魔力伝導体
機械で金属を削る音が響く。音が響くそこは、所狭しと様々な工具や機械が並ぶ工房だった。
その工房に、真剣な目で切削を行っている老人がいる。顔の至る所には深い皺と染み、口元には真っ白な髭がある。ゴーグル越しに見える目は、鋭く厳しい職人らしい光があった。
彼がこの工房の主、アブドルである。
工房の真ん中には作業台があり、そこに今、動かなくなったロゼッタが寝かされている。そして、その横にはアルレッキーノがいた。
「アブドル爺さん、クリスタルファイバーの15番とC型スタビライザーはあるか?」
「後ろの棚の右から3列目の5段目と6列目の12段目だ」
アルレッキーノの質問に振り返ることなく、アブドルがぶっきらぼうに答える。
今、2人は分担作業でロゼッタの修復に掛かっている。既成のパーツで修理できるところは、アルレッキーノが修理をし、加工が必要な特殊なパーツをアブドルが作っている。
この状況になる前、突然動かなくなったロゼッタを抱え、アブドルの工房にアルレッキーノたちが駆け込んだ。それは少し前の話に戻る。
――2時間前
赤土の上を滑る様にして、車が止まった。アルレッキーノは、急いで運搬用の台車にロゼッタを乗せ、車の荷台から彼女を降ろした。
「すみません! アブドルさんはいらっしゃいませんか!?」
アルレッキーノが動かないロゼッタを降ろしている間に、メリッサが工房のドアを叩き、中に呼びかけていた。
ガンガンガン
鉄製のドアを一生懸命叩く。詳しくは分からないが、ロゼッタが一刻を争う危険な状態なのはアルレッキーノの言動から分かった。だからドアを叩く腕に力が籠る。しかし返事がない。
再び、数回ドアを叩いた。
すると、重そうな鉄のドアが横に滑って僅かに開き、そこから1人の老人が顔を覗かせた。
「なんだ、騒がしい」
煩わしそうにしかめた顔でこちらを見る老人に、メリッサは訪問の訳を話そうとした。が、台車を押して近寄ってきたアルレッキーノが先に、彼に話し始めた。
「あんたがアブドルさんだな!? 頼む! この子を助けてくれ!」
「なんだ、急に。飛び込みの修理依頼か? こっちも他の修理があるんでな、依頼はまた今度にしてくれ」
冷たく突き放すアブドル。しかし、アルレッキーノも食い下がる。
「カシム爺さんの紹介だって言ってもか?」
「ん? カシム? あのアスタロトのとこにいるカシムか?」
アブドルの顔色が少し変わった。
「ああそうだ。この子は、そのカシム爺さんやアスタロトちゃんたちを守ってボロボロになっちまったんだ。頼む、すぐに修理しないとこの子が危ないんだ」
アブドルは、扉から一歩外に出て、黙って台車に乗ったロゼッタを眺め始めた。
少しの間、しげしげと眺めていたが、その後、おもむろに口を開いた。
「これはお前が作ったのか?」
「理論と基本設計は俺だ。特殊なパーツの類は、知り合いの職人に頼んだが」
「ほう……分かった。中に運べ」
そう言うと、アブドルが背を向けて扉の中に入っていった。
「ありがとう、爺さん!」
アルレッキーノは、大きな声で礼を述べたのだった。
――そして、今に至る。
アブドルとアルレッキーノがいる工房からは、絶え間なく作業をする音が聞こえてくる。
メリッサ達は工房の隣の事務室に通されていた。
「お茶のお代わりをどうぞ」
「ありがとうございます」
ポットからメリッサのカップにお茶を注ぐのは、アブドルの妻のマリナであった。
夫のアブドルと違い、ニコニコとした表情の柔和な老婆で、事務所に入ったメリッサとナフィーサにお茶と手作りの菓子でもてなしてくれた。
ただ、お茶だけはなんとか飲むことができたが、ロゼッタが心配でメリッサもナフィーサも、お菓子は喉を通らなかった。
「……サイードは戻って来ませんね、メリッサさん」
ナフィーサがぼそりと言った。
空気が重い。
「……宿がある区画までは遠いのでしょう」
「……そうですね」
サイードは車からメリッサたちを降ろすと、修理は長丁場になるだろうから宿をとって来ると言って、その足でギアラーンの宿がある区画に向かって行った。
そのため、今事務所にいるのはメリッサとナフィーサ、クロードの3人だった。
深刻な表情の2人とは対照的に、クロードはいつもの仏頂面で、お茶とお菓子を堪能している。
「ロゼッタはどうしてしまったんでしょうか……」
突然の異変から、事情を知るであろうアルレッキーノは説明もせず、工房に籠ったきりなので心配が募る。
ここに来てから数周した時計の針を見ながら、ナフィーサが沈んだ声色で呟いた。
その呟きの直後、突然、事務所のドアが開いた。
「ふぅ……婆さん、冷たいのをくれ」
「はいはい」
まずアブドルが事務所に入ってきた。その後にアルレッキーノが続く。
アブドルは妻に注文を出しつつ、大きく息を吐きながら、事務所のソファーにどかりと座った。
アルレッキーノも、メリッサたちのいる机の空いている席に座った。
疲れたような、安堵したような、彼のその表情からは、ロゼッタの修復が上手くいったのかどうか分からない。
「アルレッキーノさん、ロゼッタは……」
ナフィーサが居ても立っても居られず、彼に問いかけた。
「……危険な域は出たよ。でも、その場しのぎだ……重要なパーツが駄目なんだ……」
「そんな……アル、そもそもロゼッタは一体どうしたんだ? 爆発の後も、お前が応急処置をしたし、元気そうだったから深刻な問題はないと思っていたが」
メリッサの質問に、アルレッキーノが重い口を開いた。
「……問題を抱えてたんです。抱えたまま、それを隠していたんですよ」
メリッサもナフィーサも息を呑んだ。
「ロゼッタの心臓部に、魔力伝導体って石があるんですがね……それにヒビが入っているんですよ。そのせいで、魔力を体に巡らせることが出来ないんです」
「今まで元気に動けていたじゃないか」
「あれは体に残った魔力の残滓で動いていただけなんです。いわば蛇口を止めた状態で、ホースの中の残った水だけを、ちょっとずつ使っていたようなもんなんですよ」
ロゼッタは魂を持ったゴーレムである。それ故、他のゴーレムとは違い、自身で動力源たる魔力を作り出すことが出来た。
発生させた魔力は、魔力伝導体という心臓によって体中を巡り、体を動かすことが出来るのである。
魂を定着させている装置は、その魂から魔力を直接吸っているから、問題はない。
しかし、彼女の記憶や意識、自我といった部分を司る装置、つまり脳に当たる部分には、魔力伝導体が正常に作用しなければ魔力が行かず、作動しないのである。
「もう少し遅かったら、危うく記憶や自我を無くすとこでした……なんとかさっきの処置で、その危険は回避できやした。でも、意識がもどらないんです。やはり魔力伝導体を直さないと……」
アルレッキーノは、顔の前で組んだ手にぐっと目元を押し付けた。組んだ手が微かに震えていた。
「遺跡の晩……アル、お前はロゼッタ状態が分かっていたんだな? だからあんなにギアラーン行きを主張して……」
メリッサの言葉に、アルレッキーノは黙って頷いてから、口を開いた。
「……ロゼッタが、皆には黙ってて欲しいって言ったんですよ。依頼の邪魔にはなりたくないって。あいつ、必要とされないことも嫌いますが、足手まといになることはもっと嫌なんですよ……だから……」
アルレッキーノの説明に、ナフィーサは衝撃を受けて絶句した。
あの時、砂漠を見ながら遺跡の淵で話した時のことが思い出された。
ロゼッタは、自身の状態を知っていた……
知っていて、なおナフィーサの使命を優先する様に背中を押してくれた……
そんな状態でも、自分を置いてゆくことに気を病む必要はないと私を案じてくれたなんて……
今となってロゼッタの本当の優しさが分かり、ナフィーサは胸が締め付けられる様に痛かった。
「……ロゼッタは、回復しないのですか?」
ナフィーサは振り絞るようにして、声を出した。
「ロゼッタの魔力伝導体は特別製で、既製品と交換はできないし、そう簡単に製造もできない」
「そんな……」
絶望に駆られかけたところで、アルレッキーノの言葉が続いた。
「……でも、魔力伝導体自体を修復することは出来る」
「……え?」
「本当なのか!? アル!」
メリッサとナフィーサの表情が、一瞬、明るくなった。
「アブドルの爺さんならその修復が出来るって話です。相当難しい修復作業だが、材料さえあれば出来るんだそうです」
「材料さえあれば?」
「……はい。魔力伝導体の修復には、シルクタイトが必要になるんです」
シルクタイト、それは蚕の繭が化石化した天然資源である。
この繭には、外界より魔力の元であるマナを吸引し、魔力に変えて溜め込む性質があった。そして、その繭が長い時間を掛けて地中にあるマナを吸いながら化石化した結果、魔力の伝導性に優れた物質へと変化するのである。
「シルクタイト……かなり希少な化石資源だな。確か採掘も、民間に卸すのさえも国に管理されるほどの重要管理対象資源のはず。だが、ギアラーンのほどの機械の街だ、無いことはないだろう?」
メリッサは、シルクタイトに関する自身の記憶を思い出すようにして述べた。
「お、お金だったら、私が何とかします!」
自身にできることならば何でもといった感じで、ナフィーサが必死な声を上げて前に乗り出した。
しかし、アルレッキーノは、黙って首を横に振った。
「どうしてですか? 何が駄目なんですか?」
「シルクタイトは、今この街では手に入らんのだ」
ナフィーサの質問に答えたのは、ソファーに座るアブドルだった。
妻に貰った冷たいお茶をぐいって飲んで、言葉を続けた。
「シルクタイトは、そこの娘が言うように国の倉庫に搬入されていて、この街にも国が管理する倉庫がある。だが、最近、そこに泥棒が入ってな。シルクタイトを全部持って行きおったのだ」
「そんな……シルクタイトが手に入らない……」
ナフィーサが暗い声を漏らした。
重い空気の中、しばし沈黙が流れる。しかし、その沈黙を破った者がいた。
「奪われたなら、奪い返せばよかろう」
クロードだった。
「シルクタイトなど希少物資が集まるこのギアラーンは、入ることより出る方が難しい。持ち出しが無いように厳重にチェックされる。
故に、例え盗んだとしても、シルクタイトを街の外に持ち出すのは難しい。まして、市場で売り捌くのはすぐに足が着くから無理だろう。ならば、シルクタイトは街のどこかにまだある」
「だがクロード、それが分かった所でこの街のどこにあるかなど」
クロードは、メリッサの発言に対して、はあっとわざとらしく呆れたような溜息をついて見せた。メリッサはこめかみがぴくり引きつるのを感じつつも、黙って彼の話を聞くことにした。
「泥棒とて馬鹿ではあるまい。貴様と違ってな。我が今言ったことなど承知のはず。それでも盗んだ。理由は、盗んだ品を買い取る人間がこの街にいるからだ。
そして、この街の警察機構もこれぐらいは推理できるだろう。その上で、手を出せない様な人間が買い手だ。今はその買い手のもとにシルクタイトはあるだろう」
冷静になって考えてみれば、確かにクロードの言う通りで、推理も筋が通っていた。
「老人よ、今言った様な人物に心当たりはないか?」
「……それなら、ボルドア卿だな。この街の郊外に屋敷を持ってる貴族様だ」
「ほう」
「時折、各地の貴族や有力者を呼んでパーティーを開いてるんだが、そのパーティーで重要文化財とか保護動物の部位とか、売買が禁止されている物を取引してるって噂だ」
「老人、シルクタイトはいつ盗まれた?」
「3日前だ」
「ここ最近、パーティーは開かれたか?」
「いや。ただここ数日、高そうな車が何台も街に入って行くことがあったから、近いうちに開かれるだろうな」
「では、パーティーに乗じて強奪しに行くのがいいだろう」
とんとん拍子に話が進んでゆく中で、メリッサが慌てて制止した。
「ちょ、ちょっと待て、クロード。盗品だからって、私達が盗んでいいわけじゃないだろう」
「緊急事態です! 私が許可します!」
「え!?」
ナフィーサの突然の発言に目を丸くするメリッサ。
「で、でもああいったパーティーは招待状が無くちゃ入れないですし――」
「まずは招待状を招待客から奪いやしょう! 貴族たちは宿のある地区の高級ホテルにいるはずだ! 招待状を見ればパーティーの日時も分かる!」
「アル、それこそ犯罪だろ!」
「私が許可します!」
「ええ!? ナフィーサ様!?」
ナフィーサとアルレッキーノの目の色が変わっていた。
メリッサとてロゼッタを助けたいが、盗人の真似事をすることになるのは、なんとも納得がいかなかった。
しかし、これ以上反対出来る雰囲気ではなく、しかも間が良いのか悪いのか、工房の外に車が止まる音がした。サイードが帰って来たらしい。
その音を聞いて、ナフィーサとアルレッキーノがメリッサを見ながら無言で力強く頷いてきたので、メリッサは諦めた様にがっくりと肩を落とした。
こうして、シルクタイト強奪作戦は始動されたのであった。
ロゼッタの為になりふり構わなくなりました。
でも、まぁしょうがない(´・ω・`)
これからちょっとドタバタ面白イベントタイムです(°∀°)




