2匹のモンスター
ヴァルが部屋の中を縦横無尽にはしゃぎ回る。
「ちょっとヴァル、遊びに来たんじゃないんだから……もう、少し落ち着きなさい」
杖をかざし、部屋に魔法の類のトラップが仕掛けられていないか確かめているマリアが、眉をひそめる。
しかし、彼女も内心この部屋の凄さに心を躍らせていた。
彼女たちが浮かれるのも無理もないことだった。
サーディー国の中でも、屈指の豪華さと権威を有するホテル、『ル・ベリエ』の最上階のロイヤルスイートルーム。そこは、王族や各国のVIPのみが泊まることを許される特別室である。
いくらシアが有名人だからといって、ここまで豪華な部屋をとることは普通なら出来ないのだが、ハザイに着いた時には、サイードによって既にこの部屋は手配されていたのだった。
もちろん、費用はサーディール王家がもつことになっている。
「罠の類はなさそうだ。しかし、流石はVIPご用達の部屋、護りに関しても完璧だな」
そう言ってヘルマンは、ガラス張りの大きな窓を軽く叩いた。分厚いガラスは当然の様に防弾、耐魔法の加工がされた特別製で、他にも要人を護るための工夫が部屋の随所に凝らされていた。
安全を確認した部屋で、シアと一緒になってはしゃぎ回るヴァルに不安を覚えつつも一応、シアの警護を任せ、ヘルマンとマリアは別室の安全を確認しにいった。
ワンフロアをいくつもの部屋に分けたロイヤルスイートは、全ての部屋が扉で繋がっており、かなりの広さがある。部屋の安全を確認するのにも一苦労だった。
「はあぁぁぁ……」
錫杖をかざし、トラップの有無を調べる中で、マリアが大きな溜め息をついた。同じ部屋で、爆弾等の物理的なトラップの有無を調べるヘルマンは、特にその溜息を気にすることなく、自分の作業を黙々と進めている。
「はあぁぁぁぁぁ……」
更に長い溜息が漏れた。
「はあぁぁぁぁぁぁ……ちょっと、少しは気に掛けたらどうなの? 乙女が物憂げに溜息をついてるのよ?」
「乙女って……」
ヘルマンの鼻で笑う。
「おい、錫杖を俺に向けて物騒な詠唱を唱えるな……で、どうしたってんだ?」
「お嬢様が大丈夫かなって……心配で、心配で」
「あん? お嬢なら大丈夫だろ。剣だけなら俺より強い。何を今更」
「そういうことを言っているんじゃないの! クロードよ、クロード! お嬢様の傍に彼がいて、そして、私がいないのよ!?」
「あいつは、お嬢がうちに入れるって決めたんだ。俺たちは黙ってそれに従うって決めただろ? それにクロードじゃ、お嬢をどうこう出来ねぇよ」
「分かっているけど、でも、やっぱり心配になるわよ。だって、人間かすら怪しいんですもの。あの魔法の威力、普通じゃないわ」
魔法とは、マナと呼ばれる魔力の素を体内に取り込み、魔力に変換し、それを外に放出する行為である。
一般的には、魔力を動力源に動く道具などに対して、魔力を込める行為を魔法と呼ぶ。
また、それとは別に、魔力を体内で練り、火や雷など自然現象やその他事象に形を変え、攻撃や戦闘の補助として放出する行為も魔法と呼ばれている。
正式には、前者を一般魔法、後者を戦闘魔法と呼称された。
今、マリアが言っているのは、戦闘魔法のことである。
「まあ、確かにあの威力は人間離れしてるな」
「ヘルマン、気付いてた? 湖で使った氷の魔法も、闘技場でゴーレムを空に吹き飛ばした風の魔法も、全部、初級魔法なのよ?」
戦闘用魔法は、全世界共通の基準で、初級、中級、上級と発現の難易度で分けられている。基本的に、威力や効果範囲が大きいものほど、大量の魔力とそれを練る技術が必要となり、難易度が上がる。
また、中級以上は、発現には詠唱を必要とし、その詠唱は一つの魔法に対して一義的に決まっていた。他の詠唱では発現しないのである。
詠唱と魔法発現の関係は、未だ解明されていないが、長い魔法研究の歴史の中で、魔法を発現する為に試行錯誤が繰り返され、そして詠唱の文言が発見されていったのである。
「なぜ初級だと?」
「彼は詠唱していないのよ。『凍れ』とか『風よ、吹け』とか、初級魔法特有の何でもいい発声しかしていないの」
「だが、威力は上級、いや、それ以上か……」
「だから人間か疑わしいのよ。そんな得体の知れない奴が……いつも、いつもいつもお嬢様の傍にいて! しかも魔法を使う度に、ベタベタベタベタと!お嬢様に触って!」
溜まっていた鬱憤か、本音がこぼれ出した。
今のマリアに関わると面倒くさそうなので、ヘルマンは彼女が別の方向を向いて1人で喋っているうちに、さっさと別の部屋へと移動した。
「嗚呼、お嬢様……どうか、どうか穢れないお嬢様のままでいてください……」
別室でマリアが1人、遠くのメリッサに想いを馳せている頃、ヴァルとシアは、自分達の身の丈よりも大きいガラス張りの窓から、外を眺めてキャッキャッと騒いでいた。
「すっごぉい! 高ぁい!」
街を一望できる景色にヴァルが声を弾ませた。
眼下には、綺麗に整理された碁盤の目の中に、建物がずらりと並ぶ。その間の道を人や物が行き来している様子を高層階から見ると、まるで精巧なミニチュアの模型の様である。
「あっ! バザールやってる!」
街の一角を見て、シアが嬉しそうに声を上げた。
「バザール?」
「うん、簡単に言えば市場のことだよ。といっても普通の市場みたいに常設じゃなくて、お祝い事とかお祭りごとがある時だけ開かれるんだ。色んな物が売ってて見てるだけでも、楽しいんだよね」
ヴァルが聞き返すと、シアは笑顔を弾ませて答える。その笑顔からもバザールとは楽しいものだということが伺えた。
シアはくるりと後ろを向き、机に向かって書類の山と格闘するマネージャーのリーサに、キラキラした目を向けて言った。
「ねぇ、リーサ」
「ダメよ」
「ひどっ! 話ぐらい聞いてよ」
リーサは書類から目を離すことなく、ぴしゃりと言い放った。むくれ面で抗議するシアだったが、リーサは書類と向き合ったまま追い打ちを掛けた。
「バザールなんてダメに決まってるでしょ。あなた命を狙われているのよ?」
「えーいいじゃん! ちょっとだけ! ちょっと見てくるだけだから!」
シアはリーサの後ろに歩いて行って、彼女の肩を揉んでゴマを擦るが、効果はない。
「ね? ちょっとだけだからいいでしょ? ほら、ここで活力を充電して、明日のライブにいいパフォーマンスができるよ」
「ダーメ! 夜からリハやるんだから。なんかあったらどうするの」
「むむむ……」
シアは再びしかめ面になり、すたすたとリーサの前まで歩いていく。そして、おもむろに床に寝転がったと思ったら、手足をばたつかせながら叫び出した。
「やだやだ! バザール行きたいぃ! 行かなきゃ明日歌えないぃ!」
駄々こねである。
彼女の大声を聞いて、ヘルマンたちが別室から急いで戻ってきた。ヴァルもおろおろと、床で暴れるシアを前に狼狽えている。
「どうしたんですか?」
「シアがバザール、つまり市場に遊びに行きたいって駄々をこねているんです」
リーサの困り顔が、現状の説明を聞いたマリアにも伝染し、同じ顔になった。ヘルマンもやれやれと、溜息を着いている。
暗殺者に狙われている人間が、人でごったがいしているバザールに行くなど、警護する側からも困った話である。その場の皆が、リーサと同じ意見であるのは明らかだった。
「行ーきーたーいー! 行ーきーたーいー!」
シアが反対多数の空気を察し、さらに大きく駄々をこね出した。が、突然、ぴたりと止まり、ちらりとヴァルを見た。
「ね? ヴァルちゃんも行きたいよね?」
「えっと……ヴァルもさすがにやめた方がいいと思うなぁ……」
おどおどと反対するヴァルに、シアはブツブツと何やら呟き出した。
「……虹色の綿飴……伸びるアイス……黒毛牛の串焼き……」
シアは呪文を唱えた。
「行こう! 依頼人の意向は尊重しなきゃ!」
ヴァルは懐柔された。
「駄目よ、ヴァル。依頼人を危険にさらすなんて。あと、涎を拭きなさい!」
「やだぁ! バザール行ーきーたーいー!」
マリアの制止は、新たな駄々っ子というモンスターを生んだだけだった。
床に転がりジタバタと暴れ騒ぐモンスター2匹に、マリアとリーサは同時に頭を抱えて、溜息と一緒に首を横に振った。こちらも、表情までシンクロしている。
しばらく、行く行かないで戦況は拮抗したが、駄々こね同時攻撃に面倒臭さが2倍、いや、2乗になったことで、最終的に大人陣営は降参し、しょうがなくバザールに行くことになったのだった。
シアとヴァルの だだをこねる
こうかは ばつぐんだ
リーサとマリアは こんまけした
次回バザールに行きます!




