雲霞の如く
「お、お頭! 大変だ!」
突然、ドアが開いて、一人の男が慌てて入ってきた。
「なんだい、騒がしいね」
「た、大群だ! 大イナゴの大群がこっちに向かってきてる!」
「大群ってどれぐらいだい」
「とにかくすげぇ大群なんです! 西の空に真っ黒い雲が掛かってるみてぇに」
「なんだって!?」
男の言葉に、アスタロトや側近の男たちが驚愕した。
事態を呑み込めないメリッサは、この強者たちをも脅かす大イナゴの群れとは、いったいどんな存在なのかと理解できずにいたが、隣にいるサイードだけは同じように深刻な表情だった。
「サイード、大イナゴとはいったい」
おそらくこの国の人間なら、知っていることなのだろう。メリッサは、サイードに聞いてみた。
「大イナゴとは、アポリオスという名のクリーチャーの別名だ。やつらは群れを作り、農作物だけでなく、家畜、ひいては人や建築物まで喰う。奴らが通った後には、何も残らないと言われるほどだ」
「村や街の結界は効かないのか?」
「通常の群れならそれで何とかなる。だが、数十年に一度、大イナゴが大量に発生するんだが、その時は結界も効果がない。結界に弾かれようとも、奴らは後から後から押し寄せて、最後には結界発生装置すらも喰ってしまうからな。この国では、災害の一つになっていて、発生したら軍が駆除に出るぐらいだ」
「そんな数十年に一度の災害が、今起きたと?」
「話を聞く限りそうだな。ただ、恐らく今回のは、人為的に起こされたものだ……」
サイードから言葉の真意を聞こうと思った矢先、アスタロトが覇気の籠った声で指示を出した。側近の2人、ザハとタミルは、すぐさま動く。その後、残ったメリッサ達にも、彼女の声が掛かった。
「あの爆発の衝撃で、砂嵐の壁を作る装置が止まっちまっててね。普段より守りが薄いんだ。戦える奴は、手を貸してほしいんだが」
メリッサは、二つ返事で承諾したかったが、今は護衛の依頼がある。すぐに返事できず、ナフィーサに視線を向けた。するとナフィーサは、彼女の視線の意図を理解し、黙って頷いた。
「ありがとうございます! では、行くぞクロード!」
「なぜ我もなんだ?」
「社長命令だ。もう剣は握れるんだろう?」
クロードの舌打ちが鳴る。
障壁を消すためにボロボロになった手は、包帯でぐるぐる巻きで見た目には痛々しいが、彼の並外れた回復力によって既に剣を扱えるぐらいには回復していた。
「お嬢、俺はここでロゼッタを治してていいですかい?」
「ああ、だが、いつでもシェルターに入れるようにしといてくれ」
「了解」
アルレッキーノが親指を立てて、笑顔で答えた。
では、行くかとアスタロトと一緒に、メリッサ達が動き出そうとした時、ナフィーサが、横に付き添うサイードに言った。
「サイード、あなたも加勢行ってきてください」
「しかし、私は――」
「私は大丈夫です。あなたなら力になってあげられるはずです。私一人で、シェルターに入って申し訳ないですが、お願いします」
「……分かりました」
サイードは一瞬考え、真剣な表情で頷いた。そして、右手で自分の右肩、左肩と触れ、最後に左胸に手を置いて、最敬礼――破邪の祈りをすると、踵を返して部屋を出るアスタロトに続いた。
サイードが戦力に加わり、アスタロトと伴にメリッサ達は部屋を出て、階段を駆け上がった。
遺跡の中を上へ上へと登る。するとすぐに太陽の光が差し込む出口が見えた。天窓の様に天井に空いた出口にから這い出ると、そこは遺跡の上、建物でいうなら屋上にあたる場所だった。
そこから見える景色に、メリッサは息を呑んだ。
パノラマでどこまでも広がる砂の海が、夕日を浴びてオレンジ色に染まっている。砂の波のよってできた影とのコントラストが、芸術的な文様を描いていた。
「見とれてる場合ではない、あれを見ろ」
クロードに言われ我に返り、彼の指す方に目を向けた。
「なんだあれは……」
西の空に赤く輝く太陽があった。大きく丸いその光源の前に、黒い雲が浮かんでいる。
空に他の雲はない。ただ、よく見るとその真っ黒な雲が、雲でないことに気付く。それは、無数の黒い点が集まって出来ているものだった。
まさに雲霞の様に集まる大イナゴだ。
ザザザザと大量の砂利を流したような音が、静かなはずの砂漠に鳴り続けている。
それは何万匹もの大イナゴが出す羽音だった。
遠くに見える時点でこの音である。あれが近くに来た時には、もはや嵐の中と変わらないだろうとメリッサは思った。
「災害クラスの群れか……やはり、あれを使ったか……」
大イナゴの群れを見て、深刻そうに表情を曇らすサイードが呟いた。それを聞いたメリッサは、先ほどの彼の言葉の意味を聞いた。
「さっき言っていた、あれが人災というのと関係が?」
「ああ。あの大イナゴを人為的に呼び寄せるフェロモンの研究がされていると聞いたことがある。大イナゴを軍事兵器に使う計画だ。まだ研究段階だと思っていたが……」
「そのフェロモンが撒かれたというのか?」
メリッサは、自分の質問の答えに自らたどりつき、はっとして言った。
「あの爆弾か」
「恐らくな」
強大な威力の爆弾に、開発中のクリーチャーを使った新兵器。どれもナフィーサを消すために使ったものだろう。人一人の為に、ここまで徹底的な手段に出る大臣の非情さに、メリッサは怒りを覚えた。
「迎撃装置を起動しな!」
アスタロトが号令を発する。すると遺跡の頂上のあちらこちらで、地面に真四角の穴が開き、そこから機関銃のついた砲座がせり出した。これにより遺跡の岩山は、あっという間に要塞へと変貌した。
砲座に男たちが座ると、その周りに弾薬を補充する者、近接武器で守る者が配置に着く。見れば全員ガスマスクを着けている。
「おい、これを着けろ」
側近の一人が、メリッサ達にガスマスクを手渡した。なぜ必要なのか分からなかったが、どうやらここの戦闘では必要不可欠らしい。メリッサたちは黙ってマスクを着用した。
「死にたくなかったら、そいつは絶対に外すんじゃないよ」
アスタロトが、大イナゴの群れを見ながら背中越しに言う。
彼女の視線の先、夕日を背にした黒い塊は、近づいてきているからか、それとも数を増やしたからか、群れの大きさも羽音も大きくなっていた。
それを睨むアスタロトの隣に、再びドラグーンメイル――アスワドが顕現する。その後、光の粒を残して彼女が姿を消すと、漆黒の龍は真紅の両眼を光らせ、雄叫びと伴に迫る雲霞に向かって飛翔した。
美人で強いアスタロト姐さん。
次回、ドラグーンメイルの本領発揮します。圧倒的です!




