バザールにて
まっすぐ延びた大きな通りに、多くの人が行き交う。通りの両端には様々な露天がずらりと並び、店主達の威勢のいい呼び込みの声が、至る所で飛び交っている。
活気に満ちていた。
まさに、バザールは売る側も買う側も一体となった活気の塊だった。
「今のところ、特に異状はないわね」
マリアが辺りに注意を払いながら、シアの横を歩く。
シアを挟んだ反対側には、ヘルマンが同じ歩調で進んでいた。彼もまた厳しい眼光で周囲を伺っていた。
「ああ、怪しいやつも見当たらねえ」
メリッサが、シアの警護に残した三人は、要人警護という依頼でならグレンザール警備会社において最高の人員であった。
様々な魔法を扱え、魔法防御にも秀でた魔術のエキスパートのマリア。
歴戦の経験から、ゲリラ戦や局地戦など幅広く様々な局面に対応でき、常に冷静沈着な戦闘のプロフェッショナルのヘルマン。
そして、あらゆる射撃武器を百発百中の命中率で扱え、優れた感覚でどんな異状にも反応出来る
人ならざる狩人、ヴァル。
この三人であれば、最早死角はない。
「うわぁー!! 今度あれ! あの串焼き買おう!」
死角ない……はずである。
こうして、あちこちの店の品物に目をつけては駆け寄ってく間も、絶え間なく周囲に注意を払っている……のだろう。
「うぉ!? あっちにはエメラルド色のソフトクリームが!」
串焼きのソースを口許につけたまま、ソフトクリームの露店に駆けて行く、人ならざる狩人のヴァル。
いつものことで想像はしていたが、マリアもヘルマンも溜め息が漏れた。
「あはは、ヴァルちゃん待ってよぉ」
シアもバザールを楽しんでいる様で、弾ける笑顔を見せて、駆け足でヴァルを追いかける。
すると、それに合わせて、マリアとヘルマンも走らされる。さっきからこの繰り返しだ。
2人からは幾度目となく溜め息が漏れるのだった。
その後、何十という露店を回り、道を抜けた先の広場で一息着くことした。
「リーサも……ムグムグ……来れれば……ムグ……良かったのに」
シアが串に刺さった肉を頬張りながら言った。
「モグモグ……しょうがないよ、王女様が手配してくれた……モグモグ……会場警備の人たちと、明日のライブについて打ち合わせがあるって……モグ……言ってたし」
ヴァルも同じように頬張りながら答える。
広場には買ったものを食べ易いように、机と椅子がオープンカフェの様に設置されていたので、シアたちはそこに座り、どっさりと買い込んだ戦利品に舌鼓を打っていた。
「そういえば、シアってサングラスとか帽子とかしてこなかったけど平気なの?」
次は何を食べようか選びながら、ヴァルが聞いた。
「案外平気だったね。あたしも少し不安だったんだぁ。声かけられちゃうかなぁ~なんて思っておりましたよ……」
「どったの?」
遠い目になるシアに、ヴァルは小首を傾げる。
「みーんな横にいるマリアさんに声かけるんだよ? 『美しいお嬢さん、これが似合いますよ』とか『お姉さん綺麗から、これサービスね!』とか、仕舞いには芸能関係のスカウトまでされてさ! あたしオーラないのかなぁ……ショックだよぉ、とほほ」
がっくりと項垂れるシアの頭を、よしよしと言ってヴァルが撫でてあげる一方で、話題のマリアは居心地悪そうに、苦笑いを浮かべていた。
「バザールの辛いことは、バザールで忘れよう」
「ヴァルちゃん……」
二人の少女が、がしりと抱き合った。
「ん?」
抱き合っていた姿勢から、急にヴァルが頭を離し、辺りをキョロキョロと見回した。
「どうしたの?」
「ううん、何でもないよ、シア。あ、そうだこの丸い揚げ物すっごく美味しかったんだ。一緒に食べよう」
「うん」
シアが心配そうな表情を向けたが、ヴァルはすぐに笑顔に戻り、短い串を揚げ物に指してシアに差し出した。
「はい、あーん」
「あーん」
串に刺さった揚げ物が、シアの口にまさに入ろうかという時だった。
突然、ヴァルが手に持った揚げ物を放り投げ、シアに飛び掛かる様にして、自分ごと彼女を椅子から、地面に押し倒した。
次の瞬間、手から離れて空中に舞った揚げ物を、矢が貫き、そのまま彼女達がいた机上に突き刺さった。
――攻撃だ!
時折感じていた殺気の籠った視線が、ついに攻撃へと変わった。
「むんっ!」
ヘルマンは即座に目の前の机を持ち上げ、地面に倒れたヴァル達の前に置いて盾を作って彼女たちを守ると、自分もマリアと共に、その後ろに隠れた。
「ヴァル、シアは大丈夫か!?」
「大丈夫……ついに仕掛けてきたね」
「うう、痛てて……なんなの? もう」
シアは落ちた時にぶつけた膝をさすった。まだ何が起きたのか分かっていない様だった。
断続的に攻撃が続く。
2本、3本と矢が、盾にしている机に刺さる。その度に、衝撃で小刻みに机が揺れた。
「障壁展開!」
突如、マリアの叫びと同時に、派手な音を上げて火の玉が弾けた。
火球の魔法。
矢の飛んで来るのとは違う方向から、今度は火球が飛来し、それをマリアが打ち消したのだった。
「きゃ!」
悲鳴を上げるシア。ここにきて初めて自分が襲撃されているのを認識した。
「うわっ、魔法!?」
「きゃぁぁぁっ!!」
「巻き込まれるぞっ!」
シアと同じ様に事態の異状を認識した一般人たちが、悲鳴を上げて逃げ惑い出し、平和だった広場が一気に阿鼻叫喚の様相へと変わる。
「人数は分からないけど、囲まれているようね」
断続的に様々な方向から飛んでくる火球を打ち消しながら、マリアが言った。
「数を掴ませないか、できるやつらだな……ここを離脱するぞ。ヴァル、シアを引いて走れ」
「はいよ!」
ヘルマンの指示が飛ぶ。
ヴァルがシアの手を握ると手から震えが伝わってきた。怯えている。
ヴァルは優しく微笑んで言った。
「走るよ。でも大丈夫、シアはヴァルが守るからね」
その言葉に、シアはこくりと頷いた。
「1、2、3で行くよ! 1、2、3――」
一気に走り出した。
広場に続くどの道にも逃げ惑った客が殺到していたが、1つだけ人がいない道があった。
そこに向かって、一直線に走り抜ける。
ヒュン、ヒュンっと風を切る音がして、走る足元に鉄の矢が次々と刺さる。
――はっ、はっ
息が上がる。
それでも広場を抜けた。
広場を抜け、狭い道を走り続ける。入り組んで、右へ左へと折れ曲がって。それでも、矢はヴァル達をかすめて飛んできた。
尚も殺気の籠った視線が追いかけてくる。
敵は移動しながら、狙撃しているというのだろうか。
――はっ、はっ、はっ……んぐ……はっ、はっ
シアの息が上がりきり、そろそろ走れる体力の限界だった。
「止まって!」
ヴァルが突然止まり、シアを制止した。
「はぁはぁ……えっと……はぁはぁ……ここは……」
息を切らしながら辺りを見回すシア。夢中で走っていたため、止まって初めて自分がどこにいるのか確認した。
気付けば、廃墟ばかり並ぶ寂れた街並みに変わっていた。辺りに人の気配はない。
目の前には周りよりも一際大きな建物があるが、それも廃墟だった。そして、狭かった道が、その大きな廃墟の前で開けている。
「どうやら誘い込まれちゃったみたい……」
「はぁはぁ…‥え?」
シアが息を整えながら隣のヴァルを見ると、彼女は上を見上げていた。廃墟の屋上を見て、呟いていたのだった。
シアもつられてヴァルの視線の先を追うと、屋上に1つ、人影があった。
この国の民族衣装だろうか、全て黒で染まったその衣装に身を包み、ターバンにマフラーを身に着けた人物がこちらを見下ろしている。
「誘い込まれたって……」
シアにも、あの黒ずくめの人物が自分達をここに誘い込んだこと、そして襲撃の犯人の人であることがすぐに想像できた。加えて、ヴァルの様子から、良くない状況であることも何となくわかった。
「そういえばマリアさんたちは!?」
はたとマリア達のことを思い出した。自分の後ろを一緒に走ってきていると思っていたが、辺りにはマリアもヘルマンもいない。
「……あいつらに分断されちゃった」
屋上の人物から目を離すことなく、ヴァルが答えた。その頬には汗が伝っていた。
♦ ♦ ♦
ヴァル達と分断されたヘルマンとマリアは、未だ広場にいた。“いた”というより広間から出れないと言った方が正しい。
なぜなら2人は今、黒装束の2人組と対峙していたからだった。
「あのお方の邪魔はさせません」
「あんたたちは、ここで僕たちと戦ってもらうよ」
2人組が喋った。
「子供か?」
顔も隠し、服で体格も分からない。しかし、身長はそう高くない。そして、今喋った声も、甲高い子供のものだった。
年端のいかない子供が暗殺者。ヘルマンは若干の戸惑いを持った。
「ヘルマン、子供だからって油断できないわ。あの幻惑の魔法……戦闘中とはいえ、私でも気付かなった。相当な使い手よ」
マリア達が分断された理由、それは目の前の黒装束が使った幻惑の魔法にあった。
ヴァルたちが向かって行った広場の出口は、2人が通った途端に壁に変わり、ヘルマンとマリアは取り残された。
ヴァル達が見ていたものと、ヘルマン達が見ていたものが違っていたのだ。そして、ヴァル達も二人とはぐれたことに気付かなかった。
「……ああ」
マリアでさえ気づかなかった幻惑の魔法。ヘルマンは僅かな戸惑いを振り払い、ナイフを強く握り直した。
「そうそう、僕たちを舐めない方がいいよ。よく分かってんじゃん、おばさん」
「むしろ幻惑に掛かってから気付くくらいですからね。こちらが手加減してあげましょうか? おばさま」
覆面から唯一見える目元がにやりと笑った。
「お……おばさん?」
マリアの目元がピクピクと引きつる。
「お、落ち着け、マリア……」
「フフフ、この子たちは礼節を教えてくれる人がいなかったのね。お姉さんが、ちゃんと教育してあげなきゃね。お姉さんが」
マリアの目は笑っていない。
彼女から放たれるどす黒いオーラに、ヘルマンの額から冷たい汗が垂れた。
まずい……目の前の敵ではなく、横にいる味方が一番危険だ。
ヘルマンは前方の2人組を睨みながら、いかに味方の魔法に巻き添えを食わないように戦うかを必死に考えるのだった。




