高鳴る鼓動
「待たせたね」
そう言って、メリッサと男たちの間に立ったのはクロードだった。
彼は、メリッサに目の前に歩み出て向き合うと、彼女の手を取った。
「ちょっと、外の空気を吸いに行こう」
まるで他の男たちがいないかの様に話始める。
「おい、何だね君は」
「そうですよ。彼女とお話ししていたのは僕たちです。それを割り込んできて」
抗議する男たちに、クロードは、今初めて気が付いた様に振り返って言った。
「ん? ああ、私が離れている間、彼女が退屈しないように、話相手をしてくれていたんですね。これはこれは、どうもありがとう」
「おい、そういうことを言っているんじゃないぞ。後から来て、随分と馴れ馴れしいんじゃないかと言っているんだ」
「馴れ馴れしい? これは異なことを。私とこのメリッサは、恋人なのですから、別におかしいことはないですよ」
勝ち誇った微笑を湛えるクロードとは対照的に、男たちはむっとした表情を浮かべており、恋人であるという言葉を疑っている様でもある。クロードはそれを察して、メリッサに目配せをした。
「あ……えっと……クロード様ぁ、早く行きましょう? 私、2人っきりになりたいですぅ」
メリッサは甘えた声を出して、クロードの腕に抱き付いた。
(……我ながら、寒気がするほど酷い演技だ…………おうち帰りたい……)
言っていて顔から火が出そうだった。
ただ、彼女に群がった男たちを黙らせるには、十分に効果があったらしい。
「では、行こうか。皆さん、失礼するよ」
その場を去る2人を、男たちは立ち尽くし、唖然とした表情で見送るのだった。
その後、2人はテラスに出た。
もちろんテラスまでは恋人らしく腕を組んで、密着したまま歩いて行った。が、テラスに着くなり、クロードは、ぱっと組んでいた腕をほどき、テラスの柱の前にメリッサを立たせて厳しい表情で彼女を見下ろした。
「ふぅ、やれやれ、男女同伴のパーティーというのに、彼らはパートナーをほっといて他の女性を誘うとは、まったく軽薄な」
「……おい、我は目立つなと言ったぞ。なんだあれは」
「い、いや、私は何もしてないぞ! 彼らが勝手に話し掛けてきたんだ!」
「まったく……」
クロードが呆れた様に溜息を吐いた。気まずい空気に、メリッサは話を逸らそうと思いついたことを口走った。
「と、ところでだ、これで私が女として魅力があることが分かっただろ? いつぞやは、哀れみの目を向けてくれたが、私だってちゃんと着飾ればそれなりなんだぞ。なんたって、いっぺんに3人もの男性から誘われたんだ。どうだ! もう、魅力が無いなんて言わせんぞ」
空気を変えたいと焦ったのと、言い寄られて舞い上がっていたのとで、思わず軽薄な言葉が口からこぼれ出た。
そして、言ってから冷静になって思った。
(あ、まずい…………私はどうしてこんなことを……)
クロードに褒めて欲しいのだろうか。
そうだとしても、彼の口から誉め言葉など期待できないだろう。
『自惚れるな。あの男どもの美的感覚がおかしいだけだ』と嘲笑されるのが関の山だ。現に、クロードは怪訝な表情をメリッサに向けていた。
一瞬の沈黙の後、おもむろにクロードが口を開いた。
「貴様に魅力が無いなどといつ言った? 貴様は美しいぞ」
夜風がふっと吹き付け、二人の髪を揺らした。
「…………え?」
思いがけない言葉に、固まるメリッサ。
「着飾った今宵は、格別に美しい」
真顔で、じっと見つめるクロード。
述べられる彼の言葉に、一瞬、メリッサは理解が追い付かなかった。
唖然として固まったまま目を点にして、彼を見つめ返す。
「……あ……え……」
真剣な彼の表情を見ると、心臓の鼓動がどくどくと速まる。
間をおいてから意味を理解して、メリッサは顔が一気に熱くなっていくのを感じた。
「今宵、この宴に集まる女どもと比較しても、貴様は一番美しいといって――」
「わー! もういい! もういいから!」
メリッサは顔を真っ赤にして、クロードの口を手で塞いだ。思ってもみなかった相手から美しいと言われ、気恥ずかしさに耐えられなくなってしまったのだった。
「な、なんで急にそんな褒めるんだよ! ドレスの店で、感想を聞いたら、そっけなかっただろ!?」
「時間がないと言っただろ。あの時は急いでいた。それに、あの時貴様は、“どうだ?”と聞いてきたが、服の良し悪しなど我には興味ない」
「そういうこと聞いたんじゃ――」
ドンッ!
赤面し、取り乱すメリッサの顏の真横――彼女が背にしている太い柱に、突然、クロードが片手をついた。
「少し黙れ」
真剣な表情のクロードの顔が、メリッサの目の前まで迫った。
「ひゃっ……」
メリッサは子犬の様な小さな悲鳴を上げ、再び硬直した。
長い睫毛がはっきりと見えるほど、目の前にクロードの顏がある。
(え!? ちょ、ちょっと待て――なんだ! 何だこれ!? 近い!近い!近い!)
状況が理解できないまま、身を強張らせると、俯いて、ぎゅっと眼を瞑った。
けたたましく鳴る心臓の音だけが聴こえる。
そんな中、ふと、ロゼッタに借りた流行の恋愛小説の“とある挿絵”のことを思い出した。
その挿絵は、壁際に立つ女性に、男性が片手を彼女の背後の壁につけた状態でキスをするシーンを描いていた。しかも割と強引にキスをする場面である。
それが脳裏に、なぜか鮮明に浮かんだ。
(…………今の状況じゃないか! ま、待って、あれは不味い!)
しかし、メリッサにはぐっと目を固く閉ざして、首を横に少し捻るぐらいの抵抗しか出来なかった。
目の前で香る男物のコロンの香り――
高鳴る心臓の音――
間近で聞こえる、彼の囁き――
「なるほど……あそこが入口か」
クロードが、壁から手を離した。
「おい、娘、何をやっている」
「…………へ?」
メリッサが恐る恐る目を開けると、クロードが普通に立って怪訝な顔で彼女を見ていた。
パチパチと瞬きをして、状況が呑み込めないメリッサ。彼女の心臓はまだバクバクと大きな音を鳴らしていた。
「シルクタイトはこの屋敷の地下だ。入り口も今さっき分かったぞ。この庭にある」
「えっと……え~っと…………つまり、さっきの『黙れ』からの一連の動きは、その入口をよく見る為に、身を乗り出した、のか?」
「ん? そうだが?」
「…………そ、そうだよな。ははは、はぁ……」
乾いた笑いの後、疲れた溜息が漏れた。
「妙なやつだ。さっさと行くぞ」
2人でテラスを離れ、ホールに戻ろうと思った所で、使用人がテラスにやって来て言った。
「間もなく催し物が始まりますので、ホールの中にお入りください」
この宴のメインイベントでもあるファッションショーが、もうすぐ始まるらしい。
「そうか、教えてくれてありがとう。では行こうか」
爽やかな紳士の顏に戻りつつ、クロードはさりげなくテラスの手すりに、ポケットから出した小さな筒を一つ置いた。そして、何食わぬ顔で、使用人に誘われ、メリッサとホールの中に入った。
再び戻ったホールでは、楽団が姿を消していて、静かな空間にざわざわと人の話し声だけが響いていた。その声の主である客たちは、ランウェイの周りに集まり、今か今かとショーを待っている。
「こちらは、希望商品を記載するリストです。どうぞ」
メリッサとクロードが、ホールに戻ったところで、使用人が冊子とペンを渡し、テラスへ続くドアを閉めた。すると、照明が落ち、一瞬、ホールは闇に包まれた。
ドン ドン ドン ドン
派手なビートの効いた音楽がホールを支配し、客たちからどよめきが起こる。
次の瞬間、派手な色の照明がちかちかと舞った。
『ご来賓の皆さま、お待たせいたしました。これより、ボルドアコレクションを開催したします』
マイクを通した快活な司会の声の後、ボルドアがデザインしたであろう煌びやかな服を着たモデルが、ランウェイを歩き始めた。
「ちょうどいい、この期に地下に潜入するぞ」
「ああ」
司会による購買欲を煽る商品の説明が流れる中、クロードとメリッサはホールの入口の方へ向かった。
入口に近づくと、その前に立っている使用人が向かってくる2人に反応した。
「どうなされましたか?」
「どうも大きな音と光がよくなかったのか、彼女が気分を悪くしてしまってね。すまないが、別室で休ませてくれないだろうか?」
「ああ、それは大変ですね。畏まりました、ご案内します」
訳を説明するクロードの後方で、気持ち悪そうに苦悶の表情で口元を抑えるメリッサ。
それを見て、使用人は急いで扉を開けて、2人を別室に案内し始めた。
中央広場の階段を下り、1階の廊下を歩いてゆくと、すぐに別室に着いた。
応接室のようであるが、華美な装飾で囲まれた落ち着きがたい部屋であった。
「こちらでお休みください」
「ありがとう。ところで、この窓から見える庭は、テラスから見えていた中庭かな? 照明と相まってとても綺麗な庭だね」
さりげなくクロードが、使用人に話し掛けた。
「はい、こちらから見えているのは中庭でございます。主人の自慢の庭です」
「なるほど」
「ああ、でも庭には出ないようにお願いいたします。夜はセキュリティー装置を起動しておりますので、危険でございます」
「分かったよ。ありがとう」
使用人は、一礼して部屋を出て行った。ドアが閉まったのを確認すると、2人は早速、中庭に繋がるガラス張りの扉をゆっくりと開いた。
「それでクロード、地下への入口はどこだ?」
「あの右端、胸像の下だ」
「良く分かったな。さっきボルドアの話に聞き耳を立てに行って分かったのか?」
「うむ、地下に例の物があることは分かった。あとは地下への入口だったが、それについては、さっきのテラスではっきりした」
「……あ、ああ」
メリッサは、先ほどのテラスでのことを思い出して、自身の顔が熱を帯びるのを感じた。
「あの時、あの胸像の台座の下に、枯れ葉が挟まっているのを見つけてな。普通の台座ならそんなことはあり得ん」
「なるほど……ってこんな薄暗い所でそんなものまで見えるのか!?」
「当たり前だ。人間の目であっても――」
「分かった。その説明はいいよ」
メリッサは、長そうになる彼の説明を遮り、庭に足を踏み入れようとした。が、それをクロードが彼女の腕を掴んで制止した。
「なんだ? クロード」
「たわけが。さっき使用人がセキュリティーが起動していると言っていただろ? 今、我の目には、庭中に張り巡らされた赤外線の網が見える」
「なに!? そんなものまで見えるのか!?」
「無論だ。人間の目――」
「だから、その説明はいい。人の目でも見えるんだろ?」
「いや、魔法で目を強化した。赤外線は人間の目で捕えるのは不可能だ。常識だろ、たわけが」
「うぐぐ……」
メリッサは悔しそうに眉をぴくつかせた。
「……で、どうやって胸像まで行くんだ?」
「時間がない。こうする」
「うわっ!」
おもむろにクロードがメリッサを抱え上げた。
「ふんっ」
クロードは魔力で脚力を強化すると、高く飛び上がった。
ぎゅんと加速の重力が掛かる中、メリッサは小さく悲鳴を上げつつ、ぎゅっとクロードの体にしがみ付いた。
一瞬、ふわりと重力が無くなるが、再び重力に引っ張られ、夜風を受けながら胸像の真横に着地した。
「この周りは赤外線がない」
クロードはメリッサを降ろすと、胸像の台座を調べ始めた。
「地下室への入口は複数あるだろうが、ここもその1つだろう……うむ、これだな」
クロードが、石垣の様な台座の1ヶ所――石の1つをぐっと押し込んだ。すると、台座が横に滑り地下に続く階段が姿を現した。
「随分と手の込んだ仕掛けだな」
「それほど重要な物を隠しておく場所なのだろう。行くぞ、娘」
「その前にクロード、ここにもあれを仕掛けておけよ」
「ふん、分かっておる。我に指図するな」
クロードは、ポケットからテラスに置いてきたのと同じ小さな筒を取り出すと、胸像の横に落とした。
「よし」
その後、2人は、地下に続く階段を下り始めた。
階段の壁には、ほんのりとだが足元を照らすぐらいの照明が備えられていた。その為、降りることには難儀しない。
ただ、この先には警護する者、つまり武力を持った者も控えているだろう。その事を考慮し、2人は、その仄暗い地下への階段を慎重に降りていく。
だがこの時、地下に降りるメリッサたちを、その眼で捕え、ほくそ笑む者がいたことに、彼女達はまだ気付いていなかった。
壁ドン!
安直かもしれないけど、「はわわわわっ」ってテンパるメリッサに……(´ω`*)モエ
クロードは、気難しいですが正直な性格なので、美しいものは美しいと誉めます。
だからメリッサのことも素直に美しいと言っちゃいます。
決して酔ってるわけではありません(´・ω・`)




