毒の嵐
バリバリバリバリバリッ!!
無数の硬いものが次々と粉砕される音が、幾万の羽音を上書きしてゆく。
アスタロトの駆るアスワドが、巨大なハルバードを振るう度、その軌道から風の刃が派生し、大イナゴ――アポリオスの群れを切り刻んでゆく。
外殻が割け、肉が粉々になり、体液が飛び散る。
砂漠には夥しい数の死骸が落ちていった。
「あれが、アスタロトの本気か……」
メリッサは、遠くで戦うアスタロトの姿に目を見張った。その動きは、ロゼッタとの戦闘の時とは大違いだった。
巨体でありながら、俊敏に空を飛翔し、疾風の刃を作り出すほどの攻撃を高速で繰り出す。
圧倒的な戦闘力。まさに伝承に残るドラゴンそのものだった。
「へへ、お頭の本気はあんなもんじゃねぇよ」
近くの男が言った。今でも鬼神の如き強さ見せているのに、まだ全力ではないというのか。メリッサは、ごくりと言葉なく唾を呑み込んだ。
そんな中、アスタロトの更なる力の片鱗を見る機会はすぐに訪れた。
アスタロトは飛び回りながら、アポリオスを次々と落としてゆくが、圧倒的に数が多く、全てを風の刃で仕留めきれない。
『ちっ、まったく切りがないね』
群れの最前線はどんどんと遺跡に近づいていた。それを見て、アスタロトは一度後退し、距離を広げる。
雲霞の様に広がるアポリオスの群れを一望すると、翼を大きく広げて動きを止めた。
一拍の静寂。その時、風が完全に凪いだ。
そして次の瞬間、一気に翼を羽ばたかせた。
ゴオオオオォォォォ!
アスワドの両翼によって繰り出された風は、逆巻き、荒れ狂う竜巻とへ姿を変えた。
竜巻は、それ自体が生きているかの様に、うねり、暴れ回る。
風の刃による竜巻。それに呑まれたアポリオスたちは、砕かれ、切り刻まれ、次々とただの肉片になっていった。
「風まで操れるのか!?」
アスタロトの力の凄まじさに、メリッサが驚いていると、先ほどの言葉を交わした男が言った。
「へへ、竜巻の通り過ぎた後もよく見てみな」
男の言う通り、竜巻が通り過ぎた後を注視すると、妙な光景が目に留まる。
それは、竜巻の周囲――つまり、群れの中でもまったく竜巻を受けていないはずの所で、アポリオスぼとぼとと地上に落ちていく光景だった。まるで魂を抜かれた様に、次々と力なく墜落していくのである。
「あれがお頭の最強の能力、“毒”だ」
「毒だと……」
「そうだ。お頭はあらゆる毒を生み出すことが出来るんだ。そんで、それをアスワドが増幅して、竜巻に乗せて散布する」
男の熱の入った説明を聞きながら、メリッサは、ふと広間で自分たちを襲った痺れを思い出した。
(あれも、彼女の能力だったわけか……)
「そして、さっきの竜巻こそが、お頭とアスワドの合体必殺技! ヴェノム・ストームだ!」
広間では簡単な痺れ毒だけだったが、アスタロトがその気になれば、メリッサ達を瞬殺するほどの猛毒も作り出せたわけである。
おそらく、離れたこの場所にも、アポリオスを葬る猛毒は漂って来ており、だから全員ガスマスクを着けているのだろう。アスタロトが飛び立つ前に言った言葉がメリッサの脳裏によぎる。
「猛毒と切り裂く竜巻の合わせ技……なんて凶悪な技なんだ……」
本気の彼女を敵にしなくて良かったと、メリッサはマスクの下に冷たい汗をかいた。
ちなみに、ヴェノム・ストームという技名は、アスタロトは一切使っておらず、手下たちが勝手につけた名前である。
「くるぞ! 全員、構えろ!」
アスタロトの側近の1人――ザハが声を張った。
アスタロトの絶大な力をもってしても、アポリオスの群れは数が多すぎた。猛毒と竜巻を抜けた数百匹が、メリッサ達のいる遺跡に迫る。
ザハの合図で、砲座の機関銃が一斉に火を噴いた。轟音を鳴り響かせた斉射が、次々と近づく害虫を耳障りな羽音もろとも地上に叩き落してゆく。
しかし、いくら撃ち落としても、アポリオスはその数を減らさず、機関銃の弾幕すらすり抜けて遺跡に飛びつく個体が出始めた。
「はあっ!」
メリッサが、遺跡に降りたアポリオスに剣を振るい、その外殻ごと肉を断つ。
目の前の害虫は、イナゴというより、刺々した外殻をもつカブトムシといった感じであった。
目は退化したのか無く、飛んで移動するため脚も小さい。そして、何でも噛み砕く大きくて鋭い顎が特徴的だった。大きさは、羽根を除けば50センチ程と恐ろしく大きな虫だ。
気持ち悪いというのが、メリッサの率直な感想だった。
「はっ! はっ! せい!」
マスクの下で掛け声と上げながら、メリッサが次々と遺跡に群がるアポリオスを切り裂いてゆく。
硬そうな外見とは裏腹に、剣は容易く通った。恐らく飛ぶために適した軽量な体の為だろう。ジャガイモでも切る様に、サクサクと切ることが出来たが、何より数が多い。
メリッサは、目に着くアポリオスを片っ端から切って回った。
そんな中、悲鳴が彼女の耳に届く。
「うわあぁ!」
悲鳴のする方を見ると、砲座の周りにアポリオスが群がり、それを守る男たちにも何匹も取り付いていた。ギチギチ音を立て、鋭い顎で彼らの腕や脚に噛みついている。
メリッサが、早く助けに行かなければと思った矢先、クロードが颯爽と駆け付け、刹那のうちに砲座に群がるアポリウスを切り刻んだ。
しかし、流れる様に振るわれる彼の剣が、アポリオスだけでなく、取り付かれている男たちにも振り降ろされる。
あわやクロードの剣が人を殺めるという瞬間、キンという甲高い音と火花を上げて、彼の剣が止められた。
「……何をする」
「それはこっちのセリフだ」
メリッサの剣がクロードの剣を止めていた。
ギリギリと刃の押し合いの後、2人の嵐の様な打ち合いが始まった。目にも留まらぬ速さで、何十合と剣がぶつかり、金属音が速いピッチで奏でられる。
カキンッ!
2人の剣が大きく弾かれた。
それが合図であるように、一言も発することなく、突然、2人打ち合いは終わった。
弾かれた反動をそのままに、2人ともくるりと後ろを向き、再び別の場所に降りたアポリウスに向かって行く。
高速の打ち合いの後には、いつの間にか男たちに取り付いたアポリウスだけが、切られて死んでいた。
「……あ、ありがとよ」
助けられた男は、圧倒され、弱々しい情けない声で礼を述べた。
その後も、メリッサとクロードは一心不乱に害虫を切り続ける。戦いの中、一度離れた2人だったが、再び距離が狭まる。
「おい、クロード! 何だ、さっきの剣は!」
メリッサが怒りの声を上げた。
矢継ぎ早にアポリオスを切りながら、後ろで同じ様に、剣を振るい続けるクロードを問い詰める。
メリッサは期を見て、ぴったりとクロードと背中を合わせた。
彼女もクロードも、多少息が上がっていた。
「お前、人間ごとイナゴを殺そうとしただろ!」
「うるさい! 貴様こそ邪魔しおって。その上、我の剣を弾きながらイナゴを切っていたな? 馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
先ほどの打ち合いの間、クロードはメリッサとの実力の差を見せつけられ、頭にきていた。
「群がったイナゴを効率的に殺せたものを。それに、あのような弱い者は足で纏いだ。囮としてイナゴごと切り捨てた方がよい」
「クロード、お前!」
メリッサの言葉の途中で、クロードは背中を離し、アポリオスに切り掛かって行ってしまった。
「ええい! 魔法が使えればこんな虫けらども、焼き払ってくれるのに」
クロードなら、巻き込まれるような脆弱者が悪いなどと言って、他人を巻き込むのも厭わず強力な魔法をつかうだろう。メリッサは、今は彼が魔法を使えなくて良かったと思った。
「くそ、腹立たしい。あやつめ、我が使えぬというのに、これ見よがしに魔法を使いおって」
クロードは、魔法が使えず、ちまちまとアポリオスを殺していかなければならないことに、フラストレーションが溜まっていた。
そんな彼の苛立ちなど知ることもなく、クロードたちとは離れた場所に、大掛かりな魔法でアポリオスを薙ぎ払う一角があった。
「裂け、烈風の刃! ウィンド・カッター」
サイードが、風の刃を放ち、空中の数十匹を纏めて真っ二つする。こぼれた個体は、身体強化による高速移動と両手に握った双剣で、あっというまに細切れになった。
双術の獅子の二つ名を思い知らせる、まさに獅子奮迅の働きをしていた。
西の空から来る大群の殆どはアスタロトが抑え、そこから漏れたものを遺跡の守備隊で迎撃する。しばらくの間はこの流れで、被害も出さず対処が出来ていた。しかし、このまま終えることが出来ると思った戦いも、突然、新たな局面を迎えた。
「ざ、ザハ兄貴! やばい! 北東! 北東の空に!」
それは手下の一人の報告からだった。
ザハの所に取り乱した様子で、手下の一人が駆け寄ってきた。その尋常ではない様子に、ザハは戦いの手を止めて、手下から双眼鏡をひったくって北東の空を見た。
薄暗い夜の闇に包まれつつある北東の空は、幻想的な紫色に染まっていた。ただ、その美しい空に、見たことのある黒い雲が浮かんでいた。
ザハは顔面から血の気が引いてゆくのを感じた。
「お頭! 北東の空にも、大イナゴの大群です! 規模は西からと同じか、それ以上!」
ザハはすぐさま通信機に叫んだ。
『なんだって!?』
無線からアスタロトの驚きに満ちた大声が返ってきた。
多少は数を減らしたが、未だに夥しい数が残るアポリオスを相手している。北東からの新しい群れにまで手が回らない。
しばし無線の向こうが無言になった。
不安に思ったザハが、彼女に呼びかけようとしたその時、無線から声がした。
『ギガンティック・ヴェノム・ストームをやるよ……』
「え?」
『ギガンティック・ヴェノム・ストームだよ! お前たちが勝手に名前つけて呼んでるだろ! 恥ずかしいんだから、あんまり言わせんじゃないよ!』
「は、はい! でも、あれには砂嵐の壁が……修理するにしても、カシムは手を負傷してます」
『他にも修理出来るメカニックがいるだろ? あのひょろい兄貴にやらせな』
「え!? あいつですか!?」
『カシムも認めた奴だ、あいつなら出来るさ。もし渋るようなら……』
一瞬、言葉を溜め、アスタロトのにやりと笑った。
『うまくいったら、キスぐらいしてやるって伝えな』




