比律賓独立篇 第3章 新しい職務
みなさん、おはようございます、こんにちは、こんばんは、お疲れさまです。
糸瀬と巡査長は、巡回中に露店の1つで果物を盗んだ、10歳位の少年を現行犯で逮捕し、そのまま少年と露店の店主を連れて、移動交番車に戻った。
40代の店主は、品物を盗まれた事に怒りが収まらないのか、かなり苛立っている。
移動交番車に戻った巡査長は、移動交番車所長である巡査部長に報告し、糸瀬は藤木と共に移動交番車後部に設置している相談室に、2人を入れて、調書を取る事にした。
「俺の店は、今まで何度も品物が盗まれているんだ!このガキだって、今日が初めてのはずが無い!」
「落ち着いてください。とりあえず、温かいお茶でも・・・」
糸瀬が、顔を真っ赤にして怒鳴る店主に、温かいお茶を淹れた紙コップを手渡した。
「じっくりと話を伺います。ですから、少し落ち着いてから、話を聞かせてください」
藤木の言葉に、40代の男は、少しずつではあるが、落ち着きを取り戻した。
若い女性に声をかけられたという事で、思考が整ってきたのだろう。
この時代では、婦人警察官の制度は未発達で、当然ながら男性警察官しかいない。
話を聞く相手が、女性であるのと、フィリピン語をうまく話せないため、冷静にならなければ、彼らは話を聞いてくれない事を、理解したのだろう。
「君、どうして、盗みを働こうなんて、考えたの?」
糸瀬が、フィリピンの標準語で話しかける。
少年は、プイッと顔を横に向ける。
「食糧等は、配給されていると思うけど・・・」
糸瀬は、陸上自衛隊及び帝国陸軍第14軍と海軍陸戦隊が占領した地域では、戦争被害者救済団体による炊き出しや、衣類及び生活必需品等の配給が行われている事を知っているため、最低限の生活には不自由していないだろうと思い、問いかけた。
「お前・・・この辺りを見回っているのに、何も気付かないんだな・・・」
少年が小さな声で、つぶやいた。
だが、その声は、鋭かった。
「お前たちがしている事が、俺たちに、どのくらいの助けになっていると思う!?食糧難や住む場所、親、兄弟を失ったのは、誰のせいだと思っている!?お前たちも、あいつ等と同じだ。1日2回出される食べ物が、どのくらいの量か、知っているのか!?」
少年は、怒りがこもった目で真っ直ぐに糸瀬を見詰めるというより、睨みつける。
糸瀬は、少年の怒りの意味が、理解できなかった。
この侵攻は、西洋列強の支配から東南アジアを解放する、という目的で行われたはず、その際、発生する戦争被害者への援助も、念入りに検討されていたはず。
だが、少年の言葉は、糸瀬が考えている事を、真っ向から否定した。
確かに、戦争被害者救済団体は、フィリピンに現地入りし、戦争難民となった者たちに衣類や寝具、テント等の提供や炊き出しを行い、1日2回の配給を行っている。
しかし、現実は異なる。
特に戦火を逃れようとして、都市部や自分たちが住んでいた集落を離れ、安全地帯に避難する避難民は、日に日に増加し、さらに、大日本帝国軍の保護下になれば、生活の保障をしてくれる等といった噂話が広がり、それが、戦争被害者救済団体が対処できる人数を、上回った。
そのため、1日2回の食糧配給は、野菜が少し入ったスープにパンといった、レベルである。
ハワイだけでは無く、南太平洋にも戦線を拡大した事により、補給物資を満載した船舶は多方に展開し、民間船舶を確保できないのが、現状である。
日本共和区統合省や、戦争被害者救済団体が管理する食糧、医薬品、衣類等の生活必需品が大量にあっても、それを運ぶ船や飛行機が無ければ、意味が無い。
特にフィリピン本土では、アメリカ陸軍航空軍極東陸軍航空部隊や、海軍航空部隊、海兵隊航空部隊だけでは無く、イギリス空軍までもが進出している。
フィリピン陸軍航空軍も、アメリカ陸軍航空軍からP-40を36機が供与され、これらの戦闘航空部隊が各地で建設された秘密飛行場から離陸し、フィリピン本土と大日本帝国本土を繋ぐ航空輸送路を脅かしている。
そのため、日本共和区に本社を置く民間の航空会社は、空の安全を確保されない限り、飛行機を飛ばす事はできない、と主張している。
新世界連合も、この事態に対応策を検討しているが、連合国との講和工作や、対ソ連及び中国の対応に追われているため、とても手を回す事ができない。
糸瀬の知らない所で、各機関は、さまざまな問題を抱え、それを1つ1つ解決していかなければならない。
糸瀬と藤木がそれぞれの話を聞き、調書を作成していると、移動交番車所長の巡査部長が、相談室に現れた。
「ご足労をいただき、誠に申し訳ありません。こちらで、手続きを踏みますので、今日は帰っていただいてよろしいですよ」
巡査部長は、40代の男に穏やかな口調で告げた後、彼の手に1枚の紙を渡した。
「これは配給申請書です。損失した品物に関しましては、こちらの紙を配給所に提出すれば配給してもらえます」
「そ、そうですか・・・では、後の事は、よろしくお願いします」
男が立ち上がり、移動交番車を出た。
「糸瀬君。その子を、釈放してやりなさい」
「え?・・・は、はい」
糸瀬は、手錠を外し、逮捕した少年を自由にした。
「はい、これも」
巡査部長は、移動交番車に保管している保存食である、乾パンとビスケットを手渡した。
「君を待っている、腹を空かせた兄弟たちに、あげるといい」
少年は、乾パンとビスケットが入った缶詰を受け取り、驚いた顔で巡査部長を見上げた。
「ただし、もう二度とこんな真似をしてはいけない。次は、窃盗の犯罪者として逮捕し、留置所に放り込む」
巡査部長は、そこだけ厳しい口調と顔つきで言った後、少年を移動交番車から降ろした。
「よろしいのですか、部長?」
藤木が、尋ねた。
「話を聞く限り、あの少年は果物を盗んだ後、捕まえようとした店主を、突き飛ばしています。現行法では、強盗傷人罪が適用されますが・・・」
「ここが、安全な日本だったら、そうなるね」
巡査部長は、穏やかに告げた。
「でも、ここは日本でも無ければ、安全な場所でも無い。戦争中の国だ」
巡査部長が、振り返った。
「君たちは、昭和事変と名付けられた日本帝国首都圏での騒動を経験したと思うけど・・・あの時は、ある程度は治安が確保されていた。しかし、ここは違う。自衛隊、大日本帝国軍、アメリカ軍等の連合軍による砲爆撃で、頼れる家族、親戚を失った子供たち、家や財産を失い住む場所を無くした人たちが、大勢いる。彼らは、常に不安と恐怖に怯えている。いつ、終わるかも知れない戦争が、それらの感情を助長させている。犯罪を行ったから、と言って、全部には対処できない。彼らを入れる留置所が、すぐにパンクしてしまうからね」
巡査部長の言葉に、糸瀬と藤木は顔を見合わせた。
「まあ、納得できないなら、納得しなくていい。いずれは、わかる事だから・・・」
巡査部長は、穏やかに告げた。
フィリピンに派遣されて3日目を迎えた糸瀬は、フィリピン派遣警察隊本部警務課に呼ばれた。
糸瀬は、服装を整えて、フィリピン派遣警察隊本部庁舎で警務課の警察官たちが使用している警務課室に訪れると、見知った婦人警察官がいた。
「あれ、藤木さん?」
「糸瀬巡査も、呼ばれたの?」
2人が顔を合わせたと同時に、軽く応対した。
「糸瀬巡査、藤木巡査。警務課人事係長が、お呼びです」
フィリピン派遣警察隊本部に所属する警察官たちの、人事に関する責任者である人事係長の警部がいる別室に入室した。
「楽にしたまえ」
40代半ばぐらいの警部が、用意した椅子に座るよう指示した。
「君たちの直属の上司から、昨日の件について報告を受けた。その報告内容を聞いた生活安全課長が、ぜひとも自分の課に転向してほしいそうだ。もちろん、人事異動に関する手続きは済んでいる。君たちの上司も了解している。後は、君たちの意思で、人事異動が決定する」
係長の言葉に、藤木が質問した。
「生活安全課で、私たちは、どのような仕事をするのですか?」
藤木の質問に、係長は簡単に答えた。
「主な役目は、現地民・・・特に未成年者との接触と交流だ。まあ、わかりやすく説明すれば、地域課の職務の1つである、現地民との接触と交流を、さらに深くするという事だ。詳しい事は、生活安全課長から説明されるだろう」
係長の説明に、ある程度、納得した藤木だった。
「陽炎団地域部にも、問い合わせた。君たち2人の職務姿勢だが、やはり生活安全課長の興味を引いた」
係長は、そう付け加えると、2人に「どうだ?」と質問する。
「僕は、志願します」
糸瀬は、即答した。
「私も、志願します」
藤木が遅れて、答えた。
「では、早速、生活安全課に移動してもらう。必要な書類を作成するから、この場で待っていてくれ」
係長は、そう言うと、2人を部屋から出した。
部屋を出ると、地域課長(警視)が、立っていた。
「生活安全課への異動を、承認したそうだな。お前たちの直属の上司たちが、ここで引き抜かれるのは、きついと言っていたが、本人の意思を尊重するとも言っていた」
課長が2人の巡査に告げた後、糸瀬と藤木の顔を交合に見ながら告げた。
「生活安全課でお前たちに与えられる職務は、かなり困難だ。何といっても、彼らからすれば、俺たちは侵略者・・・若しくは厄介者でしか無い。そんな状況下で、信用を勝ち取るのだからな。もしも、嫌になったら、いつでも戻ってこい。手続きだけは済ませておく」
と、2人に伝えた後、何かを思い出したかのように、糸瀬に顔を向けた。
「あ、そうだ。今度は[ドボン騒動]を起こしたら、本当に洒落にならないぞ。何といっても、ここは、戦場だからな」
「それを、言わないでください」
糸瀬自身としては、忘れたい過去である。
「大丈夫です!私がしっかりと見張っておきますから、心配いりません!」
藤木が、胸を張って答える。
「糸瀬巡査、藤木巡査。書類の準備ができました。これを持って、生活安全課に異動してください」
糸瀬と藤木は書類を受け取ると、生活安全課室に移動するのであった。
生活安全課室及び他の課室も、同じ階にあるため、探すのに苦労はしない。
生活安全課総務係に必要な書類を手渡すと、生活安全課の課長(警視)が、2人を呼んだ。
「さっそくだが、君たちに与えられる職務について、どのくらい聞かされている?」
生活安全課の課長が、問いかけた。
「総務課の人事係長からの説明では、地域課よりも困難な、現地民との接触及び交流だと、聞いています」
「まあ、そうだろうね」
課長は、糸瀬からの質問の答に、うなずいた。
「具体的に説明すると、スービック海軍基地外をスービック特別区として、身寄りが無いフィリピン人たちに、生活の保障と社会の保障を与えようと、統合省経済産業局と外務局は考えている。このまま、彼らを野放しにしてしまえば、それがどのような結果を招く事になるかは、理解できるね?」
課長は、2人の顔を伺いながら説明を行った。
「治安の悪化や、犯罪の悪質化を招くだけだ。さらに、解放を掲げて、南進を行う大日本帝国軍及び自衛隊、そして、後に介入する新世界連合軍としても、このような事態を放置するのは、極めて標準的民衆レベルの価値観で不評だ。そこで我々・・・特に、生活安全課と、陸上自衛隊現地民交流隊(菊水総隊陸上自衛隊で臨時編成された、現地民との交流及び信頼関係を確立する部隊)と合同で、スービック特別区予定地で、複数の避難所で自活している避難民たちと接触し、現地民との信頼関係を築き、問題点の改善等に努める」
課長の説明に、糸瀬と藤木は自分たちの役目を理解した。
因みに、帝国陸海軍も同じように、現地民との接触及び交流で信頼関係の確立と、自分たちは征服者では無く、解放者である事を末端の子供まで理解できるような活動を、独自で行っている。
「その中で、最も人々との交流を深められるのは、子供との接触だ。君たちが陽炎団地域部で勤務していた事について、詳しい評価報告書を読ませてもらった。君たちは、子供との信頼関係を築くのが、とても上手いそうだな」
「いえ、私では無く、糸瀬巡査が一番です。私は単に、その手伝いをしているだけです」
藤木が、答える。
「いや、それだけでは無いと思う。君にも子供たちの、心を引く力があるという事だ。決して、糸瀬君だけの力では無い」
課長は、謙遜する藤木に告げた。
「君たちの直属の上司は、千名原麻衣警部補だ。彼女からは、現地民との信頼関係確立等についての手段はすべて2人に任せる。必要な物はすべて言ってくれればできる限り用意する、と言っていた」
課長の言葉に、藤木は尋ねた。
「千名原警部補は、どちらにおられますか?」
「ちょっと待っていろ」
課長は立ち上がり、辺りを見回した。
「千名原警部補」
「はい」
課長が呼ぶと、書類整理をしていた婦人警察官が立ち上がった。
「忙しい時にすまない」
「いえ丁度、一段落したところですから」
千名原が立ち上がり、2人に挨拶した。
「よろしく。千名原麻衣警部補よ」
「よ、よろしくお願いします」
糸瀬が立ち上がり、15度の敬礼をする。
「よろしくお願いします」
藤木はまったく乱れのない動作で、15度の敬礼をする。
「私と一緒にこれから仕事をするけど、できれば、階級による呼称や、先輩等の敬称は控えてほしいの」
「どうしてですか?」
糸瀬が、首を傾げて質問する。
その言葉に藤木が、「察しなさいよ」という目で、糸瀬を一瞥する。
「どうも階級や先輩付されると、かなり年上のような感じがするのよね。階級は警部補だけど、歳は26歳だから。一昨年まで巡査部長だったし、警部補と呼称されると、どういう訳か、30代越えのような感じがするのよね」
「どうしてですか?」
「バカ糸瀬!!」
ベシッ!!
相変わらずの、糸瀬の天然振りに、藤木のチョップが炸裂する。
比律賓独立篇 第3章をお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字があったと思いますがご了承ください。




