王と大臣
シアのコンサートが謎の武装勢力によって襲撃された事件の知らせは、その日のうちにサーディール国の王都にいる国王の耳に届いた。
そのとき、国王のマフマディーは夕餉を終え、最近腕を上げたという娘のハープの調べを家族みんなと聴いていた。
そこに、緊急の知らせに慌てた様子の家臣が駆け込んできたのである。家族団欒の時間を大切にするアフマディー王は、その至福の時を邪魔した無粋な家臣に憮然としながらも、家族の手前、努めて平静な声で要件を伝えるように言った。
「その……恐れながら、お人払いを」
言うことを躊躇する家臣に、アフマディー王の眉間の皺が更に深くなり、はっきり苛つきが分かる声で言った。
「かまわぬ。申してみよ」
「ははっ、報告いたします。本日夕刻、歌手の公演が行われているシオディンの闘技場を、謎の武装勢力が襲撃いたしまして、その……ナフィーサ殿下がそれに巻き込まれたとのことです」
家臣の口から娘の名前が出た瞬間、アフマディー王の手から盃が滑り落ちた。王妃や王女たちも口元を抑えて言葉を失っている。
言葉の出ない王たちに代って、大臣のアクバルが言葉を発した。
「そ、それで、ナフィーサ殿下は……殿下はご無事なのか!?」
「それが、現地からの報告では、闘技場が大きく破壊され、捜索が難航しているとのことで、ナフィーサ殿下の安否は不明です」
「親衛隊は何をしておる!」
「武装勢力が爆発物を使用したとのことで、親衛隊も全員、安否不明でして。そちらも総力を挙げて捜索しております」
「馬鹿者! 殿下を優先して捜索しろ! 早急にだ!」
「ははっ!」
大臣の怒声に捲し立てられ、家臣は礼をするのも忘れるほど慌てて食堂を出て行った。
「ナフィーサ、あの子ライブをすごく楽しみにしてたのに、なんて可哀そう……」
「そうね。私のところにも、当日着ていくドレスを見せに来て、とてもはしゃいでいたわ……」
王女であるナフィーサの姉たちが、沈んだ表情で呟いた。
アフマディー王は、歴代の王の中でも珍しく妻を一人しかめとらず、妻や子供を大事にする王だった。そのため、姉妹の仲も良く、特に末の妹であるナフィーサは姉たちにとても可愛がられていた。
その可愛い妹が事件に巻き込まれたという知らせは、平和の中で育った彼女たちにはショックが大きかった。
姉たちのむせび泣く嗚咽の音が静かになった食堂に響く。
「まだ分からないのです。そんなふうに泣くものではありませんよ」
娘達を励ますように嗜める王妃も、膝に置く手は震えている。
(やはりあの子は城から出してはいけなかったのか……)
アフマディー王は、王に即位した頃のことを思い出していた。
即位の儀式を終えた数日後、城の執務室でひっそりと行われたもう一つの“即位の儀式”。
その場にいたのは、アフマディー王と数人の黒装束に身を包んだ男たちだけだった。
黒装束の男たちが何者かは、先代の王である父親から聞いていた。
彼らは、建国神話の中に出てくる英雄を助けた一族の末裔で、長い歴史の中で影として国を守ってきた者たちである。現在では公安と諜報を行う特別機関を組織し、その権力は王に勝るとも劣らない絶大なものであるという。
そんな大いなる国の影たちを前に、儀式で行われるのは、彼ら一族とその機関の独立性を認める宣誓、それと彼らを“真”に知ることだった。
この儀式の中でアフマディー王は、王族には特別な力を持った子どもが生まれるかもしれないこと、そしてその子どもには過酷な運命が待っていることを知ったのである。
その子どもがナフィーサであった。
今、その過酷な運命が彼女に牙を剥いたというのだろうか。
「兄上、心配でしょうが、お気を確かに。王が狼狽えてはなりません、くれぐれもお顔に出されないように。臣民も不安になります。殿下の件は、私が直接捜索の指揮にあたり、事件の事後処理もしておきます」
神妙な顔で固まる王に、アクバル大臣が横から声を掛けた。
「すまないな、アクバル。どうか頼む」
「お任せください、執務は大臣の務め。それに、私も姪は可愛いですから、早く見つけてやりたい」
アクバルは微笑みながら、力強く頷いて見せると。アフマディー王も少し表情が柔らかくなった。
頼りになる弟だと心強い想いの中、「頼む」と頷き返す王。
「では、さっそく取り掛かります」と言ってアクバルは一礼すると踵を返し食堂を後にした。
自分の執務室に着くなり、アクバルはどかりとソファに腰かけた。中年太りした重い体が、柔らかなソファに深く沈む。目の前の机に置かれた酒瓶に手を伸ばしながら、誰もいないはずの部屋の隅に向かって話し始めた。
「分かっていると思うが、ナフィーサの件は、無事に保護され、城に戻ったと情報を流しておけよ。市井にだけでなく、捜索している軍の方にもだぞ」
「……心得ております」
人の気配がない薄暗い部屋の隅から返事が返ってきた。
そこにはまるで、人の形をした影だけがあるかの様に、1人の全身黒づくめ男が立っていた。顏はベールに隠され素顔は見えず、一般の兵士や城の衛士とは全く異なる異質な空気を纏っている。
アクバルがグラスに注いだ酒をぐいっと一気に飲み干し、グラスを降ろすと、いつの間にか影の様な男は消えていた。それを特に気にすることもなく、アクバルはにんまりと笑って、2杯目を注いだ。
1章完結です!
次回から冒険の旅に出るぞぉ!
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