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この国の王が目の前にいる。
陛下自ら、船を下りると真っ直ぐに我が屋敷を訪ねられたのだ。
「ランファイネル、久し振りだな?」
「はは、」
私は自分の領地が島々なのを良いことに王都とは距離を置いてきた。
陛下と会ったのも3年振りくらいだろう。
さすがに一国を率いている人間だ、圧力が違う。
「ご尊顔を拝し、」
「挨拶はいい。王子に会う」
「御意」
陛下を屋敷で1番良い部屋に通し、そこへ意外に素直に従ってくれたシャルディ殿下をお連れする。
久し振りの親子の対面、だが、そこには静かな空気だけがあった。
それでも王のあの深い皺が少し緩くなった気がする。
同じ色の瞳が互いを見る。
「シャルディ、大きくなったな?」
「はい、父上」
2人の間には親子の親愛は薄く他人の様な距離がある。
今までの経緯をみれば仕方がない。
「お前の母は亡くなったそうだな?」
「はい。お母様は最期まで父上の名を呼んでいました」
「そうか…、マリアーヌが、そうか…」
噂では陛下の愛した女性は彼女だけだとも聞いた。
暫し自分の想いに囚われている陛下を見ていると、その噂は正しいのかもしれないと思わせる。
だが、「ところでだ」と、殿下の母に関する会話が打ち切られる。
まるで興味がなかったかのように。
「お前は私の跡継ぎに決まった。これからは王都で暮らせ」
王の言葉は命令だ。
逆らうことなど許されない。
だが、殿下ははっきりと言葉にした。
「王都には行きません」
「どうした?何故そのように拒む?」
「余りにも勝手です。僕の気持ちは無視ですか?」
王は息子の瞳を気にしたのか不思議そうな顔をなされた。
王都に戻る、それは立場を保証されることだ。
殿下どころか、亡くなったマリアーヌの地位すら回復されるだろう。
陛下にはそれを拒む息子の気持ちがわからなかったに違いない。
「そんなおまえの我が儘が通るとでも思っているのか?」
その声までもが不思議そうに響く。
「通して下さい。僕は、ここにいたいんだ」
「訳を言え」
「…、訳は…、訳は、…」
シャルディ殿下が私の顔を見た。
ルミーアと離れたくないと言いたいのだろう、それを言葉にして私達に迷惑が掛かると心配したに違いない。
残念なことに、この王は人に情けを掛ける人間ではない。
いや、掛けているのかもしれないが、伝わりにくいのだ。
かつてシャルディ殿下の母であるマリアーヌが王妃に嫌がらせを受けていても、彼は何もしなかった。
もしかしたらヒステリックな王妃が何を仕出かすかわからなかったので、何も出来なかったのかも知れない。
だが、何もしなかった。
それどころかマリアーヌとシャルディを城から追放したのだ。
その位に淡々と物事を進める。
庇うとすれば、あの王妃との長年の生活が陛下をそのような人間にしてしまったのだろう。
「父上、どうしてもベルーガに行かなければなりませんか?」
「当然だ。私達には自分の好きな様に行動することが許されない場合がある。常に受身で生きる事が肝要なんだ」
「そのような暮らししたくないんです。僕はここでお館様の手伝いをして、それで、それで、」
「それは許されない。もしお前が望んでもランファイネルが拒む」
「それが僕の望みでもですか?」
「それがお前の立場だからな。そうだな、ランファイネル?」
「陛下の仰られる通りでございます」
私の言葉に陛下は満足気に頷く。
「いいか、シャルディ。お前の代わりなどいない」
シャルディ殿下は怯むことなく言葉を出す。
「この国は、城は、僕とお母様を追い出した。なのに、今頃になって世継ぎだなんて、父上の後を継げだなんて勝手すぎる!」
殿下の声は痛さを持っている。
その痛みは、少しだけ陛下に伝わったように見えた。
深い皺がまだ深くなったように見えたからだ。
だが、言葉は淡々と続く。
「こうしてワシがお前を連れ戻しに来た。シャルディ、その意味が分かるか?お前に拒む権利はない。もう全て決まったことだ」
殿下は陛下から目を逸らし黙り込む。
心が暴れそうになるのを抑えているのだろう。
おそらく、自分には何の力もない事を知らされたのであろう。
低く深い声が言葉を搾り出す。
「王都になんか帰らない。僕はここにいたい。これからも、ここで暮らしたいんだ!」
その声は陛下に伝わったようだ。
陛下が尋ねる。
「お前は、何故にそこまでネルダーに拘るのだ?何故、ここに居たいのだ?」
息子の気持ちを知ろうとしたのか?
珍しいことだ。
「…」
殿下は黙り込んだままだった。
言葉を捜している。
「…、言えないか?」
その陛下の言葉は息子を労わるような優しい声であった。
そして、その声がシャルディ殿下の気持ちを柔らかくした。
「このワシに言えないのか?」
「うん」
「シャルディ、まさか、好きな娘でもいるのか?」
「う、ううん、あ、」
「いるんだな?」
「…、うん」
言葉を濁す息子に王はもう一つの決定事項を伝える。
「お前の婚姻相手は既に決まっている。その娘のことは忘れろ」
「え?」
「さる姫君との縁談が決まった。これは国同士で決まった事だ。変える事はできない。受け入れろ」
「嫌だ!僕は、ルミーアと結婚するって決めてる!」
「ルミーア?誰だ?」
思わず私と殿下は顔を見合わせる。
「デンタームの知り合いか?」
「…、お館様の娘だ」
涙を含んだ深蒼の瞳が父を見る。
それに答える瞳は良く似た深蒼の瞳。
だが年老いたその瞳は淡々と告げる。
「そうか、ならば、早くに別れられて良かったな」
「そんな!」
「女など掃いて捨てるほどいる」
「…、」
「ここでのこと、全て捨てるんだ。いいな?」
「嫌だ。捨てるなんて出来ない。僕はここにいる」
「馬鹿者が、」
「馬鹿でいい。どうして今さら来たんですか?戻って来いなんて…、僕の代りならどこかにいるでしょう?王になりたい人間なんて山のようにいるじゃないか!」
シャルディ殿下は王の目をしっかりと見て迫る。
「父上、そうでしょう!」
必死だ。
それほどまでに娘のことを…。
私はその気迫に飲み込まれた。
それでも王は淡々と言葉を続ける。
「その娘のことは忘れろ」
「…、」
「忘れられないのあれば、そうだな、時がきたらその娘を側室に抱えればいい」
なんだと、ルミーアを側室にだと!
一瞬私の顔は歪んだに違いない。
だが、このままで行けばだ、2人が一緒になるにはその道しかない…。
しかしだ、まだ幼い娘の将来が側室になるしかないなどど、そんなこと、許したくもない…。
気付けば殿下は私の顔を見ていた。
私の心を見ていたのだ。
「側室だなんて、そんなこと言うなんて…」
小さい声で呟く。
王は被せるように言葉を吐く。
「世継ぎと決まった時からお前には受け入れることしか許されない。全て忘れるか、諦めろ」
「…」
「それが、ここにいる人間を救うことになる」
その言葉は殿下の胸に刺さったようだ。
おそらく殿下が王都に戻れば、ここでのことは思い出となり日々が過ぎていくのだろう。
殿下は自分に相応しい女性との婚礼をすませ、ルミーアは幼い恋に懐かしさを感じてもネルダーで伴侶を見つけこの地に根を張る。
それが人生の在り様だと思う。
「お前が我が侭を通せばこの国が乱れる。継ぐべき人間が継ぎ治めなければ、この国は廃れるだけだ」
その言葉は重かった、噂は本当なのであろうと知らされる。
陛下の言う通りだ。
あの王妃の親族がこの国を我が物顔で牛耳ってきたこれまでを変えるには、そうしなければならない。
「この国が廃れてもいいのか?お前はその責任から逃げるのか?」
シャルディ殿下の瞳が、その輝きが深く暗いものへと変わった。
「僕に何が出来るというのですか?」
「私の正当な跡継ぎはお前だ。マリアーヌを城から逃がした時に約束した。必ず、時が掛かろうとも必ず、シャルディを世継ぎにし王都へ戻すとな。これはお前の母も願っていたことだ」
「そ、そんな、お館様、本当?」
本当と言えば本当だった。
「はい、陛下の仰る通りです」
だが、迎えはないと私は思っていた。
月日が経ち何の便りもなく日々が諦めを覚悟させてしまった。
「お母様がそれを願っていたのは、本当なんですね?」
「そうだ」
「本当に、ですね?」
「ああ、きっとこの選択が正しかったと思う日がくる」
その瞳の輝きに闇が加わったように感じた。
「…、わかりました」
陛下は満足そうに頷く。
「よし、ならば、明日にはここを発つ」
「そんなに?そんなに早く?」
「早いほうがいい」
「…、はい…」
うな垂れた殿下が力なく返事をした。
「侍従を呼べ」
「は」
私は命令のままに部屋を出た。
王の侍従殿は直ぐに部屋の中に入っていった。
ルミーアの顔が浮かぶ。
泣くだろうか…。