兄の背中
アルレッキーノの必死の訴えも、盗賊の頭目の女には、苦し紛れの嘘にしか聞こえなかった。
『はっ、この期に及んではったりかい!』
女はぴしゃりと撥ねつけた。その声に合わせたように、先ほどまでサイードの魔法を喰らって地面を転がっていた盗賊たちが、立ち上がり、怒りの籠った視線をもってアルレッキーノ達を再び取り囲んだ。
そんな一触即発の状況で、アルレッキーノは寄り掛かっていた木箱の留め具を黙って外すと、ばたりと箱が展開し、中から深緑色をした水瓶が現れた。
彼より数十センチは高い、大きな水瓶だった。
「はぁはぁ……もう、起動してやがる。くっ……もう少しで、ここいら一体が火の海になる」
『それが爆弾だって? もっとまともなはったりを言いな』
「嘘じゃねぇ! 時間が無いんだ、こいつを解除させてくれ! 俺ならそれが出来る!」
アルレッキーノは、真剣な眼差しでドラゴンを見据えた。そんな真剣な兄を、ロゼッタもまた、じっと見守った。
「……お兄ちゃん」
しかし、頭目の女には彼の言葉は届かなかった。
『そいつらは、まだまともに動けないんだ。お前ら! 囲んで一気にやっちまいな!』
女の言葉に、盗賊たちが武器を構え、臨戦態勢に入った。それを見て、メリッサ達も剣を構えるが、剣を握る手にはまだ力が戻っていなかった。今、数の力で押し込まれれば、確実にやられてしまう。
緊迫の満ちた静けさの中、汗がメリッサの頬を伝って落ちた。
「お頭も皆の衆も、待ちなされ」
その時、老人の声が響いた。
叫ぶような大きな声ではなかったが、よく通る声。
その声に、盗賊たちはぴたりと臨戦態勢を解き、キョロキョロと声の主を探し始める。するとすぐに、メリッサ達を囲んでいる盗賊たちの輪の一角から、杖を突いた老人が輪の中心へと歩み出てきた。
老人には、子供が一人付き添っている。老人もそうだが、盗賊の根城に子供がいることにメリッサは驚いた。ふと辺りを見渡せば、広場を囲む岩壁に掘られたいくつもの穴から、子供や女性など、非戦闘員らしき人々が、心配そうな表情でこちらを見下ろしているのが目に入った。
「この男が言うことは本当じゃ。この水瓶は爆弾じゃよ」
老人は、アルレッキーノの隣まで歩み寄ると、しわがれているがはっきりした声で話始めた。彼の言葉に、辺りがざわつく。
『……間違いないのかい? カシム』
カシムという老人の言葉に、女は冷静になって耳を傾けた。ドラゴンを駆る盗賊の頭目も、この老人の言葉は無視できないらしい。
「うむ。この爆弾は、見た目通り“水瓶”という名前の爆弾での。自動でマナを吸収し、溜まったマナを一気に魔力に変換して爆発させる、大昔に使われた兵器じゃよ」
『あたしが、コンテナを運んだ時には何も感じなかったよ』
「おそらく、ここに来てからマナを溜め始めたんじゃろうな。ここはマナが特に濃いからのう。ここに運ばれてからマナを溜めても、満たされるのに、そう時間はかかるまいて」
老人の言う通り、この爆弾は、マナを溜めるのに時間がかかりすぎるという欠点から、過去の遺物となった兵器だった。しかし、溜めるのに時間が掛かる分、爆発した時の威力は途轍もない。
老人の説明に、どよめきが広がった。
爆発まではあと10分ほど。タイムリミットを老人の口から聞き、女は少し間をおいてから言った。
『分かった。そこの細い男、さっさと解除に取り掛かりな』
アルレッキーノは黙って頷くと、自身のバックパックを持ってきて、爆弾の解除に取り掛かった。
女は次に、遺跡中に聞こえる様に大きな声で言った。
『みんな、聞いとくれ。これから爆弾の処理をするから、シェルターに避難しな。慌てず、助け合ってシェルターに入るんだ』
女は、ゆっくりと落ち着いた口調で呼びかけた。パニックにならない様、配慮しているのだろう。
その呼びかけで、岩の壁に空いた穴から広場を覗いていた顔が全て消え、人々が一斉に動き出した。ドタドタと人の動く音が聞こえる。
しかし、慌てたりパニックになっている雰囲気ではなく、よく訓練されているのが伺えた。
女は、それを見届けるとドラゴンを消し、メリッサ達を囲む輪に向かって歩き出した。いつの間にか、意識を取り戻した側近らしき2人の男も、じっとロゼッタを睨んでいたが、すぐに女の後に続いた。
女が人垣の前まで来ると、盗賊たちが左右にさっと広がり道が出来た。その道を歩きながら、女は少し呆れたように言った。
「あたしは、“みんな”って言ったんだがね……お前らもさっさとシェルターに行きな」
女の言葉に、盗賊たちは自分たちも残ると抗議したが、最後はには側近たちに宥められ、全員シェルターへと入っていった。
こうして、頭目の女、側近2人、カシム老人、それにメリッサ達だけが、広い遺跡の真ん中に残ったのだった。
♦ ♦ ♦
誰も言葉を発しない。鼓動の音すら聞こえるのではと思えるほどの静寂のなか、空気はこれ以上ないくらいに張り詰めていた。
爆弾を前に、アルレッキーノの額に汗がうっすらと浮かぶ。
真剣な表情で、ふうっと息を吐くと、爆弾の上部に両手を添えた。
「偽装術式解除」
詠唱に合わせて、両手が触れている部分に魔法陣が浮かび上がり、水瓶の表面を上から下へと、螺旋状に光る文字が浮かび上がってゆく。
無地の水瓶だったものが、光る文字で飾られた本来の姿へと変貌すると、それを確認したアルレッキーノの顏が曇った。状況は芳しくない。想像以上に厄介な術式が組まれていたのだった。
「こいつは、また、とんでもないもんが出てきたのぉ」
アルレッキーノの横で、カシムが眉間に皺を寄せながら言った。
「カシム、そんなに厄介なやつなのかい?」
「ほっほっほ、こいつはさっきお頭に説明した“水瓶”を基にして、独自の改良を加えおる。複雑な術式組んであって、正しく解除しないと爆発するうえに、解除防止のトラップも沢山仕組んでおるよ。まったく、これを作った奴は性格がねじ曲がっておるの」
状況としてはあまりよくないはずだが、カシムはどことなく楽しそうに語った。そして、アルレッキーノの傍へと近づいて行った。
「まずは振動感知術式、次に座標認識術式……」
「ああ、そうだな。しかし、爺さん詳しいな」
アルレッキーノは、水瓶を観察する視線をずらすことなく、隣にやって来たカシムと言葉を交わす。
「ほっほっ、昔取った杵柄ってやつじゃよ」
「へぇ」
「術式の解析はワシがやろう。お主は解除の方に集中せい」
「アルレッキーノだ。アルでいいぜ」
再び、アルレッキーノが水瓶へと近づき、両手を添えると、後ろではカシムが両手を水瓶にかざし、術式を解析し始めた。アルレッキーノの着けるゴーグルに、カシムが解析した情報が送られてくる。
(この爺さん、いい腕してやがる……)
水瓶に施された術式は、手を加えらえないように、プロテクトが掛かっているうえ、暗号化されている。
それ故、今、カシムは、プロテクトの解除と複合化を同時に行い、その情報をアルレッキーノへと送っているのだが、驚いたのは、その解析スピードだった。
膨大な量の情報を、この数秒で複合化までして送って来る。カシムの能力の高さにアルレッキーノは舌を巻いた。
「おや、速すぎかの? もう少しゆっくり送ろうか? アル」
「へっ、いらねえ気遣いだ。爺さんこそ、途中でぶっ倒れるなよ」
術式を操作するための手袋をした両手を、準部運動でもするように数度握ると、アルレッキーノも高速で解除作業を進めた。
カシムが解析が終えた術式は、水瓶の表面から浮かび上がっている。アルレッキーノは、その文字の羅列の一部を指で摘み、分解したり、新しく記述を足たりしてまた羅列に戻していく。
そして、解除が終わった場所は、分かりやすいように、赤い発光から青い発光に変えていった。
(α術式の一部変換、β術式の後方に繋げて……振動感知はこれで切った。座標認識の、γ術式を止めながら、1番から5番を1度カット――)
高速で回転する思考。それに合わせて、目まぐるしく彼の指が動く。カシムの解析能力もさることながら、トラップを避けつつ正しい順番で術式を、高速で解除してゆくアルレッキーノの処理能力も並外れたものだった。
真っ赤だった術式の列は、みるみる青へと変えられてゆく。
それでも、残り時間はあと3分を切った。
今、この場で何かできるのは、アルレッキーノとカシムだけであり、それ以外は全員、この二人を見守るぐらいしか出来ない。
無音の広場で、じっとりとした緊迫感が重く圧し掛かる。メリッサ達は、固唾を呑んで二人を見守った。
そんな皆の意識がアルレッキーノ達に向かう中で、クロードは自身の服の裾が引っ張られているのを感じた。誰かと思い、引っ張られている方を向くと、ロゼッタだった。
「クロードさん、ちょっとお願いがあるんですが……」
「む?」
ロゼッタは小声で、クロードに呼び掛けた。
他の人間は、爆弾の解除を凝視しいて、2人の会話には気付いていない。クロードは、水瓶を囲む輪から数歩後ろに下がり、ロゼッタの話に耳を傾けた。するとロゼッタは、神妙な声色で話を始めた。
「もしかしたら、なんですが――」