偽りの王
視界に映る物全てが白に染まる程の閃光と、身体を突き抜ける様な衝撃が、牢の中のメリッサたちにも襲い掛かった。
まさに落雷だった。
いったい何が起きたんだ――メリッサは、ぐっと瞑ってしまった目を急いで開いて、状況を確認した。
「今のは!?」
凄まじい閃光と衝撃だったが、思いの他、身体は異常はなく、仲間たちを見ても、怪我をしている様子はない。
しかし、大きな異変は、壁に映る映像の中で起こっていた。
城の前の広場で、集まった聴衆達が上げる歓声が、スピーチの後ならではの、熱気に満ちた規則的なコールへと変わっていた。
ただ、そのコールが異様なのである。
『マーハ・アクバル! マーハ・アクバル!』
マーハとは、この国の言葉で王を讃える時に使う言葉である。すなわち、人々は“アクバル王、万歳”と、大臣のアクバルに対しておかしなコールを叫んでいるのだった。
そのコールを一身に受けて、バルコニーにアクバルは、満足げに笑みを浮かべている。
「なんだこれは!?」
その異様な光景に、メリッサは目を剥いた。しばしそれを見つめていたが、すぐに映像の中の状況を作り出した原因が、ぱっと頭に浮かんだ。
「まさか――」
「そうだ、ダガフが起動したのだ」
1人落ち着いて座っているジャファドが、メリッサの言い終わる前に、ぼそりと言った。
「そして、今、この王都においては、王はあのアクバルとなった」
「どういうことだ?」
「言葉の通りだ。ダガフの効力は、人間の脳に作用し、記憶の改変とマインドコントロール状態にすることだ」
「つまり、王都の人間の記憶では、アクバルが王である、または王になったということか……しかし、私達は記憶が変わっていないぞ?」
「それはお前たちに、ダガフの魔法避けが施されているからだ。額を見てみろ」
彼の言葉に、全員が全員、近くの人間の額をじっと見た。なんとも、滑稽な光景である。
メリッサも、マリアの額を見つめた。すると、彼女の額の真ん中に、爪ぐらい大きさの魔術の刻印があるのに気が付いた。
「これは……こんなもの昨日まであったか?」
「いえ、昨日まではありませんでした。お嬢様、恐らく今のダガフの発動を受けて、発現したものではないかと」
「いつの間にこんな魔法避けを……」
メリッサが顎に手を当て、首を捻る。
「そんなことが出来るのは、サイードぐらいだ」
ジャファドが低い声で言った。
「そうだ! 地下道に入る前に、サイードがお守りだと言って、額に何か施していた。あれが、ダガフ避けだったのか。しかし、奴はどうして……」
「あ、お嬢様、刻印が消えました」
「ん? マリアのも消えたな」
皆の額から、すっと刻印が消えて見えなくなった。その光景を確認しようと、再び、お互いの額を見つめている状態になったところで、ジャファドが指摘する。
「それが、ダガフから守ってくれるのは一度だけだ。次はない」
「役目を果たして、完全に消えたというわけか」
納得したように、メリッサが頷いていると、突然、ヴァルが「 ああっ!」という驚いたような叫び声を上げた。
メリッサはそれにはっとさせられ、何事かとヴァルの方を見た。
「お、王様たちが!」
視線がヴァルから、壁の映像に瞬時に跳ぶ。
再び見た映像の中では、王や王妃たち王族全員が、衛士に槍を十字に突きつけられ、罪人の様に捕らえられていた。
王たちの目に生気がなく、抵抗もせずに、後ろ手に縛られて突っ立っている。
すると、彼らの目の前に、膝丈ほどの台が運ばれてきた。そして、王たちは跪いて、その台の上に首を置いた。
それを見たナフィーサの顔が一気に青ざめる。なぜなら、王たちが首を置いた台は、断頭台だったのだ。
「お父様! お母様! 姉様たちも、やめて! 目を覚まして!」
映像に向かって、ナフィーサが叫んだ。映像の映る壁を叩いて、必死に父親たちに呼びかけるが、硬い壁を叩く音が虚しく響くだけだった。
断頭台に首を置いた王の横に、湾曲した大剣を持った兵士が立った。
「お願い! やめて! やめてください!」
必死に叫ぶナフィーサを他所に、映像の中で、大剣が振りかぶられた。
マーハ・アクバル! マーハ・アクバル!
聴衆の歓声が一層大きくなる。まるで、供物を奉げる儀式の様な、異様な興奮と盛り上がりが広場を包んだ。
マーハ・アクバル!! マーハ・アクバル!!
太陽の光を受け、構えられた剣がきらりと光った刹那、その剣は王の首に向かって一気に振り降ろされた。
「いやあぁぁぁぁ!」
ナフィーサが絶叫した。
しかし、剣が振り降ろされたと思ったところで、突然、壁の映像が消え、殺風景な牢の壁に戻ってしまった。
「お父さまあぁぁぁ! お母さまあぁぁぁ!」
映像の消えた壁にしなだれかかり、ナフィーサは泣き叫んだ。例え、映像が見えなくとも、その先は想像に難くない。
牢の窓からは、未だに城の前の騒ぎ声が聞こえる。
「アクバルめっ!」
メリッサが吠えた。自分達の無力さに拳を強く握り、奥歯がギリギリと鳴った。ただ、泣き崩れるナフィーサを直視することはできなかった。
他の者も同じ様に、悔しさを滲ませた。
ナフィーサの慟哭だけが牢に響く、そんな沈み切った状態のまま数分が立ったときだった。突然に、事態は大きく動き出した。
『皆さん! 壁から離れてください!』
牢の外から響いたのは、ロゼッタの声だった。
聞き覚えのある声に、はっと顔を上げるメリッサたち。
沈んでいた空気が、がらりと変わった。
『壁をぶち破ります!』
ロゼッタの再びの声に、メリッサは慌てて大声で皆に呼び掛けた。
「ぜ、全員壁から退避!」
彼女の帰還に喜んでいたのも束の間、メリッサの号令を聞くまでもなく、全員、一目散に反対側の鉄格子に体を寄せた。
その直後――
バキバキバキバキッ!!
人間ほどもある巨大な刃物が、けたたましい音を立てて、メリッサ達の牢の壁をぶち破ってきた。そして、真っ直ぐ突き抜けてきたその刃物は、今度は、まるで魚の腹でも捌くように、横に走り出した。
壁を破壊する音が、耳をつんざく。
メリッサ達が呆気に取られている間に、監獄の外に臨む壁は全壊し、つられて各牢を仕切る壁も半壊した。
「皆さん、大丈夫ですか!?」
「ロゼッタ! やっぱり無事だったんだ、って、うわ!」
妹の姿を見ようと、アルレッキーノがすぐさま無くなった壁際に駆け寄ると、驚きの声を上げた。
アルレッキーノだけでなく、全員が外にいたものの姿に驚いた。
なぜなら、壊れた壁の向こうにいたのは、ロゼッタよりも遥かに巨大なもの――ドラゴンだったからである。
「えっと……黒いドラゴン……アスタロトちゃんか!?」
『そうさ、助けに来たよ』
「さっすが俺の未来の嫁! 愛してるぜえ!」
アルレッキーノが、アスタロトの操るドラグーンメイル――アスワドに向かって、手を振って投げキスを繰り返す。
「ちょっとお兄ちゃん! 私を忘れてない!?」
怒った声を出しながら、アスワドの背中につかまっていたロゼッタが、牢の中に着地する。
「え?……いやいや、そんなことないよ」
「ちょっとぉ、私の方を見て言ってよ」
いつも通りの兄妹のやり取りをしていると、アスタロトが割って入る。
『ほらほら、時間が無いんだ。再会を喜ぶのは後にしな』
「ああ、そうでした。はいはい、お兄ちゃん後ろに下がって」
ロゼッタが思い出した様に、アルレッキーノの腕を掴んで、再び牢の奥に戻す。
すると、牢の外でアスワドが少し上昇し、脚で鷲掴みしていたコンテナの端を牢の中に滑り入れてきた。
「さあ、皆さん。このコンテナに乗ってください」
ロゼッタが、コンテナの扉に手を掛けて開こうとしたところで、浮かない表情のナフィーサに目がいった。
「どうしたんですか、ナフィーサ様」
「……」
何も答えないナフィーサを見かねて、メリッサが説明した。
「その……さっきまで牢の壁に、城の前の広場の景色が映し出されていたんだ。それで、サーディール王が……その、斬首される様を見せられてな」
「え? 王様が斬首された? 王様なら無事ですけど……」
ナフィーサがはっとした表情をロゼッタに向けた。彼女と同じ様な驚いた反応を、周りからの一斉に向けられたロゼッタは、戸惑いを見せつつ、コンテナの扉を開けた。
「え、えっと、王様ならここにいますから」
ロゼッタが、開いたコンテナの中には、先ほど映像の中で見たのと同じ格好のサーディール王がいた。加えて、王妃や王女たちの姿もあり、全員、横たわっていた。
「お父様! お母様! 姉様たちも!」
ナフィーサが、横たわる王たちに、一目散に駆け寄った。全員、首が繋がっているのはもちろんのこと、息はあり、眠っている様だった。
家族の無事が分かった途端、彼女は、はあっと安堵の溜息を漏らし、その場にへたり込んでしまった。
そのナフィーサを、扉の横で見ているロゼッタに、メリッサが問いかけた
「どうして、王が?」
「私がアスタロトさんの力を借りて、王都に突入してから、間一髪のところで王様たちを助けたんです」
「そうだったのか。王たちが殺されそうになった直前で、壁に映っていた映像がぷつりと途切れたから」
「はい、ギリギリで助けました。広間にアスタロトさんが――」
『姉さんだろ?』
アスタロトが口を挟んだ。
「あ、えっと、アスタロト姉さんが睡眠毒を散布して、助け出しました」
「あれはロゼッタたちが突入したからだったのか。アルレッキーノが、使い魔を通して映していると言っていたが、その使い魔も眠らされたわけか」
「そうだと思います。だから、王様たちも今は眠っています。ただ、大臣も眠らせて捕まえられると思ったんだけど、影武者でした」
「そうか。そうなると次のダガフがいつ発動してもおかしくないな」
「そういうことだ。大臣たちとは戦って、ダガフを停止させる他、救いの道はない」
メリッサの言葉に合わせる様に、牢の端にじっとしていたジャファドが言った。
「サーディール王たちに掛かったダガフの魔法は、眠らせたぐらいでは解けない。今は眠って意識が途絶えているが、起きれば再びマインドコントロールを受け、アクバルが念じれば自害させることもできる」
「……これが、あなたの言っていた、嫌でも従ってもらうということですか?」
コンテナから出てきたナフィーサが、ジャファドを睨んで言った。
「お父様たちは、人質ということですか?」
「勘違いするな。王たちを助けたいのなら、王女、お前が戦わなければならない状況があるだけだ。誰も、お前を動かそうとしてはいない」
「それは……」
「分かったか。では、行くぞ」
正論だった。ナフィーサはぐっと言葉を詰まらせ、表情を渋くさせた。
ナフィーサに睨まれる視線など歯牙にもかけず、ジャファドはコンテナに乗り込むと、中に座り込んだ。
その後少しの間、ジャファドをじっと見ていたナフィーサだったが、彼女も渋々とコンテナに入った。
『さ、あんた達も乗りな』
「ああ」
アスタロトに促され、コンテナに乗り込もうとしたメリッサに、ヘルマンが声を掛ける。
「お嬢、忘れ物だ」
ヘルマンは、ごとりと大きな木箱を置いた。メリッサが箱の中を覗くと、そこには武器がどっさりと入れられていた。
剣や銃、錫杖など、どれも見たことのある武器だった。
「これは、私達の武器か。どこにあったんだ?」
「隣だ」
ヘルマンが、半壊した牢の仕切りの壁の方を指した。
「普通、囚人の入ってる牢の隣に、没収物を置くか?」
「俺もそう疑ったが、武器に妙な細工をした形跡はなかった」
武器のことだけでなく、他にも妙な点がメリッサの脳裏に浮かぶ。
(しかし、牢を破壊したというのに、兵士たちが来ない……)
思考の途中でアスタロトが急かす。
『ほら、早くしな』
そこで考えは立ち切れてしまった。
メリッサたちがコンテナに乗り込むと、アスタロトの駆るアスワドは、再びコンテナを鷲掴みし、高く飛び上がった。
その後、風を切って、真っ直ぐに空を駆けた。
風が当たり、ゴトゴトと揺れるコンテナの中、メリッサたちは、これから待つ戦いを思いながら、装備を整えるのだった




