉ。せっかく高級フルコースディナーが食べられるんだから。ロゼッタとアル君には悪いけど、わたしは料理を堪能させてもらいまぁす!」


 シアはコミカルな口調でそう言うと、皿の上の料理を頬張った。そんなシアとリーサの掛け合いで、一瞬湿っぽくなった空気が、すぐに明るいものとなった。

 そんな和気あいあいとしているシアたちのテーブルの後方で、険悪なムードになっているテーブルがあった。


「はぁ、もう……汚い食べ方しないでよ……」


 マリアが、優雅に料理をナイフで切りながら、向かいに座るヘルマンに小声で言った。その声は、苛立ちを含んでいる。

 一方のヘルマンは、彼女のことを特に気にすることなく、綺麗に飾り付けられた料理を分解し、細かく切り刻んでいた。


「なるほど……一度裏ごしして……」


 時折、ぶつぶつ言いながら、細切れの料理をじろじろと観察したり、口に含んでペチャペチャと舌の上で転がしたりしている。先ほどから、来る料理全てに対してこれをやっているので、マリアも苛立ちが募っていた。


「まったく、こんな時まで料理の勉強しないでよ」

「いや、むしろ今しかないだろ。高級フルコースなんてめったに食べられないんだ。それにここのシェフは腕がいい。いい勉強になる」

「はぁ……」


 マリアは大きな溜め息をついた。

 2人は、シアやメリッサのいるテーブルとは別のテーブルにいる。これは警護の死角を無くし、不測の事態に備えるためで、料理もメリッサたちと異なるものを食べるようにしていた。要人の警護としては当たり前の対応であるが、2人きりの食卓で、向かいの人間の食べ方が不快であることは、マリアにとって苦痛だった。


「失礼いたします」


 ウェイターが新たな料理を運んで来た。丁寧な所作で皿を2人の前に置いてゆく。


「こちら、若鳥のもも肉の香草焼きにございます」

「まぁ、美味しそう。素敵なお料理ですね」


 料理を説明するウェイターに、マリアがぱあっと表情を明るくして、にっこり笑った。その香る様な美しい笑顔に、ウェイターはぼおっと見惚れ、一瞬言葉を忘れてしまった。


「こ、こちらのソースを絡めてお食べください」


 ウェイターはすぐに我に返り、緩んだ顔を引き締めなおして、そそくさと引っ込んでいった。


「本当に、お前は外面だけはいいな」


 ウェイターが立ち去るのを見送ってから、ヘルマンが呟いた。


「“だけ”とは何よ。外だけでなく、内面もいいでしょうが」

「へいへい」


 ヘルマンは気のない返事をしつつ、また料理を分解し始めた。


「もう、本当にそれやめてよ! 料理が不味くなるでしょ!」

「いや、美味いが?」

「あなたじゃなくて、私の方が不味くなるのよ!」


 先程までの優雅な淑女とはうってかわって、声を荒げて、しかめ面をヘルマンに向けた。

「だいたいね、ヘルマン、あなたはいつも――」

「ちょっと待て」


 ヘルマンが割り込む形で、ぴしゃりとマリアの愚痴を打ち切った。噛みつき足りないとむくれるマリアであったが、ヘルマンが真剣な視線をメリッサ達のテーブルに向けているのに気付き、彼女も同じ方向を注視した。

 視線の先、メリッサたちのテーブルでも、ちょうどウェイターが料理を運んできたところだった。


「失礼いたします」


 ウェイターが料理を乗った皿をそれぞれの前に置いていく。


「あっ!」


 シアの分が置かれようとした時、隣のリーサが水の入ったグラスを倒してしまった。さらに、倒れたグラスが机から落ちそうになったので、彼女はキャッチしようと手を伸ばしたが、掴み損ね、手の上を何度もグラスが跳ねた。


「あ、とっ、とっ、とっ」


 まるで跳ねる魚を素手で捕まえようとしている様な構図になる。跳ねるグラスを落とすまいと、席を一歩踏み出した途端、シアに料理を出そうとしていたウェイターにぶつかってしまった。


「きゃ!」

「うわっ!」


 ガシャン!


 跳ねていたグラスもろともウェイターの持っていた皿が床に落ちて割れ、料理が散乱した。


「でたぁ! リーサのミラクルどじ!」


 惨状を前にシアが面白そうにはやし立てる。


「も、申し訳ありません。すぐに清掃道具をもってまいりますので」


 そう言ってウェイターは足早に立ち去った。


「はぁ、やっちゃいました……」

「あの、大丈夫ですか?」


 しょげるリーサに、メリッサが気を遣って声を掛けた。


「大丈夫です……」

「リーサはね、バリバリ仕事できるんだけど、たまに“ドジ”をするんだ。しかも、ミラクルが起きて被害が大きくなるの。これがコメディーみたいで笑えるんだよね」


 リーサとは対照的に、ケタケタと笑いながら楽しそうに語るシアの話を聞いて、メリッサ達の中で、“仕事の出来るキャリアウーマン”というリーサの印象は、“ミラクルドジっ子キャリアウーマン”へと変化した。


「キュキュキュキュ」

「うわ、なに!?」


 シアがびっくりして席から飛び退いた。

 突然、何処からともなく毛むくじゃらの何かが、シアの足元にすり寄ってきたのだった。

 メリッサはすぐさま席を立ち、シアの前に立って彼女の盾になる。警戒しつつ、その毛むくじゃらをよく見ると、毛の長いイタチの様な動物だった。毛並みもよく誰かのペットだろうか。

 警戒するメリッサ達を他所に、その動物はたった今床に散らばった料理をモグモグと食べていた。  

 その姿に、こちらに危害を加えるような危険な生き物ではないことは、なんとなく分かった。


「エカテリーナちゃん、エカテリーナちゃん! 駄目よ、拾い食いなんて!」


 派手に着飾った太った夫人が、声を上げてドスドスと駆けて来る。どうやら足元の動物はこの女性のペットらしい。

 メリッサが駆け寄る女性を、一応警戒の為じっと見ていると、視線の先で女性の顏が突然真っ青になった。


「あ……いやあぁぁ! エカテリーナちゃん!」


 女性が悲鳴を上げた。

 メリッサは、女性の視線の先にいるペットの方に視線を戻して驚愕した。


「なっ!?」


 さっきまで落ちた料理を食べていた動物が、痙攣し、泡を吹いて倒れているのである。明らかな中毒症状だった。


「まさか……毒が?」


 メリッサは一瞬動揺した。それは、シアを狙う犯人が想定していた以上に凶悪だったからである。

 警戒はしていたが、国外まで追ってくるほどの執着を見せるとは、正直、メリッサは思っていなかった。

 更に毒を使ってきた。それも無味無臭の即効性の毒である。こんなものはそう簡単に手に入るものではない。

 その事実からメリッサの思考は、一つの結論を導いた。犯人は、狂った考えのファンや競合するライバルなどではなく、人を殺すことを専門とする“暗殺者”であると。

 メリッサは、改めて女性が抱えているペットに目を移すと、ペットは白目を剥いて動かなくなっていた。

 もしあの料理をシアが口にしていたらと思うと、メリッサは顔から血の気が引く気がした。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


 メリッサたちの只事ではない様子に、マリアがやって来た。


「ああ、マリア、こちらは大丈夫だ。ただ……シアを狙う奴らはどうやらプロだ」


 ぐったりしているペットを抱いて悲鳴を上げ続ける女性、それを聞きつけて飛んでくる係員、他の客も何があったのかとざわついている。


「ひどい……いったい何なの? 私、そこまで嫌われてるっていうの?」


 毒を盛られたという事実に、さすがのシアもショックを受け、嗚咽を漏らした。

 今までの不可解な事故も、事故なのだと自分の中でなんとか納得しようと努めていたが、今回の件は彼女の心の防御を容易く破壊するものだった。

 明確な殺意に怯え震えるシアを、リーサが抱き締めて慰めた。


(暗殺者が船に乗り込んでいる以上、ここに留まるのは危険だ)


 メリッサは判断し、仲間たちに指示を出す。


「シアを部屋に移す。ヴァル、マリア、護衛を頼む。私はここの後処理をしてから、合流する」

「わかりました」

「わかりましたぁ!」


 メリッサは、返事をした二人に頷いて返すが、ふとヘルマンの姿が見えないことに気が付いた。


「マリア、ヘルマンはどうした?」

「それが、気になることが出来たって、どこかに行っちゃって……」

「全くこんな時に」


 メリッサは眉間に皺を寄せた。その皺はその後、傍らにクロードの姿がないことに気付き、さらに深い物になった。


ヘルマンは、コックなので料理の勉強に余念がありません。でも、お行儀よく食べましょう。

アルレッキーノは、とっても妹想いなんだなぁ~

次回は船内での戦いです!

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